〈 日航機123便墜落事故に関する「ねこ庭」の意見 〉
前に略歴を紹介しましたが、ヴォーゲル氏は1958 ( 昭和33 ) 年から1960 ( 昭和34 ) 年に来日し、経済大国になった日本について調査・研究を行っています。
研究の成果が認められたためか、昭和42年ハーバード大学の教授となっています。
昭和47年には同大学「東アジア研究所長」となり、昭和50年から昭和51年にかけ再来日し、「日本の友人」の協力を得て同様の調査・研究を行っています。
だからこの本には、一般の日本人が知らない政界の裏話や、官僚たちの本音が集められています。
「縦割りの省庁」、「省益あって国益なし」と言われるので、各省間には横の連携がなく、互いに勢力争いをしていると思っていましたが、各省のエリートたちが、常に交流し意思の疎通を図っていた事情を、氏が説明しています。
・同期の高級官僚たちは、同じ省内であっても他の省であっても、同時に昇進を続けつつ、親交を深めていく。
・交友関係は、東大法学部在学中から始まる場合も多く、あるいはもっと早くエリート高校時代に始まることもある。
・もちろん同じ省庁の者同士の方が、知り合う機会も多く、親しくなるだろうが、他省の同期生とも交際する機会が折に触れ回ってくる。
・互いに知り合っていれば、単なる公式文書の交換、公式会議での議論以上に、うまく意思疎通が、図れる訳である。
・40才代になると要職についた官僚は、積極的に他省の同期生との、交流の機会を利用しようとする。
・さらに昇進してトップの地位に就いた際に、以前にも増してこれらの交際が物を言うからである。
当時の事務次官の実権は大臣以上でしたから、彼らが手を結べば、およそ何でもやれました。大臣の更迭、総理の交代など、なんの造作もありません。
マスコミは彼らの監督下にありますので、彼らがリークする政治家のゴシップ報道が、何日でも、何ヶ月でも流し続けられます。報道の自由のためと言えば、ニュースソースが秘匿され、官僚のリークが国民に知られる心配がありません。
・自分たちの仕事に、必要以上に横槍を入れてくる政治家に対して、官僚たちはためらうことなく結束する。
・仕事は課単位で行われ、課の仕事の貢献度により、課が評価される。
・上司は、協調性のない者を昇進させたりしない。各人は課内での存在価値を発揮することによって、省内での存在価値を確立するのである。
自分が所属する省内で、省のトップの意向に添い、実力を発揮した者が昇進する仕組みです。「省益あって国益なし」とは、こうした事実を指した言葉ですが、すでに各省のトップたちが十分な根回しをしているので、実際にはバラバラの動きをしているのでなく、官僚組織は共通の意思で動いていることになります。
官僚のリークを得て、マスコミが特定の大臣を長期間攻撃する報道を続けている場合は、大臣の担当する省内の抵抗だけでなく、官僚組織全体が協力していることになります。
何ヶ月にも渡りマスコミが批判している岸田首相は、官僚組織全体が抵抗していると見ることができます。暗殺された安倍首相に対しては、もっと露骨なマスコミの攻撃が続いていました。
「ねこ庭」では、自由民主党の政権を批判攻撃しているのは、反日左翼弱小政党と腐れマスコミと主張してきましたが、ヴォーゲル氏の意見を参考にすれば、もう一つ「官僚組織」を加えることになります。
・ワシントンでは新政権が誕生するたびに、新しい人間を各省庁のトップに送り込むことが、昔からの慣例となっている。
・日本人の考え方からすれば、これは官庁が大統領の権限に屈服することであり、官庁の自立性や、大胆さを失わせることになる。長い目で見れば、有能な官僚の育成を阻害することにもなる。
・官僚にとって、外部からやってきた素人にトップの座を譲ることは、耐え難いことなのである。
・日本では政治家も彼らの優秀さを理解しているから、彼らの機嫌を損ねないように、気を使う。
鉄の団結を誇る官僚組織を、金の力で捻じ伏せたのが元首相の田中角栄氏で、腕力で破壊しようとしたのが、民主党政権でした。別の見方をする人がいるのでしょうが、「ねこ庭」はそのように見ています。
学歴の無い田中氏は、エリートと無関係の政治家でしたが、独特の政治哲学と天才的直感を持つ人物でした。民主主義は多数決だから数が全てと割り切り、金の力で支持者を集めました。単に金をばらまくだけなら成り上がり者と軽蔑されますが、氏は人情の機微を知り、人間を虜にする魅力を備えた政治家でした。
「田中君は、役人たちを堕落させてしまう。あれには困ったもんだ。」
当時の佐藤総理は、官僚たちを手なずける氏を苦り切っていたそうですが、動きを止めることはできませんでした。経済の高度成長期でしたから、やり手の田中氏は、とうとう総理の座を手に入れました。
誇り高く清廉な官僚たちに金の魅力を教え、堕落の道へ誘ったキッカケは、田中氏だったのでないかと、「ねこ庭」は今も考えています。
吉田茂氏は、『日本を決定した百年』の著書を自分で書きましたが、田中氏のベストセラー『日本列島改造論』は、優秀な官僚が書いています。自分の考えを官僚に代筆させただけと、悪びれないところが氏の氏たる所以でした。
日本の頭越しに中国と国交回復をしたのは、アメリカでしたが、田中氏が間髪を入れず日中国交回復をすると、途端に後から迫ってくる日本に危機を感じ、氏の政界からの抹殺を画策しました。
世に言う「ロッキード事件」がそれで、犯罪人の汚名を着せられたまま、氏は憤死したと言われています。
官僚に金権腐敗の味を教えたのは田中氏でしたが、氏はアメリカにより葬られた悲運の宰相として、「ねこ庭」の歴史に残しています。「ロッキード事件」以後、アメリカに逆らえばとんでもないことになると、自由民主党の政治家たちが、前にも増して米国の顔を伺う政治を始めました。
この流れで考えますと、「日航機墜落事故」で実際に何があったのか分かりませんが、アメリカが本気で挑んできた時には逆らえないと、中曽根首相が妥協した状況が何となく推測できます。
アメリカに統治されて以来、中国や韓国・北朝鮮にも政治家は腰をかがめ、卑屈な政治をしています。誰がやってもそうなってしまう風土が、敗戦後の日本の現実のようです。
悲観的な話になりましたが、次回は 「政・官・財の癒着」という問題について、別の視点から見た氏の意見を紹介します。