光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

スイフヨウ(酔芙蓉)

2007-10-11 19:00:41 | 植物・花(秋)
  雨が降りそうなくらいのお天気の変わりように、いったり来たりした。
  雲がかかって、日差しは弱い。いつから、ドンダケー、変化したのか知らないが、天気は予報どうり、気温は20℃ちょっと。これで、雨になると惨めだなと思って、傘を取りにもどった。
  朝の運動、ゴミ出しも兼ねて、束になったものを外に出す。階段を2往復。もう一回やろうかと思った。しかし、筋肉痛もあるし、疲れは、2日か3日後にくるという。だましだましやるしかないので、今日は2回で止めた。
  これ以外に、前々から気になっていた、もう一台のPCのうるさいといっていい、騒音がひどい電源を交換することにした。実質の稼働時間30分。
  PCは、2台あって、ようやく一人前の気がする。いい訳はいらないか。それで、第三のPCから、まず電源をはずすことから始める。第三って何のこと、っていわれそうだが、一番悪いのは、パラレルから、シリアルへ、無理やり変えた、そうゆう方々。
  それで、電源をはずし、さらに騒音電源をはずして、そこに、第三のPCに入っていた、古い電源を入れる。主電源のピン数が合わないが、それでも、このPCは動くはず。そのとおりになるが、それにしても、”何故”が、多すぎる。ただ、音はかなり小さくなった。これで、ようやく、まともかどうかはわからないが、PCのシステムとして、最低のものは出来た。
  こうして、曇りでほどほどの気温で雨の降る可能性もある、そうゆう状況で外に出た。曇りで、風は弱い。この日が、花日和のような気がする。念のため、ミニカメラも持った。まだ足腰は大丈夫だ。帰ってから、フラフープ体操で、バランス感覚を調整しよう。
  最初に、初夏からこの植物はフヨウだと思っていた植物をみる。その植物が今頃になって蕾らしきものを付け始めていて、それで今日があって、ようやくというか、これが普通というか、そのフヨウらしき花は咲いていた。今頃咲くフヨウとは、なぞ思って近づく。いいタイミングで、そこのオヤジさんが出てきて、挨拶する。
  それにしても、初夏からだと、もう丸3ヶ月はたつ。この植物はもう花は咲かないのか、など思ったが、とんでもない間違いだった。他にも、何しろ花日和だから、いろいろあってチマチマと歩いた。何度も見ているものだが。
  マイバッグを出すのを忘れた。マイバッグに、マイバッグを入れていたが、お店でそれを出すのを忘れた。



  花にも、もう定番の花のサイトがあって、「植物園へようこそ!」さんのページへと急ぐ。色々ここから、飛んでゆく。それで、この花は、フヨウより、スイフヨウ(酔芙蓉)の方がぴったりなのではないかと思う。かなり大きい。画面をはみ出すくらいの大きさ。花の状態とか色の具合はよくわからないが、感度の低いモードで撮っているので、ほどほどに感じが出たと思う。



  赤く色付き始めたもの。蕾そのものも赤いのは赤く、一枚目の右側の蕾、その色の出方が難しいところ。これ以外に、薄めの赤いものが、形としてはよかったが、ここは赤い色のほうを取り上げてみました。
  一日花ともあるが、どうなのか。ただ大きさとしては、まさに大輪で、秋が深まって冬になるが、年内で見られる一番大きい花ではないでしょうか。

  フラフープ体操をするのを忘れていました。

これもグラスの気泡

2007-10-11 16:40:41 | 散策


  グラスというか、コップというか、そこに水を入れておく。
  こぼれるかこぼれないか、表面張力で、水面は盛り上がる。
  それと、関係なく、しばらくするとコップの内側に気泡が付く、このことを少し前に書きました。
  それで、いいお天気で青空だと、水も、水色に写るのですが、光の条件によって、こんな風にも写ります。
  これは、それに、接写モードて撮っています。それゆえか、気泡が金属の球のように、ベアリングの玉のようにも見えます。大き目の気泡はもっと複雑な何かが写っていますが、ただ不思議の一言。

手書きが苦痛になること

2007-10-11 07:19:55 | 散策
  朝の天気、晴れ。きれいな秋の雲がある。風は弱く、穏やか。室温18℃。
  天敵でもないが、PR誌の定期購読継続の封筒が来た。
  ただいま2誌を読んでいるが、あと、K社のもの、S社のもの、それと青春で始まるものも、購入したいとふと考えるが、なかなかそれを申し込む気にもなれない。もう一冊が限度な気もする。
  ただ、値段的にいうとこれらは、その性格上ほどほどの値段であって、その割りに読まねばいけないところがたくさんあって、もはやカタログと化した、それでも1000円はする雑誌1冊と比べると、再びグラグラと揺れる気になる。雑誌、止めちゃおうかな。
  その購読の手続きは、郵便振替が通常で、しかしこのちっぽけな用紙、数字を書き込む欄はさほど抵抗はないが、住所と名前のところがやけに小さく、書くのにいつも苦労する。住所と名前は大切である。お金の額のところは、小さくてもいいが、住所と名前のところは、もっと大きくスペースを取ってほしい。
  字がへたである。さらに、正確に書こうと思えば思うほど、間違えたりする。何十回となく書いている自分の名前を間違えたりする。うまく文字の線がつながらない。5と6が、1と7が、同じように見えて、その上をなぞると、余計ひどく、読みにくくなる。これは、何も郵便振替の用紙だけではなく、葉書きにしろ、何とかの申し込み用紙にしろ、そうゆう風になる運命にあるようだ。
  紙に、自分のために、文字を書いているが、これがまたひどい。先にひらがなを書いて、その後ろにこれはいけないと、漢字で書き直す。その漢字がまたひどい。いつの間に、へただった文字が判読不可能になってしまったのか。
  滅多にないが、なにかの時に、年に一回くらい、ある日のメモを探すことがある。これがまた、大変な作業だ。最近は、これは重要と言うところは、書きながら、赤のボールペンでアンダラインを入れている。もっとも、こうゆうのは再び読む返す必要がない、というものでもある。

  さて、郵便振替の用紙であるが、すでに、名前、住所、皆印刷されていた。あと、なん年購読するか、四角に印を入れて、金額を書くだけ。これじゃ、なんかただ”すかたん”になってゆくだけである。年賀状も書く日が近い。緊張して文字を書く訓練が必要だ。
  もっとも、この書き込みも、方式は違うが、誤字やら、文字の不統一やらが多すぎる。ぼんやり頭ではなかなかそれを発見できない。あー、また、ああーまた、という毎日で、ここは、知らん振りをしている。面の皮はますます厚くなる。