光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

お月さんを撮ってみました

2007-10-18 19:08:03 | 星空・天体・宇宙



  怪しげな写真ーーー。
  JAXAが、月を観測する衛星、”かぐや(SELENE)”を打ち上げて、それまで月のことなど何とも思っていなかったのだが、そのことについて、ずいぶんと好き勝手なことを書かせてもらった。それで、幸い晴れている空に、上弦に近い月を見ていて、これを撮ってみようという気持ちになった。これまた、勝手なものだが。
  ずいぶんと昔の望遠鏡がある。主鏡は、確か球面で、光を一回、鏡筒内で往復反射させて、見た目は大きさがコンパクトになるもの。今も、多くの市販の望遠鏡がこの光学系を採用している。
  カビみたいのが生えている。これと、カメラだけで月を撮ってみる。
  くたびれる。場所がないし、月が見える角度は決まっているし、腰やら足がミシミシいう。息を止めて、カメラのぶれを止める。
  まー、お恥ずかしい作品である。ここは、笑ってもらうところです。
  上弦に近い月ですが、光学系の関係でたぶん、180度回転した、まるで下弦の月のようになっています。これを、ぐるりと時計回りに回転してもらうと、今日のお月さんに、なるはずなのですが。

ブロック塀の上のカマキリ

2007-10-18 18:43:48 | 散策
  きのうより気温は低めだが、風はそれほどひどくなく、まだまだ秋の花々がゆっくり揺れている。コスモスも、ケイトウも、小さなキクも。またバラの花、クレマチスも、ホトトギスと同じところで咲いている。
  でも、今はさすがに他の何かを探すことに熱心で、でもそれはいつものことであるがそう簡単には見つからない。日の当たりの悪いところに、サザンカがあって、それの一部の花は目の前にあって、にらめっこをすることが出来る。去年もこの花を撮ったことを思い出した。それで、歩いてきて今日の体調はどうかな、っと、その歩き方で判断も出来る、思いつつ帰って来た。
  やっぱり、あのサザンカが気になって、この花はすぐ近くにあるから、もう一度いった。でも、目の前にあるものは半分は葉っぱに隠れている。ちょっと高い位置にあるものは、まだ花が開ききっていない。難しいものである。そこに行くまで、ブロック塀を眺めていて、その上の”コケ”を見ていた。まだ、コケが緑色をしている。返りに、同じように、砂とコンクリートで出来た塀を見ると、そこに、カマキリがいた。よく見つけたと自分でも思う。
  何度か、もうこれが最後のカマキリなど書いていて、しかしやはり塀の上のカマキリはなかなかいいなど思って、ここはこれでやり過ごすしかないのである。苦しい時の何とかー。



  後姿、何を思っているのか。胴体の縦と横の比がそれほど大きくないものである。よくいるカマキリは、もっと胴は長い。まさか、サザンカからここに移動したわけでもあるまい。



  正面を向く。肉眼でははっきりしないが、画像を見ても、このカマキリ何を考えているのかわからない。無心でいる。




  しばらくして、鎌やら、手を、脚を動かした。何かのポーズのようでもある。誇らしげ。これには、お礼を言わないといけない気分になった。

  この先、またカマキリとの遭遇はあるのか、目玉をトンボのように、クルクル回さないといけない。

雨と雪の境界線

2007-10-18 07:20:06 | 散策
  朝の天気、晴れ。風は南から、穏やか。室温17℃、ほどほどである。
  
  朝は、朝焼けが美しい。しかしこれは雨の兆候といわれる。それ以外の晴れているところは、人の目には透明に、無色に見えるが、レンズを通してみた世界は、ブルーである。よっぽど、このブルーが気にいったのか、多様。この言葉に、気が滅入るなどの意味もあるが、辞書を読んでいると、最後に、sを付けるようで、発音もまた異なる?。
  お山には雪が降ったという。このお山という言葉、これは、奥多摩の本仁田山を歩いていて、確か白丸駅に戻ってきた時、駅の近くで、あるおばあさんが「お山には、雪が積もっていましたか」など言われた。そのときは、山には雪がなかった。このお山という言葉を聞いた時、この方も登られて、頂上辺りで雪を見たのであろう、それで、この山を自分の庭のようにも思われているようで、気持ちがいいものであった。

  ここでは、お山という言葉は使われない。立山である。その頂辺りに雪が降ったという、写真にも出ていた。
  そのうち、平らなところでも雨が雪に変わる。同じ水で出来ていながら、雨と雪はずいぶんと違う。水を冷やすと氷になって、残念ながら、雪は出来ない。製氷機ではなく、製雪機というのはなかなか出てこない。
  雪は雨と同じように、天から降ってくる。大陸の冷たい空気が、時雨のミゾレを雪に変える。大陸と列島の間に海があるが、ここに海流がって、この対馬海流は暖流であって、適度に空気中に水分を補給する。この暖かな水の気体分子から熱を奪った空気は、それでも、冷たさを保ちながら、列島に流れ込む。熱を奪われた水分子は、気体から固体へと変化するが、この時に、氷になるか、雪になるかの分かれ道がありそうで、それゆえこの辺りでは、やがて雨が雪に変わる。
  これ以上難しいことはわからない。でも対馬海流が暖流ゆえ、さほど気温が下がらないのも、事実である。
  
  上野から電車に乗って、これは冬の、晦日かか、大晦日であるが、まず浅間山に雪を眺める。うまく日が当たっていれば、雄大で優雅な光景を眺めることが出来る。長野辺りまでは余裕であるが、そこから妙高、高田辺りに来ると風景は、一変する。幸い、この辺りで電車が止まったという経験はない。特急『白山』は、無事直江津に着く。後は、ただただ、鉛色の日本海を眺めるのみ。ただ、波は白いはずっだが、やはりその色は鉛色に負けて記憶から消える。駅に着く。暗い。でも、幸い、雪がなかった。これは幸運。
  境界線の話しのはずが、どうもそうではなくなった。大体が、そうゆう風な話しを書いている。すんません。