光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

晴れたり降ったり、気まぐれ天気

2007-10-20 18:41:06 | 散策
  アメダスの外気温は、12℃台で、これはほどほどに寒い。どうも、この辺りを通る雨雲の集団があって、これが右に左に、中央に来る。この気温で、この暗さで、雨に打たれるのはかなわない。
  雨は止むものと思っていたが、そうでもない。いつものように、外に出てみる。うまく、本降りが終わったところ、でも次の雨雲も見えている。それに風が強く、ついにジャンパみたいなものを取り出した。空に青い部分も見える。しかし、風で、木々にふんわり乗っかっている雨が、風の力で落ちてくる。傘も飛ばされそうになるくらいの突風もある。
  いきは、直線で、帰りはまあるく歩いた。それで、中に薄い綿のようなものが、ほんのり入っているジャンパを着ていてもちょうどいいくらいで、これを着て汗が出ることはない。急いで帰って来た。そのうち、いやでも寒い中を、慣れない雪道を歩くことになって、早足で帰る事もなくなる。
  変化が激しいことが一番体にこたえる。なかなかその寒さに慣れることは出来ないものである。それも歳を重ねるごとに、そのことを強く思う。しかし、しばらくたつと、ある一定の温度に、それが、2℃であり3℃であっても、慣れてしまえば、その時が来るはずである、さほど気にもならない。
  だが、ここにも書いたが、あるいは今まで何回も書いているが、風が加わると一筋縄ではいかない。どうしようもなく、寒い。風があるかないかで、熱の奪われ方はまったく違う。氷点下2℃でも、無風なら雪を移動させることをやれば、多いに汗を書くが、2℃の天気で、5mの風が吹いていれば、これは寒くてたまらず、運動で発生する熱より奪われる熱がひどく、雪を移動する作業も止める。止めざるを得ない。まーあとは、こうゆうことがないように祈るしかないが、どうも書いていることが、暗い方向にゆくのも、これも自然な流れでしょうがない。
  その風も必ず止む時が来る。
  明日の朝は、もしかしたら、10℃を下回る気温になるかも知れない。で、予報は、その後はまた平年並みになるという。体を鍛えなさいということかも。




  秋の小さい花が一輪ぽっかり咲いているが、これは秋の光が強く出た日の続きもので、しかし黄色い花が直射光を受けるとカメラでは色が飛んでしまう。



  日にちは違って、さらにほぼ天頂に、真上に近い方向のカエデの葉を撮っている。少し葉っぱが緑から赤へ、紅色へ変化している。空の青も、透明感がある。こちらの方が今日に近い日付である。やっぱり、光の変化というか、その中身は、わからないものだらけという、印象を強くする。

続・七つ道具

2007-10-20 11:00:48 | 散策
  お天気は回復して、今は太陽がまぶしい。しかし、西の空には黒い雲がある。

  途中で切ってしまった、「七つ道具」。うまく続けることが出来るか、少し心配。双眼鏡のところまではいった。
  どこに、何時に、どうゆう星が見えているか。これを、ソフトを使わずに調べるのは少し大変だが、でもちゃんと、国立天文台の星空情報を見ると、そこには、夜に見える星ぼしが、星座早見盤のごとく表示されている。AstroArtsさんの星空ガイドも多いに利用させてもらう。

  そうか、今は秋の星座が、夜の8時ころには見えていて、これはちょっと寂しいものがある。ここに明るい惑星でもあれば星も見てみようという気になるが。私も、秋の星空というのを眺めることは少ない。冬と、夏の空が、わかりやすい。
  今だと、夕方から宵にかけては、木星が南西の空に明るく見えているが、これもやがて早くに沈んでしまって、後は目立つものはない。
  東の空を見ると、プレアデス星団が見えてくる。これはわかりやすい。そういえば、天頂辺りにアンドロメダの大星雲も見えているが、これは、双眼鏡がないと、見たという気分にはならない。でも、この星雲は、銀河系と同じような構造をしていると考えられているし、ぜひ眺めて見たいものの一つでもある。星雲も、星の位置を多少知っていないと、探すのは難しい。やっぱり、星を一つひとつ覚える作業が必要かな。これって、面倒。

  カメラで星を撮って、星ブログに載せてみたい。私もいつも思う。しかし、手持ちで、カメラで、”ほいほい”、星座の写真を撮ることが出来るかというと、これも難しい。金星クラスの明るさのものくらいしか、ホイチョイ方式では写らない。三脚がいる。カメラをこれで固定させる。そして、露光時間を長くし、さらに感度も上げる。30秒くらいの露光で、いい星日和であると、ほどほどの星が写る。
  星が円周状に写ってもいいと考えると、例えば1時間くらいシャッタを開けたままにする。これをやると、空気が澄んでいれば、ダイナミックな星空を写せる。でも、これには、三脚に加えて、シャッタボタンを押したままにするための道具がいる。

  望遠鏡を使って星を撮る。それをやるには、望遠鏡がいるが、この望遠鏡というのは、なかなか手ごわいもので、近くにお兄さん、あるいはオヤジさん、あるいは、気さくなおじさんがいて、しかも高級な望遠鏡を持っている。そうゆう環境にあると、話しは早い。その方のところへ出かけて、色々見せてもらい、やってもらい、最後には、写真も撮らせてもらう。

  くたびれて来た。色々、もめていることもあって、あー、疲れて来た。

  最後に、コマーシャルになってしまうが、一昨日撮った月の拡大写真。ファイルでいうと、70%くらいの縮小率になる。さらにその一部。



  上弦の1日前。その月の、南側。左上の黒い部分は、晴れの海。

七つ道具

2007-10-20 07:28:53 | 散策
  朝の天気、曇り。風は弱く、穏やか。でも、ぐずつく感じ。室温17℃に近い16.5℃。

  ブログを反対から書くと、グロブになる。グロブブログ、くっ付けた。グロブログというのもありそう。瑠璃色という言葉があるが、この”ルリ”をどうゆうわけか、”リル”と書いてしまうことがある。なかなか気が付かないもの。文字列の転倒ではないが、舌鼓の、”ツヅミ”(鼓)、も”ヅツミ”などといってしまう。シタヅツミを打つなど言う。書くときは、最近は辞書を見ることも多く、ツヅミ、ツヅミと、呪文のように頭の中で回転させる。

  話しは変わって、星ブログというのを書くときの道具というものがありそうで、眠りながら考えていた。どうも突然過ぎる感じだが、ぐるぐるっと脳の中を見ていて、このところで止まった。
  まずは、目の問題だけど、TVの見すぎで近視になって、眼鏡が欠かせない。ただ、光学機器をのぞく場合は、ある場合は裸眼でもうまくものをくっきり見る事は出来る。裸眼で見るのは、眼鏡を使うときと比べて、数段心地いい。
  あとは、双眼鏡があるといい。毎度の双眼鏡である。私は、かなり古い、日本光学製の、7×35というのを使っているが、これは倍率は7倍で、レンズの直径は35mmということを表わしている。これは、特にここがいいというものでもないが、とくに悪いというところもなく、購入して25年はたつが、まだまだ十分使える。
  この双眼鏡を、もちろん落っことした。大きな音とともに、床の板に、まあるい傷が付いた。傷を、今もちゃんと、見つけることが出来る。双眼鏡は大丈夫のよう。落としたところで、特に、見え方に変化はない。

  レンズには、色々な収差があって、まーこれはない方がいい。この双眼鏡の対物レンズは、アクロマートと呼ばれるタイプで、ある程度の色収差などが残るが、実用上問題のないものに思える。星を見ても、ちゃんと点像に近く見える。お月さんを見ても、さほどレンズの収差に悩まされる気にもならない。山を見ても、鳥を見ても、なかなかいいとしか言えない。さらにこれで、飛行機など見ると、遠くでも、かなりはっきり見えるし、それが近くまで寄ってくれば、窓から人の姿さえ見えそうな気がする。これは気がするだけである。

  天文関係でいつも参考にさせていただいているある方のブログに、双眼鏡のことが出ていた。双眼鏡の接眼レンズの方、のぞく方、目を当てる方には、ゴム製のちょっと円筒形をした、見口が付いている。これは、レンズ以外から入ってくる光をシャットアウトするし、ゴムはクッションがあるから、眼鏡をつけて見るのも楽である。見口が、金属なら、眼鏡は傷だらけだ。その方は、そのゴム製の見口が長く使用して、取れて困っているわけである。ごもっともな話しだ。
  私のもこのゴム製のクッションはついているが、もう折り曲げたままにしていて、特に取れそうにもない。

  双眼鏡の最近のもののカタログを製造各社のサイトで見た事がある。買う気はないが、ただ見てみた。が、高すぎて、”どんだけー”コストがかかっているのー、と叫びたくなった。これじゃ、カメラのレンズより高い。しかも落とすと、壊れそうな、そうゆう繊細感もあって、すぐに見るのを止めた。

  どうも話しが、どんどん発散していった。この続きは、またいつか。すいませーん。