そこそこの放送作家・堀田延が、そこそこ真面目に、そこそこ冗談を交えつつ、そこそこの頻度で記す、そこそこのブログ。
人生そこそこでいいじゃない





新生ゴーストバスターズのシリーズ2作目。
前作はラストにCGで今は亡きハロルド・ライミスが登場する激アツ展開もあって、ギリギリ及第点かなぁという感じだったが、2作目はどうか?
二子玉で平日の昼間の上映に行ってきた。

今回は及第点とはいかなかった。
星は1つ半。★1/2
ずいぶんとっ散らかった映画。
とてもじゃないが褒められたものじゃない。

登場人物たちが全員行き当たりばったりの行動でなんとか危機を回避していくご都合主義は、まぁこの手のおバカ映画だから許すとして(笑)。
敵も味方も何がしたいのか何を目指してしているのか、動機がほぼ描かれないから、観客としてはただひたすら「あ、そうなの?」とつどつど解釈していくしかないのも、まぁこの手のおバカ映画だから許すとして(笑)。
1番引っかかったのは、「ナンセンスギャグ映画」にしたいのか「家族の絆を描くハートフル映画」にしたいのか、どちらなのかはっきり脚本でリーチしてくれよ、という点。
どちらとも付かず、ずっととっ散らかったストーリーラインが続くので、最後まで観てもなんの感情も生まれない映画になっている。
なんだかなぁ、と思っていたら、エンドクレジットを観て気がついた。
今回、監督が“ライトマン”じゃないのだ。
1984年の元祖「ゴーストバスターズ」はアイヴァン・ライトマン監督作品。
前回2021年(日本公開は2022年)の「ゴーストバスターズ/アフターライフ」はその息子、ジェイソン・ライトマン監督作品。
でも今回は、ギル・ナーナンという良く知らん監督が作っていた。
どうりで、とっ散らかっているわけだ。
コメディに長けたアイヴァンでも、家族ドラマに長けたジェイソンでもないんだもの。
ナーナンなんだもの。
なんなん?

前作は映画のラストに「For HAROLD」と出てハロルド・ライミスに捧げられていたが、今回は 映画のラストに「For IVAN」と出る。
これは日本で息子の作品「アフターライフ」が公開された直後の2022年2月14日に亡くなったアイヴァン・ライトマンに捧げられたもの。
息子のジェイソン・ライトマンは、父が死んだあともう続編を監督する意味が見いだせなかったのかも知れない。
今回は脚本とプロデュースをやっているが、監督は後輩に譲ったようだ。
そのせいか、とっ散らかってしまった。
今回はシガニー・ウィーバーが1秒も出て来なかったのもとても残念だ(前回は最後に出てきたのに)。

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さすがクリストファー・ノーラン監督だ。
作品賞始めアカデミー賞7部門受賞の本作「オッペンハイマー」。
二子玉のIMAXで観てきたが、さすがだった。
文句なし。
星4つ。★★★★
原爆当事国である日本の日本人なら映画館で観るべき1作。
マイナス星1点は、構成が複雑なのと、登場人物多すぎだから。
監督の狙いは分かるんだけど、もう少し時系列を分かりやすく、人間関係も分かりやすくしてくれてもいいと思うので。

なぜ原爆被害の描写がないのか?逃げているのでは?とかいう声が日本人の一部から上がっているようだが、それはイチャモンだろう。
物語がオッペンハイマー個人の視点で語られる以上、直接的に広島と長崎の悲惨な状況を映像として映しはしない。
それでも十分観客に想起させるよう、台詞と場面によって描写されている。
むしろ、個人視点の物語の中で、作り物のCG映像で広島や長崎の状況を描いた方が、よほど不道徳なのではないか?
オッペンハイマーの視線を通じて、広島・長崎を観客に想像させるこの手法の方がよほどリアルで悲惨に感じるし、そこにむしろ嘘がないのではないか?
そんな風に感じたので、この映画に、広島や長崎の爆心地の様子がCGで入っていないとか、当時撮影された被爆者たちの不鮮明な写真とかがインサートされないのはどうなのかとかいう批判は、むしろ作品の本質を観ていないイチャモンだと僕は感じた。
この映画は十二分に広島と長崎についても描かれていると思う。
オッペンハイマーの、そしてアメリカ国民の視点で描くとこれがリアルなのだろう。
海を挟んだ遠い敵国に落とし、22万人を殺したウランとプルトニウムの原爆二発は、多くのアメリカ人にとってこのような感覚の代物なのだ。
そして、それをきっちり批判的に描き、アカデミー作品賞を獲って見せたクリストファー・ノーラン監督は、まもなく戦後80年を迎えようという時に、ジェット戦闘機の海外輸出を閣議決定だけで認めてしまった自民党政権なんかより、よほど内省的ではないか。

音が凄いので、IMAXで観たほうがいい。
もちろん映像も。
役者も豪華。
マット・デイモンにロバート・ダウニー・Jr、フローレンス・ピューとエミリー・ブラント、ラミ・マレックにケネス・ブラナー、他にも名の知れた役者多数、とどめにゲイリー・オールドマンまで出てくる。
史実を描いているわけだから、ネタバレも何もないなので、「オッペンハイマー」をWikipediaなどを予習してから観に行ったほうが理解が深まって良いと思う。
3時間と長丁場だが、ずっと緊張感に満ちた映画なので、途中ダレるところもない。
さすがクリストファー・ノーラン監督だ。
感服しました。

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Netflixで全8話が一挙配信された「三体」。
中国人作家・劉慈欣が書いた2008年のSF小説で、アジア人として初めてのヒューゴー賞を受賞。
その後「三体2黒暗森林」「三体3死神永生」の3部作で完結した。
そんな小説のドラマ化。
話題になっていたので早速観てみた感想。

原作小説を読んでいなかったため、前知識なく全くサラの状態で見たのだが、とても面白かった。
星は3つ。★★★
ああ、そんな話なんだ、という感想。
見終わってから「三体3部作」に興味を持ったので、ネットのネタバレサイトなどをいろいろ読んだ。

なんと今回Netflixが作った全8話は、原作小説をかなりアレンジしているようだ。
とても分かりやすく見やすくなっていたので、Netflixの脚色は成功していると思う。
さすが「ゲーム・オブ・スローンズ」のチームが手掛けているだけのことはある。
全8話の内5話までで原作の1巻「三体」の話は終わっているらしい。
そして残る3話でやっているのは、3部作の3作目「死神永生」の前半の話。
原作小説では、3部作それぞれで主人公が変わっていくらしいのだが、Netflixは最初からその登場人物を全部まとめて出しちゃっているそうだ。
この原作改編が、原作ファンには不評らしく、原作ファンの間では評価が低いらしいが、全く原作を読んだこともない僕みたいな視聴者にとってはむしろわかりやすく改編されていると思う。
久々にハードSFらしいハードSFを観た感じがして面白かった。
ストーリーは荒唐無稽でそんなことあるかいなというムチャクチャ展開も多いのだが、物理学とかをベースにして説得力を持って語られるので、なんとなく観ていられるという感じ。
「宇宙人が攻めてくる」系のSFが好きな人は観て損はないと思う。
シーズン1の評価次第だけど、是非シーズン2を作って欲しい。
ドラマとしては頑張って作っていると思うので。


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ドゥニ・ヴィルヌーブ監督の「DUNE/砂の惑星」3部作。
その第2作が現在映画館で絶賛上映中。
早くも「PART1」の全世界興行収入を突破確実と報道されるぐらいの大ヒット中。
友人たちの評判の良さもあり、なるはやで本日二子玉のIMAXで観てきた。
その感想。

圧巻。
星4つ。★★★★
映画館で、それも出来れば最高の音響を備えたIMAX等の環境で観るべき作品。
ヴィルヌーブの映画的な胆力と画力の凄まじさがもう異次元。
映像の洗練さと美しさ、そして音響と音楽の凄さがもう圧倒的レベルに達していて、「うわぁ!これぞ映画館でみるべき映画らしい映画だわー!」ってなる。
ぶっちゃけ、映画として面白いか面白くないかで言うと、僕は面白いというわけではなかった(笑)。
原作小説読んでるし、過去の映画化作品も何度も繰り返し観ているのでストーリーを知っちゃってるから、というのが大きいだろう。
劇中にほぼ意外なことが起こらないので、面白くはないのだ。
原作と違い、ポールとチャニの関係性にフォーカスしているが、それも余り感情移入出来ず。
しかし、映像と音の凄さだけで呆気に取られたまま、3時間ずっと観ていられるすごいSF文芸大作なのだ。
まさに映像と音を浴びに行く感じ。
こんなにずっと凄い凄いが続く映画もなかなかない。
だから星4つ。
もう細かいことはいいのだ。
すげぇーんだからさ。
メチャメチャ面白いとかそういう類の映画ではない。
これは文芸だよ、文芸。

で・も・ね……
僕は1984年公開のデヴィッド・リンチ監督版の「デューン/砂の惑星」の方がだんぜん好きなのだ。

あれは確かにいろいろ問題が多い映画ではある。
モノローグ過多だし、後半ほとんどダイジェストみたいな編集だし、エンディングなんて、原作と真逆のことになって大団円だ、怒る人がいるのも分かる。
しかーし、だ。
好きなのだ、アレが。
カイル・マクラクランが演じるポール・アトレイデスの色気。
狂気のハルコネン男爵と、彼の顔中に出来ているよく分からない吹き出物。
スティングが演じるフェイドのマジでヤバそうな雰囲気と異様な色気。
チャニなんて「ブレードランナー」のショーン・ヤングだぞ。
そして、原作には一切出て来ない「ムアディーブ!」「チャーー!」とか言って放つモジュール武器。
そして、ダサ格好いいにもほどがあるエンドクレジット。
いやいやいや、もう最高じゃん。
というわけで、僕的には1984年のデヴィ・ド・リンチ監督の「デューン/砂の惑星」を激烈に推す。
なんでも今年の夏頃、映画館で上映されるらしい。
見に行かねば!

で、最後に今回の「PART2」で唯一残念だった部分について書く。
少しネタバレになるので、まだ映画を観ていない人は気をつけて欲しい。









今回のPART2、原作に忠実かというとそうでもなく、1番大きな改編はポールの妹アリアの描写だ(本当はチャニが生む赤ん坊レト2世とその死もやってほしかったけどね)。
原作小説でも、デヴィッド・リンチの映画でも、ポールの妹アリアは小さな少女ながら恐るべき超能力者となって登場し、ハルコネン男爵をその手で葬る。
しかし、なんとヴィルヌーブ監督の映画ではアリアはジェシカのおなかの中にいる胎児のまま、PART2の映画が終わってしまうのだ。
ハルコネンにとどめを刺すのはポール自らである。
うーむ、ここだけは少し納得がいかない。
アリアがハルコネンを毒針で殺すところが最高の見せ場なのに、なぜポールに殺させたのか?
復讐という意味ではこの改編も理解できるのだが、あの大デブ・ハルコネン男爵は、ほんの少女であるアリアがあっさり殺すからこそ、ある意味スッキリするのだと僕は思う。
ポール・ムアディブには、そのあとフェイド・ハルコネンを決闘できっちり殺すという見せ場があるのだから、やはり9歳のアリアを登場させておいて欲しかった。
ちなみに、アリアは次回作PART3で、アニャ・テイラー=ジョイが演じることが確定(1シーン夢に出てきたから)。
次回、アニャ・テイラー=ジョイが大人になったアリア役を演じるのはとても良い人選なのだが、9歳の少女だったアリアも見たかったのだ。
……という残念ポイントもあるのだが、とにかくヴィルヌーブのが胆力と画力が凄いので許す。

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約2年半前、2021年10月に日本公開されたこの映画。
現在映画館でやっている「PART2」の前作、「デューン砂の惑星PART1」だ(映画館で観て始めてPART1と出たのでビックリした思い出がある)。
観に行った当時はブログから少し離れていた時期だったので、まったく感想記事を書いていなかった。
そこで、今から「PART2」を映画館に観に行くので、その前にもう一度「PART1」を復習として観返したのだ。
その感想。

文句なし。
星4つ。★★★★
フランク・ハーバートの原作SF小説「デューン砂の惑星」の映像化の中でも、これが決定版だろう。
というか、なぜ星5つじゃないのかと疑問を持たれるかも知れない。
ズバリ、「ちゃんとしすぎていて面白みに欠ける、可愛げがない」から。
もはやイチャモンみたいな点数の付け方だ。
だが、それぐらい隙がないし、完璧な出来になっている。
今やっている「PART2」はそれこそ原作小説の1番面白いところが詰まった後半戦なので、是非IMAXで鑑賞することを勧めたい。
この監督は、「DUNE」に関しては完璧に見切っている。
100%、スゴイものを作ってくるはずだ。

今から「PART2」を観に行ってくる。
楽しみ、楽しみ。
その感想はまた後ほど。

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今年の米国アカデミー賞に11部門もノミネートされている怪作「哀れなるものたち」。
二子玉の映画館で観てきた。
その感想。

映像、デザイン、撮影、衣装、音楽、とにかく素晴らしい。
主演女優のエマ・ストーン、スーパー素晴らしい。
だが、だがである。
いち映画としてどうかと問われると非常に難しい。
星2つ。★★
期待しすぎたのかな?
なかなかのスーパーカルト映画ですよ、こいつは。

いわゆる映画的な構造(起承転結的なものとか伏線と回収とかその手のいわゆる映画的なシステム)を意識的に解体しているような脚本であり、ストーリー。
大人のおとぎ話、といえばその通りで、赤ん坊の脳を成人女性に移植させちゃった女版フランケンシュタインの成長物語だといえばその通りなのだが、ずっと「なにを観させられているのか?」とモヤモヤした感覚を抱きつつ観るような映画になっている。
純真に産まれた赤ん坊が、成人女性の身体を持ったままいきなり社会に放り出されたので欲望に忠実に、食欲、性欲のお化けとなっていく。
そして、徐々に知っていく人間世界のおぞましさ……みたいなことで、こう書くととても面白そうな話に聞こえるのだが、そんなに面白くはない。
設定と主人公のキャラ造形がぶっ飛びすぎていて、感情移入ができないため、ただ傍観者として映画を観ることになる。
結果、日本の観客には不評なようで、ここ十数年、映画館ではエンドクレジットを最後までみんな観るような空気が日本では出来上がっているのだが、この映画ではエンドクレジットが流れた瞬間、観客が帰る、帰る、帰りまくる。
よほどお気に召さなかったのか、年配のお客さんがバンバン帰っていくので、まぁ、確かに映画としては意味がよく分からなかったし、つまらなかったのだろう(かく言う僕もそうである)。

ただし、とはいえアカデミー賞11部門ノミネートの堂々たる映画なのだ。
どうなんだろう?
この監督、ギリシア人で、2019年「女王陛下のお気に入り」でアカデミー作品賞と監督賞を逃している人物だ(主演女優賞だけ獲った)。
今回は撮れるのだろうか?
いや、個人的な予想では、作品賞はあり得なくて、監督賞はあるかもなぁって感じ。
作品賞を差し上げるにはちょっと「アクがつよ」すぎる。
去年のエブエブよりもアクが強いので、さすがに無理かなぁ。
でも、映像、デザイン、撮影、衣装、音楽、そして主演女優のエマ・ストーンの演技は、スーパー素晴らしいので、その辺の技術各賞、主演女優賞はあるかも知れないです。

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今年の1月に日本でも公開された韓国の航空パニック映画。
致死ウイルスを使ったバイオテロによって、ハワイ行きの旅客機内がパニックになる。
イ・ビョンホン、ソン・ガンホという日本人にもお馴染み二大スターが共演。
Amazonプライムに来ていたので観てみた。
その感想。

これはね、盛り込みすぎ。
2時間半とかある映画なんだけど、とにかく長く感じる。
最初の1時間ぐらいは、ものすごく面白い。
余りに面白いので「ヤベーよ韓国映画って全部このクオリティなのかよ」と前のめりになっていたのだが、途中から急にだれ始め、映画が終わる頃には「なんか変な映画だったなぁ」って感じ。
ストーリーをツイストさせすぎなんだよ。
盛り込みすぎなのよ。
星1つ半。★1/2
いや、ホント、最初の1時間ぐらいはものすごく面白いのに勿体ない。

以下、ネタバレで問題点をあげつらう。













太平洋に急降下していき墜落しそうになるあたりまでは、とんでもなく面白い。
しかし、その直後から急速にグダグダになっていく珍しいタイプの駄作。
とにかく問題点は、「時間の描き方の曖昧さ」に尽きると思う。
テロによって機内にばらまかれた致死ウイルスに罹患して最初の死者が出る。
周囲の乗客や客室乗務員にも次第に感染が広がっていく。
さぁ、どうする……っていう流れで、これって絶好のタイムサスペンスなのだが、時間の描き方があまりに適当なので、すぐ死ぬ人、全然死なない人、時間感覚がまったくいい加減でムチャクチャなのだ。
映画の舞台設定はソウル国際空港からハワイに向かう飛行機だ。
往路が8時間とかで、帰路が10時間とかだろうと推測する。
その往路8時間の割と早い時点で1人目の死者が出ているのに、そのあとハワイに着陸を拒まれ、成田にも断られ、ソウルにもデモによって降りられず……と、計算すると15時間近く密室の中でみんなウイルスに感染しまくっているはずなのに、ぜんぜん次の乗客が死なないの。
なんか知らないけど、ゴホゴホ咳き込んでも、死なないの。
そういった「時間の描き方の曖昧さ」によって、全てがリアリティを失い、「なんじゃこりゃ」と冷え冷えとした気持ちになっているところに、なんと後半いいところでついに発動するまさかの「反日」ストーリーw。
成田空港が着陸を拒むわ、自衛隊のジェット機が韓国の民間機に対して威嚇射撃するわで、日本人としてはとてもじゃないが観ていられない、むしろ腹が立つ展開に突入する。
そのあと母国韓国にすら着陸を拒まれるという話になるので少しは「反日」が薄らぐのだが、それにしても自衛隊機があんな威嚇射撃を民間機相手にしないだろ。
韓国映画にたまに出てくる反日の思想、なんとかならんかw。
と思っていたら、あれだけ足りない足りないと言っていた燃料がいつまで経ってもなくならず、普通にハワイまで行って戻ってくるし。
最後にソン・ガンホがとる行動とその結果も、余りに陳腐すぎて観客全員に先が読めてしまい、寒々しい気持ちになる。
バカバカしい。

とにかく、最初の1時間ぐらいだけ観て、観るのをやめるのがいちばん良いと思う。
太平洋に墜落しそうになるのをギリ機首を上げてセーフ、の所までは抜群に面白いので。



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今年の9月に映画館で公開されていた2023年の新作「ホーンテッドマンション」。
公開当時、割りと評判が良かった記憶があるので、Disney+で配信されたタイミングで観てみた。
その感想。

星2つ。★★
最初から最後までまるでピンと来ない。
特に語ることが何もない凡作。
ディズニーランドのホーンテッドマンションに乗ったことのある人なら、「ああ見たことあるアレだ」的な楽しみ方がちょいちょい出来るが、ただそれだけ。
別に観て損はしないが、そもそも観ても観なくてもどっちでもいいし、なにひとつ記憶にも残らない、よくあるポップコーンムービー。
ヴィランが、本場のディズニーランドのホーンテッドマンションに出てくるけど、浦安のホーンテッドマンションには出て来ない“首なし帽子箱”なので、日本人観客にはよりピンと来ないと思う。


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Netflixで先日最終話が配信されて完結した韓国ドラマ「無人島のディーバ」。
「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」主演のパク・ウンビンが同作の次に出演することを選んだドラマ作品がこれ。
スーパー演技派とされるパク・ウンビンの新作と言うことで鑑賞。
その感想。

これまた傑作。
星3つ半。★★★1/2
「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」(あれは星5つ★★★★★)のような、なにかとんでもないものを見させられているような高揚感はないのだが、全12話見終わったときの満足感はこちらも高い。
ただ、脚本上ちょっとやりすぎなところがあり、中盤「おいおい大丈夫か?」となるのが勿体ないところ。
最後まで観ると全てのつじつまが綺麗にあっているので、実は凄い脚本ではあるんだけど、途中ストーリーにツイストを利かせようとする余り、少しアクロバティックが過ぎると思う。
その辺で、5点満点から少し減点したという感じ。
だが、何度も言うが、途中どれだけ荒唐無稽な話に見えようが、最終的にはつじつまがきちんと合うのでご安心を。

以下少々ネタバレ。

第1話がとんでもなく良い。
「無人島のディーバ」というタイトルからは荒唐無稽ラブコメディの匂いしかしないが、韓国ドラマでよくありがちな第1話「え、そんなところから始めるの?」がこの作品ではひときわ輝いている。
思っていたのと全然違う角度から攻めてくるので、この第1話はホント素晴らしいなと感心した。

ところが、である。
第2話からしばらく、やべー展開が続く。
「そんなわけあるかい!」と思わず誰でも突っ込んでしまうような強引なツイスト。
まさかの偶然展開。
そして少々滑りがちなギャグ。
そして、韓国ドラマあるある。
この辺が連発されるので、見ている方はちょいと呆れかえってくるのだが、そのあと急にまた面白くなってくるので、このドラマ、中盤はとにかく我慢だ。
最終話手前あたりにはすっかりハマってしまっていることだろう。
中盤以降の盛り返しは凄い。

そして、何がすごいって、主演パク・ウンビンの歌唱力だ。
聞くところによると彼女、この役を演じるため歌のトレーニングを積みまくったそうで、作中で歌う歌はパク・ウンビン自身の歌声だと言うから驚いてしまった。
ほんの1年ぐらい前、「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」で急に大スターになり、初めてのファンミーティングを韓国や日本で開いていた彼女だが、その映像を見る限りお世辞にも歌が上手いとは言えずむしろ「ちょい音痴」ぐらいのレベルだったのに、だ。
どれだけ歌のトレーニング積んだんだよ、というか、パク・ウンビンさん、どれだけ演技に対して真摯で天才なのかと。
そりゃ、そんな努力型の演技派だからこそ、ドラマに今引く手あまただし、正直韓国の女優さんとしてはビジュアルも背格好も決して最高とはいえない地味めな彼女が売れまくっているのもよく分かる。
日本にこのタイプの女優ってなかなかいない。
吉高由里子とか高畑充希とか黒木華とか松岡茉優とかの感じかなぁ。
にしても、なんか違う。
彼女の主演作はなんにせよ今後も注目だ。

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ナポレオンの映画化と言えば、「2001年宇宙の旅」の次回作としてスタンリー・キューブリックが実現の一歩手前まで行って挫折したことが映画ファンの間では語り草。
実現すれば、ナポレオン役はあのジャック・ニコルソンが内定していたのだから、本当に観たかった惜しい作品だ。
このキューブリックの「ナポレオン」は、キューブリックが執筆した脚本を元にHBOで近々スピルバーグが全7話でドラマ化することにもなっていて、そっちの方が楽しみではある。
と、そのキューブリック&スピルバーグ版ナポレオンより一足先に、ナポレオンを映画化したのが「エイリアン」「ブレード・ランナー」の名匠リドリー・スコットである。
しかもナポレオン役は「ジョーカー」でアカデミー主演賞に輝いたホアキン・フェニックス。
そりゃあもう期待は高い。
公開初日に二子玉で鑑賞。
その感想。

これはズバリ、佳作です。
惜しい!
星2つ半。★★1/2
なんというか、ホントに惜しい。

戦争スペクタクル映画としては、マジ凄いです。
異常な数のエキストラを使って撮っている大戦闘シーンはものすごい。
そういう意味では本当に100点。
しかし、ナポレオンという人間を描くという意味では、少し足りない。
そのせいもあり、上映時間がちょっと長い。
2時間38分の映画なんだけど、いい意味でも悪い意味でも伝記なのでストーリーが起承転結にならないため、少々単調。
だから長く感じるんだろうけど、それ以上にこの映画、中身に少し問題があると思う。

そもそも論として、キューブリックはナポレオンの映画化に際し「長い映画になる。まぁ『風と共に去りぬ』ほどではないかな」と言ったと伝わっており、あの映画は3時間42分なので、おそらくキューブリックの想定では3時間半はあったのだろう。
そのぐらいナポレオン・ボナパルトという大偉人の半生を描こうとすると尺が当然掛かるわけで、やっぱり誰もが学校で習って名前だけは絶対知ってるような偉人中の偉人なわけですよ、濃すぎの人生なわけです。
で、名匠リドリー・スコットはキューブリックばりに全てを描くのは無理だと思ったんでしょう。
思い切ってナポレオンを妻ジョゼフィーヌとの関係一点で描こうとしたんだと思う。
ほぼこの映画、ジョセフィーヌとの話と言って良い。
が、しかし!
ナポレオンを描く以上、戦争に次ぐ戦争という歴史は描かざるを得ない。
イギリスと戦ったり、エジプト遠征して戦ったり、ロシアに攻め込んだり、島流しになり、またフランスに帰還し、最後はワーテルローの戦いなわけですよ。
この歴史の流れは描かざるを得ない。
その結果、妻ジョゼフィーヌとのドラマ部分と、ナポレオン自身が辿った政治的な流れや戦争の流れを描く部分が、結構乖離している。
政争でこんなことになりました、戦争して勝ちました負けました、で、妻とはこんな感じでした……をどっちも両方やろうとした結果、どっちも中途半端な感じ。
そこが実にもったいないなぁと思う結果になってます。
なぜジョセフィーヌにあそこまで執着したのかがよく分からないし、なぜ戦争に勝ったり負けたりしたのかも実はよく分からない。
どっちも中途半端で消化不良。
で、淡々と実際の出来事が矢継ぎ早に流れていくので、まぁ、正しいと言えば正しいんだろうが、映画として盛り上がるところがない。
ナポレオンも妻ジョセフィーヌも行動動機がよく分からないので、観ていて全く感情移入が出来ない。
まぁ現実の人間はそのまま映したら何考えているかなんて分からないわけだし、人生は起承転結で進むわけでもないし、とんでもないドラマチックな瞬間が映画みたいに来るわけでもないので、この映画、リアルと言えばリアル、正しい伝記と言えば正しい伝記。
なので、好きな人はとことん好きなタイプの映画なんだろうけど、僕としては、人間くさく描くならもっと人間くさく、ナポレオンと妻ジョセフィーヌのドロドロの愛憎劇ばかり濃く激しく詳しくやって欲しかった。
表面上、ナポレオンもジョセフィーヌも相手に対して泣いたり怒ったりしてはいるんだけど、「なぜ?」がイマイチ伝わってこないのよ。
情緒不安定な男女が奇妙な距離感で相手を愛しながら憎んでる、みたいなことしかよく分からない。
スピルバーグが作るキューブリック脚本版「ナポレオン」はその辺どう描いてくるのか?
本当に出来上がるのかなぁ。
HBO頑張って欲しいなぁ。
正式発表が楽しみです。

まぁでもこの映画。
戦争シーンの迫力、残虐さは、19世紀初頭のヨーロッパの戦争ってこんな感じで人権無視の肉弾戦だったんだなぁと思えて、身震いします。
血みどろです、肉片まみれです。
あと、オープニングがいきなりマリー・アントワネットの斬首台シーンから始まるのも最高でした。
あ、見る前に、ナポレオンの基礎知識、ジョセフィーヌの基礎知識をある程度Wikipediaとかで読んでから観に行ったほうが置いていかれずに済んで楽しめると思います。

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映画「ジョーズ」の有名なシーンに、怪我自慢のシーンがある。
このシーンが僕は好きで、飲みながらたまに観返したりするのだが、本日また観返していてふと気付いた。
「これ、英語のセリフ“eel”をちゃんと“ウツボ”って訳してるじゃん」と。
画像はそのシーンを撮影したものだ。
“eel”は字幕で“ウツボ”と訳されている。
海の“eel”は“ウツボ”だ。
一般常識だ。

そこでまた思い出したのだ。
「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」の字幕のことを。

戸田奈津子はあの映画の字幕で
“eel”を“ウナギ”って訳してたなって!w


海の中に居て、体長が2メートルにもなって、人を襲ってくる“eel”はどう考えてもウツボなわけだ。
正しくはウツボは“moray eel”で「ジョーズ」のセリフは“moray eel”なのだが、インディ5の脚本上の“eel”は、人を襲い巨大であるという前後のセリフの文脈からしてウツボを指していることが明白だ。
そうじゃないのだとしたら、監督や脚本家がアホすぎてウツボとウナギを間違ったのか、あるいは「うなぎ?海に?は?」という高度なボケのつもりか?
なんにせよ映画に出てくる生物はウツボなので、日本語字幕はウツボと訳すべきだろう。
そんなことは「運命のダイヤル」の該当シーンを見ればすぐに分かる。
場面は明らかに海上。
登場人物たちは2メートルを超える凶暴な“eel”について話しているのだ。
ところが“eel”を、戸田奈津子は「運命のダイヤル」でそのまま“ウナギ”と直訳した。

これ、恐ろしいことに、公開時の劇場だけの話ではない。
なんとソフト化された今も字幕は“ウナギ”のままで、
しかも日本語吹き替えのセリフも“ウナギ”なのだ。


日本のDisneyの担当が誰だか知らん。
しかし、余りにもお粗末じゃないだろうか?
あの“eel”は誰がどう考えても“ウツボ”だろ?
そんなことも瞬時に見抜けないほど、戸田奈津子とDisneyの担当社員は注意力散漫なのか?
ただでさえしょうもない映画が、あの“ウナギ”のせいでますますしょうもないものになっていて、それが未来永劫残るらしいw
備忘録としてここに文章で残しておく。

おそらくこの“eel”=“ウナギ”問題以外にも、「運命のダイヤル」の中に戸田奈津子の適当な意訳によって起こっている不具合はたくさんあるのだと思う。
しかし、そんなものをいちいち探して検証するほど、僕のエネルギーは残っていない。
なぜなら、映画自体の出来がどうでもいいからだ。
あんな駄作にそんなエネルギーは出ない。
つまり、昔だったらカンカンになって直接Disneyに抗議のメールを出しているような案件なのだが、もはや映画自体がどうでもいいのでそんな気力も出ない。
なので、こうしてブログに記して、後世に記録として残ればいいなぁぐらいにしか思わんのだ。

にしても。
あれが“ウナギ”という字幕になっていて何の疑問も抱かない日本人は、ある意味で知的に劣化していると思う。
字幕をつける時点で、吹き替えを録音する時点で、スタッフの中に1人ぐらいこの過ちに気付く人間がいなかったというのが恐ろしい。

戸田奈津子って、いつまで字幕翻訳家として現役続けるつもりなのか?
あなたのせいで、酷い目に遭わされた映画を僕はたくさん知っている。
「ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間たち」でさんざん糾弾され、痛い目に遭ったはずではないのか?
「ザ・ロック」という映画の誤訳では、僕は未だにあなたのことを許せない。
あなたの誤訳のせいで、エド・ハリス演じる軍人のキャラクターがまるで違うものになってしまい、日本の観客だけがあの映画の内容を誤解したんだぜ。
他にも、「アポロ13」でスイッチのオンとオフを全部逆に誤訳したり、致命的な誤訳の数々を僕は目撃してきた。
それなのに未だにたまに字幕翻訳に名前を出し、意味の分からない誤訳を撒き散らしている。
いい加減引退すればいいのに。

マジでそう思う。


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ゴジラの生誕70周年記念作品で、日本で製作された実写のゴジラ映画としては通算30作目。
映画評論YouTuberたちがサムネで軒並み絶賛しているっぽかったので、楽しみに観てきた。
その感想。

はい、いつもの山崎貴。
この人はそもそも白組のVFXアーティストだった人で、そもそもは映画監督でも脚本家でもなかった。
CGの腕を買われ、結果として監督や脚本を任されるようになったのだが、監督するだけならまだ良いが、原作なしで単独でこの人が脚本を書くといつもこうなる。
この人のフィルモグラフィーを調べてみれば一目瞭然。
他の脚本家と共同執筆した作品はまだマシ。
きっちりした原作があるものはそこからストーリーや構成、セリフを引っ張ってこれるのでまだマシ。
ところが、原作なしのオリジナル脚本を単独で書くとこうなる。
とにかく、ドラマ部分の脚本(場面展開やセリフ)が陳腐で陳腐で、もう観ていられないお遊戯会レベル。
確かにゴジラ回りのCGやゴジラの戦闘シーンの迫力などは頑張っている。
ただし、映画の全体尺の半分以上を占める長い長いドラマ部分が笑っちゃうぐらい「安い」ので、とにかくツライし、乗れない。
役者たちも可哀想。
こんな脚本だとどう芝居してもそりゃこうなる。
どこかで聞いたようなセリフだらけ(「シン・ゴジラ」に完全に引きずられた引用セリフ多数)、どこかで観たような展開だらけ(「ジュラシックパーク」と「ジョーズ」と「ダンケルク」かと思ったよねw)、ああ、ひどいったらありゃしない。
星は1つ半。★1/2
何が傑作だ?
「シン・ゴジラ」の足の小指の爪にも及ばない出来。

以下ネタバレ。















「シン・ゴジラ」が素晴らしかったのは、ゴジラはもちろん全ての登場人物に必然的な行動動機があり、ただの脚本上の都合で偶然登場人物になる人物がいないことだ。
「シン・ゴジラ」のゴジラは、日本に怨みを持つ牧教授が明らかに自らの意志で東京湾に上陸させ、日本政府に挑ませた巨大不明生物であり、それに対処するのはもちろん政府の役人たち、つまり「仕事」だ。
アメリカは日米安保の必然として、また世界の警察として必然的にこの事態に介入してくる。
全てが必然で覆い尽くされている。
ところが、である。
「ゴジラ-1.0」はその辺がことごとく「偶然」で処理される。
たまたま特攻を拒否して大戸島に着陸した主人公・敷島(神木隆之介)は、たまたまそこでゴジラに遭遇し、因縁とトラウマが発生する。
戦後の闇市で主人公敷島はヒロイン(浜辺美波)にたまたま赤ん坊を押しつけられ、そんな偶然から2人の生活が始まる。
で、主人公敷島がたまたま志願した機雷除去の木造船の仕事に、たまたまゴジラ殲滅作戦を考案する学者(吉岡秀隆)がいる。
そんなたまたまだらけの脚本、あるかいな?w
起きること起きることが全部が全部、山崎貴の脳内で都合良く処理された偶然の積み重ねで、ひたすら出来ている。
だから、そんなご都合脚本には、強烈なリアリティあるセリフや描写が必要になってくるのだが、そこも薄っぺらい。
まるで、高校生が文化祭で上演するメロドラマの芝居みたいな安いセリフを積まれるので、まぁ観ていられない。
悲愴なセリフを悲愴な表情でいかにも悲愴な感じに演技する神木隆之介の姿に、むしろ笑ってしまう。
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」とかカメラの前で長回しで叫ばさせられている神木隆之介が可哀想で仕方ない。
プロの役者だから台本にあったらそりゃ監督の指示通りに演じるんだろうが、あれは可哀想だろ。
「ジュラシック・パーク」にしか見えない最初のゴジラ登場。
「ジョーズ」をパクった口内機雷爆破。
「シン・ゴジラ」をなぞっただけのゴジラの背びれ放射能キャノンの描写。
零戦で周りを飛び回っただけで怒ってあとを追ってくる間抜けなゴジラ(逆に可愛すぎて爆笑)。
「ダンケルク」やら「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」みたいに、船がたくさん助けにやってくる安すぎるラストの展開。
しかも、その助け船たちが戦艦2隻?にロープをくくりつける速さが速すぎてウソだろと突っ込まざるを得ないあのご都合脚本。
前半で一度ゴジラの口の中で機雷を爆発させてすぐ再生する様を見せたがため、ラストもまた同じように口の中で爆弾を爆発させても「また再生するんじゃねーの」としか思えないカタルシスの無さなのに、なんと今回はなんか知らんけど退治できちゃうというご都合脚本。
とにかくまぁ、脚本が稚拙。
そして全てが薄っぺらい。
1947年の戦後2年目の東京なのに、なぜか進駐軍は映らない。
米ソの冷戦がウンヌン……のセリフで誤魔化すが、そもそも1947年にまだ米ソの冷戦はそこまで表面化していない。
放射能怪獣ゴジラの口から出た原爆級の爆発で都心は吹き飛び、黒い雨が降るというのに、その後被爆した街や被爆者たちの悲惨な姿は何も出て来ない。
出てくる風景全てがどこか箱庭のようで現実感がないのは「オールウェイズ/3丁目の夕日」の時から変わらない悪癖。
で、戦争を引きずる特攻隊員・敷島が、果たして生きるのか死ぬのか、そのどちらの覚悟に至るのかがドラマの主軸のはずなのに、最後の最後の「生きる」を選ぶ展開が、ただのサプライズで処理され、最も盛り上がるはずの感動的なはずの主人公の決断が観客へのサプライズで終わる。
一番美味しいところを逃すという信じられない子供だましの脚本。
さらに、ゴジラがただの害悪的な存在であり、人間の愚かさが故に生み出された悲劇的生物であるという視点がまったく抜け落ちていて、背景が何もないただ唐突に現れたモンスターにすぎず、さらにゴジラに同情する人物が1人もいないのって、それって果たしてゴジラなのか?とまで言わざるを得ない。
ゴジラをただのでかいトカゲにしてしまった悪名高きエメリッヒ版の「ゴジラ」と同じ過ちをさらりと簡単に犯している。
とにかくまぁ、脚本が稚拙。
そして薄っぺらい時代描写。
箱庭のような稚拙な世界観。

最後に言おう。
怪獣ゴジラはなにかのメタファーであり、芯の通ったメタファーを失ったゴジラはただのモンスターだ。
ハリウッドのゴジラがまさにそうで、だからあれらの映画は伝説にならない。
この山崎ゴジラも一緒。
ただのモンスターでしかない。
きちんとメタファーとして痛みや教訓を背負わないなら、ゴジラじゃなくて適当なモンスターでいい。
こんなものは「バトルシップ」を観ているのと変わらん。
というか、だったら「バトルシップ」の方が面白い。

ゴジラは「シン・ゴジラ」が奇跡の傑作。
そして1954年公開の1作目が最初にして最後のオリジナル。
もう作らなくて良いと思う。
もはや1954年の「ゴジラ」と「シン・ゴジラ」は絶対に越えられない壁だと思う。


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昨年(2022年)公開され、話題になった日本のインディーズ映画。
とある中小広告代理店の社員たちが全員タイムリープしているという設定で始まる物語。
友人づてに絶賛の評判を聞いていたのだが、劇場で見る機会が持てず、今回Netflixで配信がスタートしたので早速観てみた。
その感想。

実に良く出来たインディーズだった。
星は4つ。★★★★
本当に「素晴らしい」のひとこと。
1時間半弱と短い映画なので、騙されたと思ってNetflix加入者はこの作品、観たほうがいい。
新進気鋭の日本の映画クリエイターたちが、こんなに素晴らしい発想でよくありがちなタイムリープものを新たな地平に導いたことに感動すら覚えると思う。

確かにひとことで言えば「タイムリープもの」だ。
ある小さな広告代理店のオフィスを舞台に、ある1週間が永遠にグルグル循環を続けている。
この永遠に終わらない1週間を終わらせるためにはどうすればいいのか?というのが映画のタテ軸ではある。
だが、そこに徐々に現れてくる物語は「お仕事もの」であり「フェミニストもの」であり「輪廻転生もの」であり「中年親父の悲哀もの」であり、そして最後には「人生とは?」をきっちり突きつけてくるというとんでもない展開を見せる。
タイムリープものとして想像している範囲とは違う方向に大きく舵を切っていく後半、「ああ、そう来たか」と涙がにじむ。
この辺はネタバレになるのでなんとも言いがたいが、「アレを映画の中で映像で見せたこと」がまずクリエイターとして思い切っていて、僕なんかは目からウロコが落ちた。
なるほど、映画だけど(若干ネタバレだが)画と文字で見せていくのね……という思い切りの良さ。
この辺がこの脚本や演出の素晴らしさであり、他にはこんな映画観たことないので、そりゃあインディーズとして話題になるよなぁという感じである。
まぁ、何を言っているのか分からないと思うが、とりあえず観てみて欲しい。
Netflixに加入している日本人が、今いちばん見るべきソフトはこの「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」で間違いないと思う。

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「スター・ウォーズ/ローグワン」を撮ったギャレス・エドワーズ監督の最新作。
渡辺謙も出演しているSF超大作なのだが、二子玉のシネコンで見てきた。
その感想。

これはね、星2つ。★★
なんだろう、鑑賞している間ずっと首をひねるような感覚の映画だった。
ところどころ良い要素はあるし、特に音楽や音響の使い方は「おっ」と思わせるのだけれど、いかんせん映画全体に漂う頭の悪さがキツイ。
具体的には後ほどネタバレで書き記すが、このギャレス・エドワーズという監督は、「ローグワン」の時も思ったんだけれど、基本的な物理法則とか科学とかの知識はもちろん、世の中の常識的な感覚が欠如しているんだろうと思う。
人や物の動き、位置関係、兵器システムの論理性など、細かな齟齬が多く、いちいち「そんなわけないだろ」って感じちゃうポカが脚本の端々に見て取れ、「ローグワン」同様、なんだか全体の印象が馬鹿っぽい映画に仕上がっちゃうのだ。
世界観は良いし、映像は綺麗で素晴らしい。
題材や素材やデザインもいいのだれど、料理の仕方がまずいので、映画全体がなんだかなぁになっちゃっている典型的なパターンだ。

では具体的にネタバレしつつ、文句を言う。











まず冒頭に「2065年」の時代設定が表示されるのだが、今からたったの40年後にこんな世界になるはずがないわけで、その辺のリアリティの欠如で、賢明な観客たちはめまいがし始める。
おそらく、日本マニアのギャレス・エドワーズはこの物語のベースを「アキラ」に設定していると思われ、なのでこんな近未来になっちゃっているんだろう。
いやいやいやいや、「アキラ」の原作が描かれた80年代は、確かに40年後の東京にああいう未来都市をみんな思い描いていたけれど、本当の2020年は現実的に違ったわけじゃん。
そんな事実をベースにした今の感覚だと、あれは40年後の2065年ではなく、せめて2165年、いや下手すれば2265年の設定でなんとかリアリティを感じる世界観だと思う。
その辺の世界観の設定の感覚の狂いがもう最初からいかにもアタマ悪くて、ギャレス・エドワーズを信じられない。
で、始まったら始まったで、出てくる敵の超兵器はほとんどデス・スターそのもの。
本当にスター・ウォーズ好きなんだなぁとしか思えない超兵器の描き方に苦笑し、でもって、満を持して登場したのは完全にアキラ少年の設定そのまんまのAI少女。
そんでもって、AI渡辺謙はメカのくせに寝て、寝てる隙に少女を奪われるという、「お前センサーついてないんか?」という頭の悪さ。
で、戦闘シーンは何の作戦もなく、敵も味方も正面からひたすらバンバン撃ち合って被弾して死ぬ、そんな頭の悪さはローグワンと同じ。
敵も味方も出てくる軍人が全員、何の作戦もなく、アタマが悪く、そりゃ死ぬよねっていう死に方をするので、ついていけない。
で、例のデス・スターは、地上をスキャンしてから真下にミサイルを落とすものとばかり思っていたら、最後の攻撃では、真下以外にもミサイルを急に撃ち出し、そもそもあのスキャンの意味は?とか、スキャン要る?など、ぜんぜん意味が分からない。
というかそれ以前に、あんなに凄い能力の「AIアキラちゃん」を作れる科学技術があるのであれば、AI側はあんなデス・スターをもっとあっさり無力化する兵器ぐらい簡単に作れるんちゃうんか?という素直な疑問でモヤモヤしっぱなし。
かと思えば、急に「走る爆弾ロボ」みたいなアナログ兵器が出てきて笑う。
なんかひとつひとつは面白いアイディアなのかも知れないが(大半が別の映画で見たものの寄せ集めだけれど)、それらを組み合わせたときに世界観に一貫性がなさすぎて、違和感しかない。
それと、戦闘はアジアのどこかでいろいろ起きるのだが、地理関係の描き方が甘く、ブレードランナー的な近未来都市と、地獄の黙示録的なジャングルアジア村など、どこかで見たような箱庭をただただつなぎ合わせただけにしか見えない。
どれだけ金をかけた立派な映像だろうが、位置関係がよく分からないアジアのいろんな風光明媚な場所で馬鹿と馬鹿が真正面から撃ち合うだけのバカ戦争をずっと見させられるだけでは、そもそも心に響かんのよ。
で、ラストなぜか都合良く意識を取り戻すAI妻とキスして、爆死しても、それじゃあこっちはちっとも泣けんのよ。
「ローグワン」のラストはキスしそうでしないまま死んだ主人公男女2人だったが、今回はキスして死ぬのよ。
ギャレス・エドワーズは本当は「ローグワン」でもキスさせてから2人を爆風死させたかったんだろうなぁ、という根深い執念を感じたね笑。

まぁ、興味のある方は見てみてください。
僕の言っていることがいちいち納得できると思います。


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2023年のナンバーワン韓国ドラマとの呼び声が高い「ムービング」。
釜山国際映画祭では6冠受賞(あのウ・ヨンウでさえ2冠しか取れなかったのに)。
今のところDisney+の配信でしか見られないのだが、その感想。

これは文句なしに面白い。
星は4つ。★★★★
一応、大きなストーリーのベースは「超能力もの」なのだが、様々なジャンルが混在し、先が読めない脚本演出、そして伏線回収の凄さがとにかく圧巻。
最初は学園ラブコメディから始まるが、家族愛ものに変わり、さらに世代を超えた親子の話、サスペンス、スリラー、アクション、SF、スーパーヒーローものと多岐に渡った上、南北朝鮮のスパイものの要素まで出てくる。
良くここまで全部盛りにして、破綻しないように仕上げたもんだと感心するほかない。
それもそのはず、全20話で、歴代韓国ドラマ史上でも最高の制作費65億円を投じているらしいのだ。
1話あたり3億円ってことだ。
日本だったら映画が5本撮れる予算で1話を作ってるんだから、そりゃあ凄いに決まっている。
Disney+が威信を賭けたこの1作、その投資に見合った出来映えになっている(個人的には最後の数話が消化不良だったが、それでも十分余りある高クオリティ)。
なにより、ただのエンタメSF超能力ものかと思いきや、「人」や「その人生」「家族愛」を徹底的に描いているので、見ている方としては感情移入がすさまじい。
泣かせるし、笑わせるし、興奮させるし、ハラハラさせるし、とんでもないエンタメ超大作ドラマなのだ。

最初の7話ぐらいでストーリーの中心になる高校生男女の物語が特に良い。
なんだか若いころのさとう珠緒に似ている主演女優コ・ユンジョンはとても魅力的で(高校生を演じているが実は27歳。信じられん)、そのパートナーになる男の子役の俳優はとても愛嬌があって可愛らしい。
そしてその後は彼らの両親のストーリーに物語は移っていくのだが、この親世代の役者たちもすごく良い。
調べたら、どの役者も韓国の一線級のスターらしく、そりゃあ演技上手なのもうなずける。

世界的な大ヒットにより、シーズン2の製作がすでに決定。
またひとつシーズン2の配信が待ちきれない作品が出来てしまった。

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