ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日本史の真髄』 - 122 ( 学徒の道も気楽ではない? )

2023-06-22 19:50:47 | 徒然の記

 〈  第二十二闋 藻璧門 ( さうへきもん )  平安朝の幕を引いた 「平治の乱」 〉

 今回も、「書き下し文」と「大意」を順番に紹介します。( 該当する漢字がない字は、カタカナ表示にしています。)

 〈「書き下し文」( 頼山陽 ) 〉 7行詩

   藻壁門中  車聲 ( しゃせい  ) 響く

     白龍魚腹 ( ぎょふく ) して  却って網を脱す

   龍逃るるにその雌 ( し ) を将 ( ひき) い

   忍んで老龍 ( ろうりゅう ) を 刀俎 ( とうそ ) の危き ( あやうき) に遺 ( のこ ) す

   誰か此の謀 ( はかりごと ) を造る 両虺蛇 ( きだ・へび ) 

   タン舌 ( たんぜつ ) 陰 ( ひそか ) に吐く滔天 ( とうてん・みなぎりあふれる ) の毒

   悪魔門監 ( あくまもんのかみ ) 却って悪ならず

 〈 「大 意」( 徳岡氏 )  〉

   藻壁門の中に  車のわだちの音が響き

   白龍は魚に身をやつして 故事とは逆にうまく包囲を脱した

   女装して逃れる帝は、龍が雌になったも同然

   そっと老龍の上皇を置いてきぼりにして、危ない目にあわせた

   いったい誰がこんなことを企んだ?  あの二匹のまむしどもだ

   チロチロと炎の舌で、こっそり天いっぱいにみなぎるほどの毒を吐く

   悪魔門監 ( あくまもんのかみ )も彼らに比べれば、むしろ " 悪  " でない

 たくさんの事実が省かれた頼山陽の詩ですから、具体的に何のことを言っているのか分からなくて当然と思えるようになりました。白龍、老龍、二匹のまむしとは誰のことなのか、いずれ氏の解説が明らかにしてくれます。

 「雅な王朝文化が花開いた平安時代」と心の中にあったイメージが、次第に変化していく・・、今の自分に分かるのはこの事実だけです。失望も幻滅もありません。学徒として学んできたこれまでの書籍を思えば、納得する気持ちがあります。悲しみと苦しみの時代と思っていた昔が、意外なほど楽天的で明るかったように、時代には色々な顔が同時に存在しています。

 頼山陽が詠い、渡辺氏が解説する平安朝末期も例外でないはずです。現在の私たちの前に悲喜こもごもの世界が広がっているように、当時の人々も同じ状況だったのではないでしょうか。今朝のNHKニュースで悲惨なウクライナ戦争が語られている一方で、他局の番組では世界各地のグルメが紹介されたり、楽しい民族踊りが紹介されたりしていました。分かったようなことをと笑われそうですが、これが現実の世界と私たちの日常です。

 「失望したり幻滅したり、そんなことを過度にする必要があるのか。自分が生きている以上は、生きていくしかなく、楽しく生きる工夫をするしかない。」

 自分はとっくにそうしているのに、君は今頃気づいたのかと言われそうですが、気持ちを新たにして氏の解説を紹介します。

 「保元の乱 ( 1158年 ) は、皇位継承に不平であった崇徳上皇と、藤原氏の中の不平分子の頼長が結びつき、源為義・為朝父子ら武士の力を借りて起こしたクーデターによって生じた。政権奪取は失敗し、後白河天皇と忠通が使った源義朝と平清盛の軍勢が勝った。」

 この乱は、歴史の転換をなすものでした。延暦12 ( 794 ) 年に桓武天皇が都を京都に定められてから約360年間、つまり二世紀半以上もの間、京都には戦乱というものがありませんでした。しかも嵯峨天皇の御世からの、300数十年間は、宮廷人に対する死刑も無くなっていました。

 「盗賊や火事はあったが、都の人士は詩歌管弦を楽しみ、絵巻物のような優雅な生活を続けていた。戦争は、遠く関東か東北か、九州の話だったのである。」

 氏の言葉は、私の思いを語る説明文のようです。地球儀も世界地図もなかった当時の都人 ( みやこびと ) にすれば、関東、東北、九州は遥か彼方の地です。今の私たちが、ウクライナ戦争を遠い土地での戦争と感じるのに似ているのではないでしょうか。

 「それが突如保元の乱が起こると、美服長袖 ( ちょうしゅう ) の公家の生首が賀茂の河原に転がり、額を矢で射抜かれ、手を切り落とされた武士の死骸が、都のここかしこに山をなした。」

 もはや戦争は遠い土地の話でなくなり、都の人々の日常そのものとなります。

 「乱の発端を作った頼長は首を矢で射抜かれ、父に面会を拒まれ舌を噛み切って死んだ。遺体は般若野 ( はんにゃの ) に埋められたが、首実験のため掘り返され、後は野ざらしにされたので、野犬や鳥に食い荒らされるままだったと言う。」

 乱の凄まじさを、氏がこれでもかと説明します。

 「元来は一族の団結が強かった源氏も、義朝が実父の為義を切らねばならなかったように、親子兄弟が殺し合う悪夢のようなことが京都で起こった。特に崇徳上皇側についた主だった者たちが、七十人以上もずらりと並べられて首を刎ねられるというようなことで、平安朝の平安は、まことにこれで終わったのである。」

 氏は解説しますが、平安朝の平安はこれで終止符を打つのでなく、次の乱が発生します。つまりこれが「平治の乱」で、 頼山陽の「第二十二闋」の詩・藻璧門 です。「保元の乱」について言葉だけ知っていましたが、「平治の乱」も同じで内容は何も知りませんでした。原因は、おそらく戦後の歴史教育にあるのかも知れませんが、氏の解説で知識を広げてもらい、おかげで息子たちに「ねこ庭」を通じて伝えることができます。

 「平治の乱」の中心人物として新しく登場するのが、藤原通憲 ( みちのり ) です。ウィキペディアで調べますと次のように書かれています。

 「 平安時代後期の貴族、学者、僧侶 」「 信西は出家後の法名、号は円空、俗名は藤原通憲 」「 藤原実兼 ( さねかね ) の子、正五位下、小納言 」

 これ以上悲惨な出来事を知りたくない方は、スルーしてください。個人的感情を別に置き、事実を知りたいと思う学徒の方だけに次回のご訪問お勧めいたします。

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2 コメント

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ご見解御礼 (HAKASE(jnkt32))
2023-06-23 00:12:47
今日は、拙記事二件へのご見解を有難うございます。

国の機構のはずの産業総研にて生じた、我国機微技術
の対外流出問題も、立憲民主党による相変わらずの
野合構想も、それらの大元での危機感の希薄さという
所で通底していると心得ます。やはり日頃の貴主張
通り、国民の為必要な危機意識さえ退ける 現憲法
の改正が未だ行われない事とも通じているのかとも思います。

今回の貴連載。余り精読ができず、詳しいコメント
を置いて参れない事は申し訳なく思います。それを
踏まえた上で、平安期は前期が概ね安穏とし、後期
は次の武家政治に繋がる不穏さを感じさせる時代の
様な気が致す所です。保元の乱を含む諸抗争を背景
に台頭した、源平の勢力に代表されるそれらです。

今回も貴記事に接していますと、平安後期はどうも
現代に通じる様な気もする己に気がつきます。備え
構えは相応に必要でしょうが、その一方「失望したり
幻滅したり、そんなことを過度にする必要があるのか。
自分が生きている以上は 生きていくしかなく、楽
しく生きる工夫をするしかない」のお言葉は、時代
を超える重さが感じられ、拙者も留意すべきものと
心得る次第です。

抗争や騒乱が抑え難くなった平安後期にも、その後の
戦国期、そして先の大戦下や現代にも影響力のある
「時代を超える重さ」を感じるのは、拙者だけでは
ない様に思います。まずは お礼まで。
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時代を超える重さ (onecat01)
2023-06-23 08:49:51
HAKASEさん。

「抗争や騒乱が抑え難くなった平安後期にも、その後の戦国期、そして先の大戦下や現代にも影響力のある「時代を超える重さ」を感じるのは、拙者だけではない様に思います。」

 真摯なコメントに感謝いたします。歴史書を読むとき、現在の自分たちに無縁なものでなく、自分たちにつながっているものとして常に読んでおります。貴方が感じられる「時代を超える重さ」を、私なりの言葉で言いますと、「時代に共通する重さ」ということになると思います。

 これをさらに別の言葉で置き換えますと、「人間の業」でないのかと思います。保守と反日、愛国と反日左翼・マルクス主義という現在の対立図式は、せいぜいマルクスが生まれた以後の対立です。

 日本を席巻しているマルクス主義ですが、現在の日本での不毛な「保守と反日・左翼の対立」も、氏の著書を読んでいますと別の姿に見えてきます。

 つまり「時代を超える重さ」、「人間の業」が見えてきます。人間の業とは、「人間のエゴ」「我欲」「権勢欲」「支配欲」ではないでしょうか。人間は生きている限り、これらが捨てられず、必ず争いが生じます。

 反日左傾の野党勢力も、マルクス主義の理屈を利用しているだけで、実際彼らを支配しているのは「人間の業」、つまり「時代を超える重いもの」ではないかと、そんなふうに思ったりします。

 「日本国憲法」は、いわば「我欲」を宣言した法です。「個人の権利」「個人の自由」「人間平等」と、我欲の主張を正しいものとして宣言しています。

 敗戦後の日本では、一時期は必要な思考だったのかも知れませんが、過激な思考に変わり、社会に害をなすようになりましたね。

 結局行き着くところは、いつも同じです。

 「日本国憲法は、改正されるべき時期に来ている。」

 コメントを有難うございます。これからもよろしくお願いいたします。
 
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