松尾睦のブログです。個人や組織の学習、書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
東洋流の教育と「守・破・離」
谷崎潤一郎さんは、『陰翳礼讃』の中で、東洋の教育について次のように述べている。
「一般に東洋流の教育の方針と云うものは、西洋流とは反対に、出来るだけ個性を殺すことにあったのではないか。たとえば文学藝術にしても、われわれの理想とするところは前人未踏踏の新しき美を独創することにあるのでなく、古えの詩聖や歌聖が至り得た境地へ、自分も到達することにあった」(p.135-136)
確かに、日本人の好きな「守・破・離」の考え方においても、まず先人の教えを学び「守」が重視されているような気がする。
しかし、変化の激しい現在、先人の教えを打ち破り、自分なりの色を出す「破」や「離」が求められている。難しいのは、一生懸命「守」をしているうちに、「破」や「離」ができなくなってしまうのではないか、ということ。
そうならないためには、先生や先輩や上司から学ぶ「守」の段階においても、「破」や「離」を意識させることが大切な気がする。
五嶋みどりさんを育てた五嶋節さんは、バイオリンの稽古について次のように述べている。
「大事なことは、「サル真似」を通して自分で疑問を持つこと、「サル真似」の結果、自分で考えるようになることだと思います。(中略)練習を繰り返しやることも大切ではあるのですが、なぜここはどうしてもうまく弾けないのか、こうしたほうがいいのか、ああしたほうがいいのか、どうしたらいいのかと、自分で疑問を持ち、考え、試行錯誤して練習し、わからないときは先生に質問すべきです」(五嶋節『「天才」の育て方』講談社現代新書、p.84-85)
要は、疑問を持ち、考えながら先人の教えを吸収する姿勢を持っていれば、「破」や「離」の段階になっても困らないといえるのかもしれない。
「一般に東洋流の教育の方針と云うものは、西洋流とは反対に、出来るだけ個性を殺すことにあったのではないか。たとえば文学藝術にしても、われわれの理想とするところは前人未踏踏の新しき美を独創することにあるのでなく、古えの詩聖や歌聖が至り得た境地へ、自分も到達することにあった」(p.135-136)
確かに、日本人の好きな「守・破・離」の考え方においても、まず先人の教えを学び「守」が重視されているような気がする。
しかし、変化の激しい現在、先人の教えを打ち破り、自分なりの色を出す「破」や「離」が求められている。難しいのは、一生懸命「守」をしているうちに、「破」や「離」ができなくなってしまうのではないか、ということ。
そうならないためには、先生や先輩や上司から学ぶ「守」の段階においても、「破」や「離」を意識させることが大切な気がする。
五嶋みどりさんを育てた五嶋節さんは、バイオリンの稽古について次のように述べている。
「大事なことは、「サル真似」を通して自分で疑問を持つこと、「サル真似」の結果、自分で考えるようになることだと思います。(中略)練習を繰り返しやることも大切ではあるのですが、なぜここはどうしてもうまく弾けないのか、こうしたほうがいいのか、ああしたほうがいいのか、どうしたらいいのかと、自分で疑問を持ち、考え、試行錯誤して練習し、わからないときは先生に質問すべきです」(五嶋節『「天才」の育て方』講談社現代新書、p.84-85)
要は、疑問を持ち、考えながら先人の教えを吸収する姿勢を持っていれば、「破」や「離」の段階になっても困らないといえるのかもしれない。
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