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『知性改善論』(読書メモ)

バールーフ・デ・スピノザ(秋保亘訳)『知性改善論』講談社学術文庫

『エチカ』に感動したので本書を読んでみたが、これまた難解だった。

「訳者解説」によると、スピノザが若かりし頃の仕事であり、未完成の書である。訳者の秋保先生いわく「本書は全体としてどのような意義を有しているのか見極めにくい、一筋縄ではいかないテキスト」らしい。

ただ、「善」に関する次の導入の部分には共感できた。

「これらすべて[の心の動揺]は、いずれにせよ、私たちがここまで語ってきた[富、名誉、快楽といった]すべてのもののように、滅びうるものを愛する場合に生じるのである。それに対して、永遠・無限なるものに対する愛は、もっぱらよろこびのみによって心を育み、しかもこのよろこびはあらゆる悲しみと無縁である。これこそが、大いに望まれるべきもの、全力を挙げて求められるべきものなのである」(p. 16)

また、スピノザは、知得を得る方法として

①伝聞(人から聞いたこと)
②行き当たりばったりの経験
③結果から原因を推測すること
本質のみを介して原因を認識すること

を挙げている。ちなみに、彼の主張は④である。

そのための方法論が述べられているのが本書。

ただ、何を言いいたいのかよくわからない箇所が多かった。たぶん、次のあたりがスピノザのメッセージであろう。

精神がもっとも完全な存在者の認識へと注意を向けるとき、言うならばそれを反照するときに、もっとも完全なものになるだろう」(p. 36)

スピノザ的な神は「自然」に近いので、人間の精神が自然に近づくことで、完全な知性を身に着けることができるということなのかな、と思った。



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主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる

主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる
(申命記31章8節)
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『奇跡の教室:受け継ぐ者たちへ』(映画メモ)

『奇跡の教室:受け継ぐ者たちへ』(2014年、マリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール監督)

舞台はパリ郊外の高校。

落ちこぼれの問題児が集まるクラスを担当することになった歴史教師ゲゲン先生(アリアンヌ・アスカリッド)。

勉強しようとしない生徒をやる気にさせるために取り組んだことが、全国歴史コンクールへの応募である。

アウシュビッツ」という難しいテーマに挑む生徒たちの活動を描いたのが本作(実話)。

資料館を訪れ、アウシュビッツ生存者の話を聞き、本やWeb資料を読み込むうちに、徐々に「探求の旅」にのめり込んでいく姿がよかった。

なぜ彼らはのめり込んでいけたのか?

それはアウシュビッツで殺された人々に「寄り添い」、自分たちと「重ね合わせた」からではないか。

探求しているテーマが「自分事」になるとき、我々は本気になるのだろうな、と思った。

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自分の体で神の栄光を現しなさい

自分の体で神の栄光を現しなさい
(コリントの信徒への手紙Ⅰ 6章20節)

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『マンスフィールド・パーク』(読書メモ)

ジェイン・オースティン(新井潤美・宮丸裕二訳)『マンスフィールド・パーク(上・下)』岩波文庫

1775-1817年に生きたイギリスの小説家ジェイン・オースティンの作品。

マンスフィールドとは、イギリスのノーサンプトンあたりにある架空の町。

准男爵家であるバートラム家に来た、親戚筋のフランシス・プライス(通称ファニー)が主人公。

実家が裕福ではないため、劣等感を感じながらバートラム家に居候するファニーが、優雅な従妹・従弟たち(トム、エドモンド、マライア、ジュ―リア)と交流する物語。

上下巻合わせて1000ページ近くあるのだけれども、劇的なストーリーがないにもかかわらず、朝ドラを見ているように、ついページをめくってしまうのは、オースティンらしい作品である。

ちなみに、主人公のファニーは、超内気ですぐに泣いてしまう「イジイジ・ウジウジ系の女子」であるが、人間の本質を常に見抜く力を持つ、ちょっと怖い人。

欲にまみれた世の中に惑わされない強さを持っているのだ。

ちなみに、作品の中で、屋敷に集う若者たちが演劇をする場面があり、その作品(『恋人たちの誓い』)が付録としてついているのだけれど、これが面白かった。その中の次のセリフが一番心に残った。

良心はいつだって正しいのです」(p. 422)

これを読んでも何がなんだかわからないと思うが、心にずしんときた。

われわれは、どこかで良心の声がしているにもかかわらず、さまざまな欲に負けてしまい、それを無視してしまいがちである。

しかし、その良心は常に正しいことを指摘してくれているのだ。

そうした声に耳を傾けることができるかどうかが大事なのだな、と思った。





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あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい

あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい
(申命記5章33節)

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『いつか読書する日』(読書メモ)

『いつか読書する日』(2005年、緒方明監督)

しぶい映画だった。

美奈子(田中裕子)と槐多(カイタ)(岸部一徳)は高校時代につきあっていたのだが、美奈子の母親と槐多の父親が不倫しているときに事故死して以来、別々の生活へ。

50歳になっても、美奈子は独身で、朝早くから牛乳配達した後はスーパーのレジ打ちで働き、夜は読書する毎日(まるで苦行僧)。

槐多は、末期がんの妻・容子(仁科亜季子)を看病しながら、市役所で淡々と働いている(ロボットのよう)

しかし、言葉を交わすこともない二人が、今でも愛し合っていることが伝わってくる。はたして二人の恋はどうなるのか?というストーリー。

田中裕子と岸部一徳の地味な演技力に引き込まれた。

見どころは、二人の愛に気づいている末期がんの容子と美奈子のやりとり。

抑えきれない愛、倫理感、嫉妬がせめぎ合う。

ラストはもうちょっと工夫してほしかったが、悪くはなかった。
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渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい

渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい
(ヨハネによる福音書7章37節)

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『菊と刀』(読書メモ)

ベネディクト(角田安正訳)『菊と刀』光文社古典新訳文庫

文化人類学者であるルース・ベネディクトが、第二次世界大戦中に、米国戦時情報局の依頼を受けて書いた報告書が本書のベース。

日本は「菊の栽培にあらん限りの工夫を凝らす美的意識」を大事にする一方、「刀をあがめ武士をうやうやしく扱う」文化を持つ、という点がタイトルの意味である(p. 15)。

本書の目的は、第二次世界大戦が終結した際、あっさりと負けを認めてアメリカを受け入れ、「軍国主義」から「平和国家」に大きく舵をきった日本の「変わり身のはやさ」を分析すること。

その答えは「文化の型」にある。

欧米がキリスト教の原罪をベースにした「罪の文化」を持つのに対し、日本は世間の目を気にする「恥の文化」を持つ(p. 352-353)。

「恥は周囲の人々の批判に対する反応であり」、「日本人はだれもが自分の行いに対する世評を注視する」(p. 354-356)、「日本では、個人にかかる社会的圧力が非常に大きい」(p. 495)とベネディクトは分析する.

だから、明治維新後も、「日本人は、世界の中で尊敬を集めたい」(p. 275)という焦燥に駆られて軍事力を強化したが、もともと原理原則があったわけではないため、戦争に負けると、あっさりと方針を切り替えた日本

ベネディクトは言う。

「日本は、平和国家として出直すにあたって真に強みをそなえている。それは、ある行動方針について「あれは失敗した」と一蹴し、エネルギーを注ぎ込む経路を切り替えることができるということだ。日本人の倫理は、方針転換の倫理である」(p. 478)

印象に残ったのは次の箇所。

「現代の日本人が自分自身に対して行う攻撃的な行動はさまざまであるが、その最たるものは自殺である。日本人の物の考え方によれば、しかるべく自殺すれば、汚名はすすがれ、個人は立派な人だったという評判を取り戻せる」「日本人は自殺に対して敬意を払う。したがって、自殺は立派な、甲斐ある行為となる」(p. 264)

この点は今でも色濃く残っているように思う。

なお、本書を読んで一番驚いたのは、ベネディクトが日本を一度も訪れたことがなかったこと。米国戦時情報局が集めた大量の情報を分析し、日本からの移民にインタビューしたベネディクト。

こうしたアプローチをとったほうが、主観を交えず、客観的に分析することにつながったのかもしれない、と思った。

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