自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

蓼科6 御柱

2011年02月19日 | その他 others
湖岸を歩いていたら礫があり、角は丸みを帯びていたので、湖には波があってこすられていることがわかります。そこに氷が張っており、小石を包むようになっていました。氷のほうからみると石で穴があいていることになります。
 ここに来る前に立ち寄った博物館にビデオが置いてあり、御柱祭を上映していました。噂には聞いており、テレビでも見た記憶がありますが、しかし巨大な丸太を急斜面に落とし、そこに飛び乗るなど正気の沙汰ではありません。現にときどき死亡事故が起きています。その木を御柱というようで、諏訪神社にそれが立っていました。説明を聞き、解説書なども手に入れてみて、とても興味を持ちました。この激しい祭りの部分がよく知られているわけですが、この一連の祭りは山奥で木を選び、神事をおこなったあと、切り倒すところから始まり、それを引き、川を渡りと、いくつもの過程を経て滑り降りるクライマックスに至るということです。そのときあれは甚句というのでしょうか、甲高い声で歌が歌われます。たいへんに感動的なものです。こういう歌は歌詞の意味がわからないものですが、これははっきりしていて「奥山の大木、里に下りて神となる」という簡潔なものです。以下は勝手な想像。
 これは山と里のつながりを象徴化したものではないか。日本文化の底流には山の民の暮らしがあり、そこに稲作技術をもった大陸からの農耕民が入って、おそらくは対立もしながら、融合していったであろう。気の荒い若い者はけんかもしたであろう。里の民は山の民を蔑視し、山の民は米を作る里の民にコンプレックスを持っていたであろう。だが知恵のある人がいて、米を作るためにはよい水がいり、よい水を産んでくれるのは山の木であることを悟っていたのではないか。そして山から木をおろし、それを神と讃えて、山の民を歓迎するセレモニーとしたのではないか。木は山にあればただの木だが、里に下って始めて神になるのだと。
 里の民はふだん遠景に眺めている青い山から運ばれてきた巨木をみて、森のことを想像し、その大きさに手を合わせたくなるような敬意を抱いたであろう。荒々しい祭りの意味は、。その木と死んでもよいという一体化であろう。
 この祭りが、ふつうの祭りと違って秋の刈取りの時期でないことも意味がありそうな気がした。

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