ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

「フレンズ」でアニセー・アルヴィナと共演したショーン・バリーのその後

2017-01-31 00:00:00 | アニセー・アルヴィナ

毎年このブログは、アニセー・アルヴィナの誕生日と亡くなった月である1月と11月には、彼女の関係する記事を発表するようにしています。が、あまりいいネタがないのが現状です。が、めげずに今年も記事を書きます。

映画「フレンズ〜ポールとミシェル 」で、アニセー・アルヴィナの相手役だった俳優が、ショーン・バリー(ビューリーとも)でした。公表されている生年月日によると1954年生まれとありますから、実はアニセーのほうが彼よりお姉さんだったということになります。アニセーは1953年生まれです。

彼は、1964年のテレビシリーズ「Beware of the Dog」なる番組でデビューをしています。どういうドラマなのかは判然としませんが、このブログでも以前記事を書かせていただいたジョン・モルダー=ブラウンも出演しています。モルダー=ブラウンは1953年生まれです。

たぶん彼がバリーでしょう。

右端がたぶんモルダー=ブラウンでしょう。真ん中がバリーかと思います。たぶん農村の一家についてのホームドラマで、モルダー=ブラウンとバリーは兄弟か同居しているという設定だったのかと思います。

左がバリー、右に座っているのがモルダー=ブラウンだと思います。

そのあとしばらく映画、テレビでの出演が確認できないのですが、68年に「Ifもしも....」に出演します。

私もこの映画は観ていまして、彼が出演していることはあらかじめ知っていましたから、あ、彼が出ているなと思った記憶があります。

それで71年についに「フレンズ」の出演になります。

上の写真のアニセー、きれいですねー。私が夢中になるのも当然の美しさです。

「フレンズ」は世界的に話題になりましたが、アニセーにばかり注目がいって、バリーのほうはあまり話題にならなかったように思われます。が、同じルイス・ギルバート監督により1974年に「続フレンズ/ポールとミシェル 」が公開されました。続編の制作は、日本での成功が一つの要因になったという話を聞いたことがありますが(英国ですら74年の11月の公開だったのに、日本では同じ年の3月です)、残念ながら内容はあまり良いものではありませんでした。

この後また映画出演が途絶え、77年の「007 私を愛したスパイ 」が彼の最後の(確認できる)芸能活動となりました。これはルイス・ギルバート監督で、俳優稼業をやめることを決断した彼に、最後のご褒美が与えられたのかもと私は勝手に考えていますが、もちろん真偽はわかりません。

たしかにかなり地味な顔立ちであり、子役上がりの彼としても、一生の仕事として俳優を続けていくことに限界を感じたのかもしれません。

その後彼の消息が報じられることもあまりなかったかと思われますが、米国アマゾンの「フレンズ」のVHSビデオのユーザーレビューで、「Sean Bury」と名乗る人物によるレビューが掲載されています。2004年7月18日付です。

このレビューワーがご当人かどうか私には確認できませんが、Sean Bury氏は

>ぼくはいつだって、試写会のあとのルイスの言葉を覚えている。「ショーン」ぼくの手を握りながら彼は言った。「君は何も恥ずかしがることはないんだぞ!」(ぼくはほっと息を吐いた)、それから彼は付け加えた。「でも自慢することも何もないんだからな!」

と書いています。さらに

>ぼくは今身障者施設で働いている。給料はひどいけど、笑顔は最高だ!

彼はすでに60歳を超えていますし、13年前のレビューですから、ご当人が書いたものだとしても今でもそうなのかは詳らかでありませんが、IMDbでも、この時の記述を典拠とした現況が記されています。ただここでは、子どもを教えているとされています。実は拙ブログにも、Sean Buryを名乗る人からコメントをいただいたことがあります。これも本人かどうか全く見当もつきませんが、こちらの記事です。

現段階、これ以上のことは調べられていません。アニセーはともかく、ショーン・バリーのことを覚えている人もあまり多くないでしょうが、たぶんアニセー・アルヴィナの共演者の最重要人物の一人は彼だと思います。また何かわかったら記事にしたいと思います。

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突然気づいたが、テニスのウィリアムズ姉妹って、あんまり顔が似ていない

2017-01-30 00:00:00 | スポーツ

まずは記事を。

>全豪オープン 女子 セリーナ・ウィリアムズが優勝

1月28日 19時21分
テニスの四大大会、全豪オープンは28日、女子シングルスの決勝が行われ、アメリカのセリーナ・ウィリアムズ選手が姉妹対決を制して、2年ぶり7回目の優勝を果たしました。四大大会通算23勝目で、プロが参加できるようになったオープン化以降の歴代最多優勝の記録を更新しました。
全豪オープンの女子シングルスの決勝は、世界ランキング2位で妹のセリーナ・ウィリアムズ選手と、世界17位の姉、ビーナス・ウィリアムズ選手の顔合わせとなり、四大大会では8年ぶりに姉妹で優勝を争いました。

第1セットは序盤からお互いにブレイクを取り合う展開となり、競り合いの末、セリーナ選手が6-4で奪いました。第2セットに入ると、セリーナ選手が得意の強烈なサーブを軸にゲームを優位に進め、6ー4で取ってセットカウント2対0でストレート勝ちしました。

セリーナ選手は2年ぶり7回目の優勝で、これまでシュテフィ・グラフ選手と並んでいた四大大会の通算の優勝回数を23に伸ばし、プロが参加できるようになったオープン化以降の歴代最多記録を更新しました。また、今回の優勝で、世界ランキングも1位に返り咲くことが決まりました。

世界ランキング現在17位のヴィーナスはともかく30代半ばのセリーナがランキングトップというのは、もちろんそれは本当にすごいことですけど、若手がもっと頑張ってくれないと困る、というところですかね。が、それはともかくセリーナもヴィーナスもすごい、と書いておきます。

それで映像を見て思わず「あれ」と思いました。

この2人、あんまり顔似ていないね(苦笑)。ちなみにヴィーナスは身長185㎝、セリーナは175㎝と身長も10㎝違います。兄弟姉妹でこれだけ身長が違うのも珍しいかもです。

逆に言うと、必ずしも遺伝的に似通っていなくても双方とも超一流アスリートであるとなると、それは別の意味ですごいのかもです。いや、顔や身長は違っても、身体能力とかはわりと共通しているのかもですが。

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大邱・ソウル・釜山紀行(2016-2017)(Day3)

2017-01-29 00:00:00 | 旅(韓国)

この旅の写真も、旅行記ではご紹介できない写真の中にもなかなかいい(かもしれない)写真もありますので、それはあるいは後日またあらためてご紹介することもあるかもしれません。それでは続きを。

 

この日は2016年12月31日です。モーテルをチェックアウトし、大邱名物のタロクッパプを、ガイドブックご推奨の店でいただきます。なかなか昔ながらの韓国の食堂の雰囲気があります。ところで正面に十字架がありますが、カレンダーもローマ法王のカレンダーをかけてあったくらいで、この店は熱心なカトリック信者なのでしょう。我らがキム・ヨナもカトリック信者で、洗礼名は「ステラ」です。

真ん中にある茶色の大きな塊は、牛の血を固めたものです。これをスープに入れていただきます。うまい。

 

店を出て街を散策します。リアカーを引いている人がいましたので、すかさず写真を撮ります。このような写真を、自分のPCの壁紙にするのです。別に美女ばかりそうしているわけではない。

門がありました。その下の像に注目します。

このように門の下に像があるというのは、あまり見た記憶がありません。

古い教会です。

その隣に新聞社の建物があり、その1階におしゃれなカフェがあるという情報がガイドブックに載っていたので、ではそこで一休みしようと考えたわけです。

この店自慢というイチゴのショートケーキをいただきます。

お手洗いに行く際ロビーにこんな胸像がありました。この新聞社の社長かなにかですかね。後ろの写真は、あるいは逮捕されて公判中の際のものかもです。昔は、韓国の新聞は幹部がよく逮捕されたりしましたから。

さらに歩きます。学校の近くの商店にあった書き割りですが、子どもの服装が、昔ながらの日本の子どもの服に酷似しているような気がしないでもありません。新南駅のすぐ近くです。

鉄道3号線に乗ります。韓国のモノレールはここだけとのこと。

西門市場駅で降ります。西門市場を見学します。

売れるんでしょうか・・・。

片一方が急ごしらえらしきフェンスがあり、しかもグリーンのネットがかぶさっています。すこし変なにおいもします。どうしたんでしょうか?

ちょっと外に出てみます。これも韓国ではわりと見かける光景です。

そうか、火事があったのかとわかりました。記事を調べると、次のような状況だったようですね。

>大邱の西門市場で大型火災発生…500店舗以上が被害に

大邱(テグ)最大規模の伝統市場である西門市場で大規模な火災が発生した。

最初の火は30日午前2時08分頃、大邱市中区大場路に位置する西門市場1地区と4地区の間で発生したものと推定される。炎は4地区の1階をすべて焼き、2階と3階に広がった。4地区の1階から3階には生地や韓服、カーテンなどを売る店が839店舗密集している。

消防当局は、消防車など97台、750人の人員を動員して鎮火作業を行った。火災の鎮圧にヘリコプターも投入した。しかし、西門市場が開放型の店舗であることから火が急速に拡散し、鎮圧に困難が伴っている。火災を鎮圧する過程で消防士2人が負傷した。大邱消防本部によると、チャン消防尉は西門市場4地区の建物で火を消していたとき3階の高さから墜落して腰や足などを負傷して病院に運ばれた。チェ消防士も手首と足首などに擦り傷を負い救急車の中で治療を受けた。

西門市場は6つの地区に4000以上の店舗があり、消防当局は商店街の中で500カ所以上が被害を受けたものと把握した。西門市場は2005年12月29日にも2地区で大火災が発生し、1000億ウォンの被害が発生していた。
毎日経済 デジタルニュース局 ソ・ジョンユン インターン記者 / 写真=MBN入力 2016-11-30 09:09:40.0

古い市場というのは、どうしても防火などもよろしくないですからね。かなり大規模な火災だったのだなと思いました。

キジが数匹つるされています。前にソウルの牡丹市場で同じようなもの見たことがあります。何軒かがこれを商っていました。

中央路まで歩いて、地下鉄に乗って東大邱の駅まで戻ります。地下鉄の広告に、めちゃくちゃ私好みの女の子の広告がありました。

ガイドブックによると、東大邱駅の北側に、砂肝料理を出す店が固まっているエリアがあるというので、そこで昼食を食べることにします。

祖母と孫が仲良く買い物ですかね。

こちらの店です。東大邱駅の観光案内所で教えを請い、ガイドブックの精度の低い地図で向かいましたが、iPhoneの地図がなければ全く行くのは困難だったと思います。スマートフォンの地図機能おそるべし。

盛り合わせをいただきます。ビールともどもおいしくいただきます。

急に時間と場所がすっとんで、KTXでソウルに到着します。すみませーん、1日1記事ですので。

明洞近くの宿にチェックインします。1泊70,000ウォンですから、狭い部屋ですが文句は言えません。

すぐ街へ繰り出します。これは宿近くの新世界百貨店。

こういう女の子たちは、いかにもソウルの女の子です。

だいぶ暗くなりました。

中国人加工客が一生懸命写真を撮っていました。

これは、行方不明になった人たちの写真です。子どもが多いのですが、成人もいます。暗い気分になります。

何回も行っている平壌麺屋に行きます。スユクのハーフをいただきます。1皿くれと要求したのですが、半分で十分と説得されてしまいました。

この冷麺が年越しそばです。おいしくいただきます。

地下鉄の駅で、母親と子どもが、じゃんけんで階段を歩くゲームをしていました。

そろそろ2016年も終わりです。

(つづく)

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「読者になる」が777になった。あとどうでもいい話

2017-01-28 00:00:00 | Weblog

昨日(2017年1月27日)拙ブログを見てみたら、次のようになっていました。

へえ、「読者になる」が777になったのかと思いました。前は、読者になってくれた人のブログを追いかけたこともあったのですが、あんまり内容のあるわけでもないものも多かったので、今はやめました。私のブログを読んだうえで「読者になる」に登録してくださったのならありがたいのですが、機械的にしている人も多いでしょうし、即更新中止なんてものも多いのでしょう。が、それでも読んでいただいて読者になってくださった方もいるはずですから、その方々には感謝を申し上げます。

それで管理画面を見てみると、次のようになっていました。

拙ブログの「読者になる」だけ反転していますが(それは自分のブログに「読者になる」も何もありませんが)、そもそもなぜmccrearyの管理画面に記載されている「スタッフおすすめのブログ」に、「ライプツィヒの夏」が掲載されているのかも理解に苦しみます。「スタッフおすすめ」って、これgooが私のブログのなんらかのデータを勝手に解析して、Bill McCrearyの好きそうなブログはこういうものだろうと考えて機械的に紹介したのか、それともそういうものとは全く関係ないところで選択されたのか見当もつきませんが、一応私のブログは、誰にとってのというのは不明ですが、「スタッフおすすめのブログ」なのだそうです。ここは素直に「うれしい」というべきなのかもしれません。

このブログも昨今アクセス数に苦戦していますが、それでもめげずに日々更新に励みますので、読者の皆さまも乞うご期待。

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大邱・ソウル・釜山紀行(2016-2017)(Day2)

2017-01-27 00:00:00 | 旅(韓国)

モーテルの部屋に戻って窓から写真を撮ります。

翌朝です。面倒なので、このモーテルに連泊することとします。

東大邱駅から大邱駅へ地下鉄で移動します。ガイドブックご推奨のカルビチム(チムカルビ)を食べるのです。前に安東で食べたカルビチムはおいしかったな。東に向かって歩きます。なお朝食は食べそこないました。

果物を扱っている市場がありました。

甕を商っている店があります。何に使うのか。

ガイドブックご推奨の店では食べられなかったのですが、同じような店は固まっているので、目についた店に入ります。

あんまり日本ではこのような店は見たことがありません。おいしくいただきました。

店を出ます。リアカーを引いている人がいました。

地下鉄に乗ります。

時間が場所がだいぶ飛んで、ここは海印寺。いちおう世界遺産関係です。バスでやってきました。

寺へてくてく歩きます。

何とかつきます。ずいぶん以前、宇治上神社へ行った時のことを思い出しました。あれも世界遺産です。

このようなところがカラフルなのは、韓国のこの種の建物の特徴です。

なかなかいい絵が描かれています。

この日は非常に天気が良く、空も真っ青でした。

こういうところは日本の寺とセンスが違うところです。

暗くなる前に降ります。ところで途中の売店で下の歌が流れていました。「ラ・ブーム2」の主題歌ですかね。

Your eyes - Cook da books (lyrics)ღ

うーん、これは・・・。

バスに乗って大邱市内に戻り、地下鉄に乗って中央路の駅で降りて、これもガイドブック推奨の牛肉の刺身が売り物の店に行きます。焼酎も飲んじゃいます。ピーナッツや寿司まででます。

こんなものまで出ます。もちろんおいしくいただきます。

魚まで・・・。さすがに私も腹いっぱいです。

店の中です。1人で行く店ではないですかね。

しかしそれで、近隣の店で焼きうどんと餃子をいただいちゃう私も、すさまじい人間です。

 さらにThe Coffee Bean &Tea Leafで締めます。これで心残すことなくモーテルに戻れます。

(つづく)

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2017年の海外旅行の予定(具体的というより半分以上願望)

2017-01-26 00:00:00 | 旅(海外旅行一般 あるいは上以外の国々)

題名にあるように、具体的な目標というより願望ですが、2017年の海外旅行の計画というか予定を考えてみました。

1月 休みの月
2月 休みの月
3月 シンガポール、マレーシア、インドネシア(シンガポール中心)
4月 台湾あるいは香港(マカオ、深セン)
5月 台湾あるいは香港(マカオ、深セン)
6月 韓国
7月 キューバ、カナダ(あるいは米国)
8月 休みの月
9月 ミャンマー
10月 中国(場所未定)
11月 香港(マカオ、深セン)、台湾、韓国のどこか
12月 コルカタ、あるいはウガンダ

韓国とミャンマーは2回は行きたいのですが、韓国はともかくミャンマーはどうかわかりません。

こんな計画が立てられるのも、LCCのおかげです。LCCなら気楽に海外にいける。ピーチさんやバニラさんその他には感謝の言葉もないくらい感謝しています。ただLCCにもいろいろ限界を感じるところもあります。

このほかにも国内も行かねばならないわけです。最近海外以外で本州を出ていない(笑)。北海道や九州、沖縄にも行かないとね。四国は? 少なくとも4月の最初の土日に例年行っている関西での花見は、今年も当然行きます。今年は4月1日と2日が土日です。

私が足を踏み入れたことのない県は、島根県、愛媛県、宮崎県、鹿児島県です。2014年9月に大分県には行ったので(中津に行きました)、近いうちに全県制覇したかったのですが、15年、16年ともに行くことができませんでした。もっとも山口県と佐賀県は、鉄道と道路の上を通っただけです。山口県は、安倍晋三の地元だから(笑)、安倍が首相のうちは、行くことはないかな(爆笑)。

ただ詳細は書きませんが、この4月でたぶん仕事が変わることになると思うので、そうなるとどのような環境になるかはわからないので、旅行の予定も大幅な変更を余儀なくされる可能性は高そうです。

いずれにせよこれからもいろいろなところで撮影した写真をご紹介しますので乞うご期待。

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ちょっと驚く話

2017-01-25 00:00:00 | スポーツ

 

過日こんな記事がありました。

>37歳用具係、7.6秒のNHLデビュー 粋な演出に涙

朝日新聞デジタル 1/19(木) 8:12配信

 37歳、本職は用具係のマネジャー。それが突然、北米アイスホッケーリーグ(NHL)のハリケーンズのゴールキーパー(GK)として公式戦にデビューした。

 先月31日の敵地ライトニング戦。体調不良でベンチ入りできない控えのGKに代わり、万が一の事態に備え、用具係のジョージ・アルベスさんは試合開始約2時間前に契約した。契約金は500ドル(約5万8千円)で、急きょ名前入りのユニホームも支給された。

 1―3でほぼ負けが確定していた試合終了間際、チームが粋な演出をしてくれた。残り7・6秒から出場。シュートを1本も受けなかったが、アルベスさんは年が明けても、「思い出すと、こみあげてくるものがある」と涙ぐみながら、地元メディアに語っている。米マサチューセッツ州ボストン出身で、NHLのマイナーでプレー。引退後、ハリケーンズの用具係として働き、約5年前に今のマネジャー職に就いた。

>体調不良でベンチ入りできない控えのGKに代わり、万が一の事態に備え、用具係のジョージ・アルベスさんは試合開始約2時間前に契約した。契約金は500ドル(約5万8千円)で、急きょ名前入りのユニホームも支給された。

というのは、ちょっと日本というか、他のスポーツでは考えにくいですね。けっこう本気で驚きました。

それで実は、NHLの場合、GKと臨時契約するというのはままあることのようです。こちらの記事によると、

>NHLの公式戦では「GKを二人登録しなければならない」との規定があるため、カロライナはGKを探しましたが、傘下のアフィリエイトチームからGKを招くだけの時間はなさそう・・・。

そこでカロライナは、用具マネージャーのジョージ・アルベス(37歳)と一日だけの契約を結んで、試合に臨みました。

(中略)

バックアップGKが不在となって、一日限りの契約を結ぶことは、決してレアケースではなく、今季はバンクーバーカナックスが、近隣の大学からGKを招いて試合に臨んだことも。

ただその場合その臨時契約のGKが出場することはそれこそめったにないわけで、あったら非常事態ですが、この日ハリケーンズのヘッドコーチ(HC)のビル・ピータース(Bill Peters)が、残り7.6秒の段階で、アルベスさんを出場させたわけです。こちらにその時の動画があります。

それで私が思ったのが、NHLって、3人ゴールテンダー(GK)がいないんだっけということです。サッカーなんかは、代表は3人のGKを確保しているじゃないですか。ワールドカップでも、だいたい2人のGKが起用されることもめったにないですが、ともかく3人はどこの国も登録させています。それでカロライナ・ハリケーンズの2016-17シーズンのメンバーを確認すると、GKは3人登録になっていますが、マイケル・レイトン(Michael Leighton)という人がほとんど起用されていないので、実際には2人で回しているようですね。この日の相手のタンパベイ・ライトニングも今シーズン2人の登録ですし、ボストン・ブルーインズもそうでした。これ以上は確認していません。また、2014年のソチオリンピックでのカナダ代表を例にとってみると、ロベルト・ルオンゴ(Roberto Luongo)、ケイリー・プライス(Carey Price)、マイク・スミス(Mike Smith)の3人がGKとして登録されました。

なお同じくGKのいるスポーツであるハンドボールも、GKは2人の登録です。

そう考えると、クラブチームも3人のGKはいたほうがいいんじゃないのという気がするんですが、もてあましちゃうっていうところなんですかね。

ところで「Jorge Alves」で、英語版Wikipediaに項目があります。

https://en.wikipedia.org/wiki/Jorge_Alves_(ice_hockey)

そこでは、

>At age 37, Alves become one of the oldest players in NHL history to make their debut, and with 7.6 seconds of action, Alves achieved the second shortest debut in league history, behind Kellan Lain, who recorded a two-second debut in 2014. Additionally, Alves set records for both the shortest debut by a goaltender and shortest NHL career, surpassing both Robbie Irons and Christian Soucy, who each played for three minutes in their NHL careers.

とあります。また

Carolina Hurricanes players

にも彼はその一員となりました。アルベス氏にとっては、ちょっと遅いクリスマスプレゼント、ほんのわずか早いお年玉(という習慣は、米国にはないでしょうが)だったのかもしれません・・・。

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金銭感覚の狂った人間の末路

2017-01-24 00:00:00 | Weblog

過日、調べごとをしていて、「俺たちは天使だ!」→沖雅也(主演)→日景忠男(養父)となったら、日景氏が2015年に亡くなっていることを知りました。それでその報道をしている記事を読むと、「どうもなあ」と思わざるを得ませんでした。

>「沖雅也」が涅槃で待った「日景忠男」晩年の煩悩

(前略)

「忠男は、昨年2月に亡くなりました。最後まで面倒を見たのは姉です。葬式も行われなかったと聞いています」(親族の一人)

 (中略)

 当時、沖に掛けていた保険金は3億円。沖の事務所が受取人になっていた。

「元々、保険金は1億円しか掛けていなかった。ところが、日景が知らないうちに保険会社の担当者が3億円に設定し直したといいます。それで、期せずして高額なお金を手に入れたのです。後日、日景は現金3億円をベッドに敷き詰め、その上に寝っころがったとか。その時、『これが沖の全てだ!』と思わず口にしたそうです」

 だが、沖の実母と遺産の分配で揉め、数千万円を和解金として支払った。新宿2丁目でゲイ喫茶を始めたため、運転資金も必要となり、日景氏の手元に残ったのは2億円程だったという。

「彼は気前はいいものの、物凄い浪費家。保険金でベンツやティファニーなど超高級な調度品を買い漁っていた。海外旅行に行っては、1泊17万円する部屋に1カ月泊ったこともありました。沖が亡くなって3年で保険金を全部使い果たしてしまったんです。その後、知人の会社社長から2億円借り、マニラに別荘を建てたこともあります。でも、その借金も踏み倒し、社長は激怒していました」

 ゲイ喫茶の経営も鳴かず飛ばずであった。02年5月、店を閉じるはめになる。

「最後はテナント料を700万円ほど滞納していた。借金でクビが回らなくなり、沖と暮らしていたマンションも差し押さえられることに。調度品も売り払い、中野のアパートに引っ越すことになったのです」

 この知人は、当時、イタリアンレストランを経営していた。03年、日景氏の窮状を見かね、声を掛けたという。

「五反田は風俗店が多いわりに、案内所が少なかったんです。そこで無料案内所を一緒にやらないかと持ちかけ、私が社長で日景を専務にし、会社を立ち上げました。儲かり始めると、彼は経理をやると言い出したのです」

 だが、日景氏は05年12月、覚せい剤取締法違反で逮捕され、役員を退任させられる。

 そして08年秋、再び同じ容疑で逮捕され、懲役1年2月の判決が確定した。

「後からわかったのですが、日景は店の売上げを2億円近く横領していました。しかも、その後、彼はアパートから品川のタワーマンションに引っ越したのです。税務署からは申告漏れの指摘を受けるし、会社も解散に追い込まれた。世話になったこともあったが、本当に酷い目にあった。それで彼とは縁が切れたのです」

 (後略)

「特別ワイド 吉日凶日60年の証言者」より

週刊新潮2016年3月3日号 掲載

この記事が事実であれば、日景という人は病的な浪費癖だったようですね。それもどうかです。他人に迷惑をかけるのもいい加減にしろという気はします。だから葬儀も行ってもらえないのです。どうしようもないクズです。最後は本当に刑務所に入ったのですから、限界を超えちゃったということです。Wikipediaにも

>放蕩息子のような生活を送っていた

と本人が語っていたと記されています。

それで、犯罪の次元は違いますが、浪費というので私が思い出したのが、この殺人事件です。

夕張保険金殺人事件

(前略)

事件の背景
犯人のH(逮捕当時41歳)は、1943年(昭和18年)に様似郡様似町の7人兄弟の6番目として産まれた。家族が夕張市へ移住した6歳の時に父を失い、母子家庭で育ったHは兄たちの影響で非行を繰り返した。小学6年生の時に教護院に入り、15歳までをそこで過ごし、その後はトラック運転手や炭鉱労働者、調理師見習いなどを経て、17歳ごろから暴力団員として活動するようになった。1969年(昭和44年)に結婚して、子供ももうけた。

Hの妻(逮捕当時38歳)は、1946年(昭和21年)に7人兄妹の4女として夕張市で産まれた。高校時代には不良として地元では有名だったが、卒業後は上京して美容師学校に1年間通った。その後夕張に戻り、交際していた暴力団員と結婚。1児をもうけたが、夫はガンで死亡。市内のバーでホステスをしていた際にHと知り合い、2人は1972年(昭和47年)に再婚した。
2人は1970年(昭和45年)頃から、三菱大夕張炭鉱の下請会社「H班」(社名Hは自らの姓)を興し社長夫婦となり、炭鉱作業員を斡旋する手配師業を行うようになっていた。1976年(昭和51年)には「H班」を「有限会社H興業」「有限会社H商事」とする一方で、Hは暴力団初代誠友会H組組長と称して金融業や水商売も手掛けた。だがHは暴力事件や覚せい剤所持、銃刀法違反などで有罪判決を受け、懲役刑に処され刑務所で服役するなどしており商売にならず、実際の会社経営は妻が取り仕切っていた。1977年(昭和52年)に会社は一旦倒産するも、間もなく妻は「有限会社K工業(Kは大夕張の字名)」や「H班」などを相次いで設立・再興し、女手一つで手配師業を続けていた。

そのような状況を一変させたのが、1981年(昭和56年)10月に発生した北炭夕張新炭鉱ガス突出事故である。この時も、服役中のHに代わって妻が会社を経営していたが、H班が現場に派遣していた作業員7人が事故で死亡し、作業員にかけられていた多額の死亡保険金が会社に振り込まれた。作業員の遺族に支払われた分を除いても、夫婦の手元に残った金は1億円以上に上ったという。思いがけず大金を入手した夫婦は、夫が刑務所から戻った後、夕張市南部青葉町の夕張川を望む地に白亜2階建ての自宅兼事務所を新築したり、子供たちにポニーを買い与えたりするほか、妻が経営するスナックの改装やアクセサリー店やダイエット食品店の開業資金、さらに高級車リンカーンを買いあさるなどの浪費を重ね、わずか2年足らずで保険金を使い果たしてしまった。もともと1970年代から閉山が相次いでいた夕張の炭鉱業が、新炭鉱での事故をきっかけに急速に衰退したこともあり、多額の借金を負った夫婦の生活は困窮した。そこで、夫婦は札幌で新たにデートクラブを開業しようと考え、そのための資金を得る目的で保険金詐欺の計画を立案するに至る。

事件の経緯
1984年(昭和59年)5月5日午後10時50分ごろ、夕張市鹿島栄町の炭鉱住宅街にあったH興業の作業員宿舎から出火し、宿舎内にいた子供2人を含む6人が焼死、消火活動をしていた消防士1人も宿舎の崩壊に巻き込まれて殉職する事態となった。また、火災の現場から逃げようとして2階から飛び降りた作業員のI(当時24歳)が両足骨折の重傷を負い、病院に搬送された。この他、作業員宿舎の隣にあった旧鹿島旅館の建物も全焼した。

夕張警察署と夕張市消防局の現場検証の結果、この日は作業員の入寮を祝う宴会が夜10時ごろまで行われており、その際のジンギスカン鍋に使った焼き肉プレートか石油ストーブの不始末が火災の原因と認定された。保険会社はこの認定に基づき、全焼した宿舎にかけられていた火災保険金および死亡した作業員4人にかけられていた死亡保険金の合計1億3,800万円をH興業の経営者であるH夫婦に支払った。これにより再び多額の保険金を得たH夫婦であったが、夫婦はこれらの保険金もわずか1か月ほどでほとんど使い果たしたという。

一方、火災から2ヵ月余が経過した同年7月18日、入院中だった作業員のIが突然病院から失踪。Iは翌7月19日に青森市から夕張警察署に電話をかけ、事件の真相を告白した。問題の火災は、H夫婦が火災および死亡保険金の詐取を目的として部下のIに指示して放火させたものであり、Iは前もってH夫婦から500万円の報酬を約束されていたが、肝心の報酬は75万円しか支払われず、またI自身もいずれH夫婦の手で口封じされるのではないかと恐れて警察に自首することを決めたという。また、IはH夫婦の指示に従って放火を実行したものの、保険金の対象外である子供2人だけは助けようとしたが救出は叶わず、I自身も逃げ遅れて重傷を負う結果となった旨を警察に語った。このIの自首によって、H夫婦はすぐに逮捕された。

なおこの夫婦は、1審死刑のあと、昭和天皇死亡による恩赦を期待して控訴を取り下げましたが、恩赦はなく、97年に死刑が執行されています。同日永山則夫氏の死刑も執行されました。戦後日本で、夫婦に死刑判決が確定して執行されたのはこの夫婦(日高夫婦)だけです。死刑確定中では、大牟田の殺人事件の一家4人死刑確定した人たちがいます。

この夫婦は暴力団で、まともな倫理や金銭感覚があるような人間ではないのでしょうが、それにしても

合計1億3,800万円をH興業の経営者であるH夫婦に支払った。これにより再び多額の保険金を得たH夫婦であったが、夫婦はこれらの保険金もわずか1か月ほどでほとんど使い果たしたという。

というのはさすがにひどいですねえ。逮捕覚悟で散財したんですかね? 具体的にどのようなことに使ったのかというのがいまひとつわからないのですが、たぶん不動産投資とかをして使ったっていうんでもないでしょうしねえ。精神をそもそも病んでいるのだという話でしょうが、かかわりあいたくない人間です。

ほかにも、保険外交員の女を使って、彼女の夫を殺して莫大な保険金を受け取った人間などは、

>佐賀県鹿島市の古美術商外尾計夫(ほかおかずお)被告と元生命保険会社営業職員山口礼子被告は1991年暮れ頃、山口被告がホステスをしていたスナックで知り合い、その後肉体関係を持つようになっていた。外尾被告はギャンブルなどで数百万円の借金があった。山口被告は夫が複数の女性と付き合っていたことなどから愛情を失い、離婚話も出ていたが、子供は引き取るなどと言われていたため憎んでいた。
 外尾被告と山口被告は1992年9月11日午前0時30分頃、佐賀県太良町の護岸において睡眠導入剤などで眠らせた山口被告の夫(当時38)を海に沈めて水死させた。そして、魚釣り中に護岸上から過って転落して死亡したと偽り、計2社から死亡保険金約9900万円をだまし取った。保険金は二人で折半した。
 しかし、借金返済の残りを外尾被告はギャンブルで浪費し、1993年7月までに使い果たした。そこで山口被告が夫から相続した土地を次々と売ったが、いずれも外尾被告が浪費し、生活に困窮するようになった。
 外尾被告は再び保険金殺人を計画。特に外尾被告に懐かなかった次男をターゲットにした。山口被告も当初は反対したが、説得を受け、外尾被告と別れるためにこれを最後にしようと決断。しかし山口被告が躊躇して計画は失敗した。そこで別の強盗事件を計画。山口被告がかつて家政婦として働いていた一人暮らしの女性を襲うことにした。
 外尾被告と山口被告は1998年9月29日午後8時頃、鹿島市に住む知人女性(当時75)方に宅配便の配達を装って押し入り、現金約13万7000円やネックレス等6本(時価合計約120万円相当)及び普通預金通帳1冊を奪った。ただし暗証番号を聞き出すことができず、通帳から金を引き出せなかった。そのため金に困る状況は変わらず、保険金殺人を再び計画した。
 1998年10月26日午後10時30分頃、山口被告の次男の高校生(当時16)に睡眠導入剤入りのカプセルを飲ませ、27日午前0時30分頃、長崎県小長井町の海岸で、海に放り投げて殺害、保険金3500万円を騙し取ろうとした。しかし保険会社が支払いを保留したため、受け取ることはできなかった。
 他に外尾被告は1992同1月19日、頻繁に通っていた鹿島市内のパチンコ店己の景品交換所に押し入り、女性従業員から現金約190万円を奪った。
 また山口被告は1999年2月15日、知り合いの男性のクレジットカードを使い、銀行のATMで現金20万円を騙し取った。また同じクレジットカードを用い、2月23日、ビデオカメラ等2点(価格合計17万8000円)を騙し取った。

という始末ですからねえ。お話にもなりません。なお外尾は死刑が確定(この記事の執筆段階では執行されていません)、女のほうは1審死刑でしたが、2審で減刑されています。彼女の子どもが減刑嘆願したそうですが、子どもたちも犯罪被害者遺族であり加害者遺族です。哀れにもほどがあります。

で、けっきょく人間というのは、一度に大金をもらうと、やはり精神が狂う人が一定の割合で出てくるのでしょうね。前に1億円を拾った人がいましたが、彼は非常に慎重な性格だったので、そういった悪い事態になることを防ぎました。宝くじも、高額の当選をした人には、注意書きみたいなものが配られるようですね。つまり危険だということです。

それにしても死刑になった人たちはさすがにそれなりに後悔はしたでしょうが、日景なんかはあんまり後悔とか反省もしなそうですよね。どうしようもない馬鹿でクズです。

ほかにも清原和博も莫大な額の金がどこかへいってしまったらしいし、同じく野球選手の中村紀洋も、かなり金に困っているという話もあります。NBAで莫大な契約金をもらった人間が一文無しになったり、ホイットニー・ヒューストンもまるで金がなかったらしい。こういう連中は本当に始末に負えません。いずれにせよ困ったものです。

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男女共通の名前というのも興味深いかも

2017-01-23 00:00:00 | Weblog

旧聞ですが、野球選手だったダリル・スペンサー氏がお亡くなりになりました。記事を。

>ダリル・スペンサー氏が死去 元プロ野球阪急内野手 

2017/1/3 21:03

 ダリル・スペンサー氏(元プロ野球阪急〈現オリックス〉内野手)米カンザス州ウィチタのメディアによると、2日に88歳で死去。

 米大リーグ、ジャイアンツなどで活躍し、1964年に阪急に入団。豪打と頭脳プレーで「野球博士」の異名をとった。65年には三冠王に輝いた南海(現ソフトバンク)の野村克也捕手と本塁打王を争った。阪急では通算7年間で731試合に出場して打率2割7分5厘、152本塁打、391打点だった。(ニューヨーク=共同)

私は野球に詳しくないし、同時代で氏を知っている人間ではもちろんないのでよく知りませんが、お名前くらいは存じておりました。ご冥福をお祈りいたします。

それで、私が変に興味を持ったのは、「ダリル」という名前のことです。

私にとって一番印象的な「ダリル」という人は、この人です。

ダリル・ハンナです。写真が非常にきわどくていいでしょ。

それで、彼女はもちろん女性ですが、しかしダリル・スペンサー氏は男性です。つまりダリル(Daryl)という名前は、男女両方に使える名前ということですね。

日本で一番有名な「ダリル」って、彼女かあるいはダリル・ホール&ジョン・オーツのダリルですかね。

ダリルという名前で検索してみますと・・・。

>ダレル Darrel (愛しい人)
(中略)
ダリル Daryl (愛しい人)

とあり、男性の名前でカテゴライズされていますので、やっぱり男性の名前ということのようですね。実際、Wikipediaの「ダリル」を見ても、そこで紹介されている人はほとんど男性です。

>英語圏の個人名。主に男性に用いられる。

とあります。

それで、日本人と欧米人では、名前の自由度が違うので一概に比較できませんが、日本人の名前も、男女両方ありの名前がけっこうありますよね。(以下漢字はあえて当てないことにします)「かおる」なんてのは古典的な両方ありの名前だし、「なつき」とかもそうだし、「×美」なんて名前も、女性が多いのは確かですが、男性もありの名前です。ほかにもいろいろサイトがありますが、こちらはなかなか壮観です。いろいろな名前が紹介されています。

有名人で言えば、「静香」なんてのは、漫画のキャラクターにも出てきますが、有名な男性政治家にもついています。いわゆるキラキラネームは、そのあたりどうなんですかね。名前がなんでもありの時代だと、より性差のない名前が多くなってくるのか。

なお私は、(政治的な意味ではなく)保守的な人間ですので、やはり「×子」とかいう名前が好きです(笑)。皇室の女子が絶対「×子」なのは、やっぱりそういうことを意識しているんでしょうね、きっと。キラキラネームの女の子は、たぶん皇室の人とは結婚しにくい(?)のかもです。

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大邱・ソウル・釜山紀行(2016-2017)(Day1)

2017-01-22 00:00:00 | 旅(韓国)

記事にしないでおこうと思っていたのですが、やはり年末年始の旅は記事にしておいたほうが備忘録にもなるので、1日1記事で発表します。

2016年12月29日に関西国際空港第二ターミナルの出国審査済エリアです。このように充電用スペースにたむろるのは昨今の空港のありふれた光景です。あいにく飛行機が遅延してしまいました。時間つぶしに苦労します。

ようやく搭乗できます。

釜山の空港(金海国際空港)につきます。小規模な、わりと安普請な空港です。

この日は大邱に行くつもりだったので、空港から東大邱駅バスターミナルまで行く切符を買ってしまいます。初めは釜山市内に出なければいけないのかなと思っていたのですが、ネット情報で空港からバスが直接出ていることを知ったわけです。持つべきものは、友だちとネット情報です。

腹が減ったので、地元系資本(?)のハンバーガー屋に行きます。

味は、そんなに特筆すべきものでもないというところですかね。

バス発着所に行きます。

大邱へ向かいます。夜で道がすいていたせいか、スムーズに到着しました。

バスターミナルです。昨年に、いくつかあったターミナルがまとめられたわけです。

外に出ます。宿は決まっていません。

たぶん宿があるだろうと考えられる方向へ歩きます。

いくつかある宿を物色します。

とある宿にチェックインしました。50,000ウォンの宿です。値切りませんでした。

では夜の東大邱駅周辺を歩くことにします。

本当は、中央路あたりで食事したかったのですが、疲れていたし時間も遅いので、今日はこちらで食事だけすることにします。さっき食べたじゃんという当然の突っ込みはなしね。

意外と高層なわが宿です。

こういう看板がある場所なのですが、今日は(ほかの日は?)パス、って私はこういう店にはいかないけど。

学生の集団が食べていた店に入ってみます。このような上から煙を吸い込むものは、安東の焼肉屋でもみたな。

隣は学生のグループでした。

豚とチゲを頼みます。

味付け海苔まで出てきました。こういうのは、私は初めてです。

豚肉はうまいにもほどがあるというものでした。前にもソウルで豚肉を食べて、そのうまさに驚愕したことがあります。この店も、別にガイドブックなどに載っている店でもないのですが、驚かんばかりのうまさでした。

店を出ます。

ホテルに戻ります。今日はお休みなさい。

(つづく)

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