小沢一郎氏は82才で、立憲民主党所属の現役衆議院議員です。
都知事選挙の敗北を受けて、同党代表の泉健太氏が連合と共産党の板挟みとなり、苦境に立っている中で、小沢氏が語っています。 ( 7月11日のネットのニュースです。)
「泉氏が代表を続投したら、立憲民主党は沈没だ。」
泉氏を代表にした中心人物だった氏が、今は「泉降ろし」の真ん中にいます。いつまでも、意気軒昂な活躍ぶりでないかと感心する人もいるようですが、「ねこ庭」から見る氏の姿は違います。
田中角栄氏の秘蔵っ子として大事にされ、金丸信氏の愛弟子と言われ、自由民主党の幹事長までした氏が、仲間を引き連れて離党して以来、その足跡は新しい党を作ったり壊したりの繰り返しでした。
「雀百まで踊り忘れず」という言葉がありますが、「政界の壊し屋」の癖は一生治らないようです。政党を新しく作るたびに側近を切り捨て、仲間を裏切り、新しい敵と味方を作ります。
氏が壊したり作ったりした政党を調べたら、次のようになっていました。
自由民主党 ( 田中派 → 竹下派 → 羽田派・離党 )
新生党 →
新進党 →
自由党 →
民主党 →
国民の生活が第一 →
日本未来の党 →
生活の党 →
生活の党と山本太郎となかまたち →
自由党 →
旧国民民主党 →
立憲民主党 →
自由民主党を仲間と共に割って出た当時は、政治家としての信条があったのかもしれませんが、どの時点からか氏の政治活動の目的は、「自由民主党を倒して政権を奪い取る」ことに集中し、目的と手段が逆転してしまいました。
・政権奪取のためには、共産党を含めた野党の大同団結が不可欠
平成6年の村山内閣と平成21年の鳩山内閣で、氏は二度自由民主党を下野させ政権党を作りました。しかしなぜ、氏が作った政権が短命に終わったのか。二度も政権を手にしながら、その都度国民の信任を失った原因が氏に見えないのは何故か。
「ねこ庭」から眺めれば一目で見えるものが、氏には見えないのです。
・「厳しい国際情勢の中で国の独立を守り、社会の安定と国民の暮らしを守る。」
誰にでも分かる「政治の常識」が、小沢氏にはありません。単純な言葉なので氏は軽視しているのでしょうが、「政治の常識」は日本だけでなく世界共通の目的で、政治家の使命です。
政権奪取を目的とし、そのためなら共産党と連立を組むという考え方から出てくるのは、「終わりのない政争」です。
82才になっても「政治の常識」を身につけられない氏は、「政界の壊し屋」でしか生きられない人間として、終わるのだと思います。
このような氏が関与して作った内閣の首相、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山各氏が、「日米構造会議」と「日米年次改革要望書」に対してどのような対応をしたのか。
情報は沢山ありますが、紹介する気持になりません。
次回は、歴代内閣の中で特に酷かった例として宮沢首相を紹介しますが、不愉快になるため、酷暑の中を「ねこ庭」へ訪問される必要はありません。一言申し添えて、今回を終わります。