自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

小田和正はそんなにわかりやすい男か?

2017年04月01日 | うた
とても長いので読みたい人だけが、覚悟をして読んでください。

 NHKの「100年インタビュー」で小田和正をとりあげたことは書きました。小田らしい妥協のなさ、精神の強靱さ、思慮深さ、そういったことに発する2つの印象的な言葉をとりあげました(こちら)。
 この番組は自身が小田ファンである司会者が問いかけをする形で作られていましたが、軸になるのは交通事故を起こして小田の意識が変わったということでした。瀕死の重傷をして病床にあったとき、たくさんの人から自分が死ななかったことを喜び、「生きているだけでうれしい、ありがとう」と言われたことで、自分の存在の意味に気づいたということでした。そしてそのことで観衆を喜ばせたいとする小田の姿を追跡し、紹介していました。私は感動し、そうだと思いながらも、同時になんだか変だなとも感じたのでした。そう感じながらも何が変なのかが自分でもよくわからないでいました。

 小田和正というのはそんなにものわかりのよい芸人ではない。「ファンを大事にし、ファンが喜ぶために努力をする」というところだけとりあげれば、「お客様は神様です」と言った三波春夫(古すぎるか)とどこが違うのか。三波春夫に代表される、お客様の前に満面の笑みを忘れず、舞台裏では周囲に気を使い、先輩を立て、自らを卑下し、芸能界を生き延びるタイプを芸人とすれば、小田はまったく違います。言葉数は少ないし、口の聞き方もやや尊大なところがあります。そういえば彼が目上の人と敬語を使って話しているのを聞いた記憶がありません。要するに芸人にみる愛想がよく立ちふるまうのとはまるで違う人間だということです。にもかかわらず、交通事故以後、小田はファンを大切にするようになったというところだけとらえると、要するに芸人と同じ、すなおでものわかりのよい人になったということになり、それは違うのではないかというのが私の受けた違和感です。

 この番組の中で小田自身も言っていたし、この前の「クリスマスの約束」でもスターダストレビューの根本要が言っていました。シンガーというのはなんのために歌い続けているかといえば、いっしょにハーモニーをしたときの心地よさ、それをもっとうまくなりたいからだと。若いときに、自分は音楽と離れては生きていけないと思った、勉強をしないといけないと思いながらも友達といっしょに歌をうたうことはやめる気もなかったし、やめることはできなかった。それはリスクのあることです。そういう無謀さは、ふつうであれば東北大学工学部に進学するというタイプの人にはありえないほど稀なことです。私も東北大学で小田と同じ頃に在学していました。工学部の友人は何人かいますが、いずれも安定志向、手堅い職業につきました。それに比べれば私が選んだ理学部は、研究者志向が強く、研究者になるというのはリスクが大きいので、工学部よりははるかに不安定です。後に研究者になった人と話すと、口をそろえて「私たちは若気のいたりで無謀な選択をした。でも生物学と離れた人生は考えられなかった」と言います。その手堅い人であるはずの小田が音楽というリスキーな人生選択をしたのです。つまり小田和正は無謀とも言える人生選択をするような人間なのだということを確認しておきます。
 
 さて、さまざまなところで感じますが、彼は物事を深く考え、ことばを選んで発言します。そして確信を持ては、がんこというか、人がなんと言おうとビクともしない。実際、無謀と思われる作品作りをしました。きっとハズレもあったはずです。しかしときに思いがけないようなヒットをする。それが時代を先取りしていることもあるし、逆に時代遅れと思われることもある。それは小田にとって普遍的なこと、永遠と思われることを、世に迎合しないで貫く強い精神に支えられるからだと思います。
 私が言おうとしているのは、「100年インタビュー」の流れとなっていた、小田が交通事故に会ってからファンに喜んでもらいたいようになり、それから作品やコンサートが変化したということに対する小さな疑義です。「小さな」と書いたのは大体はそうだと思うからです。

 去年の「クリスマスの約束」で根本要が言っていたのは、舞台裏でさだまさしが、歌手は結局、金、女、名誉のどれかが欲しくて歌をうたうのだと言っていたが、いやそうではない、好きだから歌い続けるのだというのです。欲得でうたうということでいえば、芸人としての歌手は当然ヒットが欲しいと思う人種です。ほとんどそれだけで生きているくらいでしょう。そのためにウケ狙いの歌詞やメロディーを考える。だからパッと流行っても数年立って聞くと色褪せる。ルックスのよい若者が有名な作詞、作曲家に作ってもらい、宣伝をすればそこそこの「ヒット」にはなり、それを続けていれば、知られた歌手にはなれる。というより、ほとんどがそうして作られている。もし、この番組の筋書きが、小田がファン受けをする作品を作るようになったというものだとしたら、小田のしていることはこうした芸能界のプロモーションと違わないことになる。本当にそうだろうか、というのが私の疑義です。

 オフコース時代に作られた「生まれ来る子供たちのために」という歌があります。「僕はこの国のあしたをまた思う」とか「その力を与えたまえ」など、他に似たものがないような普遍性のある歌詞とメロディーです。女にモテたいとか、ヒットが欲しいと思う若い芸人の作るものでないことは明らかです。作らないではいられないという思いが産んだ作品だという気がします。
 あるいは「風のように」に代表される、風を歌詞に入れた歌がいくつかあります。小田は風や空が好きですが、好きなものは飽きることなく作り続ける、これもヒット狙いではありえないことです。
 コマーシャルに取り上げられて大きなヒットになった「言葉にできない」の「あなたに会えて本当によかった。うれしくて言葉にできない」という歌詞は、たぶん恋人との出会いを歌ったものでしょうが、親になった人と生まれてくれた子供とか、あるいは先生と学生とか普遍的な人間関係の歌としても聴くことができます。
 この歌はオフコース時代の1982年の作品ですから、小田が35歳くらいのときのものです。小田が交通事故にあったのは1998年ですから、51 歳。30代の男が考えることと50歳の男が考えることは、まるで違います。そう考えると、100年インタビューが作った、交通事故にあってファンを大事にするようになって歌作りやコンサートがファンを喜ばせるものになったという筋書きはあまり納得できないのです。

 100年インタビューで、小田自身がそう(交通事故で変わったと)言っているのだから、それでよいではないかともいえるのですが、やはりそれでは三波春夫と違わない。私はそれは違うと思うのです。小田和正という人は、ファンがよろこぶことならなんでもやるという芸人のようなことをする男ではない。私にはそういう確信があるのです。エンタテイナーとしてのファンサービスはするだろうが、そして自分をかっこよく見せたいという煩悩がない男とも思わないが、しかし音楽性を追求する上でファン受けする、しないより、音楽として普遍性をもつものを作りたいという純粋さで妥協は許さない、そういう志向のほうがはるかに強い男だと思うのです。


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