光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

日の出の時間があって、その後もときおりお日様が出ている、という非凡さ。

2015-01-24 13:56:30 | 散策
  今もお日様、雲が多いながら出ている。


  朝も何時ごろか、恐らくほぼ日の出の時刻、これはもちろん、実際に山、稜線から日が出るときだが

  そのころか、わずかに遅れて朝日は出ている。

  ただわずかに、山の上に雲が細長くあって、これがお日様の上だったか下だったか、画像でわかるような気もする。

  そのお日様、もちろん雲も多い空なので隠れるときがある。



  今日の天気予報は、曇りなので、いいほうにはずれている感じだが、この状態もいつまで持つか。

  雪、これはどう考えても降りそうにない。

  もちろん外れて、降ってもいいが。

  もう少し確実に晴れる、自分が信念を持っていえる状態になればいいが、そうでもないようで

  ここのところが、いかにも悩ましい。

  毎度の感想を書いている。



  明るさがある。

  明るさにもいろいろで、ある部分、たとえばお日様のように、異様に明るいと、そこを見る気にもならない。

  部屋の明るさも同じで、一番感じのいいものは、やはり天井に、照明があるときで、これも調節できれば

  なおいいが、一個だけでなく、二個あればもっと調節も自分の気に入るように出来る。

  これは一つの蛍光灯が切れると、いかに不便かですでに体験済みだが、ただ取り替えるとなると、

  仕方なく専門の業者さんに頼まないといけない。

  これが、なかなか僻地でもないけど大変で、はっきりいってすぐに来てくれるところというのはない。

  それから汎用の蛍光灯を使うタイプだと、危なっかしいが、蛍光管を変えるだけなら自分でも何べんもやった。


  ただ本体が壊れると、手も足も出ない。

  なんでも自分でやれればという考えは今はないが、さてものを頼むにどこがいいか。一応は決めてはいるが

  何しろ部屋の真ん中、この下に何にもないというお宅はあるのかな。

  大体コタツが占拠。これが動かない。それから蛍光管一つにゴミ!!は結構着く。



  蛍光灯の本体というと、取り外すときは、それこそスズメバチの巣を取り除くような感じで、

  ゴミと闘うというか、あるいはゴミを被る気でやらないといけない。

  天井といえ、ゴミはある。上向きであるはずの、蛍光灯の本体にも雪のようにゴミ、綿ぼこりが主だが

  積もっている。

  これを考えていると、滑車みたいなものでつるして、それを下のほうに降ろすことが出来るタイプという

  机上論が出来るが、誰もそうゆうものは作らない。

  これもいえというのは、大体長くて30年が耐用年数で、それを過ぎると壊すしかない、という

  この列島の国に特有の考えがあるからかも。


  室内の電気の配線もそうだし、給湯関係の水道管もそう。あとは何があるかな、いずれにしろ、何かことがあると

  結構大掛かりな工事または、ある部分を全体やり直すという悲しい状態になることも多々。

  リサイクルではないか、いずれにしろ、いえは固めるものでなく、もう少し簡単に分解出来て

  何事にも対応できる。しかも耐震性もあるものであって欲しい。そうゆう夢を見る。


  雨漏りもあった。樋を直すというのも、これも難題がある。屋根瓦、これは気が遠くなるだけ。

  近くでその工事を見たことがあるが、家の中の騒音はいかほど。

 
  日本の家屋の悪口を書くのが目的でなく、改善されるものはないのかな。

  20年に一回、自動的に、新しいものを別の場所に建てる。こうゆうことをやれるお伊勢さんが

  うらやましい。


 
  部屋の中の明るさの話で、蛍光管がそろそろ危ない時期にあるということ。自分で勝手に変えたところ

  2箇所ある。

  寝床で使う、枕の後ろに置く、さほど強い光を必要としない照明に、これまで蛍光色の、古いランプを使っていたが

  これはTVなどもさほど明るく照らさず、目にもよかった。これをLEDに変えたことは一回書いた。

  蛍光管型のランプがチカチカとしだしたからで、そのうち寿命はもう目に見えているので変えた。

  これが強力で、部屋全体が明るくなって、逆にまぶしい。TVの画面をも照らす。たしかに、どの方向が明るくなるか

  これまでのランプとは違う、と説明書に書かれてはいた。

  これは廊下、あるいはトイレ、あるいは風呂など、上から照らす場所はいいが、横が主となる、寝床には適さないこと

  は、すぐにわかったが、しかし、我慢して使っている。

  性能的によすぎる、という言い方も出来る。難しい時代になったものだ。



  お日様の明るさに戻ると、朝からこれが入ると、部屋の中の空気にいろいろなゴミが浮いていることが

  あまりにわかりすぎて、こんなに空気は汚れているのかと、気がちょっと遠くなる。

  さらに床は木で、もう20年以上たつここのいえの床がいかに傷が多いか、これもわかりすぎて、そういえばあのとき

  何を慌てたのか、望遠鏡、これはシュミット・カセグレンタイプの三脚より上の部分、を倒した痕も。

  結局、望遠鏡も、使わなくなる。はでに微動装置が歪んでいるし、もう手に負えない。

  あの事件がないとすると、まだ見ようという気にもなったかな。


  ところで、板敷き、フローリングは、便利なようで、傷も付くがさらにどうゆわけか、どうしてもスリッパが

  欲しくなる。

  冬、裸足、あるいは、靴下のまま歩こうという気にならない。さらに今は足の裏が余りにサラサラで、

  油っ毛もないものだから、靴下、スリッパは必須で、さらにスリッパも結構摩擦がないと、うまく歩けない

  という情けない状況にある。

  ここまでガタが来たということだが、お日様のありがたみを感じつつ、傷ついたフローリングを眺めて

  結局出るのは、ため息であり、また新しく出来た傷、汚れを発見する。

  ありがたきもののようで、でももう昔のことは忘れるしかない。

 
  今日の日の出、これも今ひとつ。



  その一。やはり雲が山を隠しているようだ。雲の上からお日様。



 

  その二。輝きの空間。




  その三。この画像を調節していたとき、部屋の中が明るくなりすぎて、微妙な明るさがわからなく
  なった。




  その四。




  その五。




  その六。上の雲は、さほど厚くなく、青い色もあってきれいなのだが、画像ではうまく出ていない。




  その七。




  その八。これも雲の色に濁りが出ている。



  きのうの北風と青空の様子は、



  その十。こんな感じ。


  どうも毎度の整理されない、自分の頭の中でモヤモヤしていることを書いた。

  これだけはどうにもならない。

  他にあまり、興を感じることも今はないなー。



 

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