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のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

波枕今日は今津か長浜か

2011年06月29日 | わが家の時時
2011年夏の滋賀・福井紀行その2

長浜は豊臣秀吉が初めて一国一城の大名となったところ
今年の大河ドラマでも舞台となっていて
街中は“お江”ブーム真っ盛り
「江・浅井三姉妹博覧会」と銘打って
まわりの史跡周辺にもパビリオン会場を設けて
シャトルバスまで用意してお客様を迎えていました

商売上手 さすが長浜です

長浜といえば
秀吉由来の神社仏閣のほか北国街道や豪商民家といった歴史的資産を
黒壁スクエアという観光資源にした町並みで有名ですが
あまのじゃくなものですからそういうところはパスして
旧長浜駅鉄道資料館前のちょっと地味な?「慶雲館」という国指定名勝へ

この建物の由来がすごい

明治天皇が京都行幸の帰路に船を利用し長浜に上陸される
との報が入ってから3ヶ月余りで
地元の豪商が私財を投じて作ってしまったといいます

           

本館2階の照明器具は梅の花を形どっていて
明治とは思えないハイカラなデザイン

            

庭園も近代日本庭園の先覚者と呼ばれる造園家の手によるもので
枯山水のある日本庭園でありながら芝生を使った斬新な設計

            

当時 長浜は地場産業である浜縮緬製造業で栄えていたようですが
近年のバブル期の各地のあり様と比べると
当時の長浜の人たちの心意気が一層感じられます


タイトルは琵琶湖周航の歌の第三番歌詞より引用

雨煙る瑠璃の花園竹生島

2011年06月28日 | わが家の時時
20日 21日の両日 滋賀県湖北地方と福井県を旅してきました
目的は福井市の農産加工所を見せてもらうこと
ついでに行く先々でふらふらと寄り道する気楽な夫婦旅

まずは西国観音めぐりで訪れた方から噂を聞き
前々から気になっていた竹生島へ渡ります

琵琶湖北部に浮かび古くから信仰の対象となっている島
島内には日本三大弁財天のひとつに数えられる宝厳寺と
都久夫須麻神社が舟廊下と呼ばれる屋根付き通路で結ばれています

             

ガイドブックでも島に渡る船内で流れていたビデオでも
竹生島は「神を斎く島」と紹介されています
神を敬い大事に扱うくらいの意味であろうと想像はできるのですが
“斎く”はどう読むのか
調べてみると“斎く”は“いつく”と読み
“心身を清めて神に仕える”という意味とか

長浜市のHPによれば
島の名前は「神の斎く(いつく)住居(すまい)」を意味し
その中の「つくすまい」が「つくぶすま」と変じ「竹生島」になったとのこと
なるほど

島の船着き場の正面には「琵琶湖周航の歌」の歌碑がありました
京大で若き日を過ごした川きた二郎先生を送る会で
参列者皆でこの歌をうたったことを思い出しました


あの日から君と歩いた30年

2011年06月17日 | わが家の時時
             

ネイチャー&アウトドアライフマガジンと称する『びーPAL』誌が
30周年を迎えたのだそうです
そういえば創刊号以来しばらく“ほぼ”定期購読し
まさにわが青春のライフスタイル誌となっていたものです

そういうこともそのうちに“卒業”したのですが
今回30周年記念特集として「自然と友だちになる250の方法」というテーマのなかで
持続可能な社会をテーマにしたフリーペーパーのひとつに
わが家の娘が編集長をしていた『susteco』を紹介していただいた
ということで一冊送られてきました

電話取材で記事もほんの一行でしたが
父も15年ぐらいまえに取材を受けた時もそうだったなあ
そういう姿勢は変わっていないんだなあと感心

封筒には雑誌だけでなくプライヤーとかドライバーとか
ひとつの工具でいろいろな使い方のできるマルチツールも入っていて
取材御礼の品のひとつかと思い
こりゃ昔より待遇がいいやとあらためて感心

ところが雑誌を広げるとマルチツールは30周年記念付録だとか
最近とくに女性雑誌で過剰な付録競争が起きているということは聞いていたのですが
これもそのひとつ?
さすが小学かん

新しきごはんとわたし見つけたい

2011年05月20日 | わが家の時時
わが家の長女が編集長になって新たなフリーペーパーを創刊し
先日発行されました

その名は『Essens』
食文化を創るフリーペーパーなんだそうです
語源としてはドイツ語の食事のことを「essen」といい
それに学生studentの「s」をつけて「essens」

世界中のみんなが笑顔になれる食文化をつくりたい
と創刊にあたっての挨拶にあります

人も技も金もなく“想い”だけで
どうにかここまで行きついたようです

もう一冊の『susteco』も同時並行して発行を続けています
あれもこれもみんなやりたいという欲張りな娘です


冷やすため燃やし続ける棒もある

2011年04月07日 | わが家の時時
ナシとコメの春作業開始を待っている間
できれば気分転換に温泉でもと言いたいところですが
今年もいつものように薪つくり

敷地境の樫と杉の大木を切ったものですから
ナシの幹と合わせると例年の倍以上の薪の量となりました

こんなに薪を積んでおいてどうするのなんてこともいわれるのですが
長年積んでおくと薪も劣化して火力が落ちることはあっても
無駄になることはありません
この震災後の節電時でも薪ストーブは大活躍

              

こちらは明治42年生まれのわが家の初代が
20年ほど前に薪にして積んでおいてくれたもの

時は昭和の初め 燃料と言えば薪炭
新たに興した家には燃料となる枝葉や薪を集める山林はなく
人の目を盗むように他人の所有林からもらっていたといいます
いつか大手を振って燃し木を得たいものだと考えていたそうです

その後運よく薪炭林を入手して家の経営を二代目に譲ってからは
薪作りが初代の冬仕事となっていました
写真の薪は晩年の作品
薪の長さも太さも揃っています
腰が曲がったまま斧を振りおろしていた姿が思い浮かびます

薪作りは4代目にも手伝わせています
木材をそのまま朽ちさせるのは“もったいない”
なんでも薪にしておくのはわが家の家訓だと

使用済み燃料を別の燃料をつかって
しかも数万年という単位で管理しなければならないどこかの“棒”と違って
こっちの“棒”はいつまでたっても再生可能なんだから

春だもの始まりはいつも黄色から

2011年03月24日 | わが家の時時
春に咲く花は黄色が多いということ聞いたことがあります
水仙、菜の花、サンシュユトサミズキ、…

ミツバチも黄色はよく見えるらしく
ナシ畑のそばに菜の花畑があると交配用のミツバチが
みんなそっちにいってしまうといわれるほどです

今朝はとんだ黄色いお騒がせやが姿を見せました

時節柄 すわっ放射性物質と思わされましたが
どうやら昨日飛んだ杉の花粉が屋根に溜まり
またたまたま降った雨が少量だったものだから
朝起きたらこんな黄色い粉状のものが残ってしまった
ということのようです

         

こちらはわが家の記念日にと購入した黄色いバラ

景気が悪くなって以来 花農家も花屋さんも元気がありません
先行きが見えないこんな時期だからこそ
明るい花でも飾ってみんなで元気に

ファイトだよ戦う君のもとにコメ

2011年03月20日 | わが家の時時
19日に知人が我孫子駅近くの公園で
震災被災者向けの義援金のためのチャリティー朝市を開催しましたので
串団子を提供させていただきました
全部で6万円あまりを日本赤十字社に送金するという報告をいただきました

少しはお役に立てたのでしょうが
ほんとうにそれでよかったのかという思いも残ります

義援金なら串団子を普通に販売して利益の中から送金すればいいのではないか
柏にも避難されている被災者がいます
その方々に串団子を直接届けた方がよかったのではないか

というのは日本赤十字社の義援金は10月まで募金され
それから全額を義援金配分委員会が配分計画に基づいて
被災者の方々へ届けるという仕組みのようです
つまり すぐに被災者のもとに届けられるというわけではない
いますぐに暖かい味噌汁を飲んでもらえるのに使われるのではない
ということのようです

一方
「除草剤を使わない米づくり」のネット仲間からメールが回ってきました

宮城県の被災者から米の提供依頼という内容です

>こんにちは
> 最大震度7を記録した宮城県栗原市のSです。
> 私は無事です。ネットが不通です。公民館からです。
> ただいま 気仙沼市で自前(白米・炊飯器具・燃料・運搬
> など)で炊き出しをしています。白米が絶対的に不足して
> います。ちょっとだけ全国の皆さんから提供いただけませ
> んか?責任もって現地までピストン輸送します。
> 送り先 宮城県栗原市
> よろしくお願い致します。(3月19日)


>こんにちは Sです。
> 全国から「お米送ったよ」FAXが届いています。
> FAX 0228-52-
> 携帯 090-8256-
> 佐川急便ですと宮城県栗原市若柳店止めでお願いします。
> 白米を直接持っていくのと こちらでおむすびにしてから持っていくのと
> 二手に分かれることになりました。
> 3年前に全国から援助をいただいたのに 栗原市やJA栗っこの動きは鈍く
> 私たち有志で勝手にやってます。仲間にはヘリコプターまで手配して物資の
> 輸送をしている人もいます。
> 勝手なお願いです。もし30kg紙袋をお考えでしたら 5kgに小分けして6個を
> 一つの袋にして下さい。
> 現地で炊飯する時は便利です。一方的なお願いでたいへん申し訳ありません。
> よろしくお願い致します。(3月20日)


いま私たちに何ができるのか きまった答えはないのですが

手遅れになる前に跳べ茹でガエル

2011年03月15日 | わが家の時時
ビジネス社会に「茹でガエル理論」という用語があるそうです

熱いお湯にカエルを入れると驚いて飛び跳ねる
ところが常温の水にいれ徐々に熱していくとその水温に慣れていく
そして熱湯になったときには
もはや跳躍する力を失い飛び上がることができずに
ゆで上がってしまうというのです

「およそ人間は環境適応能力を持つがゆえに
暫時的な変化は万一それが致命的なものであっても
受け入れてしまう傾向が見られる
例えば業績悪化が危機的レベルに迫りつつあるにもかかわらず
低すぎる営業目標達成を祝す経営幹部や
敗色濃厚にもかかわらず なお好戦的な軍上層部など」
という説明もあります

その真偽はともかく
今回の震災によって国中がまとまって復興に励むことによって
日本が茹でガエルにならずに済んだのではないか
という話をラジオでしていました

なるほどなあと感心する一方で
福島の原発の惨事は電力会社が茹でガエルになってしまったのではないか
という疑問も

わが家の屋根瓦も然り
ただ言い訳させていただくと ひと月前に
家屋が老朽化したために改築しようと検討を始めたところでした
つぶれずに屋根瓦だけで済んだという意味では
茹でガエルにならなくてよかったということでしょう

ということで瓦の葺き替えはせずに
改築までこのままにしておこうという判断で
トタン板を使って短中期的な補修を行いました
てっぺんに鉄パイプで補強したりしたら
何か由緒ある神社建築みたいな形になりました

素人の大工仕事です
解体までこれ以上の大きな地震や大風が吹きませんように
願うばかりです


先日来 震源が南下しているのが気がかりでした
今夜 とうとう静岡で地震被害が出てしまったようです
「御前崎 お前もか」なんてならないよう
もうひとつの電力会社も茹でガエルにならないよう
強く要望します

若き日に地震に津波メルトダウン

2011年03月12日 | わが家の時時
巨大地震二日目

阪神大震災の時と同様
時間がたつにつれて次から次に悲惨な状況が明らかになっています
今回は原子炉の炉心溶融まで起こっていて
どれだけ災いが広がるのか全くわからない地獄模様

わが家の娘たちも昨夜は帰宅難民になりましたが
無事に帰宅しています

交通も食料も電力も不安もあってしばらくは都内に出ない方がいい
そんな話をしました
ほんとうは
人生で一番たのしいはずの若き日にこんな話をしたくないのですが

わが家族はみな元気です
被害といえば
築60年の母屋の屋根瓦が崩れただけで済みました
以前から瓦屋さんから葺き替えた方がいいと助言されていましたので
仕方ありません

百本の針金語るカラス愛

2011年03月08日 | わが家の時時
切り倒したスギのはナシの続きです

横たわったスギの大木
そのほぼ頂点近くの枝の間に針金ハンガーのかたまりが…

そーっととり出してみると

             

百本ではきかない数の針金ハンガー
クリーニングにだしたシャツについてくるやつです
これってもしかしてカラスの巣ってやつ?

せっせせっせとあちこちの物干し台から集めてきたんでしょうねえ
ほとんど青色した針金だけどなにか意味があるのかしらん

最近はプラスチック製のハンガーになっているので
これはもう築10年以上たつのかしらん

ってことは何代にも渡ってひとつの巣を使っていくのかしらん


百年の計が粉散る杉の春

2011年03月06日 | わが家の時時
写真の白く煙っている様子
左側が青白く右側は黄っぽい感じがします
青白い方は枝葉を燃やしているときの煙です

ナシ畑のはずれの敷地境に胴周りの直径が60cmほどの
スギの大木がありました
高さは25m以上あったように思えました
すぐそばには木小屋はあるし
方向を間違えて倒したらナシ棚をつぶしかねません
隣地の方に倒れたらなおさら問題です

ちょっと素人には手に負えそうもないと思われましたので
こういう仕事を請け負っている植木屋の知人に作業依頼をしました

                         

タイトルの写真はほぼ予定通りの方向にスギが倒れたときの様子
つまり花粉が一斉に飛び散った様子です
写真を見ただけで気分を悪くするかたもいらっしゃるでしょうが
さいわいそこにいた誰もくしゃみをしませんでした

春浅し色とりどりの鳥供養

2011年02月22日 | わが家の時時
2月22日は当地区が唯一注目を集める「鳥オビシャ」の祭礼日
今年は40年に一度?ともいわれる祭礼の世話役にわが家が当たり
昨日から祭りの準備をしていました

オビシャ(お備射)というのは弓矢で的を射ることによって
その年の吉凶や農作物の豊凶作を占う祭りのこと
新年に行われる場合には
邪気を祓い五穀豊穣や無病息災等を祈念する祭
にもなっているといわれます

そういう「箭弓の儀」をとり行う祭礼は各地でも行われているようですが
当地区のオビシャ行事のユニークな点はそれに合わせて
新粉もちで鳥を形どったものを飾って祭るということ
この鳥をもちでつくるという祭礼をしているのは周辺では三地区しかなく
「箭弓の儀」と鳥を飾るのを組み合わせて氏子全体で行っているのは
当地区だけということです

             

その縁起は不明ですが
もちで鳥を作り祭るということは鳥供養の意味合いがあるのでは
という仮説もあるようです
利根川や手賀沼に近い当地は古くから冬の間のカモ猟などが盛んで
農作業のできない冬の間は
水鳥を獲って売ったり食べたりしていたのでしょう
その霊を慰め冥福を祈る
またこれからも豊漁?が続くことを祈願してきたという仮説です

粘土細工のようなもちの鳥があるということは
祭りとしてわかりやすいし
映像的にも効果的ということでしょうか
昨年はNHKテレビで紹介されましたが
今年は千葉テレビが取材に来てくれました

外部の人たちがこれだけ注目してくれるのですから
地元の人間ももっと当地区の伝統文化として若い人たちに伝承していけるよう
なんらかの手を打つことが必要かもしれません


さて 実際のもち鳥づくりです

以前はどこの家でももち鳥をつくり
品評会のようなものもやっていたようですが
今年の当番5軒の中で現在ももち鳥を作っている家は皆無

当地で生まれ育ったわが家の父
7年前に亡くなった曾祖母から子どもの頃に教えられ作っていました
もうブランクが40年以上たちますが
昔とった杵柄でしょうか見よう見まねでつくってみると
あら不思議 なんとか格好になっています

             

             

もしかしたら器用なのかもしれません
調子に乗ったついでにわが家でもこれから毎年作ろうかしらん

もちでつくる鳥にはいろいろな色や形があって
それが作る人らしさがでて面白いもの
他の人の作品もいくつか紹介

            

            

            

            

            

ブログ発 紙メディア行き これがネット

2011年02月02日 | わが家の時時
宣伝です

『gendai農業』3月号が近々発売されます
そこにはわが家の父母それぞれの名による記事がW掲載されています

特集「軽トラ活用術」の中で
「軽ダンプ ダンプの力と荷台の高さで選んだ」p110という記事と
「「日本のパン」が焼きたい」というテーマの中で
「お手軽お米パン 話題のGOPANを買ってみました」p322という記事

実は軽ダンプの原稿の方が早く依頼されていて
もっと先の号に掲載される予定でしたが
特集を編集する都合で3月号に
GOPANはタイムリーな企画で3月号に
という偶然です

裏話をしましょう

ふたつの原稿ともきっかけはこのブログです
軽ダンプは一年前のブログ
GOPANは昨年11月のブログ

たまたま雑誌の編集者の方がブログを見ていてチェックされたようです

でも
なんだ雑誌も民放テレビの朝のニュースワイドが
他人の書いた新聞記事を並べているのと同じか
というのは適切ではないでしょう

この雑誌を発行しているnou文協は
いまでも若いスタッフがバイクのスーパーカブで走り回って現場に出向き
農家と直接話して情報を集めたり広めたり
いまどき超アナログな営業している珍しい会社です

農家が発信するホームページやブログを検索するのも
ネット社会ならではの情報処理手法
ツイッターで独裁国家権力が倒れる時代です
何万人もの農家がフォロアーになっているような「つぶやき」ができたら
もしかしたら農業もさらに変わる?

この年もいつものように始まりて

2011年01月03日 | わが家の時時
今年もまた知人の方から干支の手作り人形をいただきました

きれいな赤いべべ着たウサギの女の子がどうぞよろしくとご挨拶しています
ワタを育ててワタの実から綿をとるほどの方です
年々手の込んだ作品を作られていて敬服します

さて この3が日も正月気分のままに
屋敷畑のナシの剪定をぽつりぽつりとはじめています

これを助走にして一気に剪定の本気モードに移ろうという魂胆ですが
お天道様に生かされている農家たるもの
本当は暦を大事にしなければならないのかもしれません