光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

予期せぬ、困った問題

2010-02-26 19:00:50 | 植物・花(冬)
  いろいろと困った問題というのは、起きる。ある程度覚悟というのができていて、そうで
もない。死というと、これはいかなる理由であれ、避けられないもので、その本人にも気の毒
に思うが、しかし、残念なことに不老長寿の薬はなく、いずれの人も、寿命がくれば、お亡く
なりになる。それは私も同じで、その時期のことを思うと、心配でもあってたまに寝付け
なくなる。

  何度か書いているが、父が亡くなった、というときがある。病院からお亡くなりになり
ました、という電話があった。すぐに、葬儀社に電話をいれ、それから姉に、母を観てもらう
ために電話を入れた。もう午後も遅く、しかしすぐに車を呼んで、病院へと一人向かった。それで、
無事葬儀の人が来られて、私の方が早かったので、担当の医師は、早かったですねということを
述べた。

  一定の儀式を経て、死亡証明書が出来るまで、数分間か、病院関係者の方と、私と、それと葬儀
社の人と、しばらくの間沈黙の時間が続いた。ちょうど月が出ていた。私は、ナースステー
ションを通るとき、「長い間お世話になりました」、一言挨拶をした。多くの関係者は、その
一言で、起立をしたようでよくは覚えていない。それで、死亡証明書が出来た、というとき
が何分かして、来た。それを受け取って、いっときの緊張が途切れたが、そのときに、担当の医師
と、それは複数だった、同じく看護師の方がたに、もう一度ありがとうございました、といった
かどうか、記憶がなくて、そのことを何度か思い出そうとして、でもどうだったか、忘れた。
緊張の糸が途切れて言わなかったかも知れず、しかし、また明日、整理に来ないといけなく、
どうにもはっきりしない。

  そのような光景はよくあるかどうか、わからないが、多分夜遅く、帰って来てその日は、
父の直接の血のつながりのある妹、私の叔母に当たるわけだが、その方に死を知らせたか、ど
うかこれもはっきりと覚えていないが、多分その日ではなく、翌日朝早く、というものだった
と思う。もうだめだ、というのは知らせていて、時間の問題だというのはわかっていたはず
だが、これを伝えるのはさすがに気が進まなかった。でも、その叔母もすでにどちらも、すでに
配偶者を亡くしていて、特に混乱のない対応をしてくれた。上の叔母は天命だといい、それか
ら、下の叔母は、人はいつでも死ねるのよ、という言葉を吐いて、それで、兄の死を、実感し、
また幼い甥っ子に対応してくれた。どちらも、もう死をどうのということに、感心はないよう
だった。

  この辺りが、人生経験のあるなしの問題かも知れない。それに比して、ずいぶんと程度は落
ちるが、毎度春になればなったで、なんだか知らないが、不快な思いをする。暖かさ、という
ものが来ると気が抜ける感じで、一気にそれまで溜まっていたような疲労感を感じる。これ
で、本当に暖かくなるのかどうか、という心配もあるが、人と同じような構造を、あるいは脳に
よるコントロールをされている、と思える自分だけど、なんだか春は嬉しいが、しんどい思い
をするようで、体の重さを感じたり、人にいえない、よくわからない、不快感というのが出て
くる。これをムカムカ、とかイライラとか、称して、それについて触れて、その不快感から
逃れようとした。なかなか、そうはいかないようだ。これも、若いときはそうはない。一定の
時間がたってそうゆうものは現われて、それがときにやけに苦しい時間だったという思いを
強くする。それでも、まだどうにか、ある種の薬は飲んでいるが、耐えられるようである。
それで、今日は雨が降ったから、花粉の少しその飛ぶ量は減ったようだ。だから、さほど花粉
のせいという不快はなく、落ち着く状況もあるのだが。少し気温が下がってそれでか、血が沸騰する
ような不快感もなくなって、少しホッとした感じもある。それでも、いろいろと問題は起こる
もので、

  ここでようやく、最初のところに戻るわけだけど、父の認知症の状態が段々と悪くなる、
というそうゆう時期、ついに母の様子も明らかにおかしい、と思えるようになって、ついに
は、それは最初は私しか気が付かなかったが、姉も母の様子を見て、その兆候は認知症であると
認めざるを得なくなった。人の運命というものがあるが、まさかの認知症で、せいぜいアリセ
プトを飲むことくらいしか、今はやっていない。介護施設で、少しでも楽しい時間が過ごせるはず。
父も長くそこに通ったので、そうゆう方法でうまくゆかないか、と思うが、頑として拒むので、
まだその方での進展はない。
  人それぞれで、また子供ゆえなるべく母の希望通りと思うが、いろいろ厄介なことも起こ
ってくる。何度か衝突に近い、そうゆうことが起こると、ここにその様子を書いたりもしてい
る。きょうも、そうゆうことがあった。同じ人間でわかりあえることがあると思うのだが、そう
でもないらしい。困ったことは、一過性で過ぎていけばいいがと思うが、日常これをやられる
と、こちらの神経が参ってしまう。

  出来るだけ冷静に今日の思いを書いてみたが、この先の冷静さというのが、どこまで続く
か、春の特有の不快もあって、これが増幅しないように祈るしかない。


  最初は、梅の花とクロッカスは、書いたので、タイトルは「梅の花と大きなツバキの花」に
しようと思っていた。まー、こうゆうことがなくても、似たようなことを書いていたと思うが。




  きのうの出来事を時系列で並べてみる。白い梅の花は撮った。
  これは、それで一安心して再び、紅梅の様子を撮ったものか。




  竹の、空間から太陽光が漏れてくる、そうゆうものだが、まだもしかして
  梅の花の咲いているものをはっきりと見ていないかも知れない。




  ここからは、はっきりとして、梅の花の咲いているものは、ファイルに
  なったという安心感はある。アネモネの、まだ花芽も出ない状態。


  大きなツバキ、同じ花で、剪定されて枝も少なくなった、ものから
  大きな花、一輪咲いているのが。他は蕾。




  大きい。これは大きいものを望遠レンズで撮っているから、余計に
  大きくなって、さらに花だけのところを切り取った。




  ファイルのイメージ。縮小のみ。上のものは、もう少し大きく写っている。




  これも同じく、ファイルのイメージ。縮小のみ。もう少し、花があれば
  と思うのだが、うまくいかないものだ。




  第三の梅の花。この梅の木もときどき見るが、花はないように思えた。
  でも、粘って探すと、何と一輪咲いている。結果として、一番きれいに
  撮れていたようだ。



梅の次は、クロッカス

2010-02-26 16:25:14 | 植物・花(冬)
  雨は結構強い降り方であって、そのせいか
  残っている、もう雪ともいえない、氷ともいえない
  石の塊のような残雪がかなり小さくなっている。
  もしかしたらほとんどの、塊の雪の凍り付いたものも、
  消えてしまうかと思える。
  これは予想より早い感じがする。

  雨も大いに降っているが、それゆえ結構に濡れたが、
  気温も高目である。最高気温は午前0時から、午後3時までだと、
  恐らく午前の早い時間に出ているのだろうけれど、17.8℃である。
  午後3時の気温は、13.4℃。


  きのうどうにか、いくつかの咲いている、梅の花を見つけた。
  他にクロッカスの花も一つだけ、咲いているのを見た。
  油断すると見逃すところ。無事見つかった。
  レンズが長めなので、寄れないので、あまりいい感じはしない。
  もっとも腕の問題もあるが。



  きのうと別の場所で、同じように一輪、咲いているような、咲いてい
  ないような梅の花を見た。この梅は、もう少し小さい状態で、蕾では
  ないと思えた、きのうより前にすでにあった。




  咲いている、といってもいいかも知れない。でも、元気はない。




  最初に見ていた紅梅。この蕾は小さい。きのう探したが、花はなかった。
  今日の暖かさと雨で、どうなっているか。




  拡大すると、蕾の小ささが余計、強調されるようだ。




  竹とか、ケヤキの様子。




  スイセンの緑に、隠れるように、クロッカスは咲いていた。
  これ一輪で、寄れなくて、惜しい。




  真上から。色の具合を少し変えてみた。クロッカスのような大きさも
  ある、それから立体感もある花は、ミニカメで、寄って撮るのが一番
  きれいに写る、と思う。
  これから、このクロッカスの花もいろいろ出てくるはずで、楽しみも
  増える。


    

風、風、風

2010-02-26 06:40:11 | 散策


  快晴の空に、雪囲い。もういらないと思うが、
  いずれ、これも取り外されるだろう。
  それにしても、きれいな雪囲いで、きれいな青空。



  朝の天気は、強風で、今はパラパラと雨が降っている。小雨までいかない、雨の降り方で、ほとんど音もない。風が強く、この風はきのうの夜ころからさらに強まって、今があるようだ。曇り空ゆえ、まだ明るさはない。ないな、と思って窓を閉めたら、今はその窓越しに薄っすら北アルプスの麓の冬景色が見える。

  アメダスの6時の気温、16.9℃。気圧は1010.9hPa、湿度は62%。南の風が9mで、積雪深は、0cmのまま。室温は、16.5℃、目を疑うが、正しいようだ。外の気温のほうが高い。

  風の吹き出しが、遅かったようで、春の嵐の始まりは、きのうの夜が本番で、今朝まで続いていて、その風は雨の降り出しとともに、弱くなっている。今雨の窓をたたく音がようやく聞こえる。雨がもう少し強くなれば、風も穏やかになる。
  きのうの最高気温は、22℃台で、風は日中はさほど感じない状態で、でも姿恰好は、まだ冬だとどう感じたか。暖かさが、やがて暑さに変わったようだが、それよりも体の重さ、というのが気にもなった。なんでこんなに体が重いのか。まだ歩き初めなのに、それにしても体の重さが気になる。暑くなりすぎて、それで汗もかいて、運動としてはよかったような気もするが、最初から体の重さを感じるとは、どうしたことか。いやになって来る。

  夜に外に出たら、もう月は雲に隠れていたかも知れない。風はまださほど強くなかった。夜中は何度も風の音を聞いたが、ほどほどに暖かく、眠れた方だと思う。そうして、今日の朝が来た。

  妙な舌の味がする。それから突如暖かくなった、ということで、血が沸騰しているような感じがあるが、これは例年そう感じる。要は慣れの問題だろうが、いずれにしろお腹の出っ張りを何とかしないと。食事はきちっととっているが、あまり空腹感はない。ポッと浮かんでそれが消えてゆく、そうゆう状態で、曖昧模糊としたままである。
  花粉だ。