光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

思い出のお正月の食べ物と、正月二日の日の出

2015-01-02 13:43:54 | 散策
  朝は、布団の中はそれほど寒く感じず、悪寒みたいなものなかった。

  ただ眠かった。

  なんかこの小さい理由は、どうも元日の夕方のうたた寝、に加えて他に原因がありそう。


  味気なくても、食べるものは一応あり。

  配達してもらっている。



  お正月というと、お雑煮。

  母は、生まれは東京の田舎だが、大森である、作っていた雑煮は、澄まし汁で

  出汁の味はさほどなかった。肉はカシワで、鶏肉のこと、ほかは野菜。

  餅は父の家から送られてきた。つまり父方の祖父母が、搗いた餅、世界中でただ一つの味。

  一枚を切っていたような気もするが。ほかに「かき餅」もあった。

  乾燥させたもので、結構、手間ひまはかかる。


  送られてきたものに、他に黒造り。いちおう名産品である。

  中身はイカの切り身と、イカ墨の調理品だが、保存食でもあったのだろう。

  子供でも食べられるが、イカは結構かむのは大変で、飲み込んだと思う。


  ここにときどき登場する、今となっては、ただ一人の、父方の叔母から

  シャケだろうと思うが、これの燻製品みたいのが送られてきた。

  北海道にいたからで、なおかつご主人は、高校の先生でもあって、いろいろ縁もあったのだろう。

  塩鮭でなく、干し物であって、あぶったかそのままか、当時美味いとは思ったが、

  高級品だという感じはなかった。

  
  今となっては、とても手にも入らないし、食べることも出来ない。

  ただ硬かったが、そのころは虫歯はゼロで、お腹の中に入っていった。

  たくさん食べるものでもない。


  何しろ、貧乏な家だったので、高級品というものはなく、ほかはみな手作り。

  黒豆。

 
  白いものもあった。どこのものともわからないもので、でもそうは作っていたという記憶はない。

  ゴマメ。ゴマメの歯軋りの、ゴマメ。

  これも、海産物として売られている、普通は出汁でも取るためのものかな。

  これを醤油と砂糖で煮る。苦い味がもちろんあるが、食べた。

  あとはカブの酢の物くらいかな。


  子供のときの一番の楽しみは「おはぎ」だが、さすがに砂糖はあった時代でもある。

  もちろん「もち米」。


  お正月の料理も、大体いつごろまで上記のようなものを食べていたか。

  せいぜい高校生くらいかも知れない。

  送られてくるものもなくなった。


  
  私が酒を飲む時代になると、普通にどこかから刺身を買ってきて、となるわけで

  これは特に面白おかしいものではない。

  刺身も普通で、取れたての氷見産のブリなどは、みな「築地」へと送られたのだろう。

  氷見産でなくても、富山湾で取れたものかどうかも。

  何しろスーパーで買ってくるものだから。

  全国各地から、刺身の材料は送られてくる。

  簡単に、お腹に入ればいいだけ。


  そうゆう意味では、関東の安い居酒屋で、これは美味いという、イワシの叩きなど食べたが

  値段も安く、イワシにどこどこ産はなく、いいものである。それも回数少なく

  幻の味だなと思う。



  TVでよく出てくる役者さんとかが、美味いものを紹介しているが、結局一つはTVでということと

  CMにもなるというので、あんなことが出来るのだろう。

  普通、特別な縁でもない限り、どこのものともわからないものを食べる。

  もっとも、小さい店だと、どこどこの浜で取れたて、というのはもちろん

  今でもある。でもそれなりの相場というものもあるので、これも正月だから

  まーいいかとなるのではないか。



  何でも高くなって、それで美味いかというと、これは違うように思える。

  美味いものを求めること自体が時代感覚がおかしい、と一般の人間は思うだろう。

  もう少しわかりやすい考えというか、直感的には、健康で腹へっていれば、まずいものはない。

  そうゆうところに落ち着いてしまう。


  今も私は肉は、豚肉を食べるが、もう牛肉など食べたいとも思わないし、

  また身体も正直で、一種の反応を起こす。お腹をこわしたりする、経験があった。



  お正月も2日目、2015年早くも01月2日である。

  日が出た画像だが、ピリッとしないものである。




  その一。ゆるい感じの雲、でも氷点下。




  その二。




  その三。




  その四。




  その五。





  その六。下を向くと、たしかに雪は増えた。しかし、今日は日が出ている時間があるので
  この辺では、消えるところもありそう。




  その七。電線にある、二つの黒いものは、キジバトだった。




  その八。




  その九。




  その十。



  なんか一応書いたという感じ。

  まだ気温的には上がっていない。

  去年の今ごろ、もう少し元気で、数字を少し扱っていたような気もするが

  手帳、一昨日まで2014年というものの、元日は、疲労困憊で限界とか、書かれている。


  今年はそれよりもなおひどいのだが、書きようがない。



晴れ間も出たので、雪とでダブルで寒い

2015-01-02 07:05:45 | 散策
  お天気、夜は雪だけかと思ったが、もう2日になっていたが、

 
  西の空に沈むオリオン座も見えて、それゆえか寒さも倍増して、少し震えた。


  きのうはそんな飲んでいたわけでもないが、夕刻4時ころ、一応落ち着いた時間に

  なってコタツに入り、安心したのか目を瞑ったのがいけなく、コタツで眠ってしまった。

  こうゆうことは、2年前くらいはあったが、その後は一回もなく

  実に久しぶりだが、やはり起きたあと、まだ半分寝ぼけているのだろう。

  ひどくはないが、被害の少ない失敗をやった。


  コタツで居眠りはやっぱりいけない。

  これはしかし予想外の出来事。

  少し理由をつけると、朝方が早く目が開いてはいたが、これには特に問題はないもの。


  その分、夜の眠気は少なく、今ごろに眠いが、富山の街中の雪の量が多いのか

  除雪車の音。



  この辺りは増えても、15cmくらい。

  玄関からの道の新雪の量は、少なく、5cmくらいだ。


  今日はあっさりと朝日が出そうだが、気象台のアメダスの気温が6時で、マイナスの0.9℃

  までしか下がっていないのが不思議だ。














  雪ばかりはいらないので、大晦日の晴れ間の画像。

  きのうもわずかに、晴れ間は出ている。