光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

小さい、セイタカアワダチソウ

2007-10-12 19:11:38 | 植物・花(秋)
  眉間にしわを寄せることは難しそうだが、自然としわが寄ることは、これはよくあって、わかりやすい例でゆくと、買い物の失敗ということになる。
  これはいい買い物だった、というものは少ない。何があげられるか、まったくといっていいほど出てこない。
  この辞書はよさそうだが、っと思って注文する。広告もうまく出来ている。誰もが、ある程度関心を持っていて、それが膨らむようなところが出ている。例えば、円周率の求め方。これは、小学校から習うし、そのうち、実数には有理数と無理数があって、その代表が、円周率ということになる。ここまで、下地が出来ていると、その先を知りたくなるのが人の本能だが、次第に何がなにやらわからなくなる。
  なに、無理数にも種類がある。その種類があって、超越数という、新たな概念がもたらされる。これは、ある意味、その人の本能を刺激する。しかし、刺激するまでがいいところで、もうそんなことはどうでもよくなる。超越数には、円周率、パイ(π)と、もう一つ自然対数の底である、e を知っていれば十分に思える。
  でも、この辞書は、円周率については、まずまずの満足感を与えてくれた。しかし、他はどうか、これが問題なのである。で、これについては、元々、わからないから、求めたのであるが、それを、わからない言葉で書かれていると、どうもこうもない。あまりにも高級過ぎるのである。よって、永久的に、その辞書は使われない。もったいないが、積んでおくしかない。

  何かに八つ当たりしたい気持ちでいる。
  朝にお天気のことに付いて書いたら、どうゆうわけか、寒気団の影響はなく、これは小春日和に似て、でも、まだ早い気がした。もう少し寒くなって、そうゆうポカポカした感じのときが来るのはありがたいが、この言葉を使うのは11月に入らないと実感が伴わない気がする。これも、買い物の失敗かどうかはわからないが、その影響は大きい。
  それで、これはだめだと思っても、そのままほっておくわけにもゆかないので、自分で改良したりする。良くなると決まってなくても、気分は改良である。改正という言葉が使われるが、最近もあったが、どうも気になること言葉だ。改変でいいと思う。特価というのもおかしなもので、本の場合、定価より高いのが普通であるので、ムッと来る。また、特価といって、他の場合であるが、決して特になるとは限らず、これも気をつけなければならない。
  どうも、かなり、なにかに八つ当たりしたい感じだ。毎度のことで、色々”もめる”ことが多い。自分の至らなさを痛感させられる。どうも、おかしくなってきた。この辺で止めておかないといけない。

  セイタカアワダチソウが、あるものは大きくなり、またあるものは小さいまま花を開いている。去年に、すでにこの花を何度か見ていて、そのかなり繊細な花のつくりに驚いた。これは、なかなか肉眼で見ていてもわからないものである。
  フジバカマのような、糸の紐のような花弁を出すというのも、初めて知った。黄色いモヤッとしたものの正体はこれだったのである。



  小さな蕾がたくさんある。それが開くと、細い花弁が幾つとなく出てきて、写真を見ながら書いているが、これは見ていただくのが一番であった。複雑である。虫もいる。モンシロチョウなども、今頃たくさん出てきて、この花の蜜を吸っている。



  全体はというと、なんとなく、クリスマスツリーに似ている。この先、この黄色い紐のような花弁が、秋が深まるとともに変化してゆく。どうゆう風に変わっていくか、忙しい日々を送っている方々は、その姿を見る事は少ないのではないでしょうか。でも、今はまだどんどん大きくなるセイタカアワダチソウが多く、そのうち、ばっさりと刈り取られるのではないか、ふと心配になる。そこを無事通過すると、その変化がどうゆうものか知ることが出来るが、これも楽しみの一つである。

白色の綿毛

2007-10-12 17:18:26 | 植物・花(秋)


  白色の綿毛を付ける植物はというと、キク科のタンポポ属の花を想像します。
  タンポポは皆、綿毛を付けるのかどうか、という問題もあるけれど、これは、タンポポの仲間だろうと思います。
  このタネに、冠毛というのが付くと、くるくる回って遠くまで飛んでゆけるようです。
  私の頭にも、白でもいいから、このくらい毛があったらと時々思うことがあります。
  このタンポポのような花、コスモス畑の中にありますが、この白い綿毛の向こうに、同じ”毛”の付く虫の幼虫がいますが、かなり切り取ったので、わからないかも。

モノクロームの世界

2007-10-12 07:29:53 | 散策
  朝の天気、曇り。風は弱く、穏やか。室温18.5℃、少し慣れた。
  天気予報にも色々あるが、今日明日の世界だと、棒線が現れる。一週間ものだと、その時になってみると、もう忘れている。しかし、今週は、気温は高めと出ていたはずだが、なんとも、涼しいといってもいい天気になって、それも続いている。今の一週間先の天気は、雨は期待出来ないが、気温は平年より低めである。ラニーニャはどうした、と言いたくなる。
  まー、そんな強気なことは、実際のところ言えない。この言葉を、天気予報を、本日の減量予想に置き換えてみる。それは、200gであった。しかし、実際のところは、300g増えている。こうゆうことはよくあることだ。
  それに、お天気くらい予想の難しいものはない。だから、人は天気予報を見るのではないか。今日もやっぱり天気予報を、しかもTVで見た。TVを付けたら、やっていたのである。それによると、寒気団がやって来るというから、おかしくなる。さらに寒くなる。いよいよ、灯油ヒータを出さないといけない。灯油のタンクはからっぽ。フラフープ体操をやり、バランス感覚を整え、重たいものを持って、階段を上り下りして、足腰を鍛える。これが、必須の日課となる。

  灰色の雲で全天が覆われている。まだ、黒味が足りない。少し、ライトブルーがある。
  月の世界だと、暗黒か、ぎらぎらか、二つに一つと慌てて書きそうになる。が、太陽があったっていても、そこの気温がやけに高くても、空は暗い。太陽はぎらぎらしている。地球も見えるかも知れない。同時に、かなりの数の星ぼしも見えていて、ここが地球と違う。太陽が出ていても、お空は真っ暗なはず。
  日の当たらない地方のお月さんでは、無数、この場合は比喩的、の星と、ときに地球と、それも欠けた地球の場合が多い、が真っ暗な空に見えている。しかも地面も真っ暗で、そこに明かりはない。恐ろしい。ここで、「かぐや(SELENE)」が見えると想像しても、暗黒の、本物の真っ黒な世界は、恐ろしい。

  枯れ草色の世界が広がる田んぼの道。やがて、満開のコスモスも花弁を落とす。小さな菊があちこちのご家庭の庭先で咲いている。赤いダリアや、キンギョソウ(予想)も、まだ咲いているが、柿も賑やかだが、これも色を失う。
  最後に残るのは、セイタカアワダチソウ。この花の、モジャモジャした、花弁が出てきた。ようやく出てきて、ほっとする。灰色の雲と、かさかさのアスファルトと、枯れているイネの切り株、切り株からは緑色の芽がまだ出ているが、こんなときの、セイタカアワダチソウの黄色は、歓迎される。

  それにしても、もう寒気団か、この話しを聞いて、やっぱり冬のことが心配になってくる。まだまだ先と思っていた冬が、となりにいる。
  相変わらず、はちゃめちゃなことを書いて申しわけありませんでした。