私がフウロソウなどが咲き乱れる草はらでうっとりしたような気持ちで花の写真を撮ったりするのをバンディさんが撮影していたようで後で送ってくれました。そうであればもっと嬉しそうな表情をしていればいいものを、と思うような苦虫を潰したような顔をしていたようです。
「世界でこれほど・・・」というほど世界を知りませんが、それでもこんなにきれいな場所はそうはないだろうと思います。

同時に思うのは、こういう美しい草原が数千年、放牧に利用されながらも維持されてきたという奇跡のようなことです。しかし、この日の午前中まで調べてきた放牧をしている場所では強い放牧圧のためにこういう花は見られなくなっていました。その強い放牧圧が拡大して、このような禁牧区がなくなれば、こういう草原がなくならないとは言えません。そのことが心配になりました。
同じ場所の少し違うところの景色。ここでは薄紫色のフウロがたくさんありました。

背景の山にはカラマツ林と草はらがあります。日本だとスキー場などが刈り取られて草はら状になりますが、ここでは自然状態でそうです。というのはこの辺りは地面の下には氷があって、夏には溶けます。その水があれば、水を大量に必要とする樹木も生えることができます。しかし日当たりのよい南向きの斜面はこの氷(永久凍土)がずっと深いところにしかないので溶けても樹木の根には届きませんし、多分溶けない深さにあると思います。だから斜面の向きに応じて林と草原が交互に並びます。

林の間の明るい場所にはヤナギラン が多かったのですが、林の外には別の群落があり、ここで目立つのはワレモコウです。ナンブトラノオ、カワラマツバ、ウスユキソウなど植物をご存知の方は見当がつくと思います。左の方にマメ科の草本があり、これは日本にはないものですが、大半は日本の植物と共通です。
そのように共通性もありますが、なんと言っても違うのは同じ群落がずーっと続いていることです。家畜が入っていないので、草がのびのびと伸びて、文字通り足の踏み場がなく、自分が歩くごとに数本の花を倒すので心が痛みました。
7月23日に4カ所の調査を全て完了し、午後は時間があったので、近くの森林ステップに行きました。というのはこのあたりはモンゴルの植生の推移帯で、北にはロシアの大河に連なる針葉樹林帯があり、南はステップになりますが、ここはきた斜面は森林でそれ以外はステップというところが多いのです。今回の調査でもダシンチーレンでは森林は断片的でしたが、ブルガンでは多くなりました。調査の目的と同時に、ブルガン県の景観や植物の写真を撮って博物館の展示に使いたいと思っていたので、そのために森林があるところに行ったのです。
その場所は放牧を抑制しているらしく、草原は芝生状ではなく大型の草本類がたくさんありました。特にヤナギラナンは見事で、広い範囲がずっとヤナギラン 群落でした。

ダフリアカラマツとヤナギラン群落
7月22日の午後になると青空が見えてきました。25 m四方の大きなプロットを5つ調べるので、結構大変です。ジャガさんとバンディさんは粘り強く調べてくれました。

糞のカウントをするジャガさんとバンディさん
7月21日は小雨で、調査には不向きだったのと、目に見えるでかなり頑張ったので、休養を兼ねてゆっくり過ごし、チョロンさんたちに会うことにしたのでした。ブルガンの街にはレストランもあるので、そこで昼食をとりました。下の写真のような感じで大体において日本人には肉が多すぎるくらいのボリュームです。それに肉には脂身が多くてちょっと閉口します。モンゴルでは脂身こそがご馳走のようです。

レストランでの昼食
調査は完璧にできれば4箇所、そのうち2箇所ができたので日程を考えればあと1箇所ができればいいなと思っていました。モゴドに作った博物館にブルガン地方の景観写真を掲示したいということもあったので、そちらにも時間をとりたいと思っていました。
22日もモンゴルらしい青空ではなかったのですが、十分調査が出来そうだったので、南のオルホンという集落の近くで調査をすることにしました。

内容は同じで、ワタがいが群落調査をしました。私の調査は道具入らず、長さ2mの折り尺2本があればどこでもできます。これで日本の野山でも、モンゴルでもどれだけ調べたかしれません。

群落調査をする私
7月20日に移動してブルガンにつきました。ブルガン県の中心でモンゴルとしては大きな街でビルもあります。10年ほど前、ここを中心に群落調査などをしましたが、このところはモゴドに行くようになってしばらくご無沙汰をしていました。ブルガンで調査をしていたときは、チョロンさんのお宅にお世話になりました。チョロンさんはここの気象台長を長く務めた人で、穏やかで知的な人です。奥さんのスレンさんは高校の先生をしていた人でやはりとても人柄がよくお似合いのご夫婦です。
久しぶりに会いましたが、チョロンさんは82歳になり、少し耳が遠くなったということでした。あれこれ話をしていたら、おもむろに小さな冊子を出しました。表紙に野生のシャクヤクの写真があります。中を見るとこのあたりの主だった野草の写真があって解説が書いてあります。
「高槻バクシャ(先生)にもらったカメラで、孫が写真を撮ってくれました」
とのこと。そういえばデジカメをプレゼントしたのを思い出しました。孫というのは20歳過ぎの好青年で、やはり気象台で仕事をしているそうです。とてもハンサムなので、一緒に行った女子大生に大人気でした。
表紙にある言葉はモンゴル語で「糸滴」という意味だそうで、訳を聞いたら、自分が調べたことが多くの人の知識のための一雫として役に立てばいいという思いを込めたということで、感激しました。
帰り際に一緒に写真を撮りたいと申し出たら、
「じゃあ」
というので正式のデール(民族服)に着替えるので、少し時間がかかりました。

記念撮影
日本人は野外で帽子をかぶっても室内ではとるし、ましてや帽子をかぶっているのは少し失礼な感じを持ちますが、モンゴルでは逆で、正装は帽子をかぶるようで、それが室内だと私には違和感がありました。でもこれがモンゴル風です。
草原の中で昼食を摂ることにしました。ジャガさんが腰掛けを持ってきてくれていたので座って食べました。この日は朝電気釜でご飯を炊いており、お昼はガスコンロで野菜炒めのようなものを作って食べました。こういう景色の中で食べるので、とても美味しく感じました。
