光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

鐘付き台の上の犬

2007-10-21 07:10:22 | 散策
  朝の天気、小雨。晴れ間もあり、雨も降っている。風は南から、この風は冷たい。外気温9℃台。室温14℃。

  今日の朝早く、雲が切れて星が少しの間見えた。雲さえなければ、星がまたたく透明な空。火星が移動しているのがわかる。少し前まで、アルデバランとベテルギウスと火星は、二等辺三角形をつくっていた。三角形の底辺の左側に火星は位置していた。今はその面影がなく、この星の近さを感じることが出来る。力強い明るさを持っている。オリオン座も見えているが、寒くてすぐに布団にもぐる。

  時計は逆周りして、きのうのお昼に移動すると、あるお寺の、鐘付き台の上に、なじみのワンちゃんを見つける。向こうは知らないだろうが。かなり風が強く、しかし、犬は寒さに強いのかもとも思う。ただ、こっちはホントに寒い。そのワンちゃんの顔をしっかり眺めることなく、歩いた。
  去年、この犬が、ときに鐘付き台の上にいることを知って、何度もそのそばまだいった。おとなしい犬で、眠そうでもあり、ぼんやりこっちを眺めて飽きると、他の方向を見る。なかなかの犬である。毛がかなり長く、見た感じは、その日によってかなり違い、同じ犬かこっちが迷うが、飼い犬であるから、おなじワンちゃんである。
  確か晦日か、大晦日もこの犬はこの台の上にいて、寒そうであった。冬なのになー。それから今年になって、暖冬とはいえ、冬は寒い。それでも、ふわふわの毛を風になびかせて、でも寒さを感じていないようでもあって、そんなもんかと思う。
  他に、二人の犬をときどき眺める。庭を駆け回っていない。冬でもせいぜいダンボールの箱か、ワンちゃん専用のよくわからない箱に、ちんまり座っている。でも、ものすごく寒いと、かなり悲しい鳴き声を上げたりもする。犬もやはり寒いのである。

  お寺の犬は、散歩のコースからはずれるのでいつもその顔を眺めることはない。ものすごく寒い時でも、鐘付き台の上にいるかどうか、この姿を見たような気もするが、今はおぼろげで、はっきりいえば忘れてしまった。

晴れたり降ったり、気まぐれ天気

2007-10-20 18:41:06 | 散策
  アメダスの外気温は、12℃台で、これはほどほどに寒い。どうも、この辺りを通る雨雲の集団があって、これが右に左に、中央に来る。この気温で、この暗さで、雨に打たれるのはかなわない。
  雨は止むものと思っていたが、そうでもない。いつものように、外に出てみる。うまく、本降りが終わったところ、でも次の雨雲も見えている。それに風が強く、ついにジャンパみたいなものを取り出した。空に青い部分も見える。しかし、風で、木々にふんわり乗っかっている雨が、風の力で落ちてくる。傘も飛ばされそうになるくらいの突風もある。
  いきは、直線で、帰りはまあるく歩いた。それで、中に薄い綿のようなものが、ほんのり入っているジャンパを着ていてもちょうどいいくらいで、これを着て汗が出ることはない。急いで帰って来た。そのうち、いやでも寒い中を、慣れない雪道を歩くことになって、早足で帰る事もなくなる。
  変化が激しいことが一番体にこたえる。なかなかその寒さに慣れることは出来ないものである。それも歳を重ねるごとに、そのことを強く思う。しかし、しばらくたつと、ある一定の温度に、それが、2℃であり3℃であっても、慣れてしまえば、その時が来るはずである、さほど気にもならない。
  だが、ここにも書いたが、あるいは今まで何回も書いているが、風が加わると一筋縄ではいかない。どうしようもなく、寒い。風があるかないかで、熱の奪われ方はまったく違う。氷点下2℃でも、無風なら雪を移動させることをやれば、多いに汗を書くが、2℃の天気で、5mの風が吹いていれば、これは寒くてたまらず、運動で発生する熱より奪われる熱がひどく、雪を移動する作業も止める。止めざるを得ない。まーあとは、こうゆうことがないように祈るしかないが、どうも書いていることが、暗い方向にゆくのも、これも自然な流れでしょうがない。
  その風も必ず止む時が来る。
  明日の朝は、もしかしたら、10℃を下回る気温になるかも知れない。で、予報は、その後はまた平年並みになるという。体を鍛えなさいということかも。




  秋の小さい花が一輪ぽっかり咲いているが、これは秋の光が強く出た日の続きもので、しかし黄色い花が直射光を受けるとカメラでは色が飛んでしまう。



  日にちは違って、さらにほぼ天頂に、真上に近い方向のカエデの葉を撮っている。少し葉っぱが緑から赤へ、紅色へ変化している。空の青も、透明感がある。こちらの方が今日に近い日付である。やっぱり、光の変化というか、その中身は、わからないものだらけという、印象を強くする。

続・七つ道具

2007-10-20 11:00:48 | 散策
  お天気は回復して、今は太陽がまぶしい。しかし、西の空には黒い雲がある。

  途中で切ってしまった、「七つ道具」。うまく続けることが出来るか、少し心配。双眼鏡のところまではいった。
  どこに、何時に、どうゆう星が見えているか。これを、ソフトを使わずに調べるのは少し大変だが、でもちゃんと、国立天文台の星空情報を見ると、そこには、夜に見える星ぼしが、星座早見盤のごとく表示されている。AstroArtsさんの星空ガイドも多いに利用させてもらう。

  そうか、今は秋の星座が、夜の8時ころには見えていて、これはちょっと寂しいものがある。ここに明るい惑星でもあれば星も見てみようという気になるが。私も、秋の星空というのを眺めることは少ない。冬と、夏の空が、わかりやすい。
  今だと、夕方から宵にかけては、木星が南西の空に明るく見えているが、これもやがて早くに沈んでしまって、後は目立つものはない。
  東の空を見ると、プレアデス星団が見えてくる。これはわかりやすい。そういえば、天頂辺りにアンドロメダの大星雲も見えているが、これは、双眼鏡がないと、見たという気分にはならない。でも、この星雲は、銀河系と同じような構造をしていると考えられているし、ぜひ眺めて見たいものの一つでもある。星雲も、星の位置を多少知っていないと、探すのは難しい。やっぱり、星を一つひとつ覚える作業が必要かな。これって、面倒。

  カメラで星を撮って、星ブログに載せてみたい。私もいつも思う。しかし、手持ちで、カメラで、”ほいほい”、星座の写真を撮ることが出来るかというと、これも難しい。金星クラスの明るさのものくらいしか、ホイチョイ方式では写らない。三脚がいる。カメラをこれで固定させる。そして、露光時間を長くし、さらに感度も上げる。30秒くらいの露光で、いい星日和であると、ほどほどの星が写る。
  星が円周状に写ってもいいと考えると、例えば1時間くらいシャッタを開けたままにする。これをやると、空気が澄んでいれば、ダイナミックな星空を写せる。でも、これには、三脚に加えて、シャッタボタンを押したままにするための道具がいる。

  望遠鏡を使って星を撮る。それをやるには、望遠鏡がいるが、この望遠鏡というのは、なかなか手ごわいもので、近くにお兄さん、あるいはオヤジさん、あるいは、気さくなおじさんがいて、しかも高級な望遠鏡を持っている。そうゆう環境にあると、話しは早い。その方のところへ出かけて、色々見せてもらい、やってもらい、最後には、写真も撮らせてもらう。

  くたびれて来た。色々、もめていることもあって、あー、疲れて来た。

  最後に、コマーシャルになってしまうが、一昨日撮った月の拡大写真。ファイルでいうと、70%くらいの縮小率になる。さらにその一部。



  上弦の1日前。その月の、南側。左上の黒い部分は、晴れの海。

七つ道具

2007-10-20 07:28:53 | 散策
  朝の天気、曇り。風は弱く、穏やか。でも、ぐずつく感じ。室温17℃に近い16.5℃。

  ブログを反対から書くと、グロブになる。グロブブログ、くっ付けた。グロブログというのもありそう。瑠璃色という言葉があるが、この”ルリ”をどうゆうわけか、”リル”と書いてしまうことがある。なかなか気が付かないもの。文字列の転倒ではないが、舌鼓の、”ツヅミ”(鼓)、も”ヅツミ”などといってしまう。シタヅツミを打つなど言う。書くときは、最近は辞書を見ることも多く、ツヅミ、ツヅミと、呪文のように頭の中で回転させる。

  話しは変わって、星ブログというのを書くときの道具というものがありそうで、眠りながら考えていた。どうも突然過ぎる感じだが、ぐるぐるっと脳の中を見ていて、このところで止まった。
  まずは、目の問題だけど、TVの見すぎで近視になって、眼鏡が欠かせない。ただ、光学機器をのぞく場合は、ある場合は裸眼でもうまくものをくっきり見る事は出来る。裸眼で見るのは、眼鏡を使うときと比べて、数段心地いい。
  あとは、双眼鏡があるといい。毎度の双眼鏡である。私は、かなり古い、日本光学製の、7×35というのを使っているが、これは倍率は7倍で、レンズの直径は35mmということを表わしている。これは、特にここがいいというものでもないが、とくに悪いというところもなく、購入して25年はたつが、まだまだ十分使える。
  この双眼鏡を、もちろん落っことした。大きな音とともに、床の板に、まあるい傷が付いた。傷を、今もちゃんと、見つけることが出来る。双眼鏡は大丈夫のよう。落としたところで、特に、見え方に変化はない。

  レンズには、色々な収差があって、まーこれはない方がいい。この双眼鏡の対物レンズは、アクロマートと呼ばれるタイプで、ある程度の色収差などが残るが、実用上問題のないものに思える。星を見ても、ちゃんと点像に近く見える。お月さんを見ても、さほどレンズの収差に悩まされる気にもならない。山を見ても、鳥を見ても、なかなかいいとしか言えない。さらにこれで、飛行機など見ると、遠くでも、かなりはっきり見えるし、それが近くまで寄ってくれば、窓から人の姿さえ見えそうな気がする。これは気がするだけである。

  天文関係でいつも参考にさせていただいているある方のブログに、双眼鏡のことが出ていた。双眼鏡の接眼レンズの方、のぞく方、目を当てる方には、ゴム製のちょっと円筒形をした、見口が付いている。これは、レンズ以外から入ってくる光をシャットアウトするし、ゴムはクッションがあるから、眼鏡をつけて見るのも楽である。見口が、金属なら、眼鏡は傷だらけだ。その方は、そのゴム製の見口が長く使用して、取れて困っているわけである。ごもっともな話しだ。
  私のもこのゴム製のクッションはついているが、もう折り曲げたままにしていて、特に取れそうにもない。

  双眼鏡の最近のもののカタログを製造各社のサイトで見た事がある。買う気はないが、ただ見てみた。が、高すぎて、”どんだけー”コストがかかっているのー、と叫びたくなった。これじゃ、カメラのレンズより高い。しかも落とすと、壊れそうな、そうゆう繊細感もあって、すぐに見るのを止めた。

  どうも話しが、どんどん発散していった。この続きは、またいつか。すいませーん。

どっこいしょの秋の断片

2007-10-19 18:42:33 | 散策
  普段は介護施設にお世話になっている父が帰って来る時がある。
  夕方、久しぶりの家に帰って来ても、彼の脳裏に、その面影は深く深く奥の方に追いやられて、しばしここはどこか、思案する。まー、たぶんそうゆう風なことを思っているのではないか、想像する。
  もう少し、体がしっかりしていればそれほど心配はないのであるが、何かの拍子に”よたよた”となるので、それには注意しないといけない。もっとも、自分一人で、なかなか動き回ることもなく、それでも元気なときは立ち上がる。私が横にいるときは、自分の眠っていたところへ、今もそこで眠るが、その方向へ行く時があるので、ここが眠るところなど、説明をする。わかった、というとしぐさをする。こうゆうときは、まだいいほうで、
  どうも、一旦座ると、なかなか起き上がろうとはしないときがある。最後は、立たせて歩かせるが、この作業も慣れないと、どうしていいかわからないものである。その点、介護施設の方は、いとも簡単に人を立たせるので、こっちは恐縮するのみ。
  最近は、座っているとして、ちょうど後ろから両手で体を支えて、輪のようにぐるりと手を回す、それで、少し体をそらせるように持ち上げると、さほど力を入れなくても、立ち上がらせることが出来ることがわかって、この時、さすがに父の体と、私の手との間で、摩擦が起こるから、痛い痛いと言うが、立ってしまえば、あとは、まーどうにかなる。
  それでは、眠っている朝はどうかというと、彼はまだ眠いから、さらに今は寒さもあって、布団をはがしてもまたそれを頭から被る。どうも、痴呆とは思えない行動をする。この辺が、少し笑わせてくれるところ。で、布団を引っ剥がして、最後は、やはり後ろに回って、抱きかかえる。この時、私が布団の上にいると、これは体が不安定になる。しょうがなく、少し父の手を持って、引っ張る。自分が布団の外に出たことを確かめて、よいしょと持ち上げる。アイタタとまた言う。
  やせた体格だが、それでも、その細い腕で、何でも持ち上げた。その腕も、今はふにゃふにゃで、筋肉はない。寒いのが一番苦手だが、その季節がやって来た。




  雑草が刈られた空き地からまた草が生えてきて、モンシロチョウが、たぶんである、止まった。近づくと逃げる。モンキチョウが来ても移動する。落ちつかないチョウのようである。

剱岳に雪

2007-10-19 14:29:08 | 散策


  今日の午前に、東に見える剱岳(剣岳、劔岳とも)、立山連邦辺りの雲が切れて、その頂上部が少し白く見えて、もしかしたら雪かとも思った。

  お昼のTVでも、立山辺りに雪が降り、その白く輝く雪原を放送していた。たぶん、この写真の剱岳の薄く白く輝くものも、雪ではないかと思う。
  
  神通川左岸の、海岸に近い辺りからの撮影で、今年はまだ、この辺りの平地から雪で岩壁が白く輝く剱岳を見たことはない。



  今日の朝の、日の出前の写真は、かなり朝焼けが賑やかでした。このあと、急速に雲が広がり、その後に、雪で白くなった剱岳が見えてきました。
  いまは、この辺りは雨です。

10月18日の金星と月

2007-10-19 09:26:38 | 星空・天体・宇宙


  きのうの朝の金星です。画面中央から上にゆき少し右側の輝点。
  今頃の金星は、太陽から離れているので、かなり早くから、東の空に見ることが出来る。薄明を過ぎたころでも、この星は明るいから、肉眼で見つけるもの簡単である。
  手持ちでカメラだけ使用。ISOは640。露光時間は40分の1です。

  同じ日の夜の月。上弦の一日前です。



  月とカメラの間に、望遠鏡があります。まず、近眼の私は、眼鏡をかけて月がくっきり見えるようにします。
  カメラは、ミニ、コンパクトのものがいいようで、こちらは、焦点を無限遠、∞に合わせておきます。これは、カメラの設定で、無限遠を選ぶだけでいいみたいです。
  あとは、動く月を追いかけ、さらに手でカメラを持ちながら、カメラのモニタに月が現われるよう、手探りでカメラを移動させ、ボタンを押します。慣れるまでがちょっと大変。
  きのうは、上弦の一日前で、月は左側が欠けて見えます。望遠鏡などの光学系を通過すると、画像はひっくり返ったり、さらに、鏡像関係にあって、目に見えているようにはなりません。それで、画像変換ソフトで、上下に水平に回転させて、雑誌の月の写真など見て、その方向を確かめます。
  デジだと、気軽に何度もボタンを押せます。また、機会があったらやってみたくなるかも。

日の出が6時台になる

2007-10-19 07:16:36 | 散策
  朝の天気、晴れか曇り。風は弱いが、冷たい。瓦に結露。室温17℃、冷え。

  外に出て、鉢の植物を眺める。どうも、色が薄くなってきた。栄養が足りないかも。最近の雨には、いろんなものが入っている。窒素肥料も、硫黄分も入っていて、あとはリン酸か、これも入っていそうで、足らないのは、カリウムとマグネシウムくらいだと思う。確かに、マグネシウムが足りないと葉っぱの緑は薄くなる。
  人間の血は赤いがこれは鉄イオンが関与しているし、よくイカなどの血は青いというが、実際イカの血が青いか見たことはないが、これには確か銅イオンが関係していると習ったと思う。鉄やら、銅やら、マグネシウムやらの金属原子のイオンは、色の出現に多いに関与している。もちろんこれらがないと、生きていけない。必須金属原子なのである。だからどうした、と言われると困るが。

  その辺を見る。草に露、これは普通で、その雑草も枯れ始める。鉢の植物の周りにも雑草が生えているが、これが先に枯れ始めた。
  虫も枯れていく。イトトンボというのは、魅力的な生き物だが、これが蜘蛛の巣に引っかかって、生き物ではなくなっていた。これを見たのは、9月の半ばで、それから今日があるが、やはりイトトンボはそこにぶらさがって、風が吹くと揺れたり回転したりする。形ははっきりしている。もはや、山では雪がちらつくのに、地上では、虫の幼虫が今頃モルタルの壁をよじ登る。毛虫やら、イモムシは、秋の花の、チョウが蜜をすっているその花のそばに、かなりの確率で見つかることが多い。どうも、虫の世界はわかりづらい。わからないことが多すぎる。

  日没も早いが、日の出もゆっくりとなってきた。この辺りの日の出も6時台で、さらに山の頂から太陽が顔を出すのはしばらく遅れる。 
  それでも、今日も、かなり雄大な朝焼けを見ることが出来る。空に晴れ間と雲がある。アルプスの稜線とちょうど同じ高さに厚い雲があって、残念ながら、そこからの日の出は見る事は出来ない。しばらくして日が差してくるが、やはりこの現象はいつ見てもいいもの。そのうち、このまばゆい光景も見えなくなってしまう。
  日の出が7時台になる時が来るが、それは年末から来年のことかな。

お月さんを撮ってみました

2007-10-18 19:08:03 | 星空・天体・宇宙



  怪しげな写真ーーー。
  JAXAが、月を観測する衛星、”かぐや(SELENE)”を打ち上げて、それまで月のことなど何とも思っていなかったのだが、そのことについて、ずいぶんと好き勝手なことを書かせてもらった。それで、幸い晴れている空に、上弦に近い月を見ていて、これを撮ってみようという気持ちになった。これまた、勝手なものだが。
  ずいぶんと昔の望遠鏡がある。主鏡は、確か球面で、光を一回、鏡筒内で往復反射させて、見た目は大きさがコンパクトになるもの。今も、多くの市販の望遠鏡がこの光学系を採用している。
  カビみたいのが生えている。これと、カメラだけで月を撮ってみる。
  くたびれる。場所がないし、月が見える角度は決まっているし、腰やら足がミシミシいう。息を止めて、カメラのぶれを止める。
  まー、お恥ずかしい作品である。ここは、笑ってもらうところです。
  上弦に近い月ですが、光学系の関係でたぶん、180度回転した、まるで下弦の月のようになっています。これを、ぐるりと時計回りに回転してもらうと、今日のお月さんに、なるはずなのですが。

ブロック塀の上のカマキリ

2007-10-18 18:43:48 | 散策
  きのうより気温は低めだが、風はそれほどひどくなく、まだまだ秋の花々がゆっくり揺れている。コスモスも、ケイトウも、小さなキクも。またバラの花、クレマチスも、ホトトギスと同じところで咲いている。
  でも、今はさすがに他の何かを探すことに熱心で、でもそれはいつものことであるがそう簡単には見つからない。日の当たりの悪いところに、サザンカがあって、それの一部の花は目の前にあって、にらめっこをすることが出来る。去年もこの花を撮ったことを思い出した。それで、歩いてきて今日の体調はどうかな、っと、その歩き方で判断も出来る、思いつつ帰って来た。
  やっぱり、あのサザンカが気になって、この花はすぐ近くにあるから、もう一度いった。でも、目の前にあるものは半分は葉っぱに隠れている。ちょっと高い位置にあるものは、まだ花が開ききっていない。難しいものである。そこに行くまで、ブロック塀を眺めていて、その上の”コケ”を見ていた。まだ、コケが緑色をしている。返りに、同じように、砂とコンクリートで出来た塀を見ると、そこに、カマキリがいた。よく見つけたと自分でも思う。
  何度か、もうこれが最後のカマキリなど書いていて、しかしやはり塀の上のカマキリはなかなかいいなど思って、ここはこれでやり過ごすしかないのである。苦しい時の何とかー。



  後姿、何を思っているのか。胴体の縦と横の比がそれほど大きくないものである。よくいるカマキリは、もっと胴は長い。まさか、サザンカからここに移動したわけでもあるまい。



  正面を向く。肉眼でははっきりしないが、画像を見ても、このカマキリ何を考えているのかわからない。無心でいる。




  しばらくして、鎌やら、手を、脚を動かした。何かのポーズのようでもある。誇らしげ。これには、お礼を言わないといけない気分になった。

  この先、またカマキリとの遭遇はあるのか、目玉をトンボのように、クルクル回さないといけない。