ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「自由民主党総裁選挙」の研究 - 12 ( 菅氏の「弔文」)

2024-09-06 11:38:37 | 徒然の記

  「研究の第二段階」〈「派閥・長老」と「裏金問題」〉の続きです。

 〈 菅氏はなぜ国民に不人気の「小石河」3氏を支援するのか ?  〉

〈  菅氏の「弔文」 〉

 7月の8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で同じ空気を共にしたい。

 その一心で現地に向かい、そしてあなたならではのあたたかなほほえみに、最後の一瞬接することができました。あの運命の日から80日がたってしまいました。

 あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。

 季節は歩みを進めます。あなたという人がいないのに時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。

 天はなぜよりにもよってこのような悲劇を現実にし、命を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。悔しくてなりません。悲しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。

 しかし安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ武道館の周りには花をささげよう、国葬儀に立ちあおうとたくさんの人が集まってくれています。

 20代、30代の人たちが少なくないようです。明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

 あなたは、今日よりも明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという強い信念を持ち、毎日毎日、国民に語りかけておられた。そして日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。これがあなたの口癖でした。

 次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて初めて経済も成長するのだと。

 今あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上にうれしいことはありません。報われた思いであります。

 2000年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は当選まだ2回の議員でしたが「草の根の国民に届くならよいが、その保証がない限り軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。

 すると記事を見たあなたは、「会いたい」と電話をかけてくれました。「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれればうれしい」とそういうお話でした。

 信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。

 そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと確信をしたのであります。私が生涯誇りとするのは、この確信において一度として揺るがなかったことであります。

 あなたは一度、持病が悪くなって総理の座を退きました。そのことを負い目に思って、2度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命あなたを口説きました。それが使命だと思ったからです。

 3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。私はこのことを菅義偉、生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思うであろうと思います。

 総理が官邸にいるときは欠かさず、1日に1度、気兼ねのない話をしました。今でもふと一人になると、そうした日々の様子がまざまざとよみがえってまいります。

 環太平洋経済連携協定(TPP)交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

 一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。あなたの判断はいつも正しかった。

 安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など難しかった法案を、全て成立させることができました。

 どの一つを欠いても、我が国の安全は確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものであります。

 国難を突破し、強い日本を創る。そして真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつも周りの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

 総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。

 私だけではなく、すべてのスタッフたちがあの厳しい日々の中で、明るく生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは我が国日本にとっての真のリーダーでした。

 衆院第1議員会館1212号室のあなたの机には、読みかけの本が1冊ありました。岡義武著「山県有朋」です。ここまで読んだという最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで線を引いたところがありました。

 印をつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌でありました。いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

 かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 深い悲しみと寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかにお休みください。

 

 以上、全文を紹介しました。何度読んでも心に沁みる「弔辞」です。安倍元首相を支えた氏が、なぜ反日のリベラル議員たちを応援するのか。

 解けない疑問を抱きつつ、次回から残る二人の情報を紹介します。

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「自由民主党総裁選挙」の研究 - 11 ( 菅元総理はリベラリスト ? )

2024-09-06 10:53:07 | 徒然の記

  「研究の第二段階」〈「派閥・長老」と「裏金問題」〉の続きです。

 本日は「派閥・長老」の問題の中から、菅氏に焦点を当て下記について研究します。

 〈 菅氏はなぜ国民に不人気の「小石河」3氏を支援するのか ?  〉

 慰安婦問題を韓国の主張通りに認めない安倍元首相は、オバマ大統領から「歴史修正主義者」と呼ばれ、亡国の「日本国憲法」を本気で改正しようとして暗殺されました。

 国民の大多数は今でも故安倍首相を、国を愛する保守政治家として敬意を表しています。菅氏は、そんな安倍首相を支えきた有能な官房長官でした。「ねこ庭」にとっては、氏が積極的に「小石河」の3氏を支援していると知った時は、まさに青天の霹靂でした。

 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、主としてウィキぺディアから得た「小石河」3氏の情報を紹介します。

 〈 小泉進次郎氏 〉

  ・平成20 ( 2008 )  年、父、純一郎が政界引退を表明して、進次郎を後継候補に指名

  ・自由民主党の公認を受け、平成21 ( 2009 )  年の第45回衆議院総選挙に神奈川1区から出馬し、初当選。連立与党である、公明党の選挙協力を受けなかった

  ・地元の一部有権者から世襲を批判されたものの、父から受け継いだ強固な地盤と後援会をバックに終始優勢を維持し、投票総数の過半数である150,893票(得票率57.1%)を獲得して初当選

  ・平成22 ( 2010 )  年自民党では遊説局長代理、青年局次長、外交副部会長、財務金融副部会長、環境副部会長などの役職を兼務して、同年10月には自民党学生部長、新聞出版局次長にも併せて就任

  ・平成23 ( 2011 )  年10月に自民党青年局長、国会対策委員会委員に就任

 氏は当初から期待の新人として注目され、政界のサラブレッドとして扱われていたことが分かります。氏は「憲法改正」に賛成し、靖国神社への参拝もしていますので保守層からの支持も集めました。

 しかしその後、次第に自分の政治信条を語らなくなります。記者からの質問された事案を、列挙します。

  ・普天間への基地移設について        ・・・無回答

  ・防衛のための「敵基地攻撃能力」について ・・・無回答

  ・米国との同盟強化について        ・・・無回答

  ・消費税増税について           ・・・無回答

  ・北朝鮮へ対話より圧力という政策について ・・・無回答

  ・徴用工問題について          ・・・無回答

  ・首相の靖国参拝について        ・・・無回答

 逆に、明確な意思表示をした事案を紹介します。

  ・選択的夫婦別姓について        ・・・賛成

  ・同性婚について            ・・・賛成

 環境大臣に就任して以来、氏が「太陽光発電」の積極的推進者となっていることは有名な話です。

 菅氏の選挙区が神奈川二区なので、同県のよしみで支援しているのだとしたら大きな間違いですが、人情に厚い氏には前例があります。

 秋田から上京し苦学して法政大学の夜間部を卒業した菅氏は、横浜市の市会議員になったのが政治家の出発点です。氏は官房長官時代から、北海道知事の鈴木直道氏 ( 43才 )  を強力に支援しています。

 東京都職員だった鈴木氏を、破綻寸前の北海道夕張市へ「行政参与」として派遣した時、菅氏も関与していました。鈴木氏が菅氏と同じ法政大学の夜間部を、苦労して卒業した後輩だったこともあり、道知事選挙の時も官房長官として応援に駆けつけています。

 鈴木直道氏が、北海道の土地を爆買いしている中国資本を放任しているにもかかわらず、菅氏は今も鈴木氏を支援していますが、この姿勢が小泉進次郎氏を支援する姿と重なります。

 もしかすると菅氏は、自由民主党内にいるリベラル議員の一人だったのだろうかと、そんな疑問が生じてきますが信じられない話です。

 令和4年9月27日に日本武道館で行われた安倍元首相の国葬の時、菅氏が読み上げた「弔辞」を記憶している人には、「ねこ庭」の住人である私の驚きが分かって頂けるのではないでしょうか。

 テーマを逸れ横道へ入りますが、大事なことなので、次回は菅氏の「弔文」を紹介しようと思います。同じ疑問を抱かれる方は、次回も「ねこ庭」へ足をお運びください。

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