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『選択の自由』 ( 自由の女神の銘文 )

2015-04-22 15:21:37 | 徒然の記

 フリードマン著『選択の自由』(昭和55年刊 日本経済新聞社)、490ページの本の74ぺージ目を読んでいる。

 氏はノーベル経済学賞を受賞した、シカゴ大学名誉教授だ。ひと頃有名になった本で題名だけ記憶しているが、35年も前の出版とは意外だった。とすれば、著者は存命でないのかもしれない。

 これも図書館で貰って来た本だが、攻撃や憎しみのない文章に接する安らかさを、久しぶりに再発見した。晴耕雨読で手にする書物とはこのような本でないかと、長らく忘れていた、読書の楽しさだ。

 いつもなら読後にしか書かない感想を、こんなに早く述べたくなった理由の一つがここにある。

 今ひとつは、自由の女神の銘文を知った感動だ。女神像は、フランスがアメリカへ贈ったものと聞いていたが、文字が記されているとは知らなかった。欧米人には普通のことなのだろうが、日本人である私には強い印象があった。

  私のもとへゆだねよ
  あなたがたの国の疲れ切った人びとを 貧困に苦しむ人びとを
  あなたがたの国は豊かだというのに その国でいれられず

  人間のくずだとののしられ 悲惨にあえいでいる人びとよ
  うちを失い 人世の大あらしに投げ出されてしまった人びとよ
  
  それらの人びとを 私のもとへゆだねよ
  めぐみの門のかたわらで 私はともしびを高くかかげて待っている
  
 こうして何百万、何千万という移民がやって来て、世界に冠たるアメリカを作った。建国の時から、他民族国家を目指している米国だったのだ。

 宏大な国土を前に、進取の気に燃える米国人の大らかさが満ちあふれる銘文だ。日本で語られることはないけれど、この精神は米国の国是の一つなのかもしれない。

 長い歴史を持つ日本人の一人である私は、アメリカの国是に敬意を払うとしても、そのまま受け入れる気持ちにはなれない。メイフラワー号の到着から始まったアメリカと、歴史や文化の積み重なった日本を同列に語る訳に行かないないからだ。

 フリードマン氏の著作に感心することと同調することは別だと、これが、早々と感想を述べずにおれなくなった、もう一つの理由である。

 安倍内閣で大量の移民受け入れが語られているが、とんでもない勘違いをしていると言いたい。きっとあの、アメリカナイズされた自由主義者で、合理主義者の竹中氏あたりが強引に押し進めているのだろうが、国の成り立ちが違う日本とアメリカを混同してはならない。

 自由の女神の銘文に感動しても、私は、この碑文の背後にあるアメリカの矛盾に、気がついている。フリードマン氏の著作と無関係なので言及したくなかったが、竹中氏の顔を思い出したので言いたくなった。

 「国で受け入れられなかった人びと」を、寛容と愛の言葉で迎えるアメリカの偉大さの足下にある矛盾は、「黒人問題」である。

 ルーズベルト大統領がそうであったように、米国人の中には無意識下の意識として、白人優位という感情がある。ことの善悪や理屈を越えた、やっかいな感情なのだ。

 だから、「国で受け入れられなかった人びと」の中に、有色人種は含まれていない。ここを正しく理解していないと、無闇に米国を礼賛する誰かさんのような愚か者になってしまう。

 本題を外れてしまったが、ここから再びフリードマン氏に戻ろう。

 経済のみならず、学問・芸術の活動においても、政府が余計な干渉をしなければ、「見えざる手」の力ですべてのことが巧く行くと、卑近な例を沢山引いて、氏が語る。経済の発展と、所得向上のためには、効率や利便性を何より重視し、物でも資本でもたとえ人でも、自由に他国間を移動するのが良い、という意見だ。

 ケインズの言葉が何度も引用され、無制限の「自由主義」を説く面白い本である。これから、どう展開して行くのか、期待に胸をふくらませつつ終わろう。本日はこれまで。

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