ノルウェーの話の続き3回目です。
現在は「です、ます」調で丁寧な文章ですが、8年前は「だ、である」調で、尖った文を書いていました。当時の臨場感を優先し、今回は過去記事を修正なしで紹介します。
・『議会主義への道』と題する章では、次のように書かれている。
・「19世紀半ばまでのノルウエーは、官僚の主導によって、経済の近代化、伝統的特権や規制の廃止が進められる一方で、地方や市民社会の自立は遅れていた。」「歴史家 J・A・サイプは、この時代を官僚国家と呼んでいる。」
・当時の人口がどのくらいだったのか知らないが、政府、議会、司法、国教会のすべての領域を支配していた官僚の人数は、なんとたったの2,000人だという。ノルウエーがどれだけコンパクトな国だったのかが、これからも推し量れる。
・「徐々に、特権や規制に縛られなくなった市民が、自発的な組織を作り始め、都市の商人と職人が組合を結成したほか、1850年頃には正式な選挙を前にし、「試験選挙」 を自発的に実施するなど、政治的関心を高めていた。」
・「法律教育を経て官僚になるという以外にも、医師、技師、建築家、農業技術者などとして活躍する専門家が増え、官僚エリート以外の議員の割合も上昇した。」
・ペリーが日本へ来たのが1854年だから、幕末の頃のノルウエーの話だ。
・「ノルウエーの議会主義発展の中で、左翼党と右翼党の背景になったのは、議会と、国王・政府との権力闘争だった。」
・「同時に都市に対する農村、東部に対する西部・南部、中央集権に対する地方自治、国教会の権威に対する非国教会派など、様々な対抗要素がこれに反映していた。」
・ノルウエーにおける右派と左派は、簡単に言えば、国王・政府の権力側が右で、異議を唱える市民勢力を左と呼んでいるに過ぎない。
・複雑な要素が絡むとされているが、自分の国を憎み、歴史を否定するような主義・主張はどこにもない。勤王か佐幕かで国論が分かれ、親兄弟が血の争いをした幕末の日本においても、国そのものを否定するような主張はなかった。
・ノルウエーを見ても、幕末を考えても、今のわが国のように祖国を否定し、憎悪する左派はいなかった。敗戦後の政治家たちは、日本人としての矜持を失い、魂を忘れ、いったい国民をどんな未来へ導こうとしているのだろうか。
・当時のノルウエー議会では、レジスタンスの活躍の功で共産党が11議席を占めていた。
・スターリンがフィンランドに対し、衛星国にした東欧諸国と同じ条約の締結を迫ったのは、ソ連が軍事介入したチェコ事件の後だった。
・ソ連が北欧への進出を狙っているとイギリスのタイムズが報道し、ノルウエー議会が大騒ぎとなった。共産党議員が即座に外交委員会からはずされ、翌年の選挙で共産党はすべての議席を失った。
・ソ連との緊張が一気に高まったが、直ぐさまスエーデンが一つの提案を示した。「スカンジナビア中立防衛同盟構想」である。
・スエーデンを中心に、北欧3国が平時での中立同盟を形成するというもので、迫り来る東西対立の荒波から、北欧の中立を守るための意思表明だった。デンマークがすぐに呼応し、ノルウエーの援護に動いた。
・「スカンジナビア中立防衛同盟」構想は実を結ばなかったが、私の心を捉えたのは、ノルウエー議会の議員たちの決断だった。
・民族の悲願として515年間掲げてきた国家独立のため、国民が団結してドイツと戦い、命を共にした共産党の議員だったのに、彼らは議場から追放された。本には書かれていないが、そこには様々な人間のドラマがあったはずだ。
・北欧の小国とは言え、敢然とけじめをつけた1948年代のノルウエーの政治家たちの、爪の垢でも煎じて飲むべきでないのかと無念の思いがする。
・ソ連共産党との関係が深いからと、盟友とも言える共産党の議員と決別した議員たちの決意を知ると、わが国の自由民主党議員の不甲斐なさを感じた。
・戦後70年たっても亡国の反日共産党議員と決別できず、彼らの利敵言動を放任するのでは、どこに保守政治家の矜持があるのか。
・世界第二の経済大国ともてはやされた時、自由民主党の政治家たちは溢れる金に目が眩らみ、立党の精神を忘れ果てた。国民の委託を忘れ、金権にまみれて腐敗し、そんな自由民主党に怒った国民の多数が民主党へ投票してしまった。
・反日・売国の亡国政党とも知らず、うっかり政権を渡した結果が今日の有様だ。
・中国船に沖縄の領海を侵入されても抗議せず、不法な漁船に体当たりされても反撃せず、竹島を韓国に占拠されても放任し、逆に慰安婦だ南京事件だと、国際社会で捏造の宣伝をされるままだ。
・隣国の情報戦に最初から尻尾を巻き、刺激してはならない、我慢するのが大人の対応などと、中•韓ばかりかアメリカからも無視されている。
・事件のほとんどが民主党政権下で火を吹いたが、火種を残して来た責任は、それまでの自民党政権にある。
・『ノルウエーを知るための60章』の本を読むほどに、戦後の政治家たちの信念と胆力の無さ、井の中の蛙だった自分たち国民の姿を再発見する。そして本が、日本とノルウェーの違いを語る。
・「1960年から70年にかけて、ヨーロッパ各国は経済成長へと向かった。」「特にノルウエーの場合、本格化する北海油田の採掘が、国民経済を全く異なったものにした。」
・「70年以来上昇を続けているGDPが、2000年にはほぼ3倍になった。」「石油収入を運用する年金基金は、国家財政の2倍になっている。」
・北欧の中で一番豊かなノルウエーは、こうして生まれた。豊富な蓄えに油断することなく、やがて枯渇する石油の代わりを求め、ロシアとの友好関係構築に余念がない。
・NATOの一員であるが、EUには加盟していないノルウエーと、EUには加盟しているがNATOに加わっていないデンマークとスエーデンなど、本を読むほどに北欧の複雑さに頭が混乱する。
・だから北欧諸国の政治家はしたたかで、逞しいと、私はそんなことは言わない。それぞれの国が置かれた状況で政治を行い、政治家が考え、行動する。どれほど複雑に見えようと、積み上げられた歴史の中での行為に過ぎない。
・敗戦が全てをひっくり返し、軍国主義の名の下に、塵芥のように切り捨てられた戦前の指導者たちだが、保守政治家たちは歴史の中で彼らの見直しを何故本気でやらないのか。
・2000年に及ぶ日本の歴史で、戦後はたかだか70年だ。GHQによる占領は、たったの7年ではないか。その間に実施された日本弱体化政策を、どうしてそのまま受け入れてしまうのか。
・反日の野党や亡国のマスコミより、責任が重いのは、自民党の政治家でないのかとさえ思えてくる。
・盟友とも言える共産党議員と決別した、ノルウエーの議員を知った今となっては、保守政治家たちの不甲斐なさを責めずにおれないものがある。わが国では、愛国という言葉さえ忌避され、国旗も掲揚されず、国歌も嫌悪される。
・北欧の国々の国歌につけられた名称を、本から抜粋してみた。
スエーデン ・・「古き自由な北の国」
デンマーク ・・「麗しき国」
フィンランド・・「われらの地」
ノルウエー ・・「われらこの国を愛す」
・515年かけて独立を勝ち取ったノルウェーならではの、名前だ。ノルウエーの国歌の名前を読んだとき、不覚にも涙がこぼれた。こんな当たり前の言葉さえ、口にできない風潮が日本にはある。
過去記事の紹介は以上で終わり、ここから現在の「ねこ庭」の文章になります。
ノルウエーの国歌の名前を知った時涙がこぼれましたが、失意や落胆の涙ではありません。淀みに浮かぶ泡沫のように、無数の政党が生まれては消え、無数の政治家たちが現れては消え、日本の独立はまだ遠いのですが、ノルウエーの歳月を知れば勇気が出て来ます。
「日本も、独立できないはずがない。」
「選挙の一票で、与野党の中にいる共産主義の害虫を追放できる日がくれば。」
という希望の涙でした。生きているうちに憲法が改正され、自分の国を自分で守る普通の国となるというそんな安易な考えはしないと、三橋氏と同じ覚悟をしています。
ノルウェーの話は前段で、別途検討していた「日航機123便墜落事故に関する「ねこ庭」の意見」は、次回からの紹介になります。