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けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました

けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました
(使徒言行録10章28節)

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『ポー詩集』(読書メモ)

エドガー・アラン・ポー(阿部保訳)『ポー詩集』新潮文庫

フランス象徴主義の詩人に影響を与えたといわれる、19世紀アメリカの詩人・小説家ポー。「モルグ街の殺人」や「黒猫」で有名だが、詩を読むのは初めてである。

全般的に、暗く不思議な雰囲気の詩が多い。一番印象に残ったの「幻の郷(さと)」という詩の冒頭。

夜という妖怪が、真黒い王座によって
悠々とあたりを覆(おお)い、
只悪心の天使ばかりうろつく、
朦朧(ぼんやり)と淋しい道を通り、
遠く仄暗(ほのぐら)いチウレから
空間と時間を超えて
荘厳にひろがる荒涼とした郷から
漸く私はこの国に着いた。

(p. 59)

旅芸人の子供として生まれたポーは、父親の失踪、母親の病死によって、アラン家の養子になったらしい。幼少期のつらい経験が詩にも表れている。

ポーの40年の生涯には「賭博、飲酒、貧窮」がつきまとっていたようだが、その中から紡ぎ出された詩には迫力があった。

ちなみに、表紙の装画がちょっと怖い。








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『東京物語』(映画メモ)

『東京物語』(1953年、小津安二郎監督)

「小津作品は退屈」という評判を聞いていたが、やはり名作である

なんといっても驚いたのは笠智衆。40歳なのに70歳の役をこなしていて、本当におじいさんにしか見えない。

尾道に住む周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)が東京にいる子供たちの家に遊びに行くものの、イマイチ歓待されずに尾道に帰ることになるが、その後とみが急逝するというストーリー。親をやっかいもの扱いする長女役の志げ(杉村春子)がいい味だしてた。

最も印象に残ったのは、「昔はあんな子じゃなかったのにね」と夫婦で話し合う場面。

「あの子ももっとやさしい子でしたがの」
「欲いやきりながい。まあええほうやろ
「ええそうですとも」
私ら幸せな方やろ
「そうですとも」
(たしか、こんな会話)

現実に直面して少し悲しむけれども、ポジティブに捉え直す。「足るを知る」ことが幸福感につながるのだ。

朴訥とした笠智衆の演技が心に沁みる映画である。







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勤勉な人は人類の貴い財産だ

勤勉な人は人類の貴い財産だ
(箴言12章27節)

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勇ましい高尚なる生涯

内村鑑三は、講演『後世への最大遺物』の中で次のように述べている。

「それならば最大遺物とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害がない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います」(p.58)

では、勇ましい高尚なる生涯とは何なのか?

「すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う」(p.58)

神を信じ、前向きに生きることが「勇ましい高尚なる生涯」といえるだろう。そんな生き方をしてみたい、と思った。

出所;内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』岩波文庫
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『後世への最大遺物・デンマルク国の話』(読書メモ)

内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』岩波文庫

内村鑑三が1894年(明治27年)と1911年(明治44年)に行った講演録である。やはり『後世への最大遺物』が良かった。

「ドウゾ私は死んでからただ天国に往くばかりでなく、私はここに一つ何かを遺して往きたい。それで何もかならずしも後世の人が私を褒めたってくれいというのではない。私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである、すなわち英語でいうMementoを残したいのである、こういう考えは美しい考えであります」(p.17)

では、何を遺すのか?

「後世へわれわれの遺すもののなかにまず第一に大切なものがある。何であるかというと金です」(p. 20)

これにはびっくりした。ちなみに、金の使い道が大事だ、と内村先生はおっしゃっている(念のため)。

「それで私が金よりもよい遺物は何であるかと考えてみますと事業です。事業とは、すなわち金を使うことです」(p. 30)

事業が起こせなかったらどうするのか?

「それでもし私に金を溜めることができず、また社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。何であるかというと、私の思想です。(中略)すなわちこれを短くいいますれば、著述をするということと学生を教ゆるということであります」(p. 38)

では、金も、事業も、著述もできない人はどうなるのか?

「それでドウゾ後世の人がわれわれについてこの人らは力もなかった、富をもなかった、学問もなかった人であったけれども、己れの一生涯をめいめい持っておった主義のために送ってくれたといわれたいではありませんか。これは誰にも遺すことのできる生涯ではないかと思います」(p. 72)

この箇所を読んでホッとした。

その人らしい「こだわりの人生」を送ることが、後世への最大遺物ということだろう。






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『精神科医ヘンリー・カーターの憂欝』(映画メモ)

『精神科医ヘンリー・カーターの憂欝』(2009年、ジョナス・ペイト監督)

あまり期待していなかったが、ちょっと響いた映画。

ヘンリー・カーター(ケビン・スペーシー)は、売れっ子の精神科医。ハリウッド・セレブの患者を抱え、本やCDもベストセラー。しかし、妻に自殺されてから、マリファナなしには生きていけない状態になる。

この作品で印象に残っているのが、悩んだカーターが相談する相手。それは、マリファナの売人ジーザス(ジェシー・プレモンス)。意外なところに支える人がいるものだな、と感じた。

なお、原題は"Shrink"だが、こちらのほうが伝わるタイトルである。









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