ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

スマートフォンなくして旅行ができない時代を象徴していることだと思う

2024-05-31 00:00:00 | 旅(海外旅行一般 あるいは上以外の国々 旅行全般)

私のような人間には、非常に興味深い記事(NHKの記事ですが、すでに削除されています)です。


空腹で関西空港の立ち入り禁止エリアに侵入か 中国人逮捕
04月16日 20時38分

関西空港で一般の人の立ち入りが禁止されているエリアに無断で立ち入ったとして、35歳の中国人が逮捕されました。
観光で入国したものの所持金がなく、前日から空港内などを歩き回っていたということで、調べに対し「おなかがすいていたので、エリア内に入れば何か食べられると思った」と供述しているということです。

逮捕されたのは、中国籍で職業不詳の范※イ霖容疑者(35)です。
警察によりますと、15日午後9時ごろ、関西空港の貨物などが行き来する屋外のエリアで、フェンスに囲まれ一般の人の立ち入りが禁止されている場所に無断で立ち入ったとして、建造物侵入の疑いが持たれています。
容疑者は14日の夜、現金を持たずに中国から関西空港に到着し、スマートフォンの決済のみで観光する予定でしたが、機内でスマートフォンが故障したため何もできず、入国したあと丸1日、空港内などを歩き回っていたということです。
その後、立ち入り禁止のエリアで座り込んでいるところを発見され逮捕されたということで、調べに対し「中国人観光客にお金を貸してもらうようお願いして回ったが、応じてもらえず困っていた。おなかがすいていたので、エリア内に入れば何か食べられると思った」と供述しているということです。
一方、「入ってはいけないところに入った覚えはない」と容疑を否認しているということで、警察が詳しいいきさつを調べています。
※「金」偏の簡体字につくりが「意」

私が興味深いところがこちら。


容疑者は14日の夜、現金を持たずに中国から関西空港に到着し、スマートフォンの決済のみで観光する予定でしたが、機内でスマートフォンが故障したため何もできず

中国では、スマートフォン決済(「微信支付(ウィーチャットペイ)」.とか支付宝(ア. リペイ)」など)が一般的となっており、どうもこの人中国と同じように日本でもスマートフォン決済のみで旅行が可能だと思っていたんじゃないんですかね。さすがに日本を旅行する際まったく現金なしではきつい部分があると思うのですが、そのあたりこの人物にはそれなりの成算はあったのかと思います。勘違いであったとしても。

が、財布を持たないというのはさすがに無茶としても、スマートフォンをなくすと非常によろしくないのは確かです。昨今の私も、iPhoneで航空券や高速バスを予約し決済、送られてきたメールで空港でチェックイン、現地に着いたらホテルを予約確認のメールでチェックイン(予約もネットです)、現地での交通手段もスマートフォンで、カメラもスマートフォン、懐中電灯もスマートフォン、電卓もそう、地図ももちろんそれでOKです。もっとも鉄道に関しては、直接購入しています。

前にこんな記事を書きました。

現在の旅の三種の神器は、財布とスマートフォンと(海外の場合)パスポート?

その記事で、たまたまバスの中で聞いた会話


スマートフォンがないと旅できないね

をご紹介しました。現在の旅行は、スマートフォンの所持を当然の前提としており、それがないと旅行しにくくなっています。昔は携帯電話をなくしても旅行はできましたが、これからはますます旅行しにくくなることは間違いない。

この中国人の人も、現金をある程度もっている、そうでなくてもクレジットカードなどでのキャッシングなどは可能だったと思うのですが、そういうバックアップ手段をもっていないのではどうしようもありませんね。人間やはり、危険な目に合いかねない場合を考えて、何らかのセーフティネットの手段をもっていないといけません。

しかし私も、やはり特に外国でスマートフォンをなくすと、これえらいことだなあということにはなりますね。以前は、いちおうプリントアウトしたものをもっていったのですが、昨今は特にしていない。やはりなくすと、いろいろ面倒です。現在スマートフォンにさまざまなメモも残しているし、膨大な量の写真も撮っている。バックアップは取っていますが、やはりなくすと大変です。私の場合某社のフリーメールをさまざまな用途で使っているので、PCでもなんでもメールは受信できますが、それにしてもいろいろ問題は生じます。

ともかく現在航空会社も旅行会社もホテルほかの旅行関係の施設も、スマートフォンの所持を当然の前提としていますからね。なくすといろいろ不都合が生じます。とくに外国ではさらに救いがない。まさに記事のタイトルにしたように、


スマートフォンなくして旅行ができない時代

なのだと思います。私ももちろん注意しますので、読者の皆さまも細心の注意をお願いします。

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自分が悪くない交通事故というのは、本当にどうしようもない(ご老体の運転というのは時に非常に危険なことがある)(記事発表日の追記あり)

2024-05-30 00:00:00 | 社会時評

数日前の報道より。


車逆走しバイクと正面衝突 1人死亡 77歳ドライバー逮捕 三重
2024年5月25日 14時35分 

25日午前、三重県亀山市の国道で逆走した乗用車がバイクと正面衝突するなど4台が絡む事故があり、バイクに乗っていた広島県の61歳の男性が死亡しました。警察は逆走した乗用車の77歳のドライバーをその場で逮捕し、事故の原因などを調べています。

25日午前8時半ごろ、亀山市関町の国道1号の下りで逆走してきた乗用車とバイクが正面衝突し、近くを走っていたもう1台のバイクも転倒したほかバイクの後ろを走っていた乗用車も衝突しました。

この事故で、逆走した乗用車と衝突したバイクに乗っていた広島県福山市の殿迫英治さん(61)が全身を強く打ち、病院に運ばれましたが、およそ1時間半後に死亡しました。

また、もう1台のバイクに乗っていた男性も肩に軽いけがをしました。

警察は、逆走した乗用車を運転していた三重県菰野町の無職、前田雅弘容疑者(77)を過失運転傷害の疑いでその場で逮捕しました。

警察によりますと、容疑者は「間違って逆走してしまった」などと話し容疑を認めているということです。

現場から1キロほど北には、上りと下りで道路が分岐する地点があり、警察は、そこで容疑者が道路を誤って進んだ可能性もあると見て事故の詳しい原因などを調べています。

お亡くなりになった方は、福山市にお住まいだったとのことで、ツーリングをされていた最中なんでしょうね。まったくお気の毒としかいいようない。ご冥福をお祈りいたします。

それでこの事故は、


亀山市関町の国道1号の下りで逆走してきた乗用車とバイクが正面衝突し、近くを走っていたもう1台のバイクも転倒したほかバイクの後ろを走っていた乗用車も衝突しました。

ということですからね。こんなん被害者に落ち度がないのでまったくどうしようもない。テレビなどで、高速道路を(理由はともかく)逆走した車の映像が紹介されることがありますが、あんなのどうしようもないですよね。今回逮捕された運転手が認知症があったのかどうなのかはわかりませんし、またどれくらいのスピードで走っていたかも記事を読んだだけではわかりませんが、車同士でももちろん非常に危険ですが、二輪車(バイク)だとお話にもなりませんね。貴重な命をなくしてしまいます。で、私が思い出したのが、こちらの記事です。

認知症というのも、なったら大変だと思う

こちらも。

こういう事件は本当にどうしようもないし、対応が難しい

こちらもひどい。

自動車免許はなくても運転はできる

詳細については各記事に目を通していただければ幸いですが、愛知県在住のお年寄りが知り合いに会うため(名前と所在は不明)大阪に来たら、完全に迷ってしまい、阪急電鉄の軌道(線路)に入ってしまったとか(ぶつかる前に保護されたからよかったですが、最悪正面衝突になったら目も当てられません)、老人福祉センターに非常識な速度で走って女子高校生2人をはねたとか、これは記事にはしていませんが、加害者が「上級国民」とまで言われた「東池袋自動車暴走死傷事故」なども非常によろしくない。報道がどれも正しいということではないかもですが、やはりある程度の年齢になったら、車の運転も再考したほうがよさそうですね。これも公共交通の衰退とかいろいろあるので一筋縄ではいきませんが、でももっとより気楽に運転免許を返納できるような態勢が必要かと思います。車というのは、凶器でもありますからね。たとえば渋谷駅前の例の交差点(個人的な意見をいいますと、あのような交差点は、私は世界のどこでも観た記憶がありません。中国あたりならあってもおかしくなさそうですが、外国人がこの交差点の模様を動画で録っているのも理解できるという気がします)なんぞに猛スピードの車に突っ込まれたらまったくどうしようもないことになります。

だいたい私もバイカー(のはしくれ)ですから、車に突っ込まれたらお話にもなりません。死ぬか死ななくても一生不自由な身体になります。そうはなりたくない。ほかもそうですが、阪急電鉄の軌道を走ったなんて、大事故にならなくて幸いだったとしか言いようがない。そんなにすごい脱線にはならなかったとしても、ひどいものです。

そういう事故には絶対あいたくないし、自分が当事者としてかかわるのは(当たり前ですが加害者としても被害者としても)まっぴらごめんであるということを明記してこの記事を終えます。

記事発表日の追記:まったくの偶然で、本日次のような記事が発表されました。

わずか4秒で人生が一変 後を絶たない高齢者の「踏み間違い」、19歳の2人が死傷した福島県の事故


関東の大学に通い、交際中だった当時19歳の2人は春休み期間を利用して福島県のドライビングスクールの免許合宿に参加した。卒業検定で無事合格し、帰ろうと駅近くの歩道を歩いていた時だった。時速46キロを超える車が2人を次々とはね飛ばし、駅舎に突っ込んだ。男子学生は死亡、女子学生も頭の骨を折る大けが、一瞬の出来事だった。事故を起こしたのは72歳の女性。なぜ事故を起こしたのかについて「いくら考えてもなぜそうなったか分からない」と答えた。様々な証拠から捜査機関が特定した原因はアクセルとブレーキの“踏み間違い”。この踏み間違いによる悲惨な事故が後を絶たない。

この事故は私も記憶していました。


痛ましい事故は、今年2月15日午後3時50分頃に福島県にあるJR鏡石駅前で起きた。

という事件です。裁判の結果については追っていませんでしたが、


「被告に禁錮3年、執行猶予5年の判決を言い渡す」。

5月13日、裁判所が女性に下したのは執行猶予付きの有罪判決だった。検察側の求刑は禁錮3年6か月だったが、裁判官は「被告による過失の程度は相当に大きい」とした上で、女性に前科や事故歴がなかったことなどを踏まえ「危険なスピード違反やわきみ運転などと比べると、今回の事案が特段に悪質なものとは言い難い」と判断した。女性は震えながら聞いていた。最後は、深く一礼をして、法廷を後にした。

とのことです。記事にもあるように、


効果的な対策…日々進化する車の「技術」

「『技術』に頼るのも悲惨な事故を防ぐ効果的な選択肢です」。

福山大学の関根准教授は、高齢者など運転に問題を抱えている人は安全をサポートする「サポカー」に乗り換えることも有効な対策という。前方の車や人を検知して車を制御する「自動ブレーキ」については、国は2021年に国内産の新型車への搭載を義務化した。ただ、ソニー損保保険の調査(2023年)によれば、街中で走っている車の中で自動ブレーキ機能が搭載されている車はまだ3割ほどにとどまっている。
そのため、カー用品店などでは後付けできるサポート装置も販売されている。誤ってアクセルを強く踏んでしまった場合に車内で警報音が鳴り、急発進を自動で防いでくれるものもある。東京都では高齢者を対象に、こうした安全運転装置の購入と設置費用の5割から9割を補助する制度を実施した。全国的にはまだ少ないが、こうした自治体も出始めている。

ということも考えないといけなさそうです。今はそうでなくても、人間生きていれば必ず高齢者になり、他人から見れば「あの人運転危なそうだな」といわれる年齢になります。それは仕方ないので、運転免許を返納するのも1つの手ですが、技術によっていろいろな部分をカバーしてもらえればそれも大いに活用すべきです。私もドライバーのはしくれですので、そのあたりいろいろ考えていきたいと思います。私も長きにわたって無事故無違反ですから、これからもそうしていきたいしそうしなければいけないと考えています。

で、それとこれとはまた話が違いますが、このような報道も本日されました。


飯塚受刑者と遺族が初面会 「加害者の言葉もヒントに」―再発防止で・池袋暴走
時事通信 社会部2024年05月30日07時06分配信

 東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走し、松永真菜さん=当時(31)=と娘の莉子ちゃん=同(3)=が死亡した事故で、真菜さんの夫拓也さん(37)と、父の上原義教さん(66)が29日、車を運転していた旧通産省工業技術院元院長の飯塚幸三受刑者(92)の収容先の刑務所を訪れ、初めて面会した。

 拓也さんらは面会後、取材に応じ、「加害者の言葉をヒントに、再発防止のため自分たちに何ができるか考えてほしい。彼が面会を受けた勇気を無駄にしないであげてほしい」と話した。

 拓也さんらによると、同受刑者は車椅子で約45分間、アクリル板越しに面会に応じたが、スムーズな会話が難しいほどやつれていた。終始表情を変えず、拓也さんの質問に「はい」や「いいえ」などと短く答え、謝罪の言葉はなかった。

 ただ、「加害者の経験を踏まえ、再発防止のため世の中の高齢者や家族に伝えたいことはあるか」と問うた時は、「早く免許を返すように伝えてほしい」とはっきり語ったという。

 上原さんが「真菜と莉子のことを忘れないでほしい」と伝えると、同受刑者は目を赤く腫らし「はい」と返答。上原さんは「姿を見て、反省は少ししていると思った。飯塚さんときょう会えて良かった」と言葉を詰まらせた。

 事故は19年4月19日に発生。飯塚受刑者が運転する車が赤信号を無視して横断歩道に突っ込み、2人が死亡し、9人が重軽傷を負った。東京地裁は21年9月、同受刑者に禁錮5年の判決を言い渡し、確定した。

 拓也さんは今年3月、犯罪被害者や遺族のための「心情等伝達制度」を活用し、飯塚受刑者に面会を要望。同受刑者は4月、面会に応じる考えを示していた。

飯塚受刑者といいご遺族のお二人といい、いろいろ複雑な想いがあるのは当然として、松永拓也氏の


加害者の言葉をヒントに、再発防止のため自分たちに何ができるか考えてほしい。彼が面会を受けた勇気を無駄にしないであげてほしい

という言葉は強くかみしめないといけないなと思いました。なお福島の事件では、ご遺族は加害者との面会は拒否されているとのことです。詳細は、上の記事をお読みになってください。

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けっきょくこれも、誰かが死なないと事態が動かないということの一例ではないか(北朝鮮拉致問題に関するマスコミの論調変化)

2024-05-29 00:00:00 | 北朝鮮・拉致問題

先月の報道を。ご紹介するのが遅くなって申し訳ありませんが、これもいろいろな点で興味深いと思うので。今年4月11日付の記事です。

和田春樹と「日朝国交交渉30年検証会議」が緊急提言 いまこそ日朝国交樹立を  倉重篤郎のニュース最前線

導入部を引用します。


北側報告書に基づき拉致被害者の生死詳細検証を/拉致被害死者には賠償請求を
正常化は、オバマの米・キューバ国交樹立に倣え/めぐみさんの骨壺に歯が入っていたという新証言
 安倍1強の呪縛があちこちで解(ほど)け始めた。

 裏金事件の発覚、東京地検特捜部の捜査に端を発した安倍派解体の動きがその一つだ。手ぬるいとの批判はあるものの、検事総長人事にまで介入していた驕(おご)りが一転、100人近い最大派閥が恣(ほしいまま)にしていた権勢は今は昔となった。二つに日銀によるマイナス金利の解除である。アベノミクスの中軸的政策であった異次元金融緩和も11年にしてようやくピリオドが打たれた。今後はその負の側面がクローズアップされるだろう。故安倍晋三元首相が2012年の第2次政権でスタートし、築き上げてきた政策体系、統治システムの見直しが静かに進みつつある。

上で、


正常化は、オバマの米・キューバ国交樹立に倣

というのが非常にうれしいですね。私もこの件は、ずっと語っていることだからです。下の記事は、2016年発表です。

米国のキューバへの対応から、日本の北朝鮮への対応を考えてみる

それで、このような意見は、日本では徹底的に無視されたといって過言でありません。私程度の人間がすぐ思いつく程度のことなのですから、日本中で同じことを考えた人は大勢いるはず。しかしそういったことが語られることは、私の知る限り実になかったですね。それこそ私のようなネットで自主的な言論活動をしている人物を除けば、それこそ和田氏のような人物が書籍などで触れていたくらいではないかと思います。が、ついに、このような意見が、毎日新聞というメジャーメディアの系統である雑誌に、毎日新聞の元論説委員長のような人物が和田氏に話を聞くという形で述べられたわけです。これまたずいぶん画期的です。

で、こういう事態になった理由というのはいろいろあるかと思いますが、私がここで指摘したいのが2つです。まず1つは、やはり時間の経過でしょう。

2002年に小泉訪朝があり拉致被害者が帰国したわけで、それから22年もの歳月が流れています。この年に生まれた人たちが、来年3月に大学を卒業すれば、続々と新聞社・通信社・テレビ局ほかの大手マスコミに入社します。彼らは当然02年のころの騒然とした雰囲気を知らない。もちろん現実問題としては、あの時の騒然とした雰囲気を知っているのは、当時の年齢で言えば、6歳から7歳、あるいは10歳くらいまでの年齢の人たちでしょう。ということは、その人たちも現在28歳から32歳くらいで、もっとも若い世代が30歳前後のわけです。そういった年齢以下の人たちが記者なりなんなりをしていれば、当然拉致被害者、家族会、巣食う会などへの遠慮も少なくなってきているでしょう。そしてこういったことは当然進みはしても後退することは、一時的にはあっても長いスパンでは考えにくいので、これからどんどん進みます。

で、もう1つ。これも万人が認めることでしょうし、上の記事でもそういうことが語られているように、けっきょくは安倍晋三の死(安倍晋三銃撃事件)でしょうね。現在第三次安倍政権が成立しているとまではいわずとも、安倍が存命であればたとえば和田氏に話を聞いてる倉重氏(下のような経歴です。


1953年、東京都生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部を経て、2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員

つまりは政治や論説における毎日新聞の元最高幹部)が、自社系列のサイトに登場してこのようなインタビューをできるか。できません。断言します。私はかつて、安倍晋三の首相復活なんてありえないと断言して外したので、それ以来あんまり「断言」なんて言葉は使わないようにしていますが、この件に関しては断言しても大丈夫でしょう。つまりは、下の記事でも同類でしょう。

日本の社会は、安倍晋三が殺されるまで統一協会と本気で向かい合おうとしなかった(ジャニーズの問題などもご同様)

安倍晋三があのような死を遂げていなければ、たぶん「日本保守党」などという政党は結成されなかったのではないか

安倍晋三が殺されなければ、はたして最高裁も地裁と高裁で統一協会が勝訴した事件の上告案件で弁論なんか開くかどうか

安倍が殺されなければ、統一協会への解散請求とか、日本保守党の結成とか、最高裁判所が地裁と高裁で統一協会勝訴の判決を下したような訴訟で弁論を開くなんてことは、これは全くありえなかったでしょうね。安倍が生きているのに、誰がそんなことをするかです。する(できる)人間なんかいるわけがない。また、安倍の死が、病死とかでなく殺されるという事態になったから、このようなことになったわけです。さすがに統一協会がらみで安倍が殺害されて、それでもなおかつ統一協会を優遇するというわけにもいかんでしょう。よりスケールは小さいですが、メリー喜多川ジャニー喜多川の両巨頭の死なくしてジャニーズ問題にマスコミが動けなかったのも同じこと。

だいたい安倍自身、安倍が2006年に首相(自民党総裁)になれたのも、つまりは拉致問題のおかげでしょう。その後首相になることはあり得ても、2006年の首相就任は明らかに拉致問題での安倍がいろいろと評価されたからです。実際には安倍は、02年の小泉訪朝では、蚊帳の外だったと思われるし(小泉氏が安倍へ事前に下手に詳細を話すと、問題が生じると考えたのではないかと思います)、安倍が拉致被害者帰国のために動いた実績なんて実際には大したことはないわけです。事実02年の件はとりあえず置いておくとしても、その後20年、安倍は半分弱の間首相でしたが、拉致問題では何ら実績を出せませんでした。

が、拉致被害者家族会やその周囲の連中は、「そこまで高評価するか」と呆れるくらい安倍を支持・評価しましたからね。いや、それで安倍が、なんかそれ相応の実績を上げられれば別にいいですよ。私は安倍なんぞを一切評価しませんが、しかし拉致問題で何らかの実績を上げれば、他はともかくそれは評価するのもやぶさかでありません。が、それもなかったわけです。

私は上で、拉致問題への論調変化の理由として


時間の経過

と指摘しましたが、要は安倍の存在を拉致に関するだけでなく日本政府の北朝鮮への対応を正当化する道具にしていたわけです。そういったことが長期間続いたこともけっきょくは安倍政権が長く続いたこととつながっていたわけであり、そういったことも安倍の死の前にある程度は崩れていたかと思いますが、安倍の死によって崩壊したということとです。

もちろん私も、今後の推移をそんなに楽観視するつもりもありませんが、しかしかつては大手マスコミがこのようなことを主張することはなかったわけで、これは相当な進歩ではないかと思います。

で、けっきょくこういうことも、私が常に主張していることと同じですね。あらためて下の記事をリンクします。

米国のキューバへの対応から、日本の北朝鮮への対応を考えてみる

上の記事で指摘したように、


よく反北朝鮮を訴える組織、あるいは個人が、北朝鮮へ経済制裁ほかの圧力をかけることにより(屈服させることで)、北朝鮮から譲歩を勝ち取り、拉致被害者帰国を実現したしこれからも実現することを可能とする、みたいな主張をしています。しかし私は、そのような主張を立証する第三者の発言その他を読んだり見たりした記憶がないですね。

私はいままで、拉致問題に関してさまざまな本を読みましたし、新聞、雑誌、ネットなどのさまざまな記事を読みました。また拉致について特集したテレビ番組などもたくさん見ています。それで、それらの中で、上に書いたように、圧力によって北朝鮮側の譲歩を勝ち取れたということを具体的な証拠をもって説明した記述や報道は、私は知らないですね。巣食う会や家族会、その関係者や支持者(櫻井よしことか)がそのような主張をしているのは数限りなく読んだり見たりしていますが、その主張を立証するものは知りません。

ということでしょう。そしてその続きで私は、


もちろん私の記憶から抜け落ちているということはありえるし、知らないところにはそのようなことを書いてある本や証言している人のインタビューを収録した番組などもあるのかもですから、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄などでご教示いただけませんかね。よろしくお願いします。

と書いています。それでこの記事を発表してから8年以上もの歳月がたちましたが、やっぱり予想通りそんなものが教示されることなどは(現段階)ないわけです。私が無名だから教えてくれる人がいないんだとか、そんなことでもないでしょう。つまりは全くの実体のないフィクションが、やたら声高に世間を席巻していただけです。そう考えると、私がつねづね批判している

拉致被害者達を帰国させず、双方の国に事件究明の為と称する連絡事務所の設置や調査委員会の立ち上げと言う「聞こえの良い隠蔽工作」には絶対反対する立場を私達は貫きます。

とかきわめて居丈高なことを語っている横田拓也氏なども、自分たちの意見を変更したらどうか。けっきょくそういう態度が、横田氏の父親である横田滋氏や飯塚繁雄氏らへいろいろな負担をかけたんじゃないんですかね。滋氏は、ついにお孫さんらと1回しか会えなかったわけです。それらはもちろんご当人らが最終的に選んだ道ですが、家族や家族会・巣食う会らの執拗な働きかけがあったのも事実でしょう。

けっきょく反北朝鮮の道具として使い倒されただけじゃないか(横田滋氏の死)

けっきょくのところ「巣食う会」にものを言えない人だった(拉致被害者家族会前代表飯塚繁雄氏の死によせて)

だいたい私が批判する横田氏の意見だって、「連絡事務所」なんて当然でしょうに。連絡事務所なくしてどうしてまともな折衝・交渉ができるというのか。できるわけない。日本と国交回復前の中華人民共和国、米国とキューバ、あるいは旧ソ連とイスラエルだって連絡事務所とか第三国の大使館での交渉をしていました。下の記事でもその関係の記事を引用しましたし、またWikipedia「利益代表国」も乞うご参照。さらに同じくWikipediaの「日本が承認していない国一覧」の、北朝鮮に関する「交渉関係と代表機関に関して」もいろいろ勉強になります。いずれにせよ連絡事務所の設置などは、横田氏の主張するような


聞こえの良い隠蔽工作

ではありません。こういうのは、最終的には考え方の違いでしょうが、そういう話に日本政府ほかが過度に忖度する必要はない。これらは、私が考える犯罪被害者やその家族・遺族らに対する過剰な対応・配慮のたぐいと同じではないか。

まあつまりは、与党(自民党・公明党)の政治家も、(まともな人は)対北朝鮮対応に限界を感じているのだろう

話が飛びましたが、いずれにせよ「北朝鮮とは、連絡事務所設置も絶対不可」なんて言う話は、徐々にではあっても通用しなくなるでしょうね。現在の自民党政権で、「私が設置する」なんていう人物が出るのかは不明ですが、ただ次の自民党総裁(≒首相?)の有力候補ではあるであろう石破茂は、かつて連絡事務所設置を訴えていたことはあります。

だいぶ散漫な記事になりましたが、そうこう考えると和田春樹氏には本当に尊敬以外の言葉が見つかりませんね。和田氏も、北朝鮮問題や拉致問題に関しては、本当に決定的に嫌な思いをしたこと複数でしょうが、それでもこのような記事が掲載されるまでになったということです。こういっちゃなんですが、悪質な政治活動家のデタラメなデマを真に受けて本を書いたはいいが、それが片端から外れたら即刻北朝鮮言論から逃亡・撤退した関川夏央のデタラメさなど、和田氏とのあまりに雲泥の差に絶句します。岩波書店も、よくまあこんな野郎の本なんぞ複数出版しているものです。ほかにも恵谷治李英和高世仁といった人たちみたいな北朝鮮滅亡するする詐欺師など、ほんと和田氏と比べれば下の下の下の下の下です。この連中は、北朝鮮が滅亡する前に死んだり会社をこかしたり運営していた人権団体が活動停止になり極右雑誌に寄稿したくらいです。お話にもなりません。李氏にいたっては、かつて


私が急にテレビに出なくなったので、全国に散らばっている教え子たちが心配して“死んでないですか”という生存確認の電話が来るようになりました

とまで書いていて、本当に死んだら新聞もテレビも、ろくに報道すらされませんでした(苦笑)。笑っちゃ悪いかもですが、ご当人こんなことを書いていた時期はそれなりに自分の運動や活動に自負があったのでしょうが、彼は死ぬ前にあまり彼の死を報道してほしくないという意向があったみたいですが、李氏の真意も単純ではないでしょうが、自分の運動がとてもよろしくなかった、まずかった、日本右翼のいい食い物になって利用され倒されたという悔恨みたいなものがあったのではないでしょうか。自分の運動は正しかったと居直れるほどの狂信者では彼はたぶんない。

北朝鮮が崩壊する前に亡くなったという話(恵谷治氏)(追記あり)

李英和氏の死があまり報じられないことが、対北朝鮮や拉致問題への関心の実情ではないか

北朝鮮が崩壊する前に自分の会社を倒産させた無様で無残な話

それはそうと、和田氏はもともとロシア(ソ連)の研究家だったわけであり、北朝鮮関係について本格的に著書などを発表し始めたのは1990年代になってからです。それ以前から、韓国の民主運動にいろいろかかわってきてはいましたし、また旧ソ連に北朝鮮関係の史料がいろいろあったわけであってロシア史の専門家の和田氏には有利だったわけではありますが、こんなすごい人ほかにいますかね? 不世出の歴史家ではないか。bogus-simotukareさんのお言葉を借りれば、


「すごい人はすごい」ですね。才能といい努力といい、凡人にはとてもまねできません。

ということになろうかと思います。

新刊紹介:「歴史評論」2021年12月号

それに対して恵谷氏や高世、李氏(彼は朝鮮籍の在日コリアンですが(いや、のちに韓国籍になったの?)、まあ最後はそんなことを自称できるような状況ですらなかったと思います)らを見ていると、ほんと日本人だったり日本に住んでいることが不快になるくらいの不始末ぶりですが、和田氏のようなお方を見ると、やはりそう悪いばかりでもないと思います。これからも和田氏の著書ほかを通していろいろ勉強していきたいと思います。またこれらの件について、bogus-simotukareさんがいろいろ拙記事のご紹介を書いてくださっています。ありがとうございます。

朝日新聞に「制裁解除論(礒崎教授コメント)」が掲載されたことを喜ぶ&小泉第二次訪朝(2004年5月22日)は第一次訪朝(2002年9月17日)に比べ知られてないと思う(2023年5月24日分)(追記あり)

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プロ野球選手は美女と結婚する人が多いので、娘も美女率が高い(松井稼頭央と小久保裕紀)

2024-05-28 00:00:00 | 美女探求

埼玉西武ライオンズの監督だった松井稼頭央が「休養」という事態になりましたね。記事を。


【西武】松井稼頭央監督が休養「私の責任」最下位低迷 渡辺久信GMが28日中日戦から監督代行
[2024年5月26日17時6分]

西武が松井稼頭央監督(48)が26日のオリックス戦(ベルーナドーム)を最後に休養に入ることがこの日、分かった。渡辺久信GM(58)が兼任で監督代行を務める。球団も同日、発表した。

松井監督は就任2年目だったが、1年目の昨季は5位。今季も開幕後10試合は6勝4敗とまずまずだったが、5月14日の日本ハム戦から24日のオリックス戦まで9年ぶりの8連敗を喫した。25、26日のオリックス戦に連勝したが、球団が監督交代を決断した。

松井監督は球団を通じて「厳しい戦いが続いているなか、変わらず声援を送り続けてくださるライオンズファンのみなさまの声援に応えられず、大変申し訳なく思っております。何とか巻き返しを図ろうと、コーチや選手たちとともに戦ってまいりましたが、指揮をシーズン途中で渡辺GMに託すこととなりました。昨年からこのチームを率いて、選手たちの成長には手応えを感じていましたが、それを結果につなげることができなかったのは、指揮官である私の責任です」とコメントした。

渡辺GMは08年から13年まで監督を務め、就任1年目はリーグ優勝&日本一に輝いた。09年は4位、10年は2位、11年は3位、12年は2位、13年は2位で監督通算864試合で438勝395敗31分け、勝率5割2分6厘。交流戦初戦の28日の中日戦(バンテリンドーム)から指揮を執る。

◆松井稼頭央(まつい・かずお)1975年(昭50)10月23日、大阪府東大阪市生まれ。PL学園では投手として甲子園に出場。93年ドラフト3位で西武入団。内野手に転向し、最多安打2度、盗塁王3度、98年MVP。02年トリプルスリー達成。03年オフにFAでメッツ移籍。06年途中にロッキーズへ移籍し、07年ワールドシリーズ出場。アストロズを経て11年に楽天入団。15年に通算2000安打。18年に西武復帰し、同年引退。2軍監督、1軍ヘッドコーチを経て23年から1軍監督。177センチ、85キロ。右投げ両打ち。

当方野球には詳しくありませんが、松井といえば別格に凄い選手であり、また西武球団もわざわざ現役最終年に西武に復帰させて引退後も2軍監督から1軍ヘッドコーチで処遇し,4年間の準備期間を経て満を持して監督に就任させたわけであり、西武球団としても非常に気の進まないところはあるでしょう。やはりそのチームでの別格の顔みたいな人ですからね。

ところで「休養」というのは途中解任を婉曲に意味する言葉であり、プロ野球界ではちょいちょい使われます。実際には「辞任」と球団が発表する事例もあり、これも解説者になった場合の契約の問題とかもあるという話をきいたことがありますが、この10年くらいで埼玉西武ライオンズはこれが2回目、オリックスブレーブスも2回、ほかは中日ドラゴンズと東北楽天イーグルスと、やや低迷している(いた)チームの監督が、「休養」「辞任」「解任」になるようです。それは当然といえば当然ですが、巨人とかは、調子が悪くてもこういったことはしないようです。以下に、その関係の記事をご紹介します。


◆近年のシーズン中の“監督交代”

 ▽14年西武伊原監督→田辺代行 1年目の伊原春樹監督が20勝33敗で最下位に低迷していた6月4日に無期限休養。同6日から田辺徳雄打撃コーチが代行。43勝44敗の5位で終え、翌年に監督就任。

 ▽15年オリックス森脇監督→福良代行 森脇浩司監督が19勝34敗1分けだった6月2日、試合前に休養。代行は福良淳一ヘッドコーチで42勝46敗1分けの5位。翌年、監督に。

 ▽16年中日谷繁監督→森代行 谷繁元信監督が42勝58敗3分け、8カード連続負け越し借金16となった8月9日に休養し、森繁和ヘッドコーチが就任。16勝24敗で翌年から監督就任。

 ▽18年楽天梨田監督→平石代行 梨田昌孝監督が21勝41敗1分けで借金20となり6月16日に辞任。同17日から平石洋介ヘッド兼打撃コーチが就任し、37勝41敗2分けで最下位も翌年に監督就任。

 ▽20年オリックス西村監督→中嶋代行 20年8月20日、16勝33敗4分けだった西村徳文監督解任を受け、中嶋聡2軍監督が就任。29勝35敗3分けで最下位も翌年監督に。

こうやってみると、たしかに監督が変わったら成績は上向いているようですね。指導力の問題か選手がさすがに「これはまずい」と考えたかは定かでありませんが、監督の変更も意味がないわけではない。だいたいコーチや2軍監督が後釜にはいるようですが、今回西武球団は、球団GMの渡辺氏に監督をゆだねたわけで、つまりは現場スタッフでは荷が重い、力不足と考えたということでしょう。渡辺氏としては、「自分が責任を取る」という意味合いもあるのではないか。

というのは前振りでして、プロ野球談議は他の方にしてもらえばいいとして、今日注目したいのは、松井の娘さんのことです。松井の奥さんは、タレントの松井美緒であり、娘がモデルをやっています。松井遥南という人です。Wikipediaに名がないので、所属事務所のHPにリンクします。以下写真を。

ラストの写真は、引用はこちらより。母娘のショット。

どうでもいい話ですが、松井美緒って、「嗚呼!バラ色の珍生!!」のMCをしていたことがあり(当時は旧姓の「菊池」で活動)、私それくらいしか印象にないんですが、松井との結婚で芸能活動を一時休止、また復活したようですが、最近は芸能事務所も退所しているので、どうも松井が指導者になったために芸能活動をまた控えているところがあるようですね。今後どうなるかです。なお松井稼頭央は身長177㎝、松井美緒は162㎝と、松井はプロ野球選手としては小柄だし、奥さんも長身ですが、そんなに大したことはない。しかし娘は173㎝あるとのことで、隔世遺伝でもしたんですかね? このあたりは定かでありませんが、親だけ見ていれば身長がよめるというものでもない。

ではもう1人。福岡ソフトバンクホークス一軍監督・小久保裕紀の娘である小久保春菜です。彼女は、2023年のミス・アースジャパンで2位に入賞しています。これは全くの偶然ですが、松井監督の休養が発表、報道された5月26日に、次のようなイベントに顔を出しそれが報道されました。


ソフトバンク小久保監督の長女・春菜、芸能界本格デビュー 「父に優勝インタビューしたい」スポーツキャスター目指す
2024/05/27 05:00

プロ野球ソフトバンク・小久保裕紀監督(52)の長女、小久保春菜(25)が26日、新潟・十日町市で行われた少年野球教室にゲスト出演し、本格的に芸能界デビュー。野球評論家、岡島秀樹氏(48)を相手に始球式を行い、ノーバウンド投球で沸かせた。昨年「ミス・アース・ジャパン」準グランプリに選ばれ、芸能事務所と業務提携。「スポーツキャスターを目指しています。夢は優勝監督になった父をインタビューすることです」とつぶらな瞳を輝かせた。

DNAを受け継いだ投球フォームもさまになっている=新潟・十日町市
晴れ渡った十日町・笹山野球場に170センチ、B90W63H85の抜群のスタイルを誇る春菜がさっそうと登場。米大リーグ、レッドソックスなどで活躍した岡島氏の構えたミットに力いっぱい投げ込み、見事ストライク。バッターボックスに立った小学4年生の関沢菜那ちゃんをはじめ、65人の球児を喜ばせた。

春菜は「実は野球のボールはあまり投げたことがなかったんです。小学3年から中学3年までバドミントンをやっていてスマッシュは得意。だからかな」と大役を務め、胸をなで下ろした。

大学卒業後、ホンダのショールームでイベント司会などを経験。「MCの楽しさを知り、本格的に声を使う仕事をしたいと思い、芸能界に飛び込みました」。昨年8月、世界4大ミスコンテストの1つ「ミス・アース」の日本大会で2位になったことをきっかけに芸能事務所、カロスエンターテイメントと業務提携を結んだ。

これ読んだとき、そういえばそんなことが前にあったなと思い出しました。


ソフトB小久保2軍監督娘・春菜さん「ミス・アース・ジャパン」2位 「一番に父に伝えたい」
[ 2023年8月4日 05:00 ]

 世界4大ミスコンテストの一つ「ミス・アース」の日本大会「ミス・アース・ジャパン」が4日、都内で開催された。全国の予選を勝ち抜いたファイナリスト22人が頂点を目指した。東京代表として出場した会社員の小久保春菜さん(24)が、2位にあたる「ミス・エアー・ジャパン」に選ばれた。父はプロ野球・福岡ソフトバンクホークス2軍監督の小久保裕紀氏(51)。強打者として活躍した父譲りの勝負強さを見せた。
 1メートル70のスレンダーボディーで審査員を魅了した小久保さん。2位の発表で「ミス東京」と呼ばれると、はにかむような笑顔を見せた。「1位を目指していたので悔しい」と本音を漏らしながら、「一番に父に伝えたいです」と声を弾ませた。

 1次、2次の審査を経て、5人だけが進んだ最終審査。審査員から「人生に最も影響力を与えた人は誰ですか」と質問された。小久保さんは「父」と迷わず回答。「父は45年ほど同じことをずっと続けて、夢をかなえております。その姿を一番近くで見てきた私は、継続することの大切さを学びました」と父への敬意を口にした。

 前日は電話で父と話し、緊張のほぐし方を聞いた。「思い切り力を入れてわざと体を緊張させて、一気にほどくとリラックスして臨めるから。行っておいで」とエールをもらった。本番前に実践し「効果はありました」と感謝した。「壁にぶつかるといつも父に相談してきた。父からは“人としてまず大切なことをちゃんとしなさい。信頼がないと、上に行っても応援されないよ”と教わりました」と明かした。

 現在は会社員として働きながら、フリーで司会業やナレーターの仕事も行っている二刀流。プロ通算413本塁打を誇る父を「良い意味でライバル」と言う。「父のように影響力のある人になって、夢や元気を与えられる人になりたい。今は“小久保の娘”としか言われないので、いつか父を超えるぐらいビッグになってやると思って頑張ってきた。その第一歩になりました」と力強く語った。

 ▼ソフトバンク小久保裕紀2軍監督 うれしいですね。努力が報われることは成功体験につながる。(出場するか)迷ったようだが、チャレンジした選択肢が結果につながった。周囲への感謝を忘れずにチャレンジを続けてほしい。

 ◇小久保 春菜(こくぼ・はるな)1999年(平11)3月29日生まれ、福岡市出身の24歳。2020年のミス・ジャパン神奈川大会3位。1メートル70。B90・W63・H85。

私も、彼女が「会社員」という肩書だったので、「へえそうなんだ」と思った記憶がありましたが、この時点で司会業やナレーションの仕事をしていたので、半ば芸能人ではあったということですね。写真をご紹介。

上の写真は、引用した記事より引用。

上の写真の出典はこちら

写真の出典は彼女のインスタグラムより。写真が小さいのは乞うご容赦。個人的な意見では、松井の娘はわりとストレートな美女、小久保の娘はわりと個性的な顔ですかね。前に私

プロ野球選手は美女と結婚する人が多いので、娘も美女率が高い(ほかのスポーツの事例も紹介)

の記事の中で、


プロ野球選手だった人の娘さんは、わりと美人が多いと思います。たぶん世間一般より美女率は高い。それはなぜなのかと考えるに、つまりは奥さんが美人だからです。プロ野球選手には、いろいろな女性が寄ってきますから、自分の好みの女性と結婚することができます。そうなるとその女性は美人である可能性が高く、となれば奥さんが美人だから遺伝的に形態がにて美女あるいは美男が生まれる可能性は高くなります。

と指摘しまして、彼女らが典型ですね。小久保の(元)奥さんも美人のはず。きりがないので本日はこれ以上の例は出しませんが、また折にふれて記事にしますので乞うご期待。

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「識者」であろうと、数年後の推移(ですら)を正確に予想するのは(当然ながら)とても難しい(英国の選挙)

2024-05-27 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

過日報じられたニュースを。


イギリス下院近く解散、7月4日に総選挙…スナク首相「今こそ未来を選択する時だ」
2024/05/23 01:27

 【ロンドン=蒔田一彦】英国のリシ・スナク首相(44)は22日、議会下院(定数650)を近く解散し、7月4日に総選挙を行うと表明した。総選挙は2019年12月以来となる。下院の任期満了は今年12月に迫っていた。

22日、ロンドンの首相官邸前で、7月4日に総選挙を行うと表明するスナク英首相=AFP時事
 スナク氏は首相官邸前で声明を読み上げ、経済政策や不法移民対策など政権が取り組んできた実績を強調したうえで、「今こそ未来を選択する時だ」と述べた。

 世論調査で与党・保守党の支持率は最大野党・労働党に大きく水をあけられている。2010年にゴードン・ブラウン首相が退陣して以来14年ぶりに労働党が政権を握る可能性がある。

せんだって私が発表した記事では、秋ごろの選挙を予想する記事をご紹介しましたが、識者の予想より早いということになりそうですね。

英国は次の選挙で野党(労働党)が勝ちそうだが、日本では首相交代程度で自民党・公明党連合が有利じゃね?(上)

その国の法律しだいですが、基本民主主義国家で議会制民主主義が機能している議院内閣制度のもとでは、与党を率いる首相が議会の解散権を握り、もしくは任期満了で解散となります。同じ解散権行使でも、内閣不信任案が可決された時点で解散する可能性もあります。与党側は当然自分たちが選挙で有利な時期での解散をのぞみますが、英国では昨今の情勢ではほぼ政権交代確実といわれていますので、おそらく少しでも保守党が議席を取る時期ということを考えての解散です。もちろんどの選挙でもそうですが、次の選挙はなおさらです。

上の記事で、私は次のようなことを書きました。

英国では、1979年に保守党が勝ち、以降83年と87年に勝ち、今度は労働党が勝つんじゃないのといわれた92年の選挙でも保守党が勝ったので、朝日新聞社の政治記者だった石川真澄は大要「もう労働党は政権をとれないのではないか」とまで書いていたと記憶しますが(手元に実物がないのでめったなことはいいませんが、1993年に出版された『小選挙区制と政治改革――問題点は何か』だったと思う)、97年に労働党が勝ったので石川の予想は外れました。

それでその本を私は以前買っていたかと思いますが、手元にないので、地元の図書館から取り寄せました。では件の下りのさわりの部分を引用します。石川は、1992年の選挙では労働党が勝つというもっぱらの予測が外れたことを指摘したうえで、次のように書いています。


そのうえ、1996、97年ころと思われる次回の総選挙でも、労働党は勝つことがむずかしいのではないかといわれている。そのころは92年のようなひどい不況からは脱却しているだろうし、労働者の「中産階級化」も進むだろうというのだ。そして、実はそれら以上に、選挙区の境界線引き直しの影響が大きいと思われている。

英国では人口の移動にともなって、ほぼ10年ごとに選挙区人口をできるだけ均等にするための線引き見直しがある。次回は95年ごろと予定されている。近年、英国の人口は北部のスコットランドなどから温暖で豊かなイングランド南部にうつっていく傾向がめだっている。その変化に応じて選挙区境界線を引き直せば、イングランド南部に少なくとも12,多ければ20くらいの選挙区が増えるだろうと予想されている。

この土地は保守党の金城湯池であって、同党はいつの選挙でも80%から州によっては97%も奪ってきた。したがって、この地方で増える選挙区はほぼ全部が保守党の議席を増やすことに役立つはずである。労働党はそれだけ余分のハンディ・キャップを背負って戦うこととなる。92年選挙のように有利な状況下でも勝てなかった労働党にとって、次回の政権奪取はいっそう困難になるだろうと、英国の専門家たちはみている。

そうだとすると、英国で保守党政権が二十数年も続く可能性が相当にあるということになる。実際、英国の政治学者たちは92年総選挙後に私のインタビューに答えて、次のようにほぼ同じ観測を口にしていた。

「英国の政権交代をともなう二大政党制の時代は終わりにきた」(アイバー・クリュー・エセックス大学教授)

「今の制度の下で二大政党が交代で政権につくということは、もはやないだろう」(ジョン・カーティス博士)

「20世紀の末には競争的な二大政党制は終わり、(92年までの)日本のような一党優位体制ができあがる」(デニス・カヴァナフ・ノッチンガム大学前教授)

(中略)

「英国で70年代末まで政権交代がサルトーリのいうように「驚くほどうまく機能していた」のは、スティード博士によれば、中産階級と労働者階級という二つの社会経済的階級がほぼ同じ大きさで競り合っている状態を反映していたにすぎない。しかし、そうした基盤はすでに崩れたのだという。

こうして、英国では小選挙区制のもとでの「二党制」も、それによる「政権交代」も、ともに確実に過去の神話となりつつある。(p.34~36)

(以上の引用で、漢数字は原則的に、算用数字に変換しました。段落冒頭の一字下げと振り仮名は省略、段落にはスペースを空けました。下の引用も同じ)

石川の書いていること自体は、どれもいかにももっともらしいし、同時代に読んでいれば「へえ、そうなんだ」と思いたくもなりそうですが、実際には、1997年の選挙では労働党が大勝しています。ということは、石川はおろか、この本で石川が意見を紹介している識者が、片端から予想を外したということになります。

つまりは、人口移動による選挙区割りの変化などは、あるいは保守党の議席減をある程度は押しとどめたのかもしれませんが、政権を維持するには遠く及ばないものだったということです。要は、民意の方がずっと強かったということです。これはもちろん労働党トップであり政権交代後に首相に就任したトニー・ブレアらの能力の高さ(批判の多い人でもありますが、彼が優秀な人間であることは万人が認めるでしょう)とかいろいろありますが、つまりは有能きわまりない学者の予想などをはるかに超えて、事実と現実の方がずっと柔軟かつ大胆に歴史を作るということなのでしょう。

それにしても石川が話を聴いて意見を引用している学者たちが片端から大要「もう労働党が政権を握るのは難しいだろう」と予想していて、それらが徹底的なまでに裏切られたというのは、非常に興味深いですね。つまりは、92年の保守党の勝利というのが、私が前記事でも書いたように、冷戦終結などによる何らかの間違いで勝ったというものであり、そんなに継続するものではなかったのでしょう。石川も英国の識者らも、それらを過大評価したということなのでしょう。石川も、別に同じ意見の学者をえり好みしてインタビューしたわけでもないのでしょうから、確かに当時の英国ではそのような意見が主流だったのでしょう。ということは、そんな意見は、どんな識者が発したものであろうと、話半分できいておくのが正解なのかもしれません。

石川は2004年に亡くなっていますので、彼は日本における民主党政権樹立は知らないでこの世を去りましたが、英国で労働党が勝ったことは知っているわけです。で、石川は、自分の意見が外れたことをどう考えたのか、その点について私は、知識はありません。石川は97年以降も単著、共編著書を出しているので、それらを参照すれば彼の考えがわかるかもしれません。が、それはこの際どうでもいい話です。

さてさて、上の引用の後石川は、次のようなことを書いています。石川は、英国でも小選挙区制度に限界が来ているという意見が出てきていることを紹介したうえで、次のように書いています。


こうした傾向を受けて、英国選挙学の第一人者デヴィッド・バトラー・前オックスフォード大学教授は、私に「英国は向こう20年のうちに何らかの形の比例代表制に移行するだろうと確信している」と語った。そのひとつの理由は、EC(ヨーロッパ共同体)の発展にともなってヨーロッパ議会の重要性が増していることだという。今は英国もヨーロッパ議会の議員を小選挙区制で選んでいるが、やがては他の大陸欧州諸国と同様に比例代表制を用いざるをえなくなるだろう。そうしたことがきっかけになりうるというのである。(p.37)

1993年の本なので、EU(ヨーロッパ連合)でなくEC(ヨーロッパ共同体)の時代ですが、欧州議会(石川本では「ヨーロッパ議会」)の重要性どころか、英国はEUを離脱しちゃいましたからねえ(苦笑)。1993年の時点で、いや、ブレクジットの国民投票が行われた2016年だって、さすがに英国は、EU離脱はしないんじゃないのというのが、もっぱらの観測だったと思いますが、でも離脱・脱退しちゃいました。そしていうまでもなく、この本が出て30年以上たった現在でも、英国はしっかり小選挙区制度です(笑)。いや、私は小選挙区制度なんて支持しませんが、英国はまだこれをやっているし、次の選挙で労働党が勝ったら、やっぱり小選挙区制度のままなのでしょうね。自分たちがその選挙制度で勝ったんだから、変える気もないでしょう。万が一保守党が勝ったとしてもご同様。これも同じじゃないですか。識者じゃなくったって、英国のEU離脱はないと誰もが予想したでしょうが(そう考えたから、保守党のキャメロン首相は、国民投票をしたわけです。スコットランドの独立投票も同じこと)、理由はともかく、いくら僅差とはいえ英国民は離脱を選択したわけです。こんなのなかなか予想は困難です。EUは、シェンゲン協定未加入や英国ポンド使用OKなど、英国への便宜をいろいろと図ったわけですが、ともかく離脱したわけです。とにかく歴史というのは、上の言葉をくりかえせば事実と現実でその有様を私たちに見せつけて圧倒します。しょせん石川真澄も、彼が話を聴いた英国の識者たちも、そういった事実と現実には、たちむかうすべもないのでしょう。いや、次の選挙で保守党が勝つ可能性がないことはないのかもしれませんが、いずれにせよ選挙の後にはまた記事を書ければです。仮に保守党が勝ったら、私の記事のタイトルがいかに正しいかがわかるし、労働党が勝ったとしても、その次の選挙にどうなるかは分かったものではないでしょう。

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宮崎へ、うなぎと鶏を食べに行った紀行〈2023年9月)(Day0&Day1-1)(1)

2024-05-26 00:00:00 | フォトログ

韓国に行った昨年9月に、今度は宮崎へ、うなぎと鶏を食べに行きました。その紀行を。

こちらのホテルに前泊します。「東横イン羽田空港2」です。

部屋です。

近くのコンビニで調達したソフトドリンク、酒、デザートです。個人的な趣味を言うと、ドデカミンはうまい。

ホテルの窓から。

朝です。1枚目の写真をそこら中にLINEで送ったら、「ここどこ?」という反応複数。

バスに乗り、羽田空港へ向かいます。ちょうどラグビーワールドカップのアイルランド対南アフリカ戦をやっていて、アイルランドが勝った瞬間を、車内のテレビで放送されていました。アイルランドびいきの私としては、うれしいにもほどがあるというものです。この時は、今回はしばらくぶりに北半球が勝つのではないかと思ったんですがねえ。

羽田空港に到着します。

セキュリティチェックを受けます。

出発ゲートへ向かいます。

ウルトラマン』のキャラクターを利用した広告があります。

こちらが私の乗る飛行機です。

搭乗します。ソラシドエアです。

この会社がきわめて初歩的な不祥事を起こした際も、これと同じシリーズの機体でした。

さすがにフライトの乗客の1/3が未搭乗なのに、機体が駐機場を離れたのはまずすぎるだろう

メジャーキャリアとLCCの中間的な会社ですので、飲み物が出ます。これはアップルジュース。

シートやカップにも、独自のイラストがあります。

宮崎に到着します。

奥に見えるのが、私が乗った機体です。

到着ロビーです。

(つづく)

 

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所要があったので行った沼津と浅草(2024年5月)(浅草編)

2024-05-25 00:00:00 | フォトログ

海老名サービスエリアにて。もちろん上りです。

静岡じゃないのに、なーんでこんなのあるんだと思いましたが、これは「口福堂」というところの出しているものです。

あれ、ここ撮影禁止だったの? すみません。肖像権には、(私としてはめずらしく)配慮しているので乞うご容赦。

同行者の希望で、浅草に来ました。これが5月13日で、あれ、私期せずして二日続けて浅草に来ちゃったぞ。前日が藍とも子さんのイベントのあった日です。

特撮レジェンドである藍とも子さんのイベントに顔を出した(追記あり)

駐車場を見つけて車を停めます。最初は、「レストラン大宮」(食べログにリンク)に行きたいと同行者が言ったのですが、この日は月曜なので休みですから、違う店に行きます。

外国人が多くいました。

本日食事をするのはこちら。「ヨシカミ」(食べログにリンク)です。本店はずいぶん長くいっていませんが、羽田空港では食べたことがあります。考えてみれば、「大宮」も長きにわたって行っていないな。

ウポポイ・札幌・小樽・支笏湖などをレンタカーでめぐる旅(2022年6月)(Day1-1)

下は参考記事。

「ヨシカミ」という洋食屋をテレビで見てとても懐かしく想いだした

自信の表れ。

メニューです。

色紙多数。

こちらはチキンのカレー煮。ずいぶん以前マカオで「アフリカンチキン」というのを食しておいしかったことがあります。趣味の問題ですが、そちらの方がおいしかったかな。

マカオ・香港・深圳紀行(2018年4月)(8)

マカオでは、中華料理はもちろんですが、「ポルトガル料理」「マカオ料理」なども非常にうまい。マカオに行かれた際は、ぜひご賞味を。こういっちゃなんですが、賭博と性関係ばかりがマカオの魅力ではない。下手にマカオを知っている人に、「マカオはいいところだ」というと、ギャンブルばかりでなく「女」といわれるので非常に迷惑です。そんな話はともかく、マカオ料理のWikipediaには、「アフリカンチキン」について


ガリーニャ・ア・カフレアル(Galinha à Cafreal、非洲雞) - アフリカン・チキン。トウガラシと香辛料を使用する点を除き、レストランによって調理法と味付けに違いがある

とあります。上にもあるように、味はまったく店によって違うということです。いやもちろんマカオのさまざまな建物は非常に魅力的ですよ、言うまでもない話。拙ブログにもマカオの旅行記があるので乞うご参照。

旅(香港・マカオ・広州・深圳)

こちらはメンチです。うまい。なお私が案内された席がレジの隣でして、クレジットカードで決済している人が多かったですね。また外国人も多い。ちょうと外国人の予約の電話もありました(予約の電話をかけてきたのは日本人らしい)。お昼の沼津の店もそうでしたが、つまりは外国人が非常に多く来店しているということです。

店を出ます。

駐車場に戻ります。

首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス浅草駅です。これまだ乗っていないので、近日中に乗らないとな。

駐車場へ向かいます。

浅草今半」(Wikipediaにリンク)です。安いわけはありませんが、やっぱり高いですね。これはランチですかね。牛肉つながりですが、今年中に「ピーター・ルーガー」か「ウルフギャング・ステーキハウス 」に行きたいと思います。前者は、かつてニューヨークに行った際食べに行こうとしましたが、食べられなかった苦い経験あり。なお以上の2店舗は、すべて「食べログ」にリンク。

こういう店も食べてみたいですね。もつ焼きは、私の大好物です。店に入るにはいたりませんでしたが、若い白人のカップルが、店をのぞいていました。

(終わり)

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最近は、白人の系統をひく女子アスリートも複数出てきている

2024-05-24 00:00:00 | 美女探求

先日次の記事を読みました。

【陸上】ガードナ・レイチェル麻由が七種県高校新の5061点 菊田響生が3冠 向田泰誠が長距離2種目大会新/IH神奈川県大会


福岡インターハイ(7月28日~8月1日)に向けた都府県大会が5月上旬から各地で行われ、高校生たちが熱い戦いを繰り広げている。

神奈川県大会は5月11日~12日、18日~19日の4日間、三ッ沢公園陸上競技場で行われ、各種目に好記録が生まれた。

ガードナ・レイチェル麻由(法政二2)は大会1日目の走高跳で1m69の自己新で2位と好調。さらに昨年のインターハイで5位に入っている七種競技では、前半4種目のうち100mハードル、砲丸投、200mで自己新、走高跳も混成内自己タイと快進撃を見せた。

後半3種目に自己新はなかったものの、最終種目800mは直後にある4×400mリレーを見据えながらのレース。神奈川県高校記録(5026点/藤沼朱音・希望ケ丘)を11年ぶりに更新する5061点で優勝した。「今回の目標は大会記録(4834)で、県高校新はインターハイまでの目標だったのでびっくりしています」とガードナ。アンカーを務めた4×400mリレーは2位に入っている。

(以下略)

ではまずは、記事にはりつけられた写真を。

では写真をほかにも。こちらは昨年の記事

 

全国高校総合体育大会第15日は5日、札幌厚別公園競技場などで行われ、陸上女子七種競技はガードナ・レイチェル麻由(法政二)が4903点で総合5位に入った。
 
とあります。1年生ですから、伸びしろも大きそうですね。
 
 
インタビュー記事からの写真を。中三の最後の時点でのもので、少なくとも当時は、渋谷区在住だった模様。なお
 

母が日本人で父がイギリス人、2歳上の姉がいます。
 
とのことで、たぶん彼女は現段階日英両国籍かも。
 
 
となりは、インタヴューワーです。
 
さて白人の系統が入っている日本のJK陸上女子というと、現在いちばん有名なのが、ドルーリー朱瑛里でしょう。Wikipediaに名があるくらいです。現在岡山県立津山高等学校に在校中。なかなかの名門高校です。彼女の父はカナダ人とのこと。以下数枚写真をご紹介。
 
出典はこちら。2023年1月の写真。
 
 
出典はこちら。撮影時期は、上の写真に同じ。
 
撮影時期は、昨年8月の写真です。写真の出典はこちら
 
こちらは昨年10月の写真。出典はこちら
 
で、こんな記事を書いていて思い出すのが、こちらの記事です。

アフリカ系日本人のプロスポーツ選手の先駆け(の1人)だった

衣笠祥雄氏がお亡くなりになった際に書いた記事で、衣笠氏は、アフリカ系日本人のさきがけでもありましたし、当然アスリートのさきがけでもありました。その記事には、数人のアフリカ系日本国籍保持者であるアスリートを紹介しています。白人系のアスリートというのも、最近ではウルフ・アロンベイカー茉秋などの日本生まれで父親が米国人という人たちも出てきているし、フィギュアスケートのアイスダンスで長年にわたって日本代表でがんばってくれたリード姉弟のように、米国生まれの母親が日本人で日米両国籍から、日本代表を選択する人たちもいるわけです。つい先日現役引退を表明したハンドボールの土井レミイ杏利は父親がフランス人だし、宮澤ミシェルやクオーターの鈴木亜久里もフランス人の血をひいています。クオーターといえば、ミミ萩原は、祖父がフランス系スイス人だったとのこと。この記事を書くまで全然知りませんでした。そういう人たちも予想以上に多いようです。

日本という国は、最近はだいぶそうでもなくなったと思いますが、単一民族神話がはびこっているなど、正直海外の系統を引き継いでいる人たちには住みにくい、暮らしにくいところがあるわけだし、またこの記事もその一環ですが、容姿に恵まれているとやたらマスコミに取り上げられるという毎度おなじみの構図があります。が、やはり私としては、 美女アスリートにはぜひ活躍していただきたいと思います。

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いろいろ考えさせられる動画だ(以前記事で取り上げた件の動画もあった)

2024-05-23 00:00:00 | 社会時評

先日次のブログ記事を読んでみました。

発達障害の子、犯罪に手を染める

で、そこに次の2つの動画がはりつけられていました。

居たい理由は「再非行とか絶対しないから…」医療少年院で暮らす知的障害等ある少年達 社会に“生きづらさ”

「友達のために万引きしてあげた」“家にも学校にも居場所が無い”少年院の少年たち【news23】

下の動画を見ていて私、「あれ、これ前記事を読んだな」と思いました。こちらの記事ですね。

おもわず「おいおい」と思う記事

その記事で私がご紹介した

「友達のために万引きしてあげた」“家にも学校にも居場所が無い”少年院の少年たち【news23】

の動画ですね。

世の中遺憾ながら、何らかの注意・罰則をうけても悪事がやまず、最終的には行きつくところまで行ってしまう人がいます。少年事件に限らず、万引きを繰り返し、警察に引き渡されても微罪釈放処分→不起訴処分→罰金刑→執行猶予付き懲役刑判決→実刑判決みたいになってしまう人間もいるわけです。それが非常に極端なケースとなると、私が繰り返しご紹介しているこの事件のようにもなりかねないわけです。

行政その他の支援がなかったことが非常に悪い事態をもたらした大きな要因と思われる強盗殺人事件の実例

上の事件での犯人は、次のような状況です。


◆死刑判決が確定するまでの経過(取材に基づく)◆
1961年 8月   茨城県鉾田町(現鉾田市)で生まれる
   中学卒業後   地元で土木作業員や農業手伝い
  80年      自動車盗(窃盗)で中等少年院送致
  82年 8月   自動車盗と強姦(ごうかん)致傷で懲役2年
           公判で心神耗弱認定
  85年 3月   自動車盗に問われ、公判で心神耗弱認定
  86~87年ごろ 同罪で服役
  88~89年ごろ 同罪で服役
  90年      同罪で服役
  94年 3月   自動車盗の常習累犯窃盗で懲役2年2月
  96年 4月   刑期終了
     12月   同罪で懲役2年6月
  99年 3月   仮釈放後、関西の更生保護施設へ
      4月   自動車盗の常習累犯窃盗で仮釈放取り消し
      8月   同罪で懲役3年
  02年10月   8回目の刑期終了。実家に戻る
  05年 1月   女性強殺容疑などで逮捕
  10年12月   最高裁で死刑判決確定

というわけです。とてもこの人物が、一人暮らしをできるとかまともな社会生活を送る能力があるとは思えません。しかし理由はともかく、行政も福祉関係もどこも、けっきょくこの人物にまともな対応をせず、2人もの人間を殺めるという最悪の事態になってしまったわけです。現在この人物は、東京拘置所で死刑執行を待つ身分です。

何度も同じことを書きますと、知的障害があり精神障害がありさらに家庭環境が悪いとその人間はほんと救いがありません。こちらの動画の人物はその典型。

私がいう「三重苦」(知的障害と精神障害があり、家庭環境の悪い人物)を持つ累犯障害者の、典型的なよろしくない末路だと思う

【現実】「また悪いことしてしまう・・・」犯罪繰り返す障害者を支えた25日間 逮捕ですべてを失い、たどり着いた先に・・・【#ウラドリ】

この人物は、その後この世の人でなくなりました。動画をご覧いただければ、あまりのひどさに絶句するというものです。なにしろ犯罪をして生活保護を打ち切られ、福祉関係の職員からも忌避され、過去には同居人(このような人物と同居するのですから、おそらく知的障害者の類ではないか?)の子どもに煙草の火を押しつけるなどの虐待をしているくらいです。

また福岡商業施設女性刺殺事件はどうか。犯人である少年の成育歴のひどさ他は、Wikipediaをご参照ください。そして次のような裁判も提訴されています。注釈の番号は削除します。

少年Xが事件2日前まで入所していた少年院が適切な矯正教育を怠り、仮退院時の必要な情報共有も行わなかったなどとして、2023年3月10日、女性の遺族が国に対し約6170万円の損害賠償を求めて福岡地裁に提訴した

代理人弁護士によると遺族側は、少年は幼少期から暴力行為が問題となっていたにもかかわらず、少年院で適切な処遇がされなかったと主張。仮退院時の医療的なケアも欠如しており、それまで処方されていた衝動性を抑える薬も処方されず、事件につながった一因になったとしている

遺族側は同日、少年Xと母親に約7820万円の賠償を求める訴訟も起こした

こういうことを書くのもなんですが、このような人物は、あまりにひどい事件を起こす前に一生刑務所に入れてあげる方がご当人のためにもいいのではないですかね。あんまりこのようなことを書かないほうがいいとは思いますが、あまりにひどいとそういうケースも出てきます。大阪姉妹殺害事件附属池田小事件の犯人らも同じようなものでしょう。強度に精神を病んでいたり極端な発達障害だったりする。2人ともすでに刑場の露に消えています。

もちろん最初の動画に出てくる人物らはここまでひどい人間ではないでしょうが、世の中他人とご当人の人権を守るためにかなり極端なことをしないといけないこともあります。そういうことも考えないといけないのかもしれません。

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米国をほめるわけでもないが、日本よりはましだと思う

2024-05-22 00:00:00 | 社会時評

本多勝一著「「真珠湾」からイラクまで― アメリカ式謀略戦争の実体」という本を読んでいまして、「?」というところがありました。


〈コラム〉マッカーサー元帥の善意、実は対外債務(p.144)

というところです。つまりは、マッカーサーが戦後日本に食糧支援をしたのは、単なる善意ではなく、対外債務であとで元利の返済を求められたということを本多氏は指摘されています。Wikipediaガリオア資金には、

当初日本はアメリカによる無償援助とみなしていたが、アメリカが返済を求めたため、1962年(昭和37年)に約4億9000万ドルの返済協定を調印し、のち完済した

とあります(注釈の番号は削除)。

で、これは同じ本で本多氏が開陳する真珠湾陰謀論(Wikipediaでは「真珠湾攻撃陰謀説」)とちがい、事実関係は間違っている話ではありません。それはわかるのですが、ただそれ日本人が言うと「どうもなあ」のところがあります。日本は、中国などで徹底的に様々なものを収奪したし、そうしなければ戦争なんぞできませんでした。

でですよ、これは独ソ戦もご同様。こちらもドイツは、旧ソ連ほかから様々なものを徹底収奪しました。これもそうしなければ、戦争なぞできなかったわけです。

さてさてそれは戦争中の話ではありますが、いちおう休戦なり終戦なりになったとして、日本やドイツに、中国なり旧ソ連なりに、米国が日本やドイツなどに行ったような規模の食糧支援をする用意があったのかです。なかったんじゃないんですかね。戦争の遂行に夢中であって、そんなものをする意思もろくになかったし、またそれだけの国力もなかったのではないか。けっきょくこれは、相手国で行う戦争とそうでない場所での戦争(もちろん爆撃を受けたりドイツは全土が、日本も沖縄ほかで地上戦があったりしたわけです)の違いもありますが、どちらにせよ日中戦争とか独ソ戦などの際の日本軍やドイツ軍の乱暴狼藉ぶりというのはすさまじいものがあり、あそこまでひどいことは、米国はしていないでしょう。これは米国をほめているわけではありませんが(日本やドイツがひどすぎただけです)、いちおう客観的事実ではあるでしょう。

そしてこれは全くの別件ですが、このような問題はどうですかね。

核搭載米艦、寄港容認の密約経緯 60年安保改定時、米公文書に明記

bogusu-simotukareさんから下の拙記事にコメントをいただきました件です。記事を引用します。

米兵を起訴するのは、法相が指揮をすることらしい(それじゃ、検察だって、起訴なんかしたいわけがない)


核搭載米艦、寄港容認の密約経緯 60年安保改定時、米公文書に明記

編集委員・藤田直央2024年5月18日 21時30分

 1960年の日米安全保障条約改定をめぐる交渉で、核兵器を積んだ米軍艦の日本寄港を事前協議なく認める密約を両政府が交わしていたことを示す米公文書が見つかった。この密約を日本政府は認めていないが、さらなる検証が必要なことを示す発見だ。

核持ち込み密約、認めなかった日本と米に残る公文書 政府の説明は
 文書は1958~60年の条約改定交渉に関する二十数点。信夫(しのぶ)隆司・日本大学名誉教授(日米外交史)が、米国の国立公文書館やNPOの国家安全保障公文書館(NSA)で2004年以降に入手し、精査した。

 岸信介首相は1958年2月、領海を含め日本に核兵器を持ち込ませないと国会で答弁したが、米政府は核搭載艦が自由に寄港できる環境を維持しようとした。

 一連の米公文書によると米国務省は58年9月、マッカーサー駐日大使に、条約改定で新たに設ける事前協議制度について訓令を出した。核兵器の日本領土への配置は事前協議の対象とする一方で、「核搭載艦の日本の領海、港への立ち入りは過去同様に続き、事前協議の対象にならないとの確認を求める」よう指示する内容だった。

以下有料部分です。

記事に出てくる信夫隆司氏は、前記事でも貴重な史料を発見された方です。それで、こちらでは、米公文書館など公の施設でそういった資料を発見されていますが、前記事の方では、


都内の古本屋から規程を収蔵した検察資料冊子を入手

というわけです。日本におけるこの種の開示状況がいかにひどいかです。つまりこの冊子を所持していた法務省官僚(検事)が亡くなり、それがある程度のタイムラグをへて古書店に出回ったということでしょう。で、こんなのは、税金で国家を賄っているのだから、当然国民の前に提示すべきです。軍事機密でも何でもないものです。ただ単に「格好がつかない」「これでは日本はまともな独立国ではないなどといわれる」とかで隠されているだけです。


処分請訓規程は1948年に作られ改正を繰り返してきた。過去に野党が国会で開示を求めたが、法務省は応じなかった。

というわけで、日本の民主主義がいかにひどいかです。で、こういうのは、その他さまざまな密約などでもあるわけで、全くもってお話にもなりません。記事のコメントでbogus-simotukareさんは、


しかし「密約を全て隠し続ける日本」と「一部に留まるとは言え、後に公開する米国」、後者の方が「いくらかマシ」ですね。

ということになるでしょう。くりかえしますと、まったくもってお話にもならない。

そうなると、こういうあたりを総合的に考えれば、やっぱり少なくとも民主主義とかそういう観点では、日本より米国の方がまともでしょうね。貧富の差や人種差別、銃などの問題、犯罪など米国のよろしからぬ部分はいろいろありますが、少なくとも行政への監視とかなどの民主主義の基礎的な部分では、日本が学ぶ点多数でしょう。たとえば今年アカデミー作品賞を受賞した『オッペンハイマー』のような映画を製作してまたそれが大ヒットするだけの国が米国です。米国を批判するにしても、そういったところは評価したうえで批判をするべきだと思います。

やはり今年のアカデミー賞は、『オッペンハイマー』が受賞した

なお冒頭でご紹介した本多勝一氏の本の中で、彼の真珠湾陰謀論を批判したくだりは、こちらの記事をご参照ください。またコメントをくださったbogus-simotukareさんに感謝をいたします。また氏のこの件に言及されているブログ記事もご紹介します。

この人たち(本多勝一氏と進藤栄一氏)大丈夫かと本気で思った(デマ本を真に受けて、ルーズヴェルト陰謀論を本気で信じている馬鹿な人たち)

妙な陰謀論やトンデモ科学にはまると、なかなか逃れられない(ルーズヴェルト陰謀論についての入門書を読んで勉強したい)(追記あり)

珍右翼・高世仁にコメントする(2024年5/20日分)

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