柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

意向

2012-03-25 11:08:33 | Weblog
大相撲鶴竜、大関ですね。横綱でも大関でもそうですが、昇進前の勢いは誰もがすごいものです。その時だけで終わってしまうのも多いですがね、古くは横綱琴桜、三重ノ海、最近では大関陣全般。今場所の鶴竜は強いですわ、気合が違います。そう見れば琴奨菊と稀勢の里の両人は協会の既成路線と言うべきか、大した華がなかったですね。早く日本人大関を!ばかりで急造したものでした、粗製だったことは既に明らかです。で、私が驚いたのは(がっかりしたのは)鶴竜がモンゴル人だということ。ええ?日本人じゃないの?こんな顔の日本人いますよねぇ。てっきり次の日本人大関と思ってました。またモンゴルかよ。でもこの人は他のモンゴル人(外人)に輪をかけた様な寡黙、これが昔のお相撲さん然たる雰囲気を醸していて日本人と惑わせたことでした。大関が6人だそうです。大鵬、柏戸、佐田の海、栃の海と四横綱の時代を覚えていますが、何ともレベルの違うことではありますね。
 絆と言うはたやすい、絆の原型は普段の親兄弟姉妹との繋がりを緊密にし、被災地の瓦礫を自分の件に引き受けることなのだが、と曽野綾子がいつものバッサリ斬りを産経新聞に載せています。それが聞こえたか察したか、鹿児島大分福岡の九州各県で県議会が瓦礫の受け容れを議決したそうです。議決したって具体的な方策は今から作りあげるんでしょうから、果たして額面通りに受けていいものやらどうやらではありますが。国の基準、県の基準、住民の同意。とても越えられないであろう大きな山が聳えています、それをわかっての議決でしょう、いわゆるパフォーマンス、売名行為。基準というのはもちろん安全基準です。移動してよい、他の地域で焼却処理してよいモノの選別基準、上限放射線値、そして処理能力や処理方法の基準などなど今から決めるものがたんとあります。誰が決めるの?専門家?受け容れ自治体は国の基準で可とするのか。そして最大の山は住民の反対。総論賛成各論反対は人の常、大衆の常です。「みんなで頑張ろう、私達はあなたの味方です」大賛成、でもこっちには来ないでね、です。我が身に直接関わらぬとわかっているから綺麗事のオンパレード、言いっ放しができます。絆の、助け合いの、感謝の、元気をもらうの、の綺麗事です。議会が議決しても住民が反対すれば、仕方ないじゃないか、で済むわけですね。大した説得も交渉もせずに、嫌なら仕方ないです、と引きさがります。住民の意思が最優先されるべきだ、なんて言い訳がちゃんと用意されています。住民の意思(多数決)が民主主義と(わざと)履き違えて責任逃れしているのが議員連中ですから、議会ですから。橋下さんもこの履き違えを敢えて強調することでポピュリズムに邁進します。あなた方の意見(民意)こそが正しいのです!んなわけはないですよ。でも議会とすれば体面が立てば、ポーズがとれればそれでいいわけです。瓦礫を受け容れる容れないは県が決めることではないです、市町村が決めることです。そこの首長が決めることです。住民が決めることでもないです。多数派意見が正しいうわけではないのです。そういう衆愚による暴走を食い止めようというのが、少数派の正しい意見が通るように(施策に反映されるように)編み出されているのが議会民主主義です、大勢(大衆)を少数が制御する機構、十分な討議論議の末に正確適格な施策を導こうという構え。それにもちろん前提があります、討議する少数が優れものであることです。ここが一番担保されないから、どんな原則論を言ってもクソのような多数決、多数派工作に堕しているのが実情ではあります。住民の意向ばかりでは何も進みません。何のためにそこに存在するのだ首長!汚染瓦礫を日本中に拡散するは間違いだ、そう思うならそう表明しろ。現地での処理を進める(処理場を複数新設する)よう進言すればいい、そっちに援助すればいい。いや、助け合いだ、と思うなら、きちんと動くべし。住民の意向に逃げるんじゃない!そう思いますねぇ。違いますか。
コメント
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