ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日中戦争』 - 4 ( 著者により異なる、近衛公の評価 )

2018-04-22 22:34:07 | 徒然の記

 昭和12 ( 1937 ) 年の南京陥落後、日本政府は、蒋介石との平和条約締結に関し、ドイツに斡旋を依頼しました。広田外相から、ディルクゼン駐日独大使に、条約案が手交されました。

 第一次近衛内閣の時の話です。これまで私は、強硬な軍部を近衛首相が抑えきれず、独走しているのは陸軍とばかり思っていましたが、臼井勝美氏のおかげで、逆の事実を知りました。

  国民党政府は、漢口、重慶へと後退しながら、尚も抵抗を続け、日本への回答を遅らせたままでした。こうした蒋介石への対応に、内閣と統帥部の間に、深刻な対立が生じます。分かりやすいので、、氏の叙述を紹介します。

 ・参謀本部はすでに、速戦即決による中国屈服政策の失敗は明らかであると、認識していた。

 ・もはや戦局の収拾は、ほとんど予測できないという窮地に立たされていた。

 ・もし日本が、国民党政府を否定すれば、長期間にわたり中国分裂の状況が継続し、その間に必然的にソ・米・英の干渉を招くことになる。

 ・永久抗争のため、帝国は長き将来にわたり莫大の国力を吸収せられ、かつ東洋を、英米の好餌に供する恐れがあるという見解に達していた。

 ・これを防ぐには、国民党政府が一地方政権に転落しない前に、対面を保持したまま、講和に移行させる必要があったのである。

 大本営会機で近衛首相が、蒋介石との交渉を速やかに打ち切り、態度を明瞭にすべきと発言したのに対し、多田参謀次長は交渉の継続を主張して譲りませんでした。

 しかしそのに翌日、かの有名な「近衛声明」が発表されます。昭和13 ( 1938 ) 年のことです。

 「帝国政府は、以後国民政府を相手にせず、帝国と真に提携するに足る、新興支那政権の成立発展を期待し、これと国交を調整して、更生新支那の建設に協力せんとす。」

 陸軍の反対を押し切ったこの声明は、中国国民のみならず、列強からも強い反発を招き、日本の孤立を一層深めてしまいました。そこで近衛総理は、米国との直接交渉により事態の解決を図ろうとします。 

 第二次近衛内閣は、対米交渉の成功を最優先し、三国同盟推進者であり対米強硬派の松岡外相を罷免するため総辞職しました。ところが第三次近衛内閣では、対米交渉を進める総理と、東條陸相との対立が激化し、また総辞職します。日本が窮地に追い込まれ、先の見通しが立たなくなった時の辞任でしたから、臼井氏が、厳しい意見を述べています。

 ・首相と陸相の意見の衝突が、日米交渉の進展を阻害したように見え、首相自身の意識もそれに近かったようだが、日中戦争は近衛内閣の時勃発したのであり、その時点までの、ほとんどすべての基本的な対外政策は、近衛内閣の所産であった。

 ・独占的な、中国管理方式の確立、国家総動員法の成立、新体制運動の推進、三国同盟の締結、仏印進駐の実施と列挙しても、近衛内閣こそ、現時点において最大の責任を負わねばならぬのは、事実であった。

 ・東條首相は近衛内閣の政策を、忠実に実行しているに過ぎなかったのである。

  同じ近衛公の評価も、著者が変わるとここまで異なるのかと、これもまた新しい発見でした。昨年の5月に読んだ、岡義武氏の『近衛文麿』(岩波文庫)では、近衛総理は優柔不断で、決断できないまま、周囲に引きずられる政治家だったと、酷評していました。

 先日手にした、富田健治氏の著『敗戦日本の内側 (近衛公の思い出) 』では、陸軍と懸命に戦う姿が語られていました。富田氏は、第二次、第三次近衛内閣で、内閣書記官長を務めていますから、身びいきの評価であって当然です。

 近衛公は聡明でしたが、ここぞという時の決断ができなかった政治家だと、「ねこ庭」では見ています。様々な角度から、多様な見方ができる頭脳の持ち主だっだけが、迷いが常にあったと、そのような気がしています。

 臼井氏が近衛内閣の責任として列挙する、対外政策は、陸軍に押し切られ、やむなく認めたものが大半です。その陸軍の強硬派の中心に東條陸相がいたのですから、「東條首相は、近衛内閣の政策を、忠実に実行しているに過ぎなかったのである。」という、臼井氏の説明は適切でありません。

 「東條陸相はかねてから主張していた中国政策を、近衛内閣においても曲げなかった。」と、こう説明するのが正しいと考えます。そうでなければ、後世の人間に、正確な史実を伝えることにならない気がします。

 氏に感謝したいのは、昭和13年に発表された、有名な「近衛声明」が、陸軍の反対を押し切って出されたと教えられたことです。そうなりますと近衛公も、ここぞという時の決断は、やれる政治家だったという話になります。

 しかしどうせやるのなら、「以後国民政府を相手にせず。」などという、とんでもない声明の発表を決断せず、最初の組閣時に陸軍を抑える決断をすれば良かったのにと、「ねこ庭」はやはり近衛公に好意的な解釈をします。

 客観的でありたいと考えて、異なる著者の本を読んでも、自分の感情が入りますから過去を知る作業も簡単ではありません。

 だから私は、何度でも息子たちに言いたくなります。

 自分の国を自画自賛するためでなく、敗戦思考に毒されず、自分の手で日本の過去を知って欲しい。そこから日本を考え、選挙の一票を決められる人間になってもらいたいと。

  愚かしいまでの国会の空転と機能停止は、どこから生じているのか。あるいは、マスコミの偏見報道の拡散は、どこから来ているのか。

 本物の保守自民党議員なら、「ねこ庭」と同じ考えをするはずですから、いつもの提案を繰り返します。 

 1.  国会議員の二重国籍禁止法を立案、可決し、実施すること。

   議員の二重国籍を禁止し、該当者には帰化を促し、帰化し

  ない者は国外退去とする。

   2. NHKに関する特別法を制定し、役員の二重国籍を禁止し、該当者には帰化を促

  し、帰化しない者は退職させる。

 「継続は力なり」です。一人の声は小さくとも、数が増えれば、世論となる日が来ます。愚かと言われても、子供たちの明日のために繰り返し続けます。

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