柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

似非

2011-02-13 08:49:50 | Weblog
天皇陛下が狭心症で検査(入院)から御所にお帰りになったという新聞記事ですが、これ面白いですよ、各紙それぞれで。昨日今朝の悪天候で産経新聞が届かない(山口県は何年も日配地域から外れていたのですが、最近九州支所が充実したとかで当地にも毎朝その日の朝刊が届くようになっています。が、悲しいかな九州から届きますから、高速が閉鎖されればアウトです)ので、一番右の、天皇陛下を尊ぶ立ち場の書き方が読めないのですが、こうでした。御所にお帰りになった、皇后さまが付き添われた、今後は薬による治療を続けていかれる、という内容をこう書きます。御所に戻られた、付き添われた、治療を受けられる:読売、退院された、御所に戻られた、日常生活を過ごされる:日経、御所に戻られた、経過観察することになった、公務はこれまで通り続ける:中国、お住まいの御所に戻った、皇后さまは会釈した、投薬治療を続けて行く:毎日、退院した、入院していた、皇后さまは付き添った:朝日。いかがです?天皇制反対のお先棒担ぎの朝日毎日は期待通りです、全く敬語を使いません。語尾に使わない、というのが正しいですか。お住まい、とやら、皇后さまとやら、途中では申し訳程度の敬語使いを見せます。これが連中の形式的な空っぽの言葉狩り、イデオロギィーというやつです。天皇陛下(皇后陛下も、もちろん)は権力ではないのです、民草を抑圧搾取してきた存在ではないのです、権威なのです、民草の心の拠り所でいらっしゃったのです。マルキシズムを無理やりに当てはめた無茶を、未だに厚顔にも振り回す権力(大マスコミ)の恣意です。胸の悪いことです。
 今朝のフジの討論番組に河村名古屋市長と大村愛知県知事が出てました、まさに言いたい放題の態。対置して呼ばれている自民党と民主党の幹部に喋らせません。ま、見ている方はそれを期待してますからよかったんですが、いい面の皮でしたこの二人。減税こそが政治だと繰り返します。民間はあれこれ工夫して値下げして物を売ろうと努力しているのに、政治行政はまさに独占して税金を好きに使っている、その使い道の第一に己の給料があるのにそれを下げもしない、おまけに足らなくなったから増税しようと言う、何たること?!という理屈です。それに対して国会議員達は社会保障費がどうの少子化がどうのと遠くから話しだして、増税するとは言ってないなんていつもの逃げを打つばかりです。これじゃぁ河村さんの勝ちです。減税すればもちろん収入は減るんだけれど、市民税や県民税等を下げて、日本で一番税金の少ない県にすれば企業誘致や人口増加への大きな利点になると新知事が言います。なるほど。家業議員が多すぎる、あんたらもそうだと前の二人の国会議員を指差し、議員長くやれば行政の専門家になるんじゃない、議員業の専門になるだけじゃ、と斬って捨てます。おお、その通り!日本のあまたの専門家達の共通の腐り方はこれです。役が人を作るとよく言いますが、これには貫禄が付くという良い意味と、誰が役人になっても同じというが如く、皆同じ顔になって同じことを喋り出す、つまり手続きに慣れて、馴れて、狎れるという意味もあります。議員が行政に通じてその専門家になっていくというのが普通考えることですが、いいえ、彼らは議員としての行動言動を覚えて行くだけです、議員らしくなるだけです。議員に限りませんよ、医者もそうです。長年医者やっていると自動的に医学の専門家になっていくんじゃないんです、医者としての所作動作を覚えてそれらしく動くようになるだけ、安直な処理を重ねて行くだけ、それはきっと傲慢横柄への道です。専門家なんてのはおこがましいことであって、単にベテランになってるだけ、長年やってるだけの話です。己の、それでなくても大きくない器の中にコケが生え、汚泥が溜まり、通り一遍の対応しかできなくなっている、それで十分だと思い込んでいる、それが我が国の専門家の実態です。試しにあなたの周りの「専門家」さんにあれこれ質問要望してごらんなさい、必ず言うでしょう、いやいやそれはできないのですよ、そういうことはできないことになってます、って。日本の専門家達はまず「できない」から入る、と喝破したのは司馬遼太郎でしたか。河村さんの論は、実は専門家論にも繋がり面白いことと思います。願うらくはしっかり答え(結果)を出して、説の正しさをきっちり満天下に示されんことを。
コメント
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