7月になったということは今年になって半年が経ったということです。あわただしく、しかし無為に時間ばかりが流れてしまったという苦々しさを感じないではいられません。この国に対する失望、子供たちへの申し訳なさを強く感じます。・・・・少し前に書いた詩です。
ごめんね ー 7歳になった君へ
高槻成紀
君が生まれて来てくれたとき
おじいちゃんとおばあちゃんは
どれだけうれしかったことでしょう
そして思い出しました。
三十年くらい前に君たちのお母さんが
生まれてきてくれたときのことを
その頃おじいちゃんとおばあちゃんは仙台にすんでいました。
あれから長い時間がたちました。
小さかったお母さんが育って
学校に行くようになり、
高校を卒業したときに東京に来ました。
そしてお母さんはお父さんに出会いました。
それからよい家庭を築いてくれました。
毎週のように君の弟や妹やおばちゃんたちと私たちのうちに来てくれて
楽しい時間をすごしてくれます。
ときどき風邪をひいたり、お腹がいたくなったり
たいへんなこともあるけど
君はすなおで明るい子供に育ってくれました。
こういう時間がずっと続いて
君がまっすぐ、やさしく育ってくれるのを楽しみにしていました。
去年の3月、仙台のほうでこれまでにない大きな地震がありました。
実は君のお母さんが生まれたときにも
仙台で大きな地震がありました。
でも去年の地震はそれよりもずっと大きなものでした。
津波が起きて町がなくなり 二万人もの人が死んでしまうという
おそろしいことが起きました。
とくにたいへんなのは原発事故が起きたことです。
原発というのは原子力で電気を作るところのことです。
君が大きくなったらわかるけど
おじいちゃんが生まれる少し前、日本はアメリカと戦争をしていましたが
広島と長崎に原子爆弾が落とされて戦争に負けました。
その爆弾は人類が経験したことのないもので
一度にたくさんの人の命が奪われただけでなく
生き残った人にもおそろしい病気を残しました。
その原子力を使って電気を作ることになったとき
はじめは反対の声もあったけど
いつのまにか大丈夫、大丈夫といって
気がついたら日本各地に原発ができて
今では原発なしには電気が足りないということになっていましました。
でも原発は大丈夫ではなかった。
福島で原発の爆発が起きてしまい
そこに暮らしていた人々はもう戻ることができなくなってしまいました。
それでみんなはやっと気づきました
やっぱり原発は危なかったのだと
原発など使ってはいけなかったのだと
おじいちゃんは君たちにとても申し訳なく思います。
私は、高校生の頃、お父さん、つまり君のひいおじいちゃんに
「どうして戦争に反対しなかったの?」と聞きました。すると
「あの頃は今の日本とは全然違ってたんだ」
という答えでしたが、納得できませんでした。
でも今思うと、原発を作ろうという動きがあったときに、
私もきちんと反対をしませんでした。
広島の原爆のことを考えれば、原発はいらないと言うべきでした。
みんなが日本の将来を真剣に考えず、豊かさだけを追い求めた結果、
あの美しかった福島が放射能によって汚れてしまい、
植物も動物も汚れてしまい、
人がすめなくなってしまいました。
それだけでも、これからこの国に生きていく君たちに申し訳ないのに、
その危ない原発をもう一度動かして使うということになってしまいました。
おじいちゃんたちは自分でできる限りの反対をしてきましたが、
そうはなりませんでした。
私たちは幼い君たちに本当に申し訳なく思います。
君が大きくなって
「どうして反対しなかったの?」
と聞いても、返す言葉がありません。
何も知らずに明るく笑う君をみると、
同じくらいの福島の子供たちはどうなのだろうと思われます。
あの子たちは元気に外で遊べるのだろうか?
幼い体の中に恐ろしいことが起きてはいないだろうか?
これから生まれてくる子供たちは大丈夫だろうか?
「豊かな生活」といってむだやぜいたくをして、
そのために取り返しのないことをして、
子供たちに苦しい思いをさせる大人が許されるはずがありません。
ごめんね
ごめんね ー 7歳になった君へ
高槻成紀
君が生まれて来てくれたとき
おじいちゃんとおばあちゃんは
どれだけうれしかったことでしょう
そして思い出しました。
三十年くらい前に君たちのお母さんが
生まれてきてくれたときのことを
その頃おじいちゃんとおばあちゃんは仙台にすんでいました。
あれから長い時間がたちました。
小さかったお母さんが育って
学校に行くようになり、
高校を卒業したときに東京に来ました。
そしてお母さんはお父さんに出会いました。
それからよい家庭を築いてくれました。
毎週のように君の弟や妹やおばちゃんたちと私たちのうちに来てくれて
楽しい時間をすごしてくれます。
ときどき風邪をひいたり、お腹がいたくなったり
たいへんなこともあるけど
君はすなおで明るい子供に育ってくれました。
こういう時間がずっと続いて
君がまっすぐ、やさしく育ってくれるのを楽しみにしていました。
去年の3月、仙台のほうでこれまでにない大きな地震がありました。
実は君のお母さんが生まれたときにも
仙台で大きな地震がありました。
でも去年の地震はそれよりもずっと大きなものでした。
津波が起きて町がなくなり 二万人もの人が死んでしまうという
おそろしいことが起きました。
とくにたいへんなのは原発事故が起きたことです。
原発というのは原子力で電気を作るところのことです。
君が大きくなったらわかるけど
おじいちゃんが生まれる少し前、日本はアメリカと戦争をしていましたが
広島と長崎に原子爆弾が落とされて戦争に負けました。
その爆弾は人類が経験したことのないもので
一度にたくさんの人の命が奪われただけでなく
生き残った人にもおそろしい病気を残しました。
その原子力を使って電気を作ることになったとき
はじめは反対の声もあったけど
いつのまにか大丈夫、大丈夫といって
気がついたら日本各地に原発ができて
今では原発なしには電気が足りないということになっていましました。
でも原発は大丈夫ではなかった。
福島で原発の爆発が起きてしまい
そこに暮らしていた人々はもう戻ることができなくなってしまいました。
それでみんなはやっと気づきました
やっぱり原発は危なかったのだと
原発など使ってはいけなかったのだと
おじいちゃんは君たちにとても申し訳なく思います。
私は、高校生の頃、お父さん、つまり君のひいおじいちゃんに
「どうして戦争に反対しなかったの?」と聞きました。すると
「あの頃は今の日本とは全然違ってたんだ」
という答えでしたが、納得できませんでした。
でも今思うと、原発を作ろうという動きがあったときに、
私もきちんと反対をしませんでした。
広島の原爆のことを考えれば、原発はいらないと言うべきでした。
みんなが日本の将来を真剣に考えず、豊かさだけを追い求めた結果、
あの美しかった福島が放射能によって汚れてしまい、
植物も動物も汚れてしまい、
人がすめなくなってしまいました。
それだけでも、これからこの国に生きていく君たちに申し訳ないのに、
その危ない原発をもう一度動かして使うということになってしまいました。
おじいちゃんたちは自分でできる限りの反対をしてきましたが、
そうはなりませんでした。
私たちは幼い君たちに本当に申し訳なく思います。
君が大きくなって
「どうして反対しなかったの?」
と聞いても、返す言葉がありません。
何も知らずに明るく笑う君をみると、
同じくらいの福島の子供たちはどうなのだろうと思われます。
あの子たちは元気に外で遊べるのだろうか?
幼い体の中に恐ろしいことが起きてはいないだろうか?
これから生まれてくる子供たちは大丈夫だろうか?
「豊かな生活」といってむだやぜいたくをして、
そのために取り返しのないことをして、
子供たちに苦しい思いをさせる大人が許されるはずがありません。
ごめんね