光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ムカムカするのは、春だから?

2010-02-21 19:00:41 | 植物・花(冬)
  春になると、いつもイライラする、とか思っていて、これは本当だった。一つは、何ごと
もそうだけど、自分の思う通りにいかないというのがある。それが自分が原因で、というのが、
ある年齢を重ねると現われたようなで、一種の自己矛盾、自己中毒みたいなものかも知れな
い。昔はそうでなかったが、最近やけにイライラする。どうもホルモンの問題ではないだろう。
そうゆうものもあるかも知れないが、やけに世間の風も冷たいし、もっとも閉じ篭っていると
いう方法もあるが、いずれにしろ昔、むかしのリラックスできるそうゆう時間、そうゆう自分が
なくなってゆく。よくあること、これを生き物のシステムだけに、原因を求めるとおかしくも
なるので、大体性格とかもあるが、これは、人それぞれみな違う。それでもみな人なので
ある。

  イライラは上品で、優雅かも知れない。イライラすること、というと、これは書いて
おられる方の多くは、正確には判断はむつかしいが、女性のようだ。男の場合はどうか、男は
女性の半端ものみたいなところがある。どうにも勝てない。それで、男がイライラは上品すぎて
使いづらい。するとというか、イライラが、ムカムカになり、単刀直入に「むかつくぜ」とか
になるようで、たしかに、ムカツクはおじさんの言葉で、おやじの言葉だななど思う。こうゆう
言葉を、「おやじ」あるいは、「おっさん」、「でくの坊」、あるいは、濡れ落ち葉、以外、の
人が使うと、なんだかおかしいのである。それゆえ、女性はイライラするという言葉で、表現し
て、実際のイライラ度というのは、かなりひどいらしい、という感じがする。その点、おやじ
とか、おっさんとかどこの誰だかわからない、そうゆう人間がこの言葉を使うとなんだか
現実味もないし、「いらつく」とか、ムカツクとか、それよりももう少し進展するとどうなる
か、そうゆう言葉もなかなか出てこない。
  まー優雅な言葉の方が、実際は受け入れやすく、現実の問題としては、より複雑なものが、
生き物としてのシステムがあるようで、どう考えても男の方が、特におやじだの、おっさんと
呼ばれると、単純でその程度も知れていて、それは自分でもよくわかるけど、まったく子供の
ままで、そうでない人はもちろんおられるが、ここは、つまりは春に近くなると、結構イライラし
て、ムカムカして、なんだか無性に腹立たしくもなって、という自分の現象をどうゆう言葉で
表現するのがいいか、ちょっと考えたのだが、ムカツク、というより、ムカムカする、というのが
いいのかも。と思う。それで、イライラと言う言葉は消えた。で、ムカムカというと、これは
胃がムカムカするという言葉もあるくらいで、身体的なもの、生き物としてのどうしようも
なく現われるものとも、取れるので、これが一番いいようなで、これからは春はムカムカする
と、表現したいと思う。この辺りが一番落ち着いて、いいような感じだ。

  やけに長いそうゆう冬というものを経験している。それで、例えばそれよりも以前、もっ
と厳しい冬があったのは事実だが、同じ条件でない、という問題は常にあり得る。人は若いとき
は生長もあるのだろうが、どう考えても老化と言われる時間、が長い気がする。すると、まだ
まだ若い気でいられるが、ついには、厄年などが近くなると、はて厄年って一体いつのこと、
ということになる。そんなこと気にするのは、この列島の住人くらいだよ、など言っていられる
のもある期間までで、この私もいろいろ辞書を引き、また辞書を引いた。ネットとかは関係が
なかった時代であったからだ。そのため、広辞苑を引き、また大辞林を引いた。それから、
数えがどうのこうのというのも何度となく調べて、またそれを調べなおした。しかし、お祓いと
かは自分でやることにして、つまりはなるべくおとなしく過ごしていたのだが、しかし今と
なっては、厄年って何のことなど思うので、ずいぶんと大人になったと思うが、早い話しが
老化したのである。これは、厄年と関係なく生きている限り、老化は進むもので、またそれを
止めることはできないものであろう。
  気象のある条件というのを体験するというのは、ある意味で二度と同じことはない、といって
もいいくらいで、例えばこれくらいの北陸の雪で、あーだのこーだのいう若い人はまずは
いないと思う。そうゆう時間をわずかながら過ごした私は、それをいう資格もないのだが、多少
の雪で、寒さで閉口することはなかったのだ。で、それでも今生きている人も、若い人もお年
を召した人も、50年たてばみなそれだけ歳をとる。赤ん坊だって、50歳になってしまう。そう
ゆうときを今も未来も共有できるかというと、それはねー、出来ないだろうとか思うわけで
ある。

  ムカムカの原因は、春が遅いというのと、老化というのがある。それが自論でしかし、これ
だけはどうしようもないものなので、また今年もムカムカしている。もう少し前だと、書いた
ように春が近くなると、どうしても「イライラ」しますね、など人と話しをしていた。それで
よかったようだ。これが、もっと昔だと、そうゆうものはなかったと思う。

  今日は、朝から晴れて、部屋の中は、ある時間から急に温度は上がった。で、最高気温、
部屋の中は18℃くらいだろうか。そうなると、ときどき寒気がする。これもおかしなことで、
で外の気温は、というと5℃とか6℃で、多分間違いないと思うが、きのうより最高気温はたし
か午後3時までだと、今日の方が低いのである。6℃台であったと思う。時間だ、とか思って、
晴れ晴れとした外に出て、わかってはいるが、まずは少し震える。それくらいに寒さは明るさ
とは違って残っていて、空気はどうしたわけか暖かくはない。でも風は弱めである。歩くとこ
ろを変えても、季節はもう早春で、春ははっきりと見えていて、でもまだ雪が多いのである。
これが消えない、というのももうわかっているけれど、残念でもあって、一旦凍ったものが
よみがえるに時間と暖かさ、それと日の光が必要で、これが積算されないといけない。一体に
春らしさ、は明るさをのぞくと、それから日の出の時間、日の入りの時間も除いて、いつ
ごろになると現われるか。
  それまで、もう少しイライラではなかった、ムカムカとタタカワナイといけなく、なんと
も面白みの欠ける最後となった。



  なるべく、雪以外のものを並べてみました。




  これは枝垂れ梅ですね。蕾は固いですが。あー明るい。




  次は、ドウダンツツジ。これももう少し色があって、そろそろ花の蕾
  が、という時間があっていいようですが。それがない。




  杉ですね。色を見ていると、葉っぱの枯れ具合以外に、花粉のそれも
  ありそうなで、今年もグシュグシュとなる時間が近いかも知れません。




  これは雪原。といっても大平原の田んぼの雪は消えています。




  スイセンの畑。久しぶりですが、いってみました。予想以上に
  スイセンは弱っていて、回復が可能か危ぶまれます。




  垣によく使われる、植物。ちょうど光が反対からやって来て、透過光に
  なって明るさと赤い色の元気な感じ。ただ向こうに屋根があって、その
  上は雪という複雑さ。

  梅を三つ。




  なかなか出ませんが、ちゃんと花が咲き、大きな実もなります。




  南向きで、日当たり良好です。




  エッジ出しを、少し弱くしていて、ぼんやり感があるかも。これも
  春らしさか、と思って。



快晴の日の出

2010-02-21 16:18:40 | 散策
  ほぼ雲のない、快晴の朝を迎えたが、ぼんやりしていたら
  あっという間に、日が、東に見える、北アルプスの高峰の
  頂から、顔を出した。
  7時過ぎだ、ときのう書いたのは、明らかに
  間違いで、慌てて、その日の出の様子を撮った。
  で、ファイル情報を見ると、6時54分30秒くらいで
  もう日は完全に出ているから、山の端から出る時間は
  その時間よりも早いということになる。

  国立天文台の、暦のページで、富山の本日の「日の出」の
  時間を見ると、6時33分とある。これは、日の出の定義の時間
  である。
  ちなみに、日の入りの時間は午後5時37分で、これもちょっと、
  6時より離れていた。 

  どうも私の感覚は、信用できないということになりそうで、
  申し訳ない気持ちで一杯である。
  でも、このところ、日の出というのもまともに見ていないからなー。
  日の入りとなると、これも、建物のあるいは木々の陰になって
  よくはわからない。

  でも、国立天文台の暦のページくらいは、参照すべきだった。

  それで、日の出前の様子、日の出のころの様子である。





  日の出前。わずかに東の山々の上に、雲がある。




  これもまだ、日は山々の上からは出ていない。北アルプスの
  稜線は見えていて、他のところに雲がある。




  日が出ると、一瞬にして、明るさが変わったようで、慌てて、カメさん
  を持つ。お日様は直接見ないようにして、ボタンを押す。
  時刻は6時54分を過ぎていたが、7時前だった。あー、早くなった
  ものだ。




  少し位置を変える。




  太陽を遠ざけると、明るさが戻るのは、測光の条件で致し方ない。
  無理に補正はせず、一定である。




  日の出の一枚目と比べて、太陽が少し浮かび上がっているのがわかる。
  地球は動いていて、また太陽も動いているなどいう。




  西の空。煙突から煙が出ている。




  まずは煙突のストロボが写っていた。それから、その下側もそうだが
  ある程度より先は、霞か、あるいは靄がかかっているようであって、
  これは霧ではないような気がする。
  春霞!、がいいのではないか。


  

春霞の、晴れの朝

2010-02-21 06:45:28 | 散策


  ポートラム。一番近付いた、状態。異国情緒。




  後の方も。しかし、どちらもしり切れトンボ。
  ポート君のガラスにいろいろ映っていて、
  向こうか、こちらか。




  朝のお天気は、晴れ。快晴といっていいような、大きな晴れ間がある。あとは、少しだけ空は赤く、朝焼けのようなもの。それから、霞か、靄か、あるいは霧。今日は、雨はなく、また雪も降っていない。何だか、少し春に近付くお天気がある。風はほとんどなく、静か。
  
  アメダスの6時の気温、0.2℃。少しずつ下がっている。お天気の回復と反比例。気圧は1025.2hPa、湿度は97%。積雪深は、18cm。室温は、5.9℃。

  朝起きて、まずは窓を開けるが、多少は勇気がいる。ブルッと来る寒さだったら、どうしようとか、腰が引ける。今日は、雲もないようで、すぐに閉めて、でも何だか星も見えていたような感じもして、もう一度窓を開けて確認した。かすかに、星の明かりがあって、またさらに空は明るくなってきた。晴れで、薄い何かがある。

  さっさと、TVのある、暖房も灯油ヒータのあるところへ。スイッチを入れる。今まだ生で、冬季オリンピックの中継があるのか、あるいは再放送か。時差がどのくらいあるのか、昼夜の逆転する生活をしないとこれを見るのは困難な気もしてきた。それで、画面の右上に、曇りのち晴れのマークというか、予報が出ていて、あとはアナウンサの歓声だけを聞くことにした。

  少し春めいて来たのは、本当のようだ。
  きのうの夢というのを思い出した。それは、たしかロケットの打ち上げ基地のそばで、それを見ているというもの。多分、スペース・シャトルのそれが記憶にある。これはよくある夢と思うが、そのロケット打ち上げられて、まっすぐに上に上がらず、横を向くのである。それから、そのロケットがこちらを向いて飛んでくるというか、落下してくるようで、逃げるに逃げられない。これは危ない、と思うが、風船のように、それはこんどは、舞い上がって、いずれにしろ落ちないが、辺りを上がったり下がったり。あー、最後にそれは飛行船のように見えて、目が覚めた。よくある夢。ロケットは、ジェット機、にも変わったりする。ジェット旅客機で、悪夢である。

  それに比較して、今日の夢というのはもう少し穏やか、でも何だか穏やかだからか、もう忘れたということになる。再現は不可。

  若干、春らしさがある。これは間違いないが、まだ早春で、冬に戻るだろう?。