光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

今どきの秋の修行とは?

2007-10-03 19:07:05 | 植物・花(秋)
  秋は過ごしやすそうで、でも色々な、それでも問題が待ち構えている。
  まずは、差し障りのないところからゆくと、今でも、まだ藪蚊にさされる。これが、かなり痒い。軽く、なめるように、何箇所か食われる。ふと、気が付くと、真っ黒でちょっと大きいハエのようにも見えるものが、目の前を飛んでゆく。血を吸いすぎて膨らんだのだ。これに気が付いた時はすでに遅い。
  ちょっとゴロゴロしつつ、TVを見ている時に、この藪蚊は待ってましたとやって来る。また、もういい加減蚊取り線香もなくなった、そうゆう時にまた来る。それが、見える時がある。この蚊をぱちんとたたくことが出来ない悔しさ。我慢大会にはいいかも知れない。それにしても、一体どこにいるのか。
  今日は、外は暑かった。朝はほどほどに涼しくても、やはり直射光が当たると暑いものである。汗も出てくるというもので、これはこれで仕方がないか。これが普通なのだが、これに何かが加わると、形相が変わる。買い物をして、後から、あれを買ってくるのを忘れた。こうゆうのがよくある。
  それから、マイバッグというのを、特に考えがあってやっているわけではないが、これは、いつものスーパでもらうビニルの袋を、それが破れるまで使う、そうゆうマイバッグである、このスーパの袋を忘れて、頭をかきつつ、すいません、忘れましたという。お店の人はいいですよ、と言ってくれるが、なぜ、こんなことも忘れてしまうのだろうか。私は、まだまだ若い気でいる。
  何だ、大したことないジャン、といわれそうだが、なかなか、本当にムカーッとしてることは、書けないものである。それで、秋である。秋だから、サンマ(秋刀魚)を買った。これを持ってかえり、鮮度もまあまあだという人がいる。それなら、それでよかった、という訳になるのだが、どうもあまりうまいとは言えない。これは、例えば、昔話になるが、飲み屋さんでも、このサンマの塩焼きがでる。ほどほどの値段で、それがまた、かなりというか、大変おいしい。別に飲み物のせいでなく、心底おいしい。この、秘法を聞くことはなかった。でも、ごく普通に食べていても、サンマは、今どきのそれはうまいはずだが、どうもぱっとしない。サンマも、人を見るらしい。
  食欲の秋でもあるが、メジャを使う時があって、これは、柔らかな、衣装の寸法を測るものではなく、プラスチックのズルズルっと伸びて、ズルズルと引っ込んでゆくやつである。これで、まさかと思うが、お腹の周りを測ってみようという気になった。なんてことをやるのか、無謀である。その結果は散々なものであって、夏痩せもなく、またなるべく甘いものは食べないようにしているが、その効果はない。
  何だ、大したことないじゃないか、また言われそうである。そうなんですね、あまり大したことではないのですが、これが溜まりに溜まると、噴火しそうでこれが怖い。少しずつ、間欠泉のように、ガス抜きをしないといけない。 
  それにしても、今日のいつから始まったのか知らないが、重機の騒音の、振動のすごいことったらありゃしない。ここまで、色々なことを書いてきたが、適宜この中のある言葉を変えてもらう、あるいは自分の周りで起こっている、不愉快なことに入れ替えてもらうと、少しこの気持ち伝わるのではないかとも考える。

  朝の、明けの明星の絵がいまいち、ぱっとしない。朝に、あわててやって後からもう少し何とかなると思って。縮小しすぎたのである。



  これも、説明が要るが、下に地平の山々、一番上のちょっと左に、輝点が見えると思うが、これが金星である。

  秋らしいものは、やはり菊の花でしょうか。色々な菊の花があって何が何やらわかりませんが、道端に咲いているもの。



  細かい花をたくさん付ける菊。花の数が少ないときはすくっと立っていたが、今は斜め。人間と似ている。



  ちょっと大きく、色も濃い目のもの。こちらは直立していた。植物の秋の世界もそれぞれで、悩みも多いということか。

続・ヒガンバナ2007 ミニアルバム

2007-10-03 09:50:10 | 植物・花(秋)
9月24日の”ヒガンバナ2007 ミニアルバム”の続き、2度目の、ヒガンバナ、マンジュシャゲ(曼珠沙華)の写真です。

一回で終わりにするつもりだったのですが、最初の”垣”に生えてきたヒガンバナが少し弱弱しくなるのと相俟って、端っこ、”淵”に、かなりな数のヒガンバナが生えてきました。

こちらは、植物の個体全部を眺めることも出来るのですが、この淵のヒガンバナ、結構数が多くなってきて、その花より茎のほうが、かえって目立つのです。

きのうも少し書いたのですが、このヒガンバナの茎を眺めていると、ここに昔棲んでいたご先祖様がこんな形で現われてきたとも思えて来ました。

数は正確には数えていませんが、まー結構あります。このくらいのご先祖様が、ここに棲んでいたのかも知れません。

写真は、前回のものと同じように、ただ縮小だけしました。

それから、きのう書いた”木の下の”ヒガンバナと、これとは別、また、垣のものとも違います。木の下のものは、奥まっていて、探さないとわからないものです。





  9月20日です。暗いです。本数もまだまだ。茎にこの時はまだ注目していませんでした。


  
  9月24日です。日があいたので、一部は花が咲いています。茎に注目しだしたところ。



  9月26日。曇りか雨でこんなに暗いのかな。ヒガンバナに似合うお天気。



  9月27日。少し明るく、花も結構咲いていて、しかし薄緑色の、茎に注目。右側にも、茎。



  9月29日。上の写真の右側のもの。こちらの方が日当たりはいいのですが、遅れて出てきました。やっぱり茎が気になる。



  10月1日。右側にも、ずいぶんたくさんのヒガンバナが出てきました。左側は、想像してもらって。なかなかな茎の数。




  同じく、10月1日。花も一応出しておかないと。別のカメラを使用。



  同じく、10月1日。花に接近。これは要らなかったかな。

えー、たぶん3度目は、ないと思います。これはかなり信頼のおける情報だと思います。お付き合いいただき、誠にありがとうございました。  

今日の明けの明星

2007-10-03 07:09:01 | 星空・天体・宇宙
 


  朝の天気、快晴。やけにお日様がまぶしい。風は弱く、涼しく、穏やか。室温20℃、ちょい冷え冷え。
  早起きでもないが、ふと西の空を見て、それから東の空を見ると、明けの明星、金星が明るく見えている。快晴に近い天気で、これはもしかしたら、使えるかもと思い、急いでカメラを用意してボタンを押した。
  なんでも手持ちで撮る。いい加減なものである。それで、金星が明るいと書くけれど、どれくらい明るいかというと、つまり手持ちの状態で一応点状に写り、それがモニタで見えるくらい、明るいと言うことである。今回は、大体40分の1秒の露光で撮った。でも、果たして、これで見えてるといえるかどうか、自信はないが。写真中央より上にあるのだが。

  月周回衛星「かぐや(SELENE)」が、地球を撮ったというので、きのう遅くそれをネットで見た。これは動画である。説明丸写し。それから、新聞でも見たが、それがあまりに小さいので少しがっくり。
  それより、驚いたのは、確かに色こそブルーで、そこに白がうまく水彩のように溶け込んではいるが、それがまるで”お月さん”のように見えた、思えたことだ。だって、地球は丸いはずなのに、その地球が欠けて見えているからである。やっぱり、かぐや(SELENE)は、月の衛星だったのである。
  スペースシャトルなどから、地球を見ることが出来るが、無論、宇宙飛行士でないと見ることは出来ないが、その画像を見ていると、あたかも自分が地球を見ている気持ちになれる、どうもその見えている範囲が狭く、さらに、地平を見てそれがまあるく見えて、初めて地球は丸いと実感するし、また宇宙から地球を見ている気になる。
  衛星でお世話になっているものはというと、まずはお天気である。それから、TVね、これはうちには関係がないが、ほかにGPS、これも、関係がない。これらの衛星は、あたかも止まっているように見えるが、実際は地球と同じ速度で動いている。でも、静止衛星という。(訂正です。GPSに使われる衛星は、静止衛星ではありません。お詫びして、訂正いたします)。この高度は、地表から、地球の中心からではなくて、約36000kmである。ずいぶんと高い、遠いところにある。そうゆうところから撮った画像の一部を例えば、お天気のサイトで見て、今日は雨か、自分で予想する。
  で、かぐや(SELENE)の撮った動画は、どのくらいの距離から撮ったかというと、実に”地球からの距離は約11万km”ということで、これまたかなり遠いが、それでも、まだ月より地球に近いところから撮っていることになる。私としては、この辺りで止まってもらって、この美しい、欠けている地球、月のような地球をずっと撮り続けて欲しい、そうゆう気持になぜかなってしまった。