柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

真意

2015-05-07 08:21:21 | Weblog
連休間娘夫婦がやって来ていて、二人の孫が賑やかでした。何ヶ月毎に会うのですが赤ん坊ってのは本当にどんどん大きくなっていきます。兄貴が来年は年少さんだと聞き、あららこちらも大きくなるなぁとまこと感心します。三人の子がいるのです、こいつらが小さい時はそれなりに過ごして来た筈ですが、20数年のブランクは新しいものを見る思いにさせます。その歳にならぬとわからぬことがある。どころかそんなことばかりですね。その立場に昇らねば、あの役を帯びなければわからぬことがあるのです。当然です、みな頭ではお利口に理解しているのです。誰が役人になっても同じ。こういう謂いはそのことを表します。あれこれ批判するのは簡単なんです、それを運営する方に回るといきなりトーンダウンします、無能を晒します。大は政権運営(あの民主党の3年がいいサンプルです)から小はPTA,町内会、夫婦間の役割分担でもそうでしょう。だから国会見ていても文句言ってればいい野党の連中は楽なんですよ、自分でやらなくてもいいんですから。孫ができねば、その昔父母が祖母が言っていたことを実感できません。この歳にならねば見えない景色の多いこと。ああ、こういうことか、と合点の行くことの多いこと。世の中の仕組み、わかっていた筈で、大筋の理解は間違ってはいなかったのですが、真意と言うか深みと呼ぶか、ああなるほど、が最近多いことです。つまり処し方を覚える身につける時期から枠を保つ側に回ってるわけです。こうやらねばならぬからこうやればいいへの変化。天が下に新しきもの無しといいます。ヒトの考えはローマ春秋に終わっているとも言います。私たちは壮大な繰り返しの役を負い果たして行くばかりなのです。社会を保つ一員としての役回り。これをはかないと感じるか、大なる意思と感じるか。歳をとりゴールに向かっていることは確かなことですが。
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