ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

有識者会議 - 2 ( メンバーの実態 )

2021-05-03 15:50:53 | 徒然の記

 4月29日のブログの最後で、次のように述べました。

 「4月22日、共同通信社が千葉日報へ配信した記事の、紹介と批評が終わりました。次回は菅総理に関する不安を、若干述べたいと思います。」

 この後、教科書問題に関する菅総理の決断や、千葉知事選についての自民党千葉県連の決断、国民の祝日法に関する発見など、予定外の出来事が生じたため、「有識者会議」のブログが中断してしまいました。

 しかしこの寄り道のおかげで、「日本国憲法」と「皇室典範」と「国民の祝日に関する法律」が、GHQの関与で変えられた法律であることが分かりました。彼らは、日本の弱体化を目的として統治していたのですから、まず私たちのやるべき仕事は、GHQが改変した法律を、元通りにすることです。

 そうなりますと、第一には悪法である「日本国憲法」の改正、第二には皇位継承を不安定にした、「皇室典範」の改正ということになります。「女性宮家」や「女系天皇」に関する検討をしている「有識者会議」は、一体何をしているのかという話になります。

 GHQ内のコミュニスト・ホイットニー少将の言いなりだったため、「グズ哲宰相」と陰口を叩かれた、片山氏が行った「皇室典範」の改訂を元に戻し、皇籍離脱した11宮家の復帰こそが急務なのです。「有識者会議」とマスコミが報道するので、いかにもメンバーが皇室を知る人物らしく見え、充実した検討がされていると思わされてきました。

 しかし本日は、興味深いネットの情報を紹介し、自分も含め、「ねこ庭」を訪問される方々の覚醒を促そうと思います。

 「小泉政権時代の有識者会議のメンバーは、酷いものだった。」「最初の半年くらいは、会議にならず、メンバーへの教育に時間を取られた。」「素人が多かったため、宮内庁の関係者が『皇室の歴史』から説明を始め、」「メンバーは、熱心な受講生だった。」

 有識者会議は、記憶にあるだけで、小泉内閣、野田内閣、安倍内閣、そして今回の菅内閣と、4回作られていますから、メンバーも都度変わっているのだと思います。彼らは、皇室についての専門家でもなんでもなく、最初の半年くらいは宮内庁の関係者から説明を受ける素人でした。

 マスコミは伝えないのですが、毎回同じことが繰り返されているのだと、思います。今回もまた素人集団が、宮内庁の役職者に講義を受け、勉強会から出発するのでしょうか。前にも申しましたが、愛子天皇を望まれている美智子様の意向は、宮内庁の役職者を通じ、メンバー各位にそれとなく伝わっていると思います。

 美智子様が望まれることに、上皇陛下が反対されることはないと漏れ聞きますので、そうなると、全て話の辻褄が合います。小泉内閣の時から、なぜ「女性宮家」と「女系天皇」の問題が一貫して語られてきたのか。なぜ「11宮家の皇籍復帰」が検討の議題に上がらなかったのか。

 昭和天皇がお亡くなりになった後、平成の皇室を差配されてきたのは、女帝と言われる美智子様だったと聞き及びます。私たち庶民の言葉で言いますと、平成時代の皇室はかかあ天下だったということなのでしょうか。戦後生まれの私たちの家庭は、稀なケースを除けば、おおよそがそうであり、それはまた円満な家庭の秘訣でもあります。

 私は今、美智子様を批判しているのでなく、宮内庁の愚かな関係者がリークした情報を元に、ブログを綴っております。「温故知新」の読書で知りましたが、「開かれた皇室」を望まれ、国民との壁を無くしたいと思われていたのは、昭和天皇も同じでした。災害の被災地を見舞われ、戦地へ慰霊の旅をされるのは、決して昭和天皇のお気持ちから、離れたご行為ではありません。

 美智子様が、ひたすら努力された「開かれた皇室」は、沢山のご苦労の上に築かれてきました。国民とともにありたいというお気持ちが、一番現れましたのが、上皇陛下の「ご退位」宣言でした。

 終生天皇の地位におられるのでなく、会社勤めの国民と同様に、一定の年齢で地位を去られ、余生を送られるという、新しい天皇のお姿を示されました。残る家族の負担を考慮し、葬儀は簡潔に、墳墓は造らず火葬にしと、古来からの前例も変えられました。愛子天皇を望まれる美智子様は、「直系男子に限るという皇位継承」にもお手をつけられ、「女性宮家」と「女系天皇」への道を模索されました。

 「開かれた皇室」を推し進めていきますと、このようになるのも、不思議ではありません。しかし、いかに美智子様でも、上皇陛下でも、これは触られてはならない日本の伝統であり、文化でした。実行していきますと、「皇室」が崩壊し、ついには消滅してしまいます。

 もしも小室親子のことがなければ、私もここまで、率直な思いを述べずに済んだのかもしれません。しかし現在の事態は、すでに国難となっております。美智子様の真摯なお気持ちとは、まるで違ったものに変化してしまいました。

 「過ぎたるは及ばざるが如し」、という言葉があります。申し上げにくいことながら、美智子様にも、そのまま当てはまるのではないでしょうか。「開かれた皇室」にも、やはり節度が必要であります。私が無念でならないのは、皇室をお守りすべき宮内庁が、今日の事態を招いた大きな要因であるという事実です。

 現在の宮内庁長官や、侍従長だけを批判するのは酷ですが、その時その任にある者が責任を問われるというのは、致し方のない仕組みです。「開かれた皇室」の姿が、少しずつ道を外れ、やがては崖っぷちに向かうと知りつつ、見過ごしてきた責任を、自らが負うべきです。「身を挺してでもお諌めする」というのが、宮内庁官僚の役目であり、特権でもあります。

 それをせず、小出しに不満を外へ漏らし、皇室を貶めてきたのは、いわば初代長官だった田島道治氏から始まっています。昭和天皇のお言葉を密かにメモし、廃棄もせず遺族へ残したため、反日左翼のNHKが昭和天皇を冒涜する番組を作りました。田島長官以来、戦後の宮内庁は反日左翼風となり、皇室をお守りするというより、自分の任期中を大禍なく過ごせば良いという、無責任官僚の組織となってしまいました。

 上皇陛下や美智子様のご意向通りに動いていれば、それで役目が済むという、安易な思いが代々の宮内庁に流れていたのかと、小室問題が露呈した今は、それが国民の眼に見えるようになりました。上皇陛下と美智子様には、誠意をもってお仕えせねばなりませんが、ここぞというときにお諌めするのが、宮内庁に働く者の心構えです。もしかするとその心構えは、「武士道」と呼ばれる日本の伝統精神なのかもしれません。

 美智子様と上皇様が間違ったことをされた訳がなく、国民のため良かれとお考えになり、「開かれた皇室」のため尽くされてきたのですから、宮内庁の責任ある人々は、これ以上皇室を、反日左翼の人間たちに開いてはなりません。見苦しい韜晦をやめ、日本の伝統精神に則り、己の責任をとるべきでしょう。

 「武士道は、死ぬことなりと見つけたり。」・・『葉隠』に書かれている言葉は、こういう時のためのものです。今の時代ですから、切腹などという大仰なことでなく、単に、「責任を取り、黙して辞職する。」という潔さを示唆するのだと思います。

 今回も、話が横道へ外れ、菅総理への不安を述べるには至りませんでした。次回は「有識者会議」を続けますので、しばらく菅総理のことは脇へおくことになります。それでも国難の「小室問題」、「皇位継承問題」は、そのまま総理大臣の采配につながっていますので、間接的に不安を述べていることになっているような、気もいたします。

コメント
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