光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雪の降らない時間が続いている、南風が暖かである。

2015-01-26 14:08:06 | 散策
  いえの中だとわからない。


  それよりいつもの通り、ログインしようと思ったら、妙なという感じの画面。

  これも新手の詐欺か、そんなことはない。でも、何かが変わるとあれっという、この驚きは

  それこそ驚き過ぎて、大仰かも知れない。


  ちょっと変わった、その程度である。言い切れないところが悲しい。

  毎度、かろうじて生きている感じで、背中そのほかギクシャク。


  風邪は治ったということにして、次に、軽いものだが眩暈状態、それと腰痛。

  でも腰痛は、筋肉が弱っているから、ということで、インドメタシンを塗るのは止めた。

  でも気も弱いので、また今ごろあの高い高い、コンドロイチンを飲んでいるが、もちろん効果の

  ようなものはまだ。関節の痛み、捻挫もしそうなので。

  なんでも薬に頼る。


  無病息災、で息災ってなかなかわからない。無病は、六つの病気ということにしている。



  今ごろ、と思うのは、国鉄の民営化。

  この民営化というのが、お役人、政治家の方々の大好きなことのようで、

  最初は電電公社だったかな。

 
  国鉄、というのも歴史が長く、国鉄の前は私鉄だった、という歴史があって、それがどこの何線か。

  これは多くて一つ一つ覚えてもいないし、最初は国鉄ではなかった。あるとき、国が買い上げたという結果

  国鉄の一部になった、ということは、大切な事実ということを認識、記憶。


  これは、国はもともと、さほど鉄道というものを重要視していなかった、ということではなく、民間の人でも

  鉄道会社を作るという考えがあったこと、かつこれが企業としては成り立つ、という認識があったことを

  示していて、この時代に列島の国になんともすばらしい考えの方はいたのだな、とまた今ごろ

  感激する。



  北陸本線は、廃止される。なくなるのである。ほかの会社が、レールと車両を使って地域の公共交通機関と

  しての使命を果たすという。さて、これがどのようなものか、これまでのJRの時代の、北陸本線と

  どう違うのだろうか。

  利用する人は果たしてこれで、より便利に快適になったと思うのだろうか。

  北陸本線は、たしか私の記憶では、米原から、直江津まで、これらがすべて、廃止されるのか、

  この辺りもよくはわからない。


  民営化されたJRでは、残念ながら自前では、高速鉄道を造ることは出来ず、国、あるいは県が主体となって

  税金を工面した。いったいに、たとえば富山県のレベルで、どのくらいの税金が、この高速鉄道のために

  使われたか。県民一人当たり、一体にいくらくらい負担したのか、こうゆうことも知りたいものだが

  何かに出ているかな。

  
  かなり長い時間がかかっているので、膨大な額になるに違いないが。

  それで、JRと、新しい高速鉄道、北陸新幹線のすべて、レール、駅、車両その他は、どのような関係に

  なるのか。ここが、民営化された一私鉄としてのJRとの関係の、もっとも知りたいところ。

  もっとも、それを知ったところで、国鉄時代の北陸本線はもちろんだが、民営化されたのちの北陸本線も

  もう戻らない。


  民営化される前、恐らく最後の年に、上野からの電車には乗っているはずだが、その後は、多分一回か

  二回かな。

  それにしても、あっさりと、廃線となる。恐らく、北陸新幹線を構想していた時代に、こうゆうことは

  考えられていなかっただろう。

  東海道本線は残っている。上越新幹線は出来たが、上越線も残っているはずだが。

  東北本線も、東北新幹線が今はどこまで開業したのかわからないが、ちゃんとあるはずである。

  これがもうなくなっている。廃線になって、他の民営会社、あるいは意味のわからない、経営母体に

  移譲されたのか。こうゆうことがわかる、何か「いいところ」はないものだろうか。



  きのう、渋い顔をしていた。しかし、どうにか気持ちも回復して、でも相変わらず身体はおかしいが

  TVを見ていたが、廃止というので、今走るJRの北陸本線の車両ならびに風景を撮影に来られる方が

  紹介されていた。

  恐らく廃止にならないとすると、わざわざは来ないというところだろうか。

  しかしご熱心らしく、やけに遠方から来られている。


  これは私などには実にうらやましいが、高そうで高級な機材も目に付いて、私には出来ないことだ、と

  羨望の目があって、同時に、自分の非力さも十分に味わった。


  昔、富山の機関区が東富山にあったはずだが、ここに、交流でも、直流でもどちらでも走行可能という

  交直両用型の電気機関車、EF81が結構台数あって、格納庫から外にも出ていて、これをかなり近くから

  眺めることが出来た。

  東北本線の尾久駅辺りにも、これも昔話だが、直流型の電気機関車がずらり並んでいたことを

  思い出すが、当時いくらかカメラで撮ったと思うが、もちろんフイルム、ポジだった。が、

  これはどこかに、放り込んであるはずだが、もはやそれを見ることも出来ず、

  ただ思い出としてある。

  

  ただ単純に、北陸本線を疾走する列車をあーゆう風に撮れる時代が自分にもあったなら

  結構嬉しかったに違いないという思いから、これを書いたが、

  絵本の中と、現実は違いすぎて、自分はあいかわらず子供のままだなと

  笑うしかない。



  そういえばきのうは、平野部だと雪もなく、また山も見えなかった。

  直江津までで、雪の残るところはあったのだろうか。


  雪の降らない日が続く。1月の、19日、20日、21日、22日はなく、23日、24日の空。


  19日。

 


  その一。きのうの朝の(18日)日の出の画像には、雪はまだ降っているものもある。19日、この日はない。
  以下も雪の降った日はないと思う。




  その二。これに似たものは一回出ている。


  20日。



  その三。




  その四。


  21日。



  その五。赤い色がかすかに。




  その六。


  23日。



  その七。




  その八。


  24日。



  その九。


 
 

  その十。


  雨はまだ。



薄曇り、雪はなく、雨が近付いている。トビが入った

2015-01-26 07:08:49 | 散策
  薄曇り。


  かなり明るくなった月がおぼろにずっと見えていたが、雲はしっかりとあって

  晴れ間はなかった。


  きのうはなんとも、考えみると散々な日でもあったが、どうにか持ち直すことが出来たが、

  いろいろなことがあるんだな。

  考え方も違うが、こちらは「間違いないように」という考えが強く

  いろいろ説明する。


  こうゆうことが理解できないようで、子どもさん(お孫さんだろうが)とまるでお遊びのように

  あることを考えるのは、ストレスはないが、対応する相手は不安がいっぱいだ。

  あんなことで「お金の管理」が出来るのか、と思わざるを得ない。

  
  相手方のことについて何かいっているわけでなく、こちらの事情を話しても

  こうゆう場合は無駄だった。

  しかも、来る人みな同じいえの人と思うが、毎回違うのである。

 

  冬というより雪の中休みか、もう降らないのか、そこのところもわからないが、

  もうほとんど消えた雪を見ていると、お正月などのひどいときがまるで夢のようだ。


  夜は、あれがないなと思ってコタツから出たが、他のところに注意がいって

  何のために立ったのかはわからなくなったが、

  それでも2、3、別の忘れていることに気が付いた。


  トビが偶然入った。



  これはレンズがどの程度ピントを出しているか。




  山が焦点。




  シャッタ速度が遅かった。




  一応今年である。

  

  自分がぼけ始めていることはよくわかっている。

  もっと進むだろうこの症状。

  高齢化の社会で、やっぱり、そこで生まれ育った人間でないとわからないことは多い。

  知らない、わからない人が多い。


  最も、会うはずのない人にまた会うことも。

  この頻度は、意外と高い。