田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

戦争中の小学生

2007-12-08 19:32:19 | Weblog
12月8日 土曜日 晴れ
わたしは戦争中の小学生。
●わたしが、小学校の二年生の昭和16年12月8日に太平洋戦争が始まりました。(たぶんその翌年から国民学校と名称が変わったと思います)
そして、六年生の8月15日に敗戦をむかえました。
●I for Japan. すべては日本が戦争に勝つためという考え方を基本にした生活。
 いぬくぐりの鉄柵をヤスリデ切断したこと。鉄の供出。鉄砲の弾を作る。
 校庭をイモ畑にしたこと。食べるものがなくなった。ドングリひろい。粉にして食べた。
 疎開児童が特にひどかった。おにぎりやさつまと交換にわしは本を借りた。物々交換をした。
 食糧統制があり、切符を持って並び、配給を受けた。しまいには、トウモロコシの粉ではなく、緑の粉が配給になった。みんなは、草の粉だといった。
 登校は下駄履き。あるいは、藁草履。ゲートルを巻いた。
 欲しがりません勝つまでは。
 軍人による教練。
 町に小学生以上の青年がいなくなった。中学生の上級生は徴用。
 東京大空襲 S20,3,10 1945
 広島原爆投下S20,8,6 
宇都宮 S20,7,12
 ピカドンの空襲があった。いままでの防空壕ではダメ。より深いものを掘りだしているうちに敗戦となった。竹やり。これらのことは在郷軍人が指導。
●遊び。竹トンボ。杉鉄砲。下駄スケート。千手山の後生車(天気輪)。竹の操り人形。水鉄砲。
●I for me.
戦争がなく、すごく平和な国。それなのにテレビを見ていても嫌な事件がいっぱい起きている。戦時中に育ったわたしから見たのではとても信じられない。自分さえよければ他の人のことはかまわない。あいてを傷つけて平気ということは、戦時中の生命観とあまりかわらない。いや、もっと悪くなっている。周囲のものを傷つけるのだから。言葉の暴力とうこともある。ひとを愛すること。自分の周り自然や町を愛することを学んでほしい。
少年や六十年後の春の如し  永田耕衣

(母校で話したときの、草稿です。とりあえず載せました)


美猫だって書いてニャン

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