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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

講演会記録 - 6 ( 宮城から皇居への歴史 )

2021-05-26 21:58:53 | 徒然の記

 天皇の住われている場所を、戦前は「宮城」と呼んでいました。占領軍が来て、「宮城」という名称は封建時代を思わせるので民主主義に合わないと言い、「皇居」に変更したのだそうです。

 ネットで調べても下記の通りで、GHQのことは書かれていません。

 ・以前は宮城(きゅうじょう)と公称されていたが、第二次世界大戦後に廃止され、現在は特別史跡「江戸城跡」一帯を指して、皇居と呼んでいる。

 宮城という名前が民主主義に合わないと、本当にGHQがそんなことを言ったのか。エリザベス女王のお住まいは、今もバッキンガム宮殿と呼ばれていますが、民主主義に合わないと誰も言いません。もしかすると、GHQに協力する反日左翼学者が提案したのではないかと、今の「ねこ庭」は、彼らへの疑心暗鬼で固まっています。

 今回紹介したいのはそんな瑣末なことでなく、皇居の中にある「宮中三殿」です。マスコミの報道で名前だけ耳にしますが、どのような建物なのか関心もありませんでした。

 温故知新の読書の知識によると、「宮中三殿」とは次の三つの建物です。

  1. 賢所 ( かしこどころ ) ・・天照大神が祀られている建物

  2. 皇霊殿 ( こうれいでん ) ・・歴代天皇・皇族が祀られている建物

  3. 神殿・・天神地祇 ( てんじんちぎ ) 、天上の神々と地上の神々 ( やおよろずの神々 ) が祀られている建物

 明治維新の折天皇が京から江戸へ移られた時、京都御所から移されたのか、新政府の手により新たに建造されたのか分かりませんが、皇居の中に神社があるということが重要です。

 皇居の神社は、日本の頂点に位置する最も格式の高い神社だそうです。いわば神道の総本山であり、ここで神儀を行われる天皇は文字通り最高位の神官です。

 この三殿で天皇は、国の安寧と国民の幸せを祈られ、神話の世界に包まれながら、神官としてのお役目を果たされます。日本の何もかもを変革しようとしたGHQは、宮城の名称より、「宮中三殿」に注目すべきだったのでないかと思ったりします。

 保守系の学者の中には、天皇のお立場をローマ法王に比較し、「ローマ法王より、長い伝統と格式を持つ方」と説明をする人物がいます。戦前のことは知りませんが、もしかすると、神の近くにおられる方という意味で、「現人神 ( あらひとがみ ) 」という考えが、ここから出てきたのか。戦前の軍が国民の戦意を高揚するため、この言葉を乱用したという負の記憶がありますが、ここでは触れません。

 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介したいのは、「宮中三殿」と、神道の最高位の神官である天皇のお立場です。

 ホイットニー少将の「皇室撤廃」政策に加担し、芦田総理がしたことを、もう一度思い出してみます。

  ・昭和23年6月、芦田均首相によって、田島が宮内府長官に任命される。
 
  ・昭和天皇は、宮内府長官・松平慶民と、侍従長・大金益次郎を交代させることに難色を示されていたが、芦田は宮中改革を実行するため、交代を断行した。
 
  ・田島が宮内府長官で三谷隆信が侍従長のコンビが、成立した。宮内府は宮内庁と改称され、宮内府時代の官僚機構も縮小・改変され、二人は「 宮中クリスチャンコンビ 」  として、戦後の宮中改革に尽力した。
 
 時以来皇室への送り込まれたキリスト教信者は、田島道治宮内庁長官、三谷隆信侍従長、浜尾実東宮侍従、杉井侍従、入江相政侍従長、村井長正氏、前女官長の松村淑子氏、女官長の井上和子氏でした。
 
 こういう人々が最高位の神官としての天皇のお立場を、どこまで理解し協力できたのか。「皇室護持」という気持ちが、果たしてあったのか・・疑問でなりません。
 
 上皇陛下と美智子様の出会いは、「軽井沢でのテニスコートの恋」と騒がれましたが、あれは偶然の出会いでなく田島長官、三谷侍従長、小泉信三氏による計画でした。
 
 「ねこ庭」の意見に反対する人は、小室母子の事件にGHQを持ち出す必要がないと言いますが、「皇室崩壊」の一歩がここから始まっています。天皇の側近にある人々が、異なる宗教を信じる人間となったのは、ホイットニー・芦田ラインによる宮中改革の時からです。
 
 仕事は真面目にしたのでしょうが、彼らの誠意は昭和天皇というより、イエス・キリストとGHQの方を向いていたのではないでしょうか。
 
 だから田島長官は、陛下との対話を密かにメモし、遺族がNHKに使わせ、全国放送という犯罪行為をしました。宮内庁のトップがした「背信メモのリーク」は、宮内庁の体質として今日に引き継がれています。
 
 西村長官と加地皇嗣職大夫が、小室母子に関する事柄を罪の意識もなくリークした姿が、その証明です。眞子さまも秋篠宮様もこういう体制の中で育たれ、昭和天皇の苦難の御生涯や、「宮中三殿」について、正しく教える人がいたのでしょうか。
 
 GHQまで言及しなくても、「皇室撤廃」を党是とする共産党が現在も活動を進めています。彼らは直接「皇室撤廃」を言わず、「皇室にも男女平等を」、「皇室の方々の人権を守れ」と言いながら、「皇室崩壊」につながる「女性宮家」や「女系天皇」肯定論を、世間に広めています。
 
 本物の保守と自ら信じる人は、皇室の個々人の方々に物申すと同時に、宮内庁の体制も直言すべきでしょう。敵対する国々に囲まれ、国難に直面している時、コップの中の争いは無用であるばかりでなく、有害な行為となります。
コメント (4)
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