memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

2012年世界の船舶の喪失は106隻  AGCSレポート

2013-01-29 00:06:31 | 海事
Costa Concordia号の事故から12ヶ月、アリアンツ海上保険会社AGCSの新しい報告によれば2012年11月25日までの12ヶ月間に世界で106隻の船舶が失われた。(1月9日SNT)

この数値は前年の91隻養鯉は増加したが、過去10年間の平均値146隻よりは27%減少した。安全性向上に関する技術面、訓練、規制、船舶業界の積極的な対応にもかかわらず人的ミスがその核心課題となっている。
これは海上保険会社アリアンツAGCSによる”安全と海運のレビュー”の年次報告で2012年の海運の安全に関し光をあてている。

この年はふたつの大規模な船舶の喪失があった。1月13日にはイタリア沖で Costa Concordia (この歳最大の喪失規模で本船の総トン数は114,137トン) これに続くものが2月2日のPNGでのフェリー Rabaul Queenの事故である。この2件とも多数の死者を生じた。

報告書によれば沈没foundering (沈没や没水)が船舶喪失の最も一般的な原因で49%、これに続くのが破壊や座礁で22%、Batic AceやCorvus Jが引き起こした2012年12月末の衝突のような事故は比較的少なく6%であった。30件の船舶喪失事故がう報告されているがその倍にあたる数の事故が中国南部、インドシナ、インドネシア、フィリッピンで発生している。また地中海東部および黒海での事故も多い(2012年は15件)日本、韓国北部中国では10件となっている。

人的ミスが依然多い。この報告書はほとんどの事故の原因が人的ミスであると指摘している。疲労、経済的圧力、訓練不足などが主因とされている。AGCSのSven Gerhard 博士は「たとえば一部の商船の船主、とくにバラ積み船やタンカー部門においてはメンテナンスや訓練にかけるコストが限られている」という。

中国の食文化 (1)

2013-01-29 00:05:41 | 
正陽楼は前門通りの東側にある。その開業は清朝の道光年間である。北京の古くからの8大有名レストランのうちのひとつである(1月9日shifu)

正陽楼は最初は小さな酒の店であった。この店主は山東省の掖県のひとで名を孫小辫という。地元が深刻な旱魃に襲われた後彼は運を求めて北京にやってきた。。日中は彼はアルバイトに出かけ、夜は前門街の粗末な寺の研削工場に身を置いた。その彼らの助けで孫は酒の立ち飲み店を前門街の東で始めた。そして彼は小さな店先を持ちたいと思った。数年後、彼はいくばくかの金を貯め、店を持ちたいと思った。前門街に店を閉めているところがあって彼はその機会を得た。彼は友人にたのみ居酒屋を借りることになり、店の名を正陽楼(真昼の太陽)とした。正陽門にちなんだもので、彼の商売が真昼の太陽のように決して衰えないことを願ってのものであった。

正陽楼酒館は1階と2階があった。一般的な湯がいた落花生のほかに、玫瑰枣(ローズナツメ)、炸排叉(揚げ生姜のスライス)、小酥鱼(ぱりぱりの小魚)、辣白菜、羊头肉和猪口条(羊の頭肉とブタの舌の辛味油添え)などの肴をそろえ秋口になると大きな蟹も楽しめた。酒類の白酒や黄酒に混ぜ物のあるものは売らなかったそれゆえ商売は上り調子であった。光绪年間になると息子の孫学仁が居酒屋を継いだ。彼は故郷から料理人を招き彼らは山東料理を作った。これが正陽楼が居酒屋からレストランへの転換点となった。

腐ったニシンの悪臭  アイスランド

2013-01-29 00:04:46 | 水産・海洋
数千尾のニシンが西アイスランドのKolgrafafjörðurで12月のはじめに見つかったが悪臭の原因となっている(1月9日Icelandreview)

このニシンは酸欠により死んだと思われる。アイスランド海洋調査研究所の初期調査によればフィヨルドの奥のほうでおよそ2.5万~3万トンのニシンが死んだと見られている。 Eiði農場の Bjarni Sigurbjörnssonは東風が吹くと死んだニシンの悪臭がくるとSkessuhorn に語っている。かれはとても耐えられない臭いだという。当局者はBjraniににおいがいやなら自分で片つけるしかないという。

先に報じられたところでは酸欠の理由はKolgrafafjörðuでの埋め立てと2004年12月に行なわれた橋の建設によるという。フィヨルドの奥の酸素低下は間違いなく底に大量のニシンが入り込んだ。海洋研究所はニシンの観察を続けている。