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のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

的を得た百年続く志

2010年10月30日 | わが家の時時
塩尻視察の宿泊地は諏訪湖畔でした
諏訪温泉に宿泊したこともありますし
高速道SAの温泉施設には何度も立ち寄ったことがありましたが
湖畔に片倉館という文化遺産があることは知りませんでした

シルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥の二代目社長が
欧米で地域住民に対する文化福祉施設が充実していることに感銘を受け
ぜひ諏訪にもつくりたいと基金60万円を投じて昭和3年に完成した施設です

浴場棟と文化交流と娯楽を目的とした会館棟からなり
ステンドグラスや彫刻で飾られた大理石造りの浴槽は
一度に100人も入れそうな広さで深さも胸まであって
底には玉砂利が敷かれていて歩くと快感

たとえはじめは個人の思いつきであっても
それが的を得たものであったなら
地域に愛され 引いては地域の文化遺産となって
80年の長きにわたり
まだまだ100年も地域に引き継がれていくものに
なるのだという事例なんでしょうねえ

急がないせかせかしないのどやかさ

2010年10月21日 | わが家の時時
信州上田への弾丸ツアー
もうひとつの目的は温泉に入ってぼんやりの時間を過ごすこと

塩田平の代表的な温泉として通り過ぎたことはあったのですが
一度も立ち寄ったことのない鹿教湯温泉へ

鹿に姿を変えた文殊菩薩が
信仰心の厚い猟師に温泉の場所を教えたという開湯伝説があって
そこから鹿が教えた湯すなわち鹿教湯というそうです
古くから湯治場としても栄え
国民保養温泉地に指定されて
大きなリハビリテーション病院まで立地しています

温泉街を見降ろすところにある文殊堂は「日本三大文殊」の一つとされ
その前にある共同浴場が文殊の湯
無色透明の単純温泉ながら気持ちの良い湯

昼日中の共同浴場
独り占めの浴槽でのどかな時間が過ぎていきました…

と言いたいところですが
たまたま居合わせた方が声をかけてきてしばらくおしゃべり

ぼーっとはできませんでしたが
文殊の湯に下りていく坂道に沿って配置された
色とりどりのシソ科のコリウスが気分を和ませてくれました

松茸に沸く山沈む松林

2010年10月20日 | わが家の時時
秋の収穫後の気分転換に例年のごとく日帰り弾丸ツアー
今年は昨日19日に松茸の大豊作に沸く長野県上田市の松茸山へ

             

マツタケの生えている赤松林の中に山小屋があって
そこでマツタケづくしのコース料理をいただくという趣向

例年ならひと月分の出荷量が一日で出荷されるという大異変とか
ならコース料金も下がっているかと期待したいところですが
組合の協定があって…
でも例年よりも使っているマツタケの量は増えていますと
今朝のラジオで店の女将が弁明していました

あれでマツタケが増量されているのかわからないのが
初心者の悲しいところ

どびんむし、茶碗むし、てんぷら、汁、なべといただいて
サービスだとうどんまでいただいておなかがいっぱい
マツタケご飯はお土産にどうぞとパック詰めに用意してくれました
なんと気が効くと一瞬思ったのですが
よくよく考えれば来られなかった家族・知人へのお土産になって
今度はごいっしょにという心憎いばかりの宣伝効果

            

樹齢何十年という赤松林
数十年前に全国的に広がったマツクイムシの被害はなかったようです

が 松山の斜面には切り倒された松の幹が重ねられています
ビニールシートで覆われたものも見られます
マツタケの菌床でも培養しているのかとスタッフに尋ねると
実は現在マツクイムシ被害が進行中だとか
害虫の被害を受けた木を山から持ち出して焼却処分できないので
薬剤で燻蒸しているのがあのビニールシートとか

十年後 松林はなくなっているかもしれません
というスタッフの説明がさびしく心に響きました

十六夜快楽もたらす星近し

2010年09月30日 | わが家の時時
9月25日、台風の襲来の影響が心配された夜でした。
台風は朝のうちに東海上を走り抜け、
夜の手賀沼の水面には満月をすこし過ぎた居待月が写っていました。

この晩、湖上談義と称して
手賀沼でまちづくりを考えようという有志が月見会を催しました。
夜間に、沼に舟を出してまわりを眺めるという経験ははじめて。
福祉施設や病院が並ぶ湖南側がイメージ以上に明るかったのが印象的。

            

その場では話題にできなかったのですが、
月の右側に見えた明るい星が気になりました。
あとで調べたら、どうやら木星だったようです。
9月22日に「衝の位置」になっていたとか。

「衝の位置」とは
地球より外側にある惑星が太陽と正反対のある位置のことで、
地球に最接近していて太陽の光をまともに受けていることから
もっとも観測しやすい好機とか。

木星といえば平原綾香のデビュー曲。
そして、その原曲がホルストの組曲『惑星』の第4曲目。
タイトルは「木星、快楽をもたらすもの」

月だけでなく木星も愛でれば良かった湖上談義。
うまくおさまったところでお開きということに……

こせがれの独り立ちする中の秋

2010年09月23日 | わが家の時時
今週の土曜日25日の夕方、わが家の後継者君が六本木農園に登場。

六本木農園は農業支援NPO「農家のこせがれネットワーク」が展開する
実験レストラン。
住宅展示場があるように農場の展示場があってもいい。
そんなレストランなんだそうです。

お店の売りは、もちろん全国の農場から届いた自慢の野菜や米、果物。
それに毎週のように開かれる「農家live」。
生産者自らが来園者(お客様)に直接話しかけてファンになってもらおうという場。

わが家が「秋の生産者」にご指名いただいたそうで
その第一弾としてナシとコメの生産者として農家liveするといいます。

六本木に出かけるようなことがあれば、ぜひごひいきに。

この秋はただ終わらぬ暑さかな

2010年09月22日 | わが家の時時
春の寒さと夏の猛暑で今年のナシは不作。
ナシばかりではありませんのであきらめてはいるのですが、
中でも象徴的なのは「豊水」と「新高」。

「豊水」は花の盛りの時期に降雪。
交配が十分になされなく、変形果がたくさんできました。
そのうえ果実の肥大期の7月8月の少雨により小玉傾向。
晴天続きで糖度は乗ったのですが…

そして「新高」。この品種は暑さに弱い品種。
今年の猛暑は影響が大きかったようです。
まだ熟期前というのに日焼けで真っ黒になった実とか
オシリの方から割れてきてしまった実がごろごろ(写真上)。

これも品種特性のひとつと納得はしているのですが、
一個7,800gにもなる大きな実で糖度も14,5度はありそう。
ただ畑に捨ててしまうのはなんとももったいない。

できれば
こういう特徴を生かせるような食材に使ってもらえればいいのですが。
たとえば、焼き肉店がオリジナルの焼き肉のたれをつくるとか。
近在で、どこかそういうお店はありませんでしょうか。
コラボ企画の提案も歓迎します。
ただ、毎年、大量に食材用のナシができるわけではありませんので、
プロジェクトが軌道に乗るかは運しだいのところも。

                   

そこで、わが家の後継者君がまずは酢を作ってみようと進言。
「やってみなはれ」というわけで、
500リットルのタンクに切り刻んだナシの実を詰め込んで嫌気発酵させる予定。
雑誌に紹介されていた植物エキスづくりですが、
うまくいくかどうかは二の次。
チャレンジしてみようという気持ちが大事です。


      

すみません しつれいします ありがとう

2010年08月12日 | わが家の時時
対馬ツアー報告 第8弾

二日目の晩、舟志エコツアー研究会の皆さんとの交流会で
林業家のKさんと意気投合。
「鰐浦の天然記念物の『ひとつばたご』の苗木を育てているので持って帰れ」
「それではお返しに、千葉のナシを送りましょう」ということになり、
天然記念物の『ひとつばたごと』とはどんなもんじゃと思いまして、
3日目の早朝、対馬北端の集落、鰐浦へ抜け駆けしてきました。

8月6日のツアー報告第5弾でも紹介しましたが、
港に面して家財道具を納めるコヤ群が立ち並んでいる集落です。

手元に「芝浦工業大学建築工学科 畑研究室
住居・集落研究35年の記録」という冊子(2009年3月発行)があります。
知人からいただいておりました。
畑研究室では35年にわたり離島から東アジア、地中海沿岸の住居・集落を
フィールドワークしていまして、1989年に鰐浦を調査しています。

それによりますと、89年時点で74戸、244人の人口とか。
集落の当時の平面図をみても、
家の数などは20年後の現在とそれほどの変化はないようです。
家財道具や物品を収納するコヤが屋敷の外に集めて配置されるのは
東南アジアでよくみられる文化といいます。

一般的には、まとめてコヤを配置するようになったのは
火災から守るためと説明されているのですが、
この冊子には、それだけではないであろうと興味深い感想が記述されています。

つまり、季節の変わり目や来客があるたびに
家とコヤのあいだでモノを出し入れしなければならず、
その折に日常的に村の人の目にさらされることになって、
隠し事のない共同体としてのムラ生活が維持されるのではないかという仮説です。

なるほど、限られた環境・資源の中で生き抜くためには
そうでもして信頼関係を維持していたということかもしれません。
集まったコヤの意味について少し合点がいった気がしました。

             

             

集落内でこんな看板を見かけました。
20年前にも同じ看板はあったのでしょうか。

             

そして、これが「ひとつばたご」の苗木。
いくら落葉樹とはいえ、真夏の今の時期に移植ができるのか不安でしたが、
林業家のKさんが勧めるのですから大丈夫なんでしょう。
乾燥する場所が好きだが
根付くまではたっぷりと水をあげてというアドバイス。

本来、大陸系の樹木で、こんな形で異種が国内に分散するのはいかがか
という声もあろうかと思いますが、
対馬の思い出の木にしたいということでお目こぼしを。

すみません しつれいします ありがとう

さあ食いねぇアワビにサザエもう食えねぇ

2010年08月09日 | わが家の時時
対馬ツアー報告 第7弾

今回のツアーの本来の目的その2は舟志地区エコツアーのモニター。

舟志地区というのは対馬北端に近い漁山村で、
集落に同じ苗字が多いということもあってみんな名前で呼び合う仲。
もともと海の幸、山の幸の豊かなところに
ずいぶん前に廃校になった小学校の校舎があって
ある会社の社有林をヤマネコ保護のために自由につかってと提供されて、
昔のいたずら小僧たちがじっとしていられるはずがありません。

行政が廃校校舎を舟志の森自然学校という宿泊施設に整備し、
地区のリタイアした方々を中心にエコツアー研究会を結成。
彼らが企画した山を学ぶコースや海で遊ぶコースなどのプログラムを体験して
アンケートに答えます。

            

まずは山を学ぶコースから。

ここはある会社から提供された社有林のスギ・ヒノキを切り倒して
ヤマネコの餌となるネズミ等を増やすためにナラなどの落葉樹を植栽した
「舟志の森」。
スギの皮で屋根や壁をひいたヤマネコ山荘が奥に見えます。
かつて家から離れた山へ仕事に出かけたときの簡易宿泊小屋を
再現したそうです。

            

ここにもニホンミツバチの巣が…
このあたりはヤマネコの姿が確認されていて
その痕跡、つまりヤマネコの糞を探しながら林道を散策。

            

まわりの山林の多くはきちんと管理されていて
間伐した幹は皆同じ方向に並べられています。
大雨になったときに水で流されないようにという知恵といいます。
途中で、林業家の経営するシイタケ栽培地の見学と合わせて
林業経営の楽しさや苦労を直接話を伺いました。

「この木は親の親が植えてくれた木で樹齢80年。こちらはまだ40年」
ものごとを考える時間のスケールが違います。
いまは島外にいる後継者も帰って来てくれるのではないかと
期待しているとのこと。
そうでなくてはこれらの木々もご先祖様の思いも朽ちてしまいます。

            

里に降りたら炭焼き釜の見学。
窯の構造には大陸系の技術がはいっているとか。

            

続いて、海遊びコース。

深い入江の奥の漁港から漁船とボートに分乗して秘密?の磯へ。

            

道を通って行くなら地図があればなんとなく場所の位置が特定できるのですが、
いくら地図があっても海上からみているとどこの磯なのか、
目印になるような施設などは見あたりません。
見えるのは大海原と似たような岬と入江だけ。
小さいときから遊んでいる地元のみなさんは
ここがどこなのかはわかっているのでしょうが。

着いた磯に桟橋があるわけではありません。
岩の間にいかりを投げ込み、舟を固定。水の中に飛び込んで上陸です。

            

島の北東側にあたるこの磯には西側の浜でみたような
プラスチックゴミはありませんでした。
海中メガネで覗くと青い色した小魚が足元を泳いでいます。
研究会のメンバーの方が「ほら、あわび」って
ちょっと潜って取ってきてくれました。
ナイフで細かくして、海水で洗って
今さっきまで生きていたアワビをいただきました。

             

残念ながら潜水の心得がないものですから
真似してみようと思って上半身が水の中に入っても
足は空を切るようなもの。
2mぐらいの深さの海底にアワビの姿が見えたからといって
素人が簡単にとれるようなものではありませんが、
同行していた唯一の若者はセンスがあるようです。
次々に拾ってきて、対馬の漁師にならないかと誘われていました。

              

              

              

そして、夜はお決まりの交流会。
もうこれでもかというくらいのアワビにサザエにイノシシ肉。
もしかしたらアワビは一生分食べてしまったかも。

わがものにわがもの顔の侵略者

2010年08月08日 | わが家の時時
対馬ツアー報告第6弾。

一泊目は参加者が4,5人の班に分かれて民泊。
別の班が泊ったSさん宅は農地の最奥部、最後の人家。
有畜農業を実践しつつアスパラガス生産をメインとする専業農家ながら
農家民宿の先輩格。

ここから先は山林とその先に急な斜面があって海岸という立地で、
急斜面を下りたところにプライベートビーチ?を持っています。
船外機つきの漁船を操って海の幸を集めてきては
民宿のお客さんにサービスしています。
ツアー二日目午前中の磯遊びとバーベキューのお昼ご飯をいただきました。

舟に乗せてもらい沖から振り返ると雲と山林以外のものは見えません。

             

             

ところが、その磯浜は流木ならぬプラスチックゴミで埋まっていました。
打ち寄せられたものを拾ってみるとハングルや漢字の文字が…

             

             

浜を区切る突端までいってその先をみてもゴミがどこまでも続いています。
異国の見える丘展望台付近はきれいな海岸でしたが、
島の西海岸の多く、人気の少ない海岸までは
流れ着いたゴミには手がつけられないようです。

             

             

海岸にたどり着くまでの林道沿いには
なにか祠のようなものが並んでいました。
木製の蜂洞だそうで、いま対馬はニホンミツバチブーム。
山林なら所有者に断りなく蜂洞をおいてもよいとかで、
養蜂でも先輩格のSさんは花の数よりも
蜂の巣の方が多いのではないかとにがり顔。

この形 わが家の印 コヤのカギ

2010年08月06日 | わが家の時時
対馬ツアー報告、第5段。

一泊目にお世話になったKさんは米と原木シイタケの生産農家。
こちらが屋敷の前景。
母屋のうらにシイタケの乾燥施設があります。

            

正面が母屋。前庭に面して菜園があります。
害獣に備えてご多分にもれずネットで野菜も畑も囲まれています。
右側にみえる小さな建物がコヤと呼ばれる納屋。
普段使わない家財道具を入れたり米蔵にもなっているようです。

             

視点をかえるとこんなふう。
高床式で、赤い瓦屋根がKさんのコヤ。
右側の黒い瓦屋根はお隣のイエのコヤ。
イエの大事なものを入れておくコヤを
お隣同士、なぜ並べているのだろうと、集落の中を歩いてみると…

             

             

あります、あります。辻にめんして、通りに面して並んでいます。

             

こちらは舟志という集落のコヤ群。小さな小川に沿って並んでいました。

             

こちらは鰐浦という集落のコヤ群。
漁港に面して集落中のコヤが集められているふうでした。

たとえば、盗難などは心配ないのだろうかと聞いたところ、
皆顔見知りだし、外の人間はすぐにわかる。
それぞれのコヤのカギの形が違っていて、
そのカギの継承がイエの主の証明だとか(タイトル写真)。

対馬では米を貯蔵するのは籾付きが常識とか。

             

モミガラ付きなら米が呼吸しているので湿気の問題がないということなのか、
生きている米だからいつでも種もみになるという飢饉対策なのか、
それとも一度に大量に持ち出せないという海賊対策なのか、
いずれにせよ、本土?では「今擦り米」と呼ばれて
たいへん評価される米のモミ付き貯蔵。
対馬のお米は皆「今擦り米」。
すでに島民の皆さんは付加価値のついたお米を食べています。

            

Kさんのもう一つの生業が原木シイタケ栽培。
シイタケ栽培の発祥の地が対馬だとか。
現在でも気候条件等がシイタケ栽培にあっていて本土の市場でも高い評価といいます。
こちらもヤマネコブランド。

            

山猫の米は売りたし米はなし

2010年08月05日 | わが家の時時
今回の対馬ツアー、本来の目的は
ツシマヤマネコと共生する地域起こしの事業モニター。
そこで、第一晩目は「佐護ヤマネコ稲作研究会」メンバーとの意見交換会。

             

ヤマネコの餌は野ネズミ等の小動物。
それを確保するためには稲作が維持されていることが大事。
ならば環境にやさしい稲作を実現して
地域の活性化とヤマネコの保護を目指そうという研究会。

             

対馬随一の米どころ、北西部の佐護地区の米農家を中心に
地区内にある野生生物保護センターに出入りする若者たちが
有機米づくりに取り組み始めました。

             

いま流行りの佐渡のトキ米や豊岡のコウノトリ米のように
付加価値をつけて稲作経営を安定させたいというもくろみですが、
話を聞いて行くうちにそれほど単純な話でもないようで…

現状は島内の米の自給率は低く、
お世話になった農家の生産した米はすべて島内の消費者へ直接届けているといいます。
島民が付加価値をつけた高価なお米を購入する余裕はなく、
一方で、島外向けに志ある消費者に送る米の余裕もない。
付加価値のついた米を島外に送り出し、
安価な米を島内に持ち込むというのは本末転倒ではないか。
とはいえ、いまのままでは稲作経営も厳しいというのです。

なにかアドバイスをと言われても困りましたが、米を買ってもらうことではなく
そういう米をつくっているところを訪ねてもらうことで地域経済を安定させるために、
とにかく情報発信してみたらどうかと。

観光客を呼び込むことは、当然、彼らも気付いているポイントです。
お世話になったKさん宅でも料理の得意な奥さんが農家民宿を始めたいとかで、
われわれが農家民宿のモニターだったわけです。
晩御飯の食卓は地場のお魚料理のフルコース。
見たこともない聞いたこともない小骨の多い魚でしたが、
煮つけはたいへん美味しいものでした。
対馬では普通の魚ということ。
やはり現地にいって食べるから美味しいのでしょうねえ。
でもいつもあんなに大判振舞していたら民宿でも赤字出しちゃいますよ。


影黒くうなぎも登る大暑かな

2010年08月04日 | わが家の時時
「熱中症にご注意ください」
と、連日、テレビ、ラジオからアナウンスされています。
雨は降りません。南風も連日吹いています。

ホームセンターの農業資材の一角に
ちょっとした人だかりができていました。
「テレビで紹介されました」と看板がかかっています。
寒冷紗という作物にあたる日射量を調整する網目のシートです。

テレビではヨシズよりも安価で、
カーテンのように開け閉めが可能と紹介されたようです。
わが家でもさっそく応用してみました。
たしかに、斜めに張った遮光率90%のシートは
ヨシズよりも木陰に近い涼しさを提供してくれる?
これも慣れてしまえばそれほどでもないのかもしれませんが。

            

こんな太陽の恵みを受けて
稲も1週間ぐらい収穫が早まるかもと言われ始めました。
水温が上がらないよう用水は連日かけ流し状態ですが、
日中はお湯のようです。

            

勢いのないナシの木の実は小さいまま日焼けしてきました。
糖度は上がっているようです。
幸水でも糖度14,5度はありそうです。
この週末から収穫が始まり、旧盆中から最盛期がはじまる勢いですが、
このまま暑さが続くと最盛期が遅れる可能性もあります。
なにしろナシは秋の果物ですから、涼しさを感じてから熟すものです。

ヤマネコの山はイノシシに蹴散らされ

2010年08月03日 | わが家の時時
対馬ツアー報告第三段。

対馬は昔大陸とつながっていたことを示す
貴重な動植物が生息・生育していたり、
渡り鳥の中継基地として珍しい野鳥を観察できるようです。
中でも、ツシマヤマネコは種の保存法に基づく
「国内希少野生動植物種」として指定され、
環境省・長崎県がその保護・普及啓発活動を行っています。

ツシマヤマネコは現在、100頭前後の生息数と推定され、
南部の下島で生息する痕跡は確認されなくなっているといいます。
今回のツアーの中では、
野生のヤマネコが見られるかもという夜間探索イベントも企画されましたが、
残念ながら実現しませんでした。

              

胴長短足、尾が太くて長い、耳の先が丸い、額に縦じまがある
という特徴があるといいますが、イエネコとの見分けが難しく、
耳の後ろに白い斑点があるというのが最大の特徴のようです。
対馬北部にある対馬野生生物保護センターでは
繁殖保護対象の生きたヤマネコをガラス越しから見ることができました。

             

これはたまたま見つけたツシマテンの死がい。
すわ!ヤマネコとドキドキしたのですが、
こちらは珍しくはないのだそうです。

             

現在の対馬でもっとも頭を痛めているのは、このイノシシ。
これもたまたま早朝、里に近い山の中の道路際で見つけました。
人の姿をみても逃げるわけでもなく、
一度は向かってくるようなしぐさも見られました。
車中でしたので安心してカメラを向けましたが、
歩いていて出くわしたなら怖かったかもしれません。

資格を得てイノシシを狩猟すると
一匹いくらという形で買い取ってもらえるのですが、
イノシシの繁殖力にはとてもかなわないようです。
イノシシの肉を現地で食べさせてもらい、
美味しいものでしたのでお土産にしました。

              

そしてこれがむらの畑。
最北端、鰐浦集落周辺の自家用菜園のようでした。
四方も上空も網で覆われています。
野生生物と人間の関係が常識と真逆です。
自然の最前線で暮らす苦労が思い知らされます。

離島であることから
島内にはタヌキ・キツネ・ウサギなどは見られないのですが、
実はイノシシもほんの20年ぐらい前まではいなかったといいます。
それは藩政時代に全ての島民が参加して
島の端から囲いを作りながらイノシシを駆除し、
ついには絶滅させたという歴史があったようです。

それが、誰かが狩猟用にでも持ち込んだのではといわれ、
天敵もいないためか一気に繁殖し、このありさま。
昔の人の適切な判断・行動と現代人の自分勝手な行動の違いを
まざまざと見せつけられたようです。