大層なことでなく、予想に反してちっとも暖かくはない、つまり非常に寒い冬を
過ごしていて、それに対しての毎度の愚痴の一つか、泣き言とかそうゆうものを並べて
みようということである。
それにしても、寒いし、寒すぎる感じがある。どうしても暖冬のはずだ、という思い
込みが強く、それも丸三年というか、最後の厳しい冬は、2006年の春も浅い時間までだっ
たから、そのくらいの、4年に近い時間があって、このような寒い、というより雪の多い冬。
それゆえの困難さというのがひどく出た感じがあって、それゆえまだ暖冬の幻想を捨て
きれず、ここでもう最後にしないといけない。大体、アラレが雪に変わろうとして、外
は風と、ミゾレと雨が降っていて、まさしく寒そうで、2月の光景としては受け入れられ
ない感じもある。梅雨みたいな、というのもおかしなものだが。
ここの書き込みも、ひどかった雪の2006年の春も遅く始めて、それまでの大雪があって、
しかし3月になって、暖かい日が続いた。2月の中旬以降そうゆう感じ、暖かさも戻るし、
雪も降らない、という日が続いたはず。しかし、そうは詳しくは覚えていない。その雪が
いつまで残ったか、というのもさっぱりで、それでももう雪は降らない、というときから
雪が完全に消えるまで時間はかかった。その翌年というと、去年の大雪で今年もということ
で、多くの冬もの商品を扱うところで、特に、除雪の商品の品揃えをやった。これでもう
大雪になっても大丈夫というわけだが、そうはならなかった。それが1年、2年、と続いて、
3年目も、程ほどに雪は降っているのだが、大いに慌てるということはなかった。でも多少は
寒い経験はしたのである。
今回というか、去年暮れから今年の厳しい冬の予想というのは、ないと思われる理由
が一つはあってそれは冷夏だった。冷夏でその後の冬は、概して暖冬と、なる。そう思うの
も悪くはないと思う。それにエルニーニョ現象というのが関与していて、って、未だ持って
エルニーニョと暖冬というもの、それから冷夏というものとなかなかすぐには結びつかない
ものがあるけれど、冷夏であったのは事実で、それゆえ素人的に、暖冬の例年という感じ
で、2007年以降の冬が来て、当然のように思っていたが、そうはならなかった。12月の雪で、
考えを変える、とかいうのは個人的にもなかった。これも一過性だ。でも、それが二度三度
続いて、4度目もあった。ここに来て、ようやく暖冬というのはないということを突きつけら
れて、受け入れざるを得ないのだけど、まだ頭の中に、太平洋側に低気圧という現象が今
またあってこれは春が近い証拠だとか思うものもある。暖冬、というのと厳しい冬、厳冬と
いうのも程度問題であるが、また豪雪地、より低温の地域と比較して比べ物にならないもの
があるが、結果としては暖冬ではなく、厳しい冬であり、またそう早くは春は来ないと
思わないといけない現実がある。あー幻想かと思いたくもないものがまだあるが、・・・。
晴れ間というのも今は期待できない。それで朝から冷たい風と雨の一日で終わりそう
だとか思い、しかし少しの猶予があれば、歩けないこともないだろうと思っていた。それで
気にもしないわけでもなく、二度三度今日はうちの中に篭るしかとか思い、でも結局、ある
時間午後も少したった時間、雨はまっすぐに落ちてきて、風の影響がなくなった、と思われ
た。それで、少しだけでもいいし、途中で帰って来てもいいからという気持ちで、外に出て
歩いていたが、その時間はアラレも降っていたのか、しかしその姿は雨と似ていて、音でしか
判断出来ず、しかしやはりアラレは降っていて、ただ一つわからない出来事があった。
少し雪の残るところに出て、それから雪のない道に戻ったが、それまでは感じないが、
なんだか砂か、それ以上の大きさのある粒子を、踏み続けている感じがして、つまり普通で
なく、何か「ごろごろ」とするものをもう少し言うと、ミゾレのようなものを踏み続けて
いるようで、しかし路面を見てもただ濡れているだけで、粒子も砂も、なかった。形のある
ものは見えなかったのだが、ようやく長靴で、シャーベット状のミゾレを、雪を踏んでいるの
ではなく、ほぼ透明の、形ある、それもまあるい、つまりやはりアラレを踏ん付けていた
のがわかった。それを長く考えていて、この感触はまあるい氷の粒子を踏ん付けている、それで
あると結論付けて納得した。それから、寒くて斜めの雨も増えたから、急いで「いえ」の方へ
と方向を転換した。
雪の人工的な、あるいは自然のままの残された形に面白いものも
あるかも知れない。
その一。説明とかも出来ないもので、以下も同様。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。
過ごしていて、それに対しての毎度の愚痴の一つか、泣き言とかそうゆうものを並べて
みようということである。
それにしても、寒いし、寒すぎる感じがある。どうしても暖冬のはずだ、という思い
込みが強く、それも丸三年というか、最後の厳しい冬は、2006年の春も浅い時間までだっ
たから、そのくらいの、4年に近い時間があって、このような寒い、というより雪の多い冬。
それゆえの困難さというのがひどく出た感じがあって、それゆえまだ暖冬の幻想を捨て
きれず、ここでもう最後にしないといけない。大体、アラレが雪に変わろうとして、外
は風と、ミゾレと雨が降っていて、まさしく寒そうで、2月の光景としては受け入れられ
ない感じもある。梅雨みたいな、というのもおかしなものだが。
ここの書き込みも、ひどかった雪の2006年の春も遅く始めて、それまでの大雪があって、
しかし3月になって、暖かい日が続いた。2月の中旬以降そうゆう感じ、暖かさも戻るし、
雪も降らない、という日が続いたはず。しかし、そうは詳しくは覚えていない。その雪が
いつまで残ったか、というのもさっぱりで、それでももう雪は降らない、というときから
雪が完全に消えるまで時間はかかった。その翌年というと、去年の大雪で今年もということ
で、多くの冬もの商品を扱うところで、特に、除雪の商品の品揃えをやった。これでもう
大雪になっても大丈夫というわけだが、そうはならなかった。それが1年、2年、と続いて、
3年目も、程ほどに雪は降っているのだが、大いに慌てるということはなかった。でも多少は
寒い経験はしたのである。
今回というか、去年暮れから今年の厳しい冬の予想というのは、ないと思われる理由
が一つはあってそれは冷夏だった。冷夏でその後の冬は、概して暖冬と、なる。そう思うの
も悪くはないと思う。それにエルニーニョ現象というのが関与していて、って、未だ持って
エルニーニョと暖冬というもの、それから冷夏というものとなかなかすぐには結びつかない
ものがあるけれど、冷夏であったのは事実で、それゆえ素人的に、暖冬の例年という感じ
で、2007年以降の冬が来て、当然のように思っていたが、そうはならなかった。12月の雪で、
考えを変える、とかいうのは個人的にもなかった。これも一過性だ。でも、それが二度三度
続いて、4度目もあった。ここに来て、ようやく暖冬というのはないということを突きつけら
れて、受け入れざるを得ないのだけど、まだ頭の中に、太平洋側に低気圧という現象が今
またあってこれは春が近い証拠だとか思うものもある。暖冬、というのと厳しい冬、厳冬と
いうのも程度問題であるが、また豪雪地、より低温の地域と比較して比べ物にならないもの
があるが、結果としては暖冬ではなく、厳しい冬であり、またそう早くは春は来ないと
思わないといけない現実がある。あー幻想かと思いたくもないものがまだあるが、・・・。
晴れ間というのも今は期待できない。それで朝から冷たい風と雨の一日で終わりそう
だとか思い、しかし少しの猶予があれば、歩けないこともないだろうと思っていた。それで
気にもしないわけでもなく、二度三度今日はうちの中に篭るしかとか思い、でも結局、ある
時間午後も少したった時間、雨はまっすぐに落ちてきて、風の影響がなくなった、と思われ
た。それで、少しだけでもいいし、途中で帰って来てもいいからという気持ちで、外に出て
歩いていたが、その時間はアラレも降っていたのか、しかしその姿は雨と似ていて、音でしか
判断出来ず、しかしやはりアラレは降っていて、ただ一つわからない出来事があった。
少し雪の残るところに出て、それから雪のない道に戻ったが、それまでは感じないが、
なんだか砂か、それ以上の大きさのある粒子を、踏み続けている感じがして、つまり普通で
なく、何か「ごろごろ」とするものをもう少し言うと、ミゾレのようなものを踏み続けて
いるようで、しかし路面を見てもただ濡れているだけで、粒子も砂も、なかった。形のある
ものは見えなかったのだが、ようやく長靴で、シャーベット状のミゾレを、雪を踏んでいるの
ではなく、ほぼ透明の、形ある、それもまあるい、つまりやはりアラレを踏ん付けていた
のがわかった。それを長く考えていて、この感触はまあるい氷の粒子を踏ん付けている、それで
あると結論付けて納得した。それから、寒くて斜めの雨も増えたから、急いで「いえ」の方へ
と方向を転換した。
雪の人工的な、あるいは自然のままの残された形に面白いものも
あるかも知れない。
その一。説明とかも出来ないもので、以下も同様。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。