memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

ベトナムが占領した島Pugad にスーパーマーケットを設けた

2013-01-22 00:13:28 | 海事
MANILA発:伝えられたところによればベトナムがスーパーマーケットをPugat 島にス^パーマーケットを設け運営しているという。現場は紛争でゆれるスプラトリー諸島の島之内のひとつである。この占領地の島への地元民や海外の観光客の増加による需要に対応してのものであると(1月4日The Star)

Pag -Asa島にあるKalayaan地方政府はPugad島から戻ってきたフィリッピン人漁民からの報告を受けた。現地は嵐の際の避難場所となるところであるが、スーパーマーケットはベトナムが支配する島でフルに稼動しているという。「漁民によればPugadにいまやスーパーマーケットがあるという。 「われわれはこのことを確認しようとしている」とKalayaan市長のEugenio Bito-onon Jr.はいう。このことについての最良の確認方法は外交ルートを通じてであると。

Parola島からわずか2.5kmの位置に、スプラトリー諸島の中にあるPugad島は国の領域のひとつである。この島の開発の賑わう様子の監視が長年にわたり続けられてきた。その最新の状況としては円形状に配置された桟橋の建設は完了、そこに反全が認められる。この島が明らかにベトナム観光計画の一環となっている。しかしながらBito-onon市長はこれについて警告を発していない。彼はこの報告が確認されたならばスプラトリー諸島に居住する人々にとっての生活がより快適なものとなるであろうという。

「外交チャンネルを通じての適切な調整により、われわれがそこに行くことや、はるかに遠い本土のパラワンからではなく必要物資を手に入れることが出来るようになる」とBito-onon はいう。この地区に居住するフィリッピン、中国、ベトナム、マレーシア、台湾などの人々はこの領域の緊張にかかわらず平和裏に共生すべきだという。面積12ヘクタールのPugad島はスプラトリー諸島の中で6番目の島であり、最高標高はおよそ4mである。

1968年フィリッピン軍が駐屯地をこの島に設けたが1975年にはベトナム軍が奪還、司令官の誕生祝を近くのParola島で行なっていたときのことであった。

トロール漁禁止で地元に魚を取り戻す  香港

2013-01-22 00:12:03 | 亜細亜海道

懐疑派が多い中、楽観的な人々もいる。漁業当局者、海洋科学者、漁業者などは近いうちにエビ、カニ、魚などが地元水位域に満ちてくると期待している。(12月30日SCMP/theterramarproject)

「もしこの禁漁策が成功すれば、エソ、マゴチ、シタビラメやその他のいくつかの魚種が増えるだろう」と香港大学生物科学教授のYvonne Sadovyはいう。また、それら魚種の中にはかつてはトロール漁獲でなじみのあった褐帶石斑魚を含むいくつかのハタ類も回復するかもしれない。しかし今は絶滅危惧種に挙げられている。

またSadovyは南シナ海や香港水域で豊富であった大型のキグチも戻ってくるだろうという。 その豊富であった産卵の規模が完全に間引かれてしまった。Sadovyは魚の回復はトロール漁禁止に加え漁獲努力量が生物学的持続レベルの範囲内に管理された場合のみに起こりうるという。香港は漁業者の数を遊漁者喪服目規制する。また登録システムを通じて漁具の総量も規制するという。塔門の漁業者Ko For-kunは,禁漁策の一年以内にエビの資源が急速に回復することを期待している。「その増加はTolo港や台風避難港辺りで見られるだろう」と。

しかし彼の仲間のKeung Pak-hoは利益は魚商の支払い次第だという。「すべての魚やエビはもっと高くなる。供給を制御できるものが品不足を活用するから」農業漁業保護局の副局長Dr So Ping-manは魚価格の上昇は一時的だろう。70%が輸入物だからだ」という。「淡水魚や輸入魚がギャップを埋めるまでの禁漁当初は短期的に値上がりはあるだろう」という。

クラムチャウダーに公式レシピはあるのか? クラムチャウダーとは?

2013-01-22 00:11:00 | 
ほとんどの食の歴史家らはチャウダーとは海鮮スープのことであると認める。しかしこの言葉の語源や公式なクラムチャウダーについてはさまざまな見解がある(12月29日Examiner)

チャウダーという言葉がもちいられたのは1700年代のこと。その起源はコーニッシュの“jowter”とフランス語の “chaudi�・re”であることがうかがえる。英語のjowterについての見解は行商人や魚売りがその日の獲れたものから作ったもの。チャウダーのレシピはコーンウオールやイングランドなどの沿岸で生まれた。一日の商いの終わりになると魚売りらは残りの魚を鍋にいれこれを分けあった。

別の歴史家らはチャウダーの機嫌はフランス語の “chaudi�・re” や “chaudron”フランスのブリタニーやその子孫の住むノバスコシアのニューファウンドランドやニューイングランドにおいても17世紀から18世紀にかけて始まった。漁師等は港に戻るとその日の漁獲を“chaudron” (cauldron)に入れて調理し、集落に振舞った。

しかし当初のこの言葉チャウダーに用法は名詞ではなく、その調理方法をさしていた。Chowderingとは船員により作られた食事のこと。その初期の船上で作られた調理は魚、塩漬け豚肉、クラッカーなど何でもが入っていた。

初期のチャウダーには水をベースにしさまざまな地魚が入れられ、野菜はわずかかあるいは入っていなかった。パンやクラッカー時にワインも入れた。クリームやトマトは地方で始まったものでありミルクやクリームなどの酪農製品は温暖な地方のもの。トマトやスパイスも同様である。米国で初めてのAmerican Cookery(Amelia Simmons 著1800年)にはチャウダーの記述がある。その海鮮チャウダーにはスズキ、塩漬け豚肉、クラッカーと添え物としてポテトが挙げられている。(以下省略)