田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

従兄の出征

2007-12-08 22:56:55 | Weblog
12月8日 土曜日 晴れ
正一稲荷の前のどぶ川からメタンガスの泡が時々プワンとふきだしていた。
「ぼぼくは戦争に行きたくない」
 すこし、音声のあいまいな従兄がわたしにいった。
「いきたくなない。死にたくないんだ」
 わたしは、おどろいていた。戦争にいきたくない。戦死したくない。そんなことをいう男をじっとみっめた。これから出征するのに死にたくないなんていうのを初めて聞いた。兵隊にいけばお国のために戦って死ぬ。それが当たり前のことだと教えられていた。
「ぼくくは、短歌を詠みたたいいんだ。死にたくない」
 短歌は和歌ともいわれる。五、七、五、七、七と言葉を並べる。なんとなくわかってはいた。だがそれを詠むことがどんなすばらしいことか知らなかった。
 吃音のある従兄はぼんやりとガスのふきだす泡をみつめていた。
 召集令状がきた。だいぶ離れたT市から別れの挨拶をしにきたのだった。東武駅まで送っていくように母にいわれた。母の兄の子だった。10歳ちかく離れていた。それでも、小学5年生のわたしとよく遊んでくれた。
「いきたくない」
 ガスがまたプクプクプクとふきだした。
従兄は泣きだしていた。めめしいとおもった。
「ほくも、あとからいくから。それまでは戦死しないで」
「ああ。あああ」
 どう理解していいのかわからない吃音がつづいた。
 ガスの小さな泡が連続してプカプカと汚水に花を咲かせた。汚いとは思いたくなかった。従兄は戦地に赴くのだ。せめていい思い出を残してやりたかった。美しい思い出をもって出征してもらいたかった。
 いとこがなにかいっている。短歌らしい。なにかわたしに残しておきたい歌らしい。それはわかっていた。
でも、よく聞き取れなかった。聞き返すことは憚られた。そんなことをしたら、彼が傷つく。そう思うとなにもいえなかった。
 従兄は何回かおなじような言葉を紡いだ。
わたしはこの時ふいに、日本は戦争に負けると感じた。こんなに戦争に行きくたないと泣いている、ドモッテしまう従兄まで出征するようでは、もう日本は負ける。
 従兄は軍歌を歌いだしていた。
 わたしは彼の後ろから黙ってついていった。
 従兄は彼が恐れていたように戦地に送られた。戦死した。
 戦争にまつわる悲しい思い出だ。
 彼の詠んだ歌はなにも残ってはいない。あの時どうして紙にでも書いてもらわなかったのだろうと悔やまれる。

●開戦記念日です。今は亡き従兄のことを書きました。
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