ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

これはひどいと言わざるをえない話

2014-10-31 00:00:00 | 社会時評

読者の皆さまお読みになっている記事でしょうが・・・。NHKのHPより。

>「幸福の科学大」不認可の答申

10月29日 16時39分
 
栃木県の学校法人が来年4月に設置を目指していた「幸福の科学大学」について、文部科学省の審議会は宗教法人の創立者の思想をベースにした必修科目を設けるなど、一般化・普遍化されていることが求められる学問の要件を満たしているとは言えないとして、設置を認めないと答申しました。
これに対し、学校法人側は「詳細を確認をした上で今後の対応を検討したい」としています。

文部科学省の審議会の答申によりますと、設置を認めないとされたのは、栃木県那須町の学校法人が来年4月に千葉県長生村に開校することを目指していた「幸福の科学大学」です。
答申では、この大学が関連する宗教法人の創立者の思想をベースにした必修科目を設けるなどとしており「学問は科学的根拠を持って一般化・普遍化されていることが求められるが、その要件を満たしているとは言えず大学の目的を達成できるとは考えられない」として、大学の設置を認めないと答申しました。
この答申を受けて、文部科学省は10月中に大学の設置を認めない決定を出す方針です。
また審査の過程で、認可を強要するような不適切な行為があったとして、文部科学省は今後最長5年間、この学校法人による大学の設置を認めないとしています。
学校法人「幸福の科学学園」は「詳細を確認した上で今後の対応を検討したい」と話しています。

なにしろ、幸福の科学って、下村文科相の守護霊本(さすがに本人亡くなってはないからね)まで出版していますしねえ。

文部科学大臣・下村博文守護霊インタビュー

内容は読んでいないので、言論の自由の範疇に入るのかは分かりませんが、大学の認可を申請している立場で、このような本を出版しなくてもいいのではないかと思います。写真が大きいのは、Amazonからいただいた画像の大きさがこれだったというだけで、他意はありません。

それで、こんなものまで発表されています。

>「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用能力を展開させること」(学校教育法第83条第1項)を目的とする必要があり、その上で、憲法第23条が保障する「学問の自由」に基づき「教授の自由」が保障されている。この場合の「学問」とは、一定の理論に基づいて体系化された知識と方法であり、一般化・普遍化されたものであることが求められる。上記の「霊言(霊言集)」については、科学的根拠を持って一般化・普遍化されているとはいえず、学問の要件を満たしているとは認められない。また、大学は、「体系的に教育課程を編成」(大学設置基準第19条第1項)し、「専門の学芸を教授」(同条第2項)するもので、「霊言(霊言集)」は大川隆法氏のみが行えるとされており、実証可能性や反証可能性を有しているか否かという点でも疑義があるため、このような「霊言(霊言集)」を根拠とした教育内容を体系的に学生に教授することが可能とは認められない。

書いてあること自体はすべてお説ごもっともという以上の話ではありませんが、まあ確かにこんなものが「大学」として正式に認可されたら、悪い冗談以上のものではありませんね。

それで、こんなことも記載されています。

>平成26年10月29日
大学設置・学校法人審議会
大学設置分科会
幸福の科学大学(仮称)の審査過程における申請者の不適切な行為について(報告)

(中略)

しかしながら、「幸福の科学大学(仮称)」については、審査途中において、創立者の大川隆法氏を著者とする大学新設に関連する書籍が数多く出版され、申請者も属する幸福の科学グループから本審議会の委員に送付されたり、今回の大学設置認可に関係すると思われる人物の守護霊本が複数出版されたりするなど、通常の審査プロセスを無視して、認可の強要を意図すると思われるような不適切な行為が行われたことは、極めて遺憾である。

指摘されている

>今回の大学設置認可に関係すると思われる人物の守護霊本が複数出版されたりするなど

というのは、たぶん上で紹介した本などではないかと考えられますが、こういったものを送りつける神経というのもすさまじいですね(呆れ)。送付すること自体に大きな問題があるわけですが、内容も、こんなものを目にしたら、さすがにあっけにとられるというか、正気の沙汰じゃないくらいの認識でしょう。

で、例によって(最初「霊によって」と誤変換されて思わず苦笑。まあその前に「れい」というのを「霊」と変換したからという理由だけですけどね)、「産経新聞」から、こんな記事まで書かれています。引用は、「幸福の科学大学」のHPより。

>産經新聞で幸福の科学大学の特色や学部内容が紹介されました

2014.09.17

2014年9月17日付の産經新聞朝刊 「2015 新設予定の大学ウォッチ」コーナーで、幸福の科学大学(仮称・設置認可申請中)の目指すもの、特色や学部内容が紹介されました。

本記事は、学校法人幸福の科学学園副理事長(大学設置構想担当)の九鬼一のインタビューを中心にまとめられています。

記事自体のURLは発見できませんでしたが、記事の画像はありました。

 

いわゆるパブ記事と考えられますので、こんな記事にその妥当性を論じること自体妥当とはいいがたいというレベルでしょうが、いくら産経とはいえ、こんな記事書いて恥ずかしくないのかねえという気はします。呆れた新聞です。

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認知症予防のために、頭のトレーニングを試みる

2014-10-30 00:00:00 | Weblog

そんなことをして役に立つのかどうかはあてにならない気もしますが、認知症予防のためにいろいろ推奨されていることがあります。糖尿病になるなとか(最近は、インスリンを気体にしてそれを吸引して脳にまわして認知症に対応するということも研究されているとか。NHKの番組でやっていました)、いろいろなことに興味を持てとかなんてことも言われます。

余談ですが、認知症予防のためには、ネットではツイッターよりブログのほうが役に立つという話を聞いたことがあります。つまり、140字以内で自分の言いたいことを書き連ねるツイッターより、いろんなネタを各々が仕入れて、ブロガーなりにそれを社会に提起するブログのほうが、頭を鍛えるにはいいのだとか。そうするとツイッターはしませんがブログはしている私には都合がいい話ではあります。まあツイッターをはじめてもいいんですけどね。しかし仮にツイッターをはじめたとしても、ブログは原則毎日更新の方針は変えないことにします。

ブログはともかく、私が外国語や数学の勉強をしているのも、頭の退化を防ぐ意味あいもあります。私の周囲でも、日々情報収集に余念がなかった人が、そういうことをしなくなったらとたんに元気がなくなり、認知症の症状が出たかなと思われる人がいました。鶏と卵の関係みたいなもので、認知症の症状が出たからいろいろなことに興味を失ったのか、失ったから認知症になったのか、どちらが先なのかは分かりませんが、やはり人間いろいろなことに興味をなくしたら、それはけっこう危険な段階に入ったということでしょう。

それで、過日私が見た記事に、2日後に日記を書くというのが推奨されていました。つまり、日記を当日でなく2日後に書けということです。それが脳のトレーニングにいいのだとか。当日なら容易に思い出せることも、2日後ですとなかなか難しい。そこで頭をしぼりだして書くというのがいいそうです。それを読んで、私も日記は毎日つけているので、さっそく実行してみました。けっこう面白いですね。私は、1日の日記を平均800字くらいにまとめたいと考えていますが、旅行とかをしていると1日の記述が詳細になります。それで、今現在900字弱くらいの平均字数です。2日後日記を書き始めたら、1日の字数が減るかなと予想したのですが、私の場合むしろ増えています。理由は、どうも主観的な意見を書くことが増えたということが1因のようです。時間を経ることによって頭の中で解釈や感想をもったからかなと考えますが、記憶の減衰とこういうことは(私の場合)ある時期までは反比例するということもあるのかもしれません。

で、ほかにも認知症検査のために使われるさまざまな方法を自分なりにやってみるということもします。100から7を引くとか、野菜を10個いうとかです。野菜ばかりではつまらないので、魚をいってみたりもしました。私が苦手なのが、無関係な単語を3つ(桜、はさみ、電車とか)いって、それを復唱するというやつです。これは、自分ではあんまりやったことがないのですが(自分で思いついたものでテストしても、あんまり意味がなさそうだし)、なかなか難しいかなとか考えます。

それで私が面白そうだと思ってさっそくやってみたのが、10時10分の際の針時計の絵を描くというものです(こちらこちらこちらなど)。つまり短針と長針の位置関係、紙の大きさと時計の大きさがつりあっているか、その他いろいろなことがこの検査でわかるそうです。読者の皆さまもやってみたらよろしいのではないでしょうか。

さてずいぶん以前私、数学者の秋山仁という人について書かれたを読んでいて、その本の中で数学が苦手な人はどのような人かというくだりで、カレーライスを作れない人、というのがありました(すみません、現物がいまないので、記憶で書いています。間違っていたらごめんなさい)。それを読んだ時は、「はあ、そんなもんかいな」と思っただけでしたが、最近になって「なるほどなあ」と考えました。つまり、認知症になった人の症状の一つとして、調理をする際に味付けが悪くなった、メニューが単調になった、買い物に際して適正な量の食材を購入することができなくなった、ということがよく言われます。つまり、料理をするという過程は、頭の中で膨大な情報量を適正に処理することですから、認知症になることによって脳の情報処理能力が低下することにより適切な調理ができなくなるということになるわけです。

明日どういうメニューにするか、その料理に使う材料は何か、家には何の食材があって何がないか、どの店に買い物に行くか、予算はいくらくらいか、何時くらいから料理を始めるか、料理の手順はどうか・・・。盛り付けは何の食器にするかということにいたるまで、こういったことを人間は、経験その他から適切な手順で進行させます。調理というものは想像以上に人間の知的能力に依存していますから、認知症になって脳の機能が悪くなると、そういったことも難しくなり、へんてこな味付けの料理を食べ、冷蔵庫その他には使い切れない食材が押し込まれる・・・ということになってしまうわけです。

こういったものをいくらやっていても、しょせん遺伝で決定する部分が大きいんじゃないかという気が強くしますが、これも一種のお遊びという考えでいれば悪くないかもしれません。世の中いろいろなことに興味を持っているほうが退屈しないで済みます。だから私のブログは、政治の問題から、美女のヌードにいたるまで記事の幅が広いのです。

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映画「スティング」のネタ本を読んだ

2014-10-29 00:00:00 | 映画

詐欺師入門―騙しの天才たち その華麗なる手口

「午前十時の映画祭」で映画「スティング」を見たので、そうえいば、この映画の元ネタの本があったなあと思いだしまして、ちょっと入手しました。上の本で、日本では1999年に出版されています。

著者のデヴィッド・ウォレン・モラー(David Warren Maurer )は言語学の教授(社会学や犯罪学の教授ではないのです)で、多くの詐欺師から話を聞いてこの本をまとめました。この本は1940年に出版されて、それを映画の脚本家であるデヴィッド・ウォード(David Schad Ward)が参考にして映画のシナリオを書いたわけです。

この本自体は、上にも書いたように前々から存在は知っていましたが、読んでみると、なるほど、「スティング」の詐欺の話はだいたいこの本の通りだということがわかります。

さて、ここからちょっと映画「スティング」の細かい部分にまで触れますので、この映画を見ていない方、あるいはネタバレを読みたくない方は、ここでこの記事を読むのをやめてください。

 

 

 

 

いいですか? それでは書きますよ。

この本によると、詐欺(「ビッグ・コン」と呼ばれる大規模な詐欺の場合。カモに金を調達させる。反対のショート・コンは、持ち金をだまし取る詐欺。映画では、最初にロバート・レッドフォードらがやった詐欺がこれ)の手順とは以下のようなもののようです。(p.18)

>1、裕福なカモの住居を突き止め、身元調査を行う(〈カモを見つける〉)。

2、カモを信用させる(〈仕事を始める〉)。

3、カモを〈インサイドマン〉に会わせる(〈カモを捕まえる〉)。

4、インサイドマンがカモに、不正に大金を設ける方法があると話す(〈話を持ちかける〉)。

5、試しにやらせて、カモに儲けさせる(〈エサ〉を与える)。

6、カモに投資額を決めさせる(〈ブレークダウン〉の段階に入る)。

7、金策のためカモを家に戻す(〈センド〉の段階に入る)。

8、ビッグ・ストアでもうけをさせて、カモの金を巻き上げる(〈タッチ〉を騙し取る)。

9、できるだけ早くカモをお払い箱にする(〈ブロー・オフ〉の段階に入る)。

10、カモが告訴をしないように警官がなだめる(〈フィクス〉の段階に入る)。

原文の漢数字は、当方が算用数字に変更しました。

いわゆる隠語、ジャーゴンのたぐいがわかりにくいかもしれませんが、でもだいたい過程というか次第はご理解いただけると思います。それで、「スティング」の詐欺も、だいたいこのパターンを踏襲していることがわかります。

>1、裕福なカモの住居を突き止め、身元調査を行う(〈カモを見つける〉)。

「スティング」で、ロバート・ショーの演じた組織のボスであるドイル・ロネガンをひっかけた理由は、仲間の詐欺師を殺されたことに対する弔いみたいなものがあったわけですが、当たり前ながら映画の中の詐欺師グループもロネガンの調査をしています。

2、カモを信用させる(〈仕事を始める〉)。

シカゴの呑み屋に化けたポール・ニューマンのやり手詐欺師がポーカー賭博でロネガンをひっかけて、それでカッカさせたところでレッドフォードが現れて話をする、というのがここです。なお、部下が上司に一泡吹かせたいからあんたに協力を願いたい・・・という話も、典型的な詐欺師の口上です。

>3、カモを〈インサイドマン〉に会わせる(〈カモを捕まえる〉)。

4、インサイドマンがカモに、不正に大金を設ける方法があると話す(〈話を持ちかける〉)。

これは、「2」とつながります。つまり競馬の詐欺で、金儲けをして、あんたをだました呑み屋を破産させてやろうと持ちかけるわけです。

>5、試しにやらせて、カモに儲けさせる(〈エサ〉を与える)。

実際に呑み屋に行って、指定された競馬の馬券を買わせて金を儲けさせます。最初に儲けさせるのは、こちらを信用させるための詐欺の鉄則です。

>6、カモに投資額を決めさせる(〈ブレークダウン〉の段階に入る)。

大規模に営業している呑み屋をつぶすためには、大金を賭けなければいけないと思わせます。

>7、金策のためカモを家に戻す(〈センド〉の段階に入る)。

ロネガンは銀行家ですから、金の調達も容易です。

>8、ビッグ・ストアでもうけをさせて、カモの金を巻き上げる(〈タッチ〉を騙し取る)。

指定した馬券にロネガンは賭けますが、これが罠で、負ける馬券です。

>9、できるだけ早くカモをお払い箱にする(〈ブロー・オフ〉の段階に入る)。

ここで(嘘ですが)FBIが手入れを行い、裏切られたニューマンがレッドフォードを射殺(これも嘘)、FBIはニューマンを射殺(同左)します。FBIは、警官に、カモを早く連れ出せと指示します。

>10、カモが告訴をしないように警官がなだめる(〈フィクス〉の段階に入る)。

ロネガンに警官は、2人も人が死んだのだ、金どころじゃないだろうとか話をして、去っていきます。この警官(チャールズ・ダーニングがいい演技をしていました)は、詐欺仲間でなく本気でだまされたのですが。

また、フィックスというのは、カモが怒って訴えたりした際に保険の意味合いもあります。フィクサーと呼ばれる顔の通じる連中が、時に警察に話をしてくれたりして刑務所に行かないで済んだりするわけです。

細かいことはともかく、基本にはまったく忠実です。つまりは、「スティング」の詐欺は、昔の詐欺の王道を行く典型的なものだったというわけです。

たとえば(観客もだます)ラストの射殺は、実はあれも典型的な詐欺の手口です。つまりそうやって舞台を騒然とさせて、論理的な思考をカモにさせないわけです。

また、特急の中でポーカーでだます手口―いかさまで、低い数字のカードで大きな役をつかませて、自分は大きい数字の役で勝つ(映画では3のフォアカードをつかませて、自分は9のフォアカードで勝つ)つもりが、敵がさらにカードをすり替えて、ジャックにして勝つ―というのも、本にのっています。最後の、さらに高い役で詐欺師の方が負かされるというのは、本によると詐欺師が素人(かどうかわかりませんが)にやられた話です。

最初にレッドフォードがやるすり替え詐欺も、本の中で紹介されていますし、つまりはあの映画でつかわれている詐欺ネタは、ほとんどこの本の写しです。

それで、ペテン師たちが射殺されるという筋書きも、これも上にも書いたように、この種の詐欺でよく使われます。目の前で誰かが撃たれれば、さすがに誰でも動揺し、論理的かつ冷静な思考ができなくなってしまいます。それがねらいです。

それで本の解説(出版時でなく再販時のもの)にもあるように、この本が出版された1940年は、すでにこの種の詐欺は最盛期を過ぎていました。時代は、こういった詐欺に対してまた厳しい時代になっていったわけです。映画の中で、仲間たちが仕事するにあたっての最初の相談の場で、「「電信」なんて十年前の手だ」というくだりは、やはり詐欺がいろいろ困難になっていった時代を表していることもあるでしょうし、またニューマンの演じる伝説的詐欺師(役名のゴンドーフとは、有名な詐欺師の名前からいただいています。本にも繰り返し出てきます)がFBIに追っかけられているというのも、これも連邦警察が登場してきて、昔ほどのひどいことがやりにくくなってきていることを表しています。

時代が違うので、いまの時代にこの映画に登場するような詐欺そのものがあるわけもありませんが、基本は不変でそこからさまざまな詐欺が出てきます。映画を見て「面白い」と思った人も、ネタはわかったと思った人も、この本はけっこう興味深く読めるのではないかと思います。

なお、この記事を書く過程で、脚本のデヴィッド・ウォードのインタビューを見つけました。興味のある方はお読みください。

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私のバンコクの定宿が、日航系列になるとのこと(訂正あり)

2014-10-28 00:00:00 | 旅(東南アジア―ミャンマー以外)

すみませーん、今日の記事も、興味のない人にとってはどうでもいい話です。まあブログの記事なんて何でもそうでしょうけど。

私のバンコクでの定宿といっていい、BTSトンロー駅至近の宿、グランドタワー・イン・トンロー(別名:グランド タワー イン スクンビット 55 ホテル)が、リニューアルして日航系列のホテルになるそうですね。記事はこちら

>2014年10月2日木曜日

グランドタワーイントンローが日航ホテルズになる!  

JALホテルズ(東京都品川区)は、バンコクで約10年以上ぶりに自社ブランドホテルを復活させることになり、昨日1日、正式に発表しました。BTSスクンビット線トンロー駅(ワッタナ区)そばにあるシティホテル『グランドタワーイン』を全面改装、リブランドするもので、3年後のオープンを目指します。

グランドタワーイントンローは1985年(昭和60年)にオープンし、トンローのランドマークとして親しまれてきました。宿泊客は90%以上日本人で、多くの日本企業から出張者の宿泊先として指定を受けたり、単身赴任して間もない駐在員がサービスアパートメントやコンドミニアムを確保するまでの間の住まいとして活用する例もありました。しかし、オープンから30年近くを経て建物や客室の老朽化が目立つようになってきており、加えて2012年にオープンしたマリオットホテル(ソイ57)との競争もあり、内外装合わせた全面リニューアルの時期が迫っていました。

運営会社『グランドエンタープライズ』(ワッタナ区)と親会社のアスパイアエンタープライズは、全面リニューアルを行うにあたって、バンコク首都圏内に3つあるグランドタワーインシリーズの旗艦でほぼ日本人御用達となっているトンローの価値を高めるため、日系高級ホテルチェーンとの提携を画策していた模様。海外での知名度も高いニッコーホテルズインターナショナルに白羽の矢を立て、JALホテルズや親会社のホテルオークラ(東京都港区)と交渉を進めてきました。

(中略)

グランドタワーイントンローの敷地内で営業していたテナントは8月31日(日)までにすべて退去しており、早ければ年内にも工事が始まるとみられます。

だそうです。

なお、こちらがそのホテルのHPでして、一番上に日本語表記が出ているあたりが、このホテルの性質を物語っています。

それにしても、日航系列になるということは、だいぶこのホテルも価格が上がることが予想されますね。いままでのようなそんなに高くない価格(しかし年々高くなって、施設も老朽化しているので、コストパフォーマンスが悪くなってきたのも事実です)のホテルということもなくなるでしょうね。そうすると、たぶん私の定宿ではなくなる。仕方ないことですが、それも残念です。

グランドタワーイントンローの敷地内で営業していたテナントは8月31日(日)までにすべて退去しており、早ければ年内にも工事が始まるとみられます。

 とのことなので、テナントというのは、焼き肉店とかまともなものもありましたが、まあバンコクからイメージされるものを裏切らない、風俗系のテナントが多々ありました。私は行ったことはありませんでしたが、当然ながらこれも、新しいホテルになったら復活することはないでしょうね。焼き肉屋なら復活するかもですが。

恒例の年末年始の旅を、プラハ、ライプツィヒ、ベルリン紀行にするか、バンコク近辺の旅にするか迷っていますが、もしバンコクに行くのなら、このホテルに泊まってみようかなと考えています。まだ未定です。

ところで私がこのホテルに泊まったのは、たしか2003年が最初かな。そうですね。その時泊まった部屋が、畳の部屋で、入っていた現地在住日本人向けの新聞に、広末涼子の結婚の記事が大きくのっていたので、これが2003年12月だから、まさにそうです。この時が、私が初めてバンコクに行ったときでした。

そのあと2005年に、大津波の直後にバンコクに行ったときも泊まり、それからしばらくバンコクはトランジット以外で訪れたこともなかったのですが、2013年に1泊だけですが泊まりました。一応バンコクで宿泊した際は、常に泊まっているホテルではあります。

上の記事にも書いてあるように、客のほとんどは日本人で、日本人以外はモグリのような気がするホテルでして、逆に私のような人間にはいまひとつ面白くないのですが、なんとなく泊まっていました。でも、来年以降にもしバンコクに行くのなら、違うホテルを探すべきですかね。

あるいは、またこのホテルの話を書くかもしれません。なお、写真はagodaのサイトからいただきました。

2017年2月13日訂正:どうも日航のホテルができるのは、このホテルの隣のようです。このホテル自体がどうなるかはわかりません。また何かあったら訂正・補足をします。

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ジャック・ブルースの死を追悼する

2014-10-27 00:00:00 | 音楽関係(CD、コンサート、歌手その他)

伝説的ロックバンドであるクリームのベースとして有名なジャック・ブルースがなくなりました。記事を。

 

>ジャック・ブルース、死去

BARKS 10月26日(日)10時27分配信

土曜日(10月25日)、元クリームのメンバーで世界屈指のベーシストの1人、ジャック・ブルースが亡くなった。71歳だった。

オフィシャル・サイト(Jackbruce.com)に以下のようなメッセージが発表された。

「ジャック・ブルース 14.05.43~25.10.14

大変悲しいことながら、私たち、ジャックの家族は、私たちが愛してやまない夫、父、祖父、そしてあらゆる点でレジェンドだったジャックが亡くなったことをお知らせします。彼がいない音楽の世界は侘しい場所になるでしょう。しかし、彼は彼の音楽の中、そして私たちの心の中で永遠に生き続けます」

スポークスマンは、ジャックは英サフォーク州にある自宅で家族に囲まれながら息を引き取ったと話している。肝臓病を患っていたと伝えるメディアもある。

1943年スコットランドで誕生したジャックは、ジャズやブルースの名プレイヤーとしてジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズやマンフレッド・マンなどでプレイした後、1966年にエリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカーとクリームを結成。2年間と短期間の活動ながら、ロック史に深くその名を刻んだ。

合掌。

Ako Suzuki

 上の写真は、彼のサイトからのもらった写真ですが、そうとうやつれてしまっていますね。記事にもあるように、闘病の故のものなのでしょう。

実は私、ひところけっこう彼にはまっていた時代があいまして、そのころは彼のソロアルバムをよく聴いていました。ベストアルバムなので、紹介するのは安直かもしれませんが、彼のアルバムの中でその全盛期のすごさを知ることのできるアルバムがこれです。

未発表の新曲でエリック・クラプトンも参加している曲が2曲入っています。せっかくだから、1曲ご紹介しましょう。

Jack Bruce - Ships in the Night

クラプトンのソロはさすがに心にしみわたります。

非常に才能のある人だったのですが、ジンジャー・ベイカーとの不仲でもわかるように、人間的には付き合いにくいところもあったようです。あれだけの才能の持ち主(「クリーム」は、なんだかんだといってジャック・ブルースのバンドです)が、ソロでは大成功を収めたわけではない・・・というのは、世の中そんなものだとは思いますが、しかし残念なことです。

1回だけ私は、彼のコンサートに行く機会があってチケットも買ったのですが、家族の病気とかがあって行くことができずにそれを友人に譲ったことがあります。その後彼のコンサートに行くことはなかったので、私はご本人の姿を直接拝見する機会がありませんでした。これも、いまになってみれば残念なことです。

それにしても私の好きなベーシストって、彼とジョン・エントウィッスルポール・マッカートニーなんですが、もう存命なのはポールだけですか・・・。ビル・ワイマン(1936年生まれ)は80近くてまだお元気なようですが。

あらためてジャック・ブルースさんのご冥福をお祈りします。

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コペンハーゲン、マルメ、フレンスブルク紀行(2014年7月~8月)(25)

2014-10-26 00:00:00 | 旅(欧州―英国・アイルランド以外)

ボーリング場があるんですかね。規模はそんなに大きくないのかもしれませんが。

別に目的があるわけではないので、街の真ん中へ向かいます。

教会は、やはり街のランドマークです。

ショッピングセンターもあります。

このあたりは、デンマーク国境と接している街ならではですかね。

小都市のはずですが、街を歩く人の数は多いと感じました。

「ノルドゼー」は、ドイツ語圏にある魚系のレストランです。ドイツとオーストリアで食べたことがあります。

ご家族そろって仲のよろしいことで。

いかにもドイツ人ぽい女性です。

やはりパンツが短いですね。

「ボディ・ショップ」もありました。

マクドナルドはやはり世界中にあります。

お、力のある女の子。

ドイツも少子化の著しい国ですが、わりと子どもを多く見かけました。

(つづく)

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コペンハーゲン、マルメ、フレンスブルク紀行(2014年7月~8月)(24)

2014-10-25 00:00:00 | 旅(欧州―英国・アイルランド以外)

やはりバス移動というのはあまりないことみたいで、駅員(オレンジの服を着た人)に大勢の人たちがいろいろ聞いていました。

フレンスブルク方面から列車が来ました。これが折り返すわけです。

ここも念のため指定席をとっておきました。

夫婦かたまたま乗り合わせたのかは不明な、私の席の前に乗っていた男女。がらすきなので、開いている席に適当に移りました。この路線に関しては、指定席にする必要はありませんでした。

いよいよフレンスブルクです。

ついにフレンスブルクです。それにしてもこの女性も、何枚も写真を撮ってしまったな。

DBとは、ドイツ・バーンのこと。ドイツ語なら「ドイチュ」か。ドイツ鉄道の意味。

ドイツに来たのは、2005年以来9年ぶりです。デンマーク国境の街なので、駅表示もデンマーク語表記が併記されています。

今回は、宿を予約しなかったので、出たとこ勝負で宿をとります。このibisのバジェットも、選択の1つです。

この売店で、水を買いました。しばらくぶりにドイツ語を話してなんとか通じてうれしく思います。

フレンスブルク駅です。

地図もないのですが、駅にあった地図と、駅前の道や都市設計の常識から、この道をまっすぐ行けば街の中心に出るだろうと予想して歩きます。

1泊49ユーロなら、まあ安いですかね。今回は、多少はいい部屋を取るつもり。

けっこう大物が来るんですね。お父さんのほうだよね?

そうこうしているうちに街の真ん中に近いところに来ました。

近隣のホテルをちょっと見てみました。

けっきょく案内所で紹介してもらうという古典的な方法をとります。今回は、ネット接続のためのものを持ってこなかったのです。1泊60~70ユーロという条件で検索してもらったら、では75ユーロでどうかといわれて、まあ75ユーロならと思ってそこにします。今回は、2泊です。

この辺りは、パステル系の色の建物がたくさんありました。

こちらが今回私が泊まったホテルです。

チェックインすると、前金必要なし、カードのギャランティも不要でした。いいんかよ、そんなことで。もちろん私は、信用していただいて大丈夫ですが(笑)。

部屋は清潔だし、空調もついているので、申し分ありません。

三ツ星というのは、「Komfort」なんですね。私にとっては十分すぎるくらいの宿です。

では、フレンスブルクの街を歩きます。

(つづく)

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フランソワーズ・ドルレアックの美しい写真(2014)

2014-10-24 00:00:00 | ドルレアック姉妹(フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ)

一昨日がカトリーヌ・ドヌーヴの誕生日でしたから、今年はドルレアック姉妹の記事は打ち止めにしようかと思ったのですが、やはりお姉さんのフランソワーズ・ドルレアックの単独の写真をまたご紹介しちゃいます。

彼女については、これからも記事を書きますのでお楽しみに。 

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フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ(3)

2014-10-23 00:00:00 | ドルレアック姉妹(フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ)

昨日に引き続き彼女らの写真を。

詳しいことは知りませんが、たぶん2人ともニコ中、いやニコチン依存症です。フランソワーズ曰く「あんた煙草吸っていたじゃない。最低ね」

ね、フランソワーズは動物が好きでしょう。

ジョージ・ハミルトンと。さすが、稀代のプレイボーイ、両手に花にもほどがあるというものです。

子どもは、クリスチャンかな? ロジェ・ヴァディムとの息子。現在俳優。カトリーヌ・ドヌーヴが母親というのも、いらぬ苦労がいっぱいあったと思います。

なんか姉妹の順番が反対のような写真。

カトリーヌ曰く、姉妹でいちばんしっかりしているのは自分だ(こちらより。大意)。

ドルレアック家の写真。べつに説明する必要もないでしょうが、左からパパ、真ん中が末娘のシルヴィー(現在カトリーヌの秘書)、一番右がママ・ドルレアック。100歳を超えてまだ存命中。

真ん中にいるのは、お父さん。

なかなか今日も貴重な写真を紹介できました。ではまた。

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フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ(2)

2014-10-22 00:00:00 | ドルレアック姉妹(フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ)

本日は、カトリーヌ・ドヌーヴの誕生日ですので、世界映画史上最強の美女姉妹であるドルレアック姉妹が一緒に写っている写真をご紹介します。となると、「ロシュフォールの恋人たち」での写真が多数を占めるのはご容赦ください。でも、たまたまこのブログに遊びに来たあなたは、とても運がいい。この美女姉妹をここまで徹底的に取り上げるブログは、たぶん日本にたくさんはありませんぜ。妹はともかく、お姉さんをとりあげるサイトは多くはありません。

撮影年次不詳ですが、まだカトリーヌも髪の毛を染めていませんね。

ドルレアック姉妹は動物が大好きです。特にフランソワーズは、動物とともに写っている写真がけっこうあります。

真ん中にいるのが、「ロシュフォールの恋人たち」の監督であるジャック・ドゥミかな。彼は、「シェルブールの雨傘」の監督でもあり、カトリーヌにとっては恩人です。

以上、「ロシュフォールの恋人たち」におけるフォト・セッションです。

撮影年次不詳ですが、たぶん「ロシュフォールの恋人たち」のころです。

最後の写真は、「ロシュフォールの恋人たち」のプレミア上映会での彼女たち。1967年3月です。この3か月後、フランソワーズは不慮の事故で亡くなりました。25歳の若さでした…。

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