首相の原発再開宣言についてあれこれ不平が出てます、当然ですが。面白いのが橋下さんや滋賀京都の知事の反応です。橋下さんは夏限定の稼働で困るのは国民ではない電力会社だと言ってます、この男は本当にああ言えば上祐(オウムの話題が最近多いことです)ですね、自分の思い通りにならないと必ず誰かを悪者に仕立てて騒ぐ。あれだけ口を極めて批判していたのにあっさり矛を収めたこと(すっかりトーンダウンしたこと)は忘れてると見えます。滋賀知事もびわ湖の危険を言わなくなりましたね、ここが最大の「人質」の筈でしょうにね(マスコミが報道してくれないだけでしょうか)。今朝のTBSの報道番組では、ここは毎日系の、左よりのコメンテイター(有識者、専門家)しか出ませんが果たして、全員が呆れて見せて批判の嵐です。誰かが言ってました、首相のあの会見には先へのビジョンがない、今どうしようかばかりだ、がっかりしたと。おお、私と同じ意見じゃないの、と聞けば、安全に対する保障がこんなに危ない状態で再稼働などはとんでもないことだと続きました。ああ、エネルギーをどうするかじゃなくて、安全の話ね。この夏を原発なしで何とか凌げばそれが大きな実績になってその方向(脱原発)に大きく進めるのにという意見。原発材料(プルトニウムや何やら)の処理に何万年もかかる、そんな危険なものを今後も作り続ける使い続けることがいいことなのか?なんてことも言ってました。おいおい、もう現在でどれだけのその危険物が排出されて積み上がってると思ってる?もう既にあなた方の言う危険な未来は避けようがないのだ。今更遅い。そこを遡って非難してもそれこそ不毛なこと。反対の為の反対。首相の話は論理的じゃないと切り捨てる者もいましたが、無欠の安全ばかり求める、十全の安全性を証明せよ、さもなくば再開まかりならぬという無茶な立証責任を負わせる法廷闘争のような考え方の方がうんと感情論です。日本が将来石油に依存しない、安定且つ十分な電力供給を確保するために、敢えて反対論者に媚びて言えば、電力生成の代替手段が開発されるまで、あるいは電力以外のエネルギー源が開発されるまでは、原発技術を磨き研いて、もちろん安全対策をより高感度高規格なものに変えて行きながら、折角これだけ作った原発施設を有効に使えばいいことです。もう一つ、都議会に原発再稼働の可否を問う住民投票しろという提案が出たそうです。ったく、議員達は自分がどういう立場でどういう仕事なのかわかっているのか?何でもかんでも住民に聞いて、くだらぬ多数決に委ねようということは己の仕事の放棄とわからぬか?産経が社説で叩いている通りです。こんなことは有象無象の多数決で決めることではありません。有象無象って議員のことか?ですか。そうですねぇ、こっちの方がより正しいってのが笑えぬ実態でしょうか。
東電(今をときめく東電)女性殺人事件、服役中のネパール人が再審請求が通って釈放されたそうです。本人はすぐにネパールに帰るんだそうです。ネパールと言えばこの前若い国王夫妻が来て、世界最高幸福度ってことで有名になったとこですね。釈放したはいいけれど、そのまま逃げちゃうってのはないの?素人考えです。体液のDNAが別人モノもだってという顛末です。体液体液って女アナウンサーが努めて無表情に読んでますが、精液のことですね。クリントンを思い出しますね。こういう証拠ってのは怖いなぁ、と思います。この事件は当時からジャーナリストの興味を引くものであったようで、週刊誌や月刊誌によく特集されてましたね。この殺された女は昼は東電のOL、夜は売春してたんでした、特異なキャラクターというか、そこの辺りの心理がルポライターや記者の興味を引いたのでしょう、私でもここまでは知ってます。そして事件当初からこの犯人は本ボシではないという記事も多くあったように覚えています。機器に頼る科学捜査の最大の欠点です、自白の不確かさを補うモノ、物的証拠の最たるものと期待され、冤罪回避目的に重用されているものですが、機械である限り感度の高低、疑陽性疑陰性はつきものです。今回のようなDNA鑑定という最新技術も開発当初とその後とでは性能大きな差があるのが普通です。その当時は正しいと判断されたことが、その後間違いだったと翻る。誰を責めることではないこととは皆知りつつ、その当時はそれが極めて科学的な「真実」だったわけです、「俺じゃねぇよぉ」という反論を撥ねつける最大の証拠であったわけです。当時はそれを越える技術がなかったのですから。それを覆すには科学性客観性で大きく欠ける(とされた)自白や他の物的証拠や状況証拠だけなのですね。もう誰も彼も(検事も弁護士も裁判官もマスコミも皆)DNA鑑定を覆す、それに同等の反証材料はないという前提で臨んでいたことです。だから間違いとわかった時には速やかに対応しろという話ですが、だからと言って検察の異議申し立てを単純に非難するはこれも間違いでしょうね。冤罪(この人はもう15年ですか服役は)非難は別モノと思います。現代の考え方、技術力、機械の性能の高さでもって、昔の全てを否定するは間違いですね。色々考えることが多いですよ。冤罪はまずいよねぇ、で済ませちゃぁいかんのでしょうと思うことでした。
東電(今をときめく東電)女性殺人事件、服役中のネパール人が再審請求が通って釈放されたそうです。本人はすぐにネパールに帰るんだそうです。ネパールと言えばこの前若い国王夫妻が来て、世界最高幸福度ってことで有名になったとこですね。釈放したはいいけれど、そのまま逃げちゃうってのはないの?素人考えです。体液のDNAが別人モノもだってという顛末です。体液体液って女アナウンサーが努めて無表情に読んでますが、精液のことですね。クリントンを思い出しますね。こういう証拠ってのは怖いなぁ、と思います。この事件は当時からジャーナリストの興味を引くものであったようで、週刊誌や月刊誌によく特集されてましたね。この殺された女は昼は東電のOL、夜は売春してたんでした、特異なキャラクターというか、そこの辺りの心理がルポライターや記者の興味を引いたのでしょう、私でもここまでは知ってます。そして事件当初からこの犯人は本ボシではないという記事も多くあったように覚えています。機器に頼る科学捜査の最大の欠点です、自白の不確かさを補うモノ、物的証拠の最たるものと期待され、冤罪回避目的に重用されているものですが、機械である限り感度の高低、疑陽性疑陰性はつきものです。今回のようなDNA鑑定という最新技術も開発当初とその後とでは性能大きな差があるのが普通です。その当時は正しいと判断されたことが、その後間違いだったと翻る。誰を責めることではないこととは皆知りつつ、その当時はそれが極めて科学的な「真実」だったわけです、「俺じゃねぇよぉ」という反論を撥ねつける最大の証拠であったわけです。当時はそれを越える技術がなかったのですから。それを覆すには科学性客観性で大きく欠ける(とされた)自白や他の物的証拠や状況証拠だけなのですね。もう誰も彼も(検事も弁護士も裁判官もマスコミも皆)DNA鑑定を覆す、それに同等の反証材料はないという前提で臨んでいたことです。だから間違いとわかった時には速やかに対応しろという話ですが、だからと言って検察の異議申し立てを単純に非難するはこれも間違いでしょうね。冤罪(この人はもう15年ですか服役は)非難は別モノと思います。現代の考え方、技術力、機械の性能の高さでもって、昔の全てを否定するは間違いですね。色々考えることが多いですよ。冤罪はまずいよねぇ、で済ませちゃぁいかんのでしょうと思うことでした。