ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日中戦争 』- 3 ( 常識は、歴史と共に変化する )

2018-04-21 18:50:53 | 徒然の記

  昭和9 (1934 ) 年、蒋介石は軍官たちを前にし、次のような演説をしました。

 「現在華北は、事実上日本の支配下にある。」

 「もし日本が軍事力を発動すれば、中国の重要地点は三日以内に占拠されるであろう。」

 「中国の命脈は、日本人に掌握されていると言っても、過言ではない。」

 「もし対日戦争が勃発したら、国内の反動派が跳梁し内乱が起こり、とうてい日本には抵抗し得なくなる。」

 蒋介石は、国内で広範に活動する共産勢力を完全に掃討した後、外敵日本と戦うという姿勢を持ち続けていました。

 彼にとって日本軍の侵略は、皮膚のただれのようなものでしたが、共産勢力は体内の患いであり、脅威の比重は共産勢力にありました。彼は共産軍を「共匪」と呼び、これを人道上の敵としたところが、日本との共通点でした。

 戦国時代の武将達が、天下を取ろうと狙っていたように、中国の軍閥たちも、統一中国の皇帝への野望を抱き、せめぎあっていました。その軍閥の中で一番抜きん出ていたのが蒋介石でしたが、それでも単独では国家統一の力に欠けていました。

 昭和11 ( 1936 ) 年に西安で、有名な「蒋介石の監禁事件」が発生します。

 共産軍殲滅の指示を出した蒋介石を、部下である張学良が監禁するという事件でした。張の率いる将兵の中には、共産党の言う「内戦停止」と「一致抗日」の主張に共鳴する者が多数いたため、蒋介石も逆らえませんでした。

 臼井氏の解説を紹介します。

  ・蒋監禁の報が伝わると、共産軍の根拠地では、大祝賀会が開かれ、毛沢東の演説があった後、蒋介石を反逆者として人民裁判に付するよう、全会一致で採択されたと、言われている。

  ・しかしスターリンから、蒋を解放せよという指示があり、周恩来がその線で動いた。

  ・スターリンは蒋の死によって内戦が惹起され、中国の対日抵抗力が弱体化するのを恐れたのであろう。

 以上氏の説明ですが、「敵の敵は味方」という策略の実例を見せられた気がします。

 蒋介石はスターリンからだけでなく、英・米からも、抗日のための有力な抵抗勢力として珍重されます。蒋介石は共産勢力撲滅のため、日本と単独で講和しようとも試みますが、米英ソがそれをさせませんでした。

 軍国主義者たちが無謀な戦争に国民を引きずり込んだと、現在では多くの反日学者が説明していますが、彼らは列強の動きを故意に伝えていません。「日本だけが間違った戦争を続けた」という、東京裁判史観を広めるため、変節した学者たちが改ざんした歴史を再検討する必要があります。

  渡部昇一氏の『東條英機 歴史の証言』を読んだことがあります。東京裁判における東條元首相の宣誓供述書の、詳しい解説です。「ねこ庭」はこの書で、元首相の法廷での発言を知りましたが、大戦中の主張は聞いたことがありませんでした。今回臼井氏の著書で知り、大変参考になりました。

 「東條ならば、陸軍を抑え、戦争を止めることができる。」と、昭和天皇からも期待され、大戦末期に組閣を命じられたのに実際の氏は「ねこ庭」の想像を超える軍人でした。

 氏の著書から、東條元首相の主張を二つ紹介します。

 〈 関東軍参謀時の発言 〉

  ・国民政府に対し、日本から進んで親善を求めるのは、中国の民族性にかんがみ、排日、侮蔑の態度を増長させるに過ぎないから、逆に一撃を与えることが必要である。

 〈 陸相時代の、閣議での発言 〉( 近衛内閣  )

  ・撤兵問題は、心臓だ。撤兵を、なんと考えるか。陸軍としては、これを重大視している。

  ・米国の主張にそのまま服したら、支那事変の成果を壊滅し、満州国も危うくする。さらに朝鮮統治も、危うくする。

  ・支那事変は数十万の戦死者、これに数倍する遺家族、数百万の軍隊と、一億国民に、戦場および内地で辛苦を積ませており、数百億の国幣を費やしている。

  ・普通世界列国なれば、領土割譲の要求をするのはむしろ当然である。

  ・北支蒙疆 (もうきょう ) に不動の体制をとることを遠慮せば、満州建設の基礎は、如何になりますか。

   ・これを回復するため、またまた戦争となるのであります。満州事変前の小日本に還元するなら、何をかいわんやであります。将来子孫に対し、禍根を残すこととなります。

   ・撤兵は退却です。駐兵は心臓である。主張すべきは主張すべきで、譲歩に譲歩を加え、そのうえに、基本をなす駐兵まで譲る必要がありますか。

   ・これまで譲り、それが外交とは何か。降伏ではありませぬか。

 日米開戦を辞さないとする東條陸相を説得できず、近衛首相は翌々日辞表を上奏しました。この時「ねこ庭」で一番注目したのは、東條陸相の次の言葉でした。

  「普通世界列国なれば、領土割譲の要求をするのはむしろ当然である。」

 敗戦後の変節した学者や政治家たちが、「彼は極右の軍国主義者だった。」「過激な国家主義者だった。」と言い、肉声のほとんどを消し去ったのは、何故なのか。国を愛する者として、「ねこ庭」で暴論と批判されても言いましょう。

 「当時の日本がやったことは、世界常識の範囲内だった。」

 東條氏の発言が国内に広がれば、このような受け止め方をする者が当然出てきます。アメリカの復讐裁判が土台から揺らぎ、「日本だけが間違った戦争をした。」「日本だけが、侵略国家だった。」という捏造が通用しなくなります。

 息子たちが、いつ「ねこ庭」を読む日が来るのか、知りません。親ばかと言われるのでしょうが、息子たちは皆真直ぐな人間として育ちました。他人を疑うことをせず、先生の言うことを聞き、真面目に新聞を読み、普通の国民として生活しています。

 しかし私は、自分の国を愛せない息子たちを悲しみます。息子たちの子も、その次の子も、また次の子も、「国を愛せない」国民であって良いのかと、年を重ねるにつれにその思いが強まります。

 敗戦以後、日本の過去はあまりに酷評されました。酷評だけでなく、汚され、罵られ、足蹴にされました。戦勝国のアメリカだけがするのならまだしも、日本人自らが、敗戦以来73年間にわたりそれをしてきました。このような愚かな国民がいる国としたまま、死ぬ気になれるでしょうか。

 「国の過去を、せめて世界の常識に戻したい。」

 息子たちがいつか読んでくれると信じ、明日も本に向かいます。

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田舎モンが都会人に喧嘩し掛けたようなもの (馬とモンゴル)
2018-04-22 06:01:54
onecat01さん

おはようございます!

子供は親の背中を見て育つと言いますからご安心をしてください

貴兄の読書量と的確な批評は真似できないものです

余りの読書量と講評で長らくコメントできませんでした(感動を通り越して唖然としています)

同志社大学留学生の馬場伸也は新島襄の米国におけるキリスト教徒として日本での布教を大学設立という形で行うという強い意思で米国人が感銘を受けて日本へ帰国させた歴史が有ります

だから同志社大学からの留学生ということで米国は最大の留学受け入れをしたのは言うまでも有りません

彼の帰国後、日本での大学教員生活が物語っています(国家における教育の大切さが分かります)

日本は徳川体制から明治という新制日本国の出発に際して余りにも早すぎたというか軍人による浅知恵と猪突猛進的な何とかなるさという拙速な幼稚的考えが今日の日本を作り出したと考えております

西欧列強国の白人社会は900年頃から民族・宗教の違う国家が国王を宗主とした封建制度の中で領土の奪い合いをしながら領土拡大としてきた歴史が有ります

その後、帆船時代から近代蒸気機関船による大航海が時代へと続き植民地政策で莫大な富を築き今日の資本主義社会が成立しているわけです

西欧諸国には思い付きの侵略など有り得ない事なんです

何百年と計画立案・作戦を練り上げて北米・中南米の発見とアジア諸国の現地人奴隷化と新植民地化ではアフリカ人奴隷を使い作り上げたわけです

西欧列強国が名百年も掛けて作り上げてきた植民地政策方程式を日本は鎖国から新生日本になって何十年も経過しないで朝鮮半島や中国・満州に進出したのが間違いだったのです

今日の現状が起こるべきして起きたとしか言いようが有りません

日本歴史を紐解けばアイヌ人北海道へ徳川時代から領土拡大で東北藩を中心に侵略した歴史・南では薩摩藩が沖縄を藩に組み入れた歴史が有ります

明治の侍を中心とした軍人が朝鮮半島や満州へ侵略したのは西欧と同じ考えで侵略したのは当時としては当然でしょう

そこには西欧も日本も近代化が進めば貧困層への土地配分が社会問題になったのは封建社会制度(共産主義と同じ)の根本的問題なんです

国王及びその取り巻きが領土を独占する制度(一般市民は体裁のいい奴隷なんです)

西欧は帆船時代から新大陸発見とアジア弱小人国家を武力で支配した事実です

そこへノコノコ新参国の日本が正義の御旗を掲げてきたから白人社会では全白人勢力が思想信条を一時棚に上げて力を合わせて憎き日本国を叩き潰したというのが事実でしょう

貴兄があらゆる書物を何処から探し出して来て読破しているのか知りませんが、私の嫌いな石原莞爾や北一輝・大川周明の事(本音)が判明したのは嬉しいことでした

石原莞爾は山形(秋田)出身でしょ北一輝は佐渡出身です

日本も昭和20年になるまで農家は長男以外は家長制度で嫁も土地も持てなかったのが事実です

そこで北海道開拓という発想は当時としては常識でした、その後、満州まで進出する

西欧もアメリカ大陸発見で当時の人口で5千万人のヨーロッパ人が米国へ渡った事実が有るんです

そこでは英国とフランスの戦争をしドイツもイタリーも領土問題では英国に負けたわけです

中米・南米を選択したスペイン・ポルトガルが英国とは争いたくないという事で北米を避けた

国王同士が姻戚関係・フランスは国民が国王を殺害している(だから英国とフランスは常に戦争をしている)ドイツ然りフランスへは

それ以外、アジア諸国を植民地化する時は西欧諸国は協力して国分けして暴利を得ているのです

結論を言えば日本はアジア諸国を植民地国家から開放し独立させたのは立派だが西欧諸国の自分さえ良ければ・豊かであれば白人以外は奴隷・家畜以下でも構わないという思想・逆鱗に触れただけなんです

その強い白人に尻尾を振り振り白人の言いなりに従って勢力・経済力・国力を付けてきたのが朝鮮族と中国漢民族です

この二つの民族には国家という概念がない自分さえ良ければ家族さえ・親族さえ・友人だけ良ければ後の同胞はどうなろうと関係ない、知った事ではないというのが朝鮮族と漢族の基本的考え方なんです

だからインド国は現在でも朝鮮民族と中華民族は自国に入れない政策を取り入れている

そんな事も学ばないで朝鮮半島や満州国ヘ進出したのが明治・昭和の日本軍国国家だったと私は考えています

これから将来の日本国は如何すればいいかと言えばやはり国力を養い強い日本国を作り上げない限り日本という国は遅かれ早かれ西欧諸国や米国に潰される運命にあるでしょう

私も子供達には強い日本国を建設しなさいと言いたい、そして日本人でありながら日本国を悪く言うような日本人と友達関係を築くなと言います

一ついい例えを最後に記述します

モンゴル国が12世紀にチンギスハーンと息子のフビライによる世界統一をしました

その時、西欧まで遠征し各地で焼き払い皆殺し教会へ逃げ込んだ市民を教会ごと火をつけ焼き殺した事実が征服国家の至る所で有ります

白人はそのことを今でも忘れずにいるそうです

モンゴル人の留学生がそういう昔の歴史を知らなくて皆殺しにされたり焼き殺された国に行くと現在でもモンゴル留学生が行方不明になったり殺されたりしている事実

だから学識有る親の子供は関係ある国には留学や旅行をさせないそうです
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思いを一つにしております (onecat01)
2018-04-22 08:26:49
馬とモンゴルさん。

 お久しぶりです。

 しばらく、家を留守にしておりましたため、ブログを休んでおりました。

 貴方のコメントに、私の方も驚いております。
「田舎モンが、都会人に喧嘩し掛けたようなもの 」・・・、この的確な結論は、私がこれから読書の中で発見すべき、言葉であるはずでした。

 貴方の言われる「田舎モン」と同じ意ですが、「準備不足の慌てモン」と、私は、ご先祖様をそんな風に表したいと思っていたところでした。

 「赤信号、みんなで渡れば怖く無い」と、私たち日本人は、闇雲に先を急ぎ、集団となり熱に浮かされます。今回の「モリ・カケ」騒ぎが、そうですし、官僚のリーク騒ぎもそうですし、もっと言えば、安部総理の「戦後リジュームから離脱」や「憲法改正」も、日本人らしいやり方です。

 百年の大計を考えず、後先のことをないがしろにし、何が何でもやろうとしているのは、まさに、「準備不足の慌てモン」のすることでしょう。

 同じことをしても、時間をかけて実行する欧米人と、拙速に行動する日本人の差が、いかに大きな違いとなってしまうのか、私たち日本人がこれから学ぶべきは、こうした態度なのでしょう。

 先ずは、櫂より始めよですから、私こそがそれを学ばねばなりません。生きているうちに、息子たちに分かって貰おうと急がずに、百年の計を持ち、死後の世界で、いつか子や孫たちが、私のブログを発見すると、こんな風に長いスパンで対応しなくてはダメですね。

 貴方は、間違いなく、私の師の一人でなかろうかと感嘆しつつ、ねこ庭の片隅で、風に揺れる若葉を眺めています。
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