光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

この空にどんな情報が飛び交っているか、夕刻近くの空を見て思う

2015-01-21 13:57:22 | 散策
  もともと、社交的でもないし、大体話がヘタだし、文章もまともに書けないし。


  最近は、いやこの3、4年は、頭の中で、日本語をローマ字に変換することも出来なくて、

  PCの辞書もずいぶんと苦労しているが、変換される文字も、ずいぶんとおかしなものばかり出て、

  やっぱりIMEの何か設定が足らないかと思うが、これは事実で、間違いは多い。

  私もPCの辞書も。



  もともと、ここの生まれでもない。ずいぶんと篭もっている時間もあって、損したか得したか

  わからない。でも、この辺りに住んでおられる方が持つ、不文律に染まることなく生きているので、

  かわらず衝突まではいかないが、わからないことは多いし、こいつなに考えている、と思う人も中に

  いるのではないか、と簡単に想像する。


  最も、残るただ一人の人間となると、哀れにも見えるのか、まったくそうゆうことを考えない人も

  いるようだが、いろいろと、これは口コミというべきか耳コミか、ようやく知らない情報が入って

  きたりもする。

  これも真実かどうか、何しろ、干支が一回転した人間なので、それよりも年が上の人のおっしゃることは

  恐らくここネイティブのかたもわからないことが多いはずである。

  人ずてが、先行して、ゴールに行くパターンが多く、私もそうゆうことが少しわかるようになった。

  つまりどこまで信憑性があるか、ということになるが、年齢そのほか性格もあって、おおらかに話される内容に

  真実はなかったりもする。



  これ以外に、結構重要なことでもある問題についても、ご年配の人曰く、ごたごたがあって、こうゆうことになった。

  まるで、昭和20年8月15日、その日から数年の間の感覚に似るかなと、生まれてもいない私は思う。

  戦後のどさくさに紛れて、というやつである。


  今もたしかに戦後で、いろいろわからないことは多いが、多くは証拠の隠滅を徹底していて、これについてなお今

  その作業を続けるという内容の書き物を読んだことがあるが、それだけ、表に出せないということはあるのだろう。

  それに比べると、口コミ、あるいは耳から自然と入ってくる、こうゆうことにご熱心な方は多い。

  

  私もたまに、多分このことは知らないだろう、ということを口にすることはあるが、そんなことは「知っとるちゃ」と

  いう言葉を聞くことは多い。これだけのいろいろなことをご存知なのか、驚くものがあるが、だれそれは

  どこから来ているとか、どこに勤めているとか、娘さんの嫁ぎ先までもが話に出てくるが、はてそれは本当か。

  これだけはわからないもので、単純に、これも特に興味はなく、聞いてみて、ただ自然と話に出た、というところ。



  でもやはり田舎というところの特性というか、その成立からして当然の帰結として、個人の情報というものは

  今の感覚でいうと、保護するというものはなく、押しなべてみな共有していて、で本当のところは

  やはりわからずとなる。


  なんでもかんでも知られている、ということはほとんどみな知っているが、自分のところもみな知られていると

  いうことになり、お互い様となるが、それでも最近は、さーわからないね、と話をそらす人も

  出てくる。もっともなことで、ある年齢以降の、ご年配といわれる人は、なんでも知っていると勘違いし、

  あるいは知られているということに無関心である。これが若い人だと、そこのところは今と昔で大違いで

  これからは個人の秘密保護ということも、重要なこととして考えられるのではないか。



  私もそれだけ歳を重ねたので、概して若い人のことは知らずよりご年配の方について、あの人は本当に

  元気だね、おいくつになられたのだろうか、という話はする。

  結局のところ、最後には自分以外に人のことについて、あれこれ話す楽しさは今も昔も変わらないのかも。

  この最も顕著なものが、いわゆる、映画スターであり、俳優さん、芸人さんのことでもあって、この話題が

  ないと生きている意味もない、とまで考えてよさそうな気もする。

  さすがに芸能界という感じがある。最も政治の世界だと、スポーツ選手は昔からその方向での調整を考えている

  政治家先生も多いらしく、有名な方も多い。


  でも、高齢化社会の最も先進を行く、この列島の国で、総儀屋さんの看板を見ることは多い。

  もちろん、総儀の案内。この地区でも、私のいえもそうだが、いっときお亡くなりになられるかたが

  どっと出て、一世代前の人で、ご存命のかたはやはり数は減った。

  

  簡潔に若い方を知らない。大体合うこともないし、何かの場に私はもともと出ないが、そこに出る人もいない。

  ここに都会と同じ、閉塞感をしかし感じることはない。

  やはり「シキタリ」は、代々そのいえの姑さんが教えていて、これを厳密に守らないと大変なことにもなる。


  Youtubeに投稿された映像が、ニュースに出たとき、何事かと思って、たしかに一回だけは見たが、すぐ他の

  チャンネルに変えたが、同じものが流れていて、どこもかも同じになった。

  こうゆうときはTVを切るしかないが、それにしても、そこに何かを読み取ることはないように思われる。

  流すほうも流すほうで、この程度のことでというと、マッチ・ポンプという言葉が出るが、やる方もやる方で

  最も、これは外遊好きの方の趣味でもあるようで、なんだかお金をばら撒いている。

  なるほど、これでは年金も減るし、将来年金制度が維持されると考える人間も少なくなる。

  油に火をそそいでどうなる。やっていることがわからないという不幸がある。



  この地の空に、きのう青空も出たが、どうも今ひとつすっきりと晴れず、寒々しさだけを感じた気もしたが

  これに耐えうるだけの気持ちを持つことが出来るか。

  正念場という気にもなる。




  その一。北の空は青かった。




  その二。きのうは、煙突も見えたが、鉄塔もよく見えた。




  その三。お日様を隠す。ここにいかほどの電磁波が飛び交っているか。




  その四。緑の色も薄い。




  その五。立山連峰は見えず。





  その六。




  その七。お日様は上、下が夕焼けの色。




  その八。鉄塔くっきり。




  その九。




  その十。ポケットに手を突っ込むことなく歩いていると、さすがに手がかじかんでも来た。


  そういえば、と私は思うが、多くのこの時間に散歩をされる方はそれなりに防寒対策はしっかりと

  している。

  雪の中でも同じで、やっぱり実際のところ、寒いというのは間違いない。


  毎度の寒中修行もあるが、これはまた別ものだろう。

  滝に打たれたい、という思いは今のところなし。



曇っている時間が長く、朝の強烈な冷え込みはない

2015-01-21 07:12:39 | 散策
  きのうは、晴天を期待したのだけど、なかなか。

  待てど、待てど、雲が多くを覆って結局くたびれ待ちになり、

  一応外に出る気持ちはあったので、カメラは持って、でもさほど防寒対策はしなかった。


  ちょっと古いカメラを持つ。

  画像はいい。でもAFが、年々合わなくなって、というか働かず

  マニュアルはほとんど無限遠を使った。

  空に太陽はあって、小さく感じられる。

  大体三分の一がさほど厚くない雲に覆われて、それ以外は青空だが、

  午後も3時半を過ぎると、やはり薄暗い感じにははなる。


  手袋も最近は使わないので、何℃あるかわからないが、冷水に手を入れている感じである。

  でもこの時間から、恐らく他の人も今日は散歩と決められたのか、

  あるいは雨天でも散歩をされる、そうゆう方が現われ始めた。

  ここは散歩道でもあるのだなー。


  同じ苗字の、もうお孫さんも大きい、おばちゃんは気軽に声をかけてくれるが、

  何しろ元気である。

  結局、いつもは自分がやっているようなこと、つまりお説教を聞かされることになって

  ぎゃふん。そんな家に閉じこもっていて、脚越し弱くなるし、もっと歩かないと

  あとで困るよ、翻訳するとこんな感じだ。

  いえの中でも、やらないといけないことが多くてと、弁解すると、「わしもそうだったが

  それではだめ」。


  なるほど、そのおばちゃんは、点にまでなる位置まで歩いていて、その姿は消えた。


  私としてはさすがに予定オーバーになった。

  夜中足がジンジンもしてきて、眠気がなくなった。これは辛い。

  仕方なく、いつも飲んでいる薬に頼ったが、まだ疲れ方が足りないのか。


  二回目という感じだが、明るい景色で、色の調整をしなおしたが、結局出来たものは同じ。













  
  朝5時30分、西の空に木星。

  東の空は、お日様が出そう。