田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

感傷の秋 麻屋与志夫 

2016-09-23 02:41:31 | ブログ
9月23日 Fri.

●いつでも秋は決定的であり、その季節が訪れれば、太陽の光はやわらぎ、木々は紅葉から落葉へと凋落の変化をたどることになる。日差しは、まだまだとでもいうように、ときおり残暑のきびしさを示して、夏への回帰をねがうような日もあるが、まちがいなく朝夕の涼風には、秋の気配が感じられる。

●わたしは、ホリゴタツにフトンを妻にかけてもらい、いよいよ少しは早めだが冬支度。ホリゴタツで執筆するのが、いちばん性に合っている。背筋があまりつかれないのだ。

●この態勢でパソコンを打つのが、文章をかくのが楽なのだ。ながいこと座業をしているので、背筋が弱い。背筋がつかれ、それで作品の量産ができないのだ。というのは、いいわけで、創造力がどこかで欠落しているのだろう。でも、背中が、背筋がダルクナリ、倦怠感にさいなまれるのは、事実だ。

●かくことが、楽しいから、いままでこうして、小説をかくことをつづけられた。

●愛猫、三毛猫のリリはもういない。老猫ブラッキ―とこうして深夜小説をかいていると、さびしいことばかり考えてしまうのは、わたし自身の老いのせいでもあるのだろうが――変革することのできない過去の出会い、別れをいくらくりかえし反芻しても、悔いが残る。あのとき、リリがあれほど外に遊びにいきたがったのだから、出してやればよかった。電気のコードを噛みちぎっても、怒らなければよかった。むりにスポイトで流動食をたべさせないで、自然にまかせ、リリの命の灯が消えていくのを見守ってやればよかつた。

●中津君ともつと頻繁に会い、彼の臨終のとき、側についていてやりたかった。野口君とはもういちどあいたかつた。彼が興した竹書房のビルの前まで訪ねて行ったが、敷居が高くてはいれなかった。悔やむことばかり、おおすぎる。そうしたことをこれからはあまり私小説的にならないように気をくばり、かいていきたい。どうしても、過去のことにばかりに意識がさまよう。

●過去は時系列からいえば、過去なのだが、わたしの脳裏では現在としてとどまっている。そして思い出すままに、そうした細々としたことを、微細な事件を――だがわたしの生き方に影響をおよぼしたことをかいていこうと思う。自伝をかくことになるだろうが、自伝をかいても恥ずかしくない年齢にじぶんがなっていることにはじめて気づいている。

●今日は彼岸の中日、秋分の日。庭では赤い彼岸花、曼珠沙華が咲いている。

●ベニマルに買い出し。帰りぎわに、入り口近くで、チクンと襟首が痛んだ。10センチもあるムカデがいた。おどろいた。痛みはあったが、以前ムカデに刺された時のようには、震えはこなかった。それにして、襟首をムカデにさされるなんて、なにものかの悪意を感じてしまう。

●雨模様。夕空には月は出ていなかった。

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