今もお日様、雲が多いながら出ている。
朝も何時ごろか、恐らくほぼ日の出の時刻、これはもちろん、実際に山、稜線から日が出るときだが
そのころか、わずかに遅れて朝日は出ている。
ただわずかに、山の上に雲が細長くあって、これがお日様の上だったか下だったか、画像でわかるような気もする。
そのお日様、もちろん雲も多い空なので隠れるときがある。
今日の天気予報は、曇りなので、いいほうにはずれている感じだが、この状態もいつまで持つか。
雪、これはどう考えても降りそうにない。
もちろん外れて、降ってもいいが。
もう少し確実に晴れる、自分が信念を持っていえる状態になればいいが、そうでもないようで
ここのところが、いかにも悩ましい。
毎度の感想を書いている。
明るさがある。
明るさにもいろいろで、ある部分、たとえばお日様のように、異様に明るいと、そこを見る気にもならない。
部屋の明るさも同じで、一番感じのいいものは、やはり天井に、照明があるときで、これも調節できれば
なおいいが、一個だけでなく、二個あればもっと調節も自分の気に入るように出来る。
これは一つの蛍光灯が切れると、いかに不便かですでに体験済みだが、ただ取り替えるとなると、
仕方なく専門の業者さんに頼まないといけない。
これが、なかなか僻地でもないけど大変で、はっきりいってすぐに来てくれるところというのはない。
それから汎用の蛍光灯を使うタイプだと、危なっかしいが、蛍光管を変えるだけなら自分でも何べんもやった。
ただ本体が壊れると、手も足も出ない。
なんでも自分でやれればという考えは今はないが、さてものを頼むにどこがいいか。一応は決めてはいるが
何しろ部屋の真ん中、この下に何にもないというお宅はあるのかな。
大体コタツが占拠。これが動かない。それから蛍光管一つにゴミ!!は結構着く。
蛍光灯の本体というと、取り外すときは、それこそスズメバチの巣を取り除くような感じで、
ゴミと闘うというか、あるいはゴミを被る気でやらないといけない。
天井といえ、ゴミはある。上向きであるはずの、蛍光灯の本体にも雪のようにゴミ、綿ぼこりが主だが
積もっている。
これを考えていると、滑車みたいなものでつるして、それを下のほうに降ろすことが出来るタイプという
机上論が出来るが、誰もそうゆうものは作らない。
これもいえというのは、大体長くて30年が耐用年数で、それを過ぎると壊すしかない、という
この列島の国に特有の考えがあるからかも。
室内の電気の配線もそうだし、給湯関係の水道管もそう。あとは何があるかな、いずれにしろ、何かことがあると
結構大掛かりな工事または、ある部分を全体やり直すという悲しい状態になることも多々。
リサイクルではないか、いずれにしろ、いえは固めるものでなく、もう少し簡単に分解出来て
何事にも対応できる。しかも耐震性もあるものであって欲しい。そうゆう夢を見る。
雨漏りもあった。樋を直すというのも、これも難題がある。屋根瓦、これは気が遠くなるだけ。
近くでその工事を見たことがあるが、家の中の騒音はいかほど。
日本の家屋の悪口を書くのが目的でなく、改善されるものはないのかな。
20年に一回、自動的に、新しいものを別の場所に建てる。こうゆうことをやれるお伊勢さんが
うらやましい。
部屋の中の明るさの話で、蛍光管がそろそろ危ない時期にあるということ。自分で勝手に変えたところ
2箇所ある。
寝床で使う、枕の後ろに置く、さほど強い光を必要としない照明に、これまで蛍光色の、古いランプを使っていたが
これはTVなどもさほど明るく照らさず、目にもよかった。これをLEDに変えたことは一回書いた。
蛍光管型のランプがチカチカとしだしたからで、そのうち寿命はもう目に見えているので変えた。
これが強力で、部屋全体が明るくなって、逆にまぶしい。TVの画面をも照らす。たしかに、どの方向が明るくなるか
これまでのランプとは違う、と説明書に書かれてはいた。
これは廊下、あるいはトイレ、あるいは風呂など、上から照らす場所はいいが、横が主となる、寝床には適さないこと
は、すぐにわかったが、しかし、我慢して使っている。
性能的によすぎる、という言い方も出来る。難しい時代になったものだ。
お日様の明るさに戻ると、朝からこれが入ると、部屋の中の空気にいろいろなゴミが浮いていることが
あまりにわかりすぎて、こんなに空気は汚れているのかと、気がちょっと遠くなる。
さらに床は木で、もう20年以上たつここのいえの床がいかに傷が多いか、これもわかりすぎて、そういえばあのとき
何を慌てたのか、望遠鏡、これはシュミット・カセグレンタイプの三脚より上の部分、を倒した痕も。
結局、望遠鏡も、使わなくなる。はでに微動装置が歪んでいるし、もう手に負えない。
あの事件がないとすると、まだ見ようという気にもなったかな。
ところで、板敷き、フローリングは、便利なようで、傷も付くがさらにどうゆわけか、どうしてもスリッパが
欲しくなる。
冬、裸足、あるいは、靴下のまま歩こうという気にならない。さらに今は足の裏が余りにサラサラで、
油っ毛もないものだから、靴下、スリッパは必須で、さらにスリッパも結構摩擦がないと、うまく歩けない
という情けない状況にある。
ここまでガタが来たということだが、お日様のありがたみを感じつつ、傷ついたフローリングを眺めて
結局出るのは、ため息であり、また新しく出来た傷、汚れを発見する。
ありがたきもののようで、でももう昔のことは忘れるしかない。
今日の日の出、これも今ひとつ。
その一。やはり雲が山を隠しているようだ。雲の上からお日様。
その二。輝きの空間。
その三。この画像を調節していたとき、部屋の中が明るくなりすぎて、微妙な明るさがわからなく
なった。
その四。
その五。
その六。上の雲は、さほど厚くなく、青い色もあってきれいなのだが、画像ではうまく出ていない。
その七。
その八。これも雲の色に濁りが出ている。
きのうの北風と青空の様子は、
その十。こんな感じ。
どうも毎度の整理されない、自分の頭の中でモヤモヤしていることを書いた。
これだけはどうにもならない。
他にあまり、興を感じることも今はないなー。
朝も何時ごろか、恐らくほぼ日の出の時刻、これはもちろん、実際に山、稜線から日が出るときだが
そのころか、わずかに遅れて朝日は出ている。
ただわずかに、山の上に雲が細長くあって、これがお日様の上だったか下だったか、画像でわかるような気もする。
そのお日様、もちろん雲も多い空なので隠れるときがある。
今日の天気予報は、曇りなので、いいほうにはずれている感じだが、この状態もいつまで持つか。
雪、これはどう考えても降りそうにない。
もちろん外れて、降ってもいいが。
もう少し確実に晴れる、自分が信念を持っていえる状態になればいいが、そうでもないようで
ここのところが、いかにも悩ましい。
毎度の感想を書いている。
明るさがある。
明るさにもいろいろで、ある部分、たとえばお日様のように、異様に明るいと、そこを見る気にもならない。
部屋の明るさも同じで、一番感じのいいものは、やはり天井に、照明があるときで、これも調節できれば
なおいいが、一個だけでなく、二個あればもっと調節も自分の気に入るように出来る。
これは一つの蛍光灯が切れると、いかに不便かですでに体験済みだが、ただ取り替えるとなると、
仕方なく専門の業者さんに頼まないといけない。
これが、なかなか僻地でもないけど大変で、はっきりいってすぐに来てくれるところというのはない。
それから汎用の蛍光灯を使うタイプだと、危なっかしいが、蛍光管を変えるだけなら自分でも何べんもやった。
ただ本体が壊れると、手も足も出ない。
なんでも自分でやれればという考えは今はないが、さてものを頼むにどこがいいか。一応は決めてはいるが
何しろ部屋の真ん中、この下に何にもないというお宅はあるのかな。
大体コタツが占拠。これが動かない。それから蛍光管一つにゴミ!!は結構着く。
蛍光灯の本体というと、取り外すときは、それこそスズメバチの巣を取り除くような感じで、
ゴミと闘うというか、あるいはゴミを被る気でやらないといけない。
天井といえ、ゴミはある。上向きであるはずの、蛍光灯の本体にも雪のようにゴミ、綿ぼこりが主だが
積もっている。
これを考えていると、滑車みたいなものでつるして、それを下のほうに降ろすことが出来るタイプという
机上論が出来るが、誰もそうゆうものは作らない。
これもいえというのは、大体長くて30年が耐用年数で、それを過ぎると壊すしかない、という
この列島の国に特有の考えがあるからかも。
室内の電気の配線もそうだし、給湯関係の水道管もそう。あとは何があるかな、いずれにしろ、何かことがあると
結構大掛かりな工事または、ある部分を全体やり直すという悲しい状態になることも多々。
リサイクルではないか、いずれにしろ、いえは固めるものでなく、もう少し簡単に分解出来て
何事にも対応できる。しかも耐震性もあるものであって欲しい。そうゆう夢を見る。
雨漏りもあった。樋を直すというのも、これも難題がある。屋根瓦、これは気が遠くなるだけ。
近くでその工事を見たことがあるが、家の中の騒音はいかほど。
日本の家屋の悪口を書くのが目的でなく、改善されるものはないのかな。
20年に一回、自動的に、新しいものを別の場所に建てる。こうゆうことをやれるお伊勢さんが
うらやましい。
部屋の中の明るさの話で、蛍光管がそろそろ危ない時期にあるということ。自分で勝手に変えたところ
2箇所ある。
寝床で使う、枕の後ろに置く、さほど強い光を必要としない照明に、これまで蛍光色の、古いランプを使っていたが
これはTVなどもさほど明るく照らさず、目にもよかった。これをLEDに変えたことは一回書いた。
蛍光管型のランプがチカチカとしだしたからで、そのうち寿命はもう目に見えているので変えた。
これが強力で、部屋全体が明るくなって、逆にまぶしい。TVの画面をも照らす。たしかに、どの方向が明るくなるか
これまでのランプとは違う、と説明書に書かれてはいた。
これは廊下、あるいはトイレ、あるいは風呂など、上から照らす場所はいいが、横が主となる、寝床には適さないこと
は、すぐにわかったが、しかし、我慢して使っている。
性能的によすぎる、という言い方も出来る。難しい時代になったものだ。
お日様の明るさに戻ると、朝からこれが入ると、部屋の中の空気にいろいろなゴミが浮いていることが
あまりにわかりすぎて、こんなに空気は汚れているのかと、気がちょっと遠くなる。
さらに床は木で、もう20年以上たつここのいえの床がいかに傷が多いか、これもわかりすぎて、そういえばあのとき
何を慌てたのか、望遠鏡、これはシュミット・カセグレンタイプの三脚より上の部分、を倒した痕も。
結局、望遠鏡も、使わなくなる。はでに微動装置が歪んでいるし、もう手に負えない。
あの事件がないとすると、まだ見ようという気にもなったかな。
ところで、板敷き、フローリングは、便利なようで、傷も付くがさらにどうゆわけか、どうしてもスリッパが
欲しくなる。
冬、裸足、あるいは、靴下のまま歩こうという気にならない。さらに今は足の裏が余りにサラサラで、
油っ毛もないものだから、靴下、スリッパは必須で、さらにスリッパも結構摩擦がないと、うまく歩けない
という情けない状況にある。
ここまでガタが来たということだが、お日様のありがたみを感じつつ、傷ついたフローリングを眺めて
結局出るのは、ため息であり、また新しく出来た傷、汚れを発見する。
ありがたきもののようで、でももう昔のことは忘れるしかない。
今日の日の出、これも今ひとつ。
その一。やはり雲が山を隠しているようだ。雲の上からお日様。
その二。輝きの空間。
その三。この画像を調節していたとき、部屋の中が明るくなりすぎて、微妙な明るさがわからなく
なった。
その四。
その五。
その六。上の雲は、さほど厚くなく、青い色もあってきれいなのだが、画像ではうまく出ていない。
その七。
その八。これも雲の色に濁りが出ている。
きのうの北風と青空の様子は、
その十。こんな感じ。
どうも毎度の整理されない、自分の頭の中でモヤモヤしていることを書いた。
これだけはどうにもならない。
他にあまり、興を感じることも今はないなー。