光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

二度目で納得の花

2007-10-23 19:02:56 | 散策
  月が南東の空に見えている。今はもう空は真っ暗であるが、日が沈むころの空は、空気のよごれがひどすぎる感じがした。へたに、お月さんなど見ない方がいいのかも知れない。

  ほどほどのお天気で、今日はミニバッグにミニカメラを入れた。でも、すぐに取り出した。何でもかんでも、これはっというものは、ボタンを押す。何があるかわからない、そうゆう偶然というものも期待している。何度も何度も同じものを見ている。少し歳をとったことがわかるくらいだ。
  キカラスウリのところに来る。ここは、この書き込みを始めて、その次の日かに出した”梅”を撮ったところ。キカラスウリはこの梅の木にからまっている。もう少ししたら、またまた、キカラスウリ便りを書かないといけないし、そのためにはよおく眺めておくことが必要となる。ピラカンサが赤いと書いて、しかしそのときは手ぶらだった。(予告して大丈夫か心配)。これもやっぱり、立ち止まってマイバッグをごそごそやる。このカメラも、もう販売が中止になってどのくらいたつのか、これの後継機種は出ていないようで、世の中うまく出来ている。やりにくい。大切に使う。もったいないではなくて、気に入っているから長く使う。

  久しぶりに花の匂いをかいだ気がした。ちょうどフジバカマが満開に近い。花が開いている数が多い。すでに咲いたものは色が変色するし、これから咲く蕾もたくさんある。しかし、咲いている花の数は、見た目一番多く、それに、キンモクセイの匂いは、その花の数に関係なく、どうもわからなかった。しかし、今日は、風は少しあって細めの茎にたくさんの花を咲かせるフジバカマも揺れていたが、その匂いがした。ごく普通の花の匂い。そんなことは書き表せない。PCから匂いが伝わることは、この先もたぶんない。
  日の出前の朝に、ちょっとの間、星を見ることがあるが、このときは半分は眠っているから、いい加減としかいいようがないが、なぜかある匂いのようなものがしてきて、ポッと昔のことを思い出した。そんな昔を思い出させる匂いなど、ないのだが、さらにそのときに匂いなどしているわけはないのだが、これは夢の続きかも知れない。しかも、確かに、ときにあり得ない夢を見ることがあるが、その日は、その夢ともつながりがないようで、それではその匂いは何かという事にもなる。夢のないような、あるようなどっちつかずのこと。

  散歩の途中の花で、どうもあまり気に入らない、そうゆうものを撮って、それからまた、時間がたってもう一度撮って、さらにこれらを並べるときがある。そうすると、目がおかしくなるのか、二度目の方がいいと思っていたものが、一度目のものよりぱっとしないと感じられて、それでは、両方を出してみるしかなくなることになる。



  毎度の花で、こちらのほうが後から撮った。これなら、花弁の傷もあるがなんとかいけそうな気がしてリサイズする。それで、すでに撮ったものを見る気はなかったが、もう一度見直す。結構切羽詰っているので。並べて見る。



  一枚目は、ミニでマクロ、これは、長いものを使っている。

  どちらも、いいところがあり、残念なところもある。大体、花に文句を付けることが間違っていた。ホントに申しわけなく思う。

吹雪のレール

2007-10-23 07:24:40 | 散策
  朝の天気、曇り。煙幕のような雲があちこちにある。下まで垂れているから、その先は見えない。室温17℃、暗くて、寒い。
  鉢の植物を見に外に出る。ぶるっと震える。なにやら、虫が一杯いる。植物自身は大きな変化はない。葉っぱの新しい芽が小さく準備されている。トマトの苗も、これは勝手に出てきた、枯れずにあるが、花芽はない。

  東海地方の静岡辺りだと、ちょっと雪が降ると、それも5年ぶりとかの降雪で、東海道本線は止まった。そうゆう偶然に私は遭遇したが、いかにも静岡らしい気もする。昔の、かなりの、話しである。
  ここいらでは、雪は降って当たり前だが、その量は減っている。それでも、30か40cm積もると、北陸本線も、高山本線も止まる時は止まる。雪の量は少なくなっているが、止まる頻度は高くなった気がする。気がするだけである。

  機関車やら、動力車が編成に組み込まれている、こっちの方が普通になった、その先頭車両には、雪をどけるプレートが取り付けられている。ちゃんとした、言葉があるが、怪しいので、プレートとしておく。普通は、これで雪をどけつつ走るようなこともない気がする。というのも、頻繁にレールの上を車輪が走っていれば、雪なんかいっぺんにはじき飛ばされるからで、それでも、やけに疎に走るレールもあるもので、私の大好きな、信越本線の長野から北、直江津までもその部類に入るのではないか。
  この辺りを秋に走るとその光景はまことに好ましく、電車にゆられて、ホントによかったという気になる。がである。ここは豪雪地帯でもあって、さすがに雪が深々と降る、そうゆう時期に乗ると、多少憂鬱になる。これもまた、いいものでもあるが、やがて景色が見えなくなるときが来る。吹雪だ。夕方までに時間があるが、すでに暗い。まだ勾配を登っているようで、まさかこんなところで止まることはないだろうな、などいらぬ心配をする。幸い、ここで止まる経験をしたことはない。無事、直江津に着く。すでに、真っ暗である。ここから先がまた長い。雪は、ミゾレに変わった。

  こうゆうものを見る事は、普通考えられないが、なぜか雪の積もったレールを先頭車両から見ている記憶があって、それは何時どこでだったか、これが思い出せない。レールに雪が積もれば、無論レールは見えなくて、少し盛り上がっているだけで、枕木などもその存在を忘れるくらいである。こうゆうところを、車輌が走ってゆくと、そのあとには、くっきりとしたレールが、ただレールのみが怪しく光って残るのだろう。
  どこかの駅で車輌が止まり、反対方向のレールの上に雪が積もっていて、それがかなり先まで続いていて、それを思い出しているのかも知れない。これも、吹雪となるともちろん、何も見えなくなって、まるで宙を走っている気にもなる。面白くもあるが、憂鬱さもある。