ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

メグ・ライアンについての2008年の記事(2)

2008-10-28 22:26:27 | 映画
悲惨な苦境に追い込まれる女性の凛とした肖像が印象的な「ピアノ・レッスン」で名高いニュージーランドの個性的な映画監督ジェーン・カンピオンの作品「イン・ザ・カット」を思い出そう。ライアンは、彼女の以前の作品でも横道にそれたこともあったが(「男が女を愛する時」や「ハーリー・バーリー」をを思い出そう)、カンピオンの2003年の作品での出演は、ライアンはもう根なし草ではないという宣言でもある。映画は大ヒットとはいかなかったし、愛嬌はほとんどないが魅惑的な内面を感じさせる彼女の魅力のある容姿は、だれを楽しませそうにない役者の到来を告げていた。「私からすると、ジェーンは、創造性に富む人たちってどんなようなものか定義づけてくれたわ。それって有名な役者であることだってことは必ずしも意味しないわよ。独創性のある母親であるってことだったり、面白い写真をいっぱい撮る写真家だったり、さもなければ誰も想像できないような才能を持つ物書などね」とライアンは語る。


「イン・ザ・カット」制作後、さほど時を経ず、ライアンは演じることの重荷を減らす。独特の率直さで、彼女が一歩引いた理由を説明してくれる。「正直、私はしばらく演技をしたいって気持ちでなくなったの。すっごく燃え尽きちゃったって感じかな。『あたしって、何やってんだろ?』ってとこね。もうありとあらゆることに満足しきっちゃっていたし」この時期、中国から養子のデイジーをもらって新たな家族が増えた。2006年に3人家族になった。この時期、ライアンに言わせると、彼女はスーパーマーケットへ行ったり、子供を迎えたり、車から降ろしたり、子供の友達の親とあったりして時間を過ごした。言い換えれば、ごく平凡な生活を送った(パパラッツィによって時々写真を撮られたりはしたが)。「いくらあなたが普通の生活を送っているつもりでも、有名人として生活していますよ。あなたが一般人であるわけがないじゃない」「ええ、ほんとに、ほんとに変てこな生活だったわ。環境は、時にはものすごく風通しが悪かったし、でも今後の人生にある程度見通しがついたのはプラスだったわね。仕事から遠ざかっている時間が長くなればなるほど、精神的には良くなったの。だんだん周囲が明るくなっていったように感じるわ。

しかし、明快な自分のゆくべき道をつかみとるのは大変だった。ライアンに彼女の分岐点について尋ねると、彼女の離婚についてもう一度心を開いて語る前に、彼女は私へ質問を浴びせた(私の年齢を質問した後、あなたも一皮むける時期ねと断言した)。「もう、ものすごくたくさんのことを経験したわ」という。「離婚の過程が世間に明らかになるのって、めちゃくちゃなことよね。時には道理にかなったある種の信念に基づいてほんとに厳しい状況を迎えなければならないし、またそこから得ることもあったわ。ある種の自己認識と自分の行動についての達成感って、信じられないような恵みね。すばらしい贈り物をいただいたんだなって感じるや否や、私の日常が急に安らかなものになったの」コーヒーをすすりながら私の向かいに静かに座っている彼女の語る内容を私は疑わなかった。彼女の持つ、好奇心いっぱいの部分とともに、偽ることのできない平凡な日常生活での自信と喜び、さらには自分自身への基本的な認識に彼女は目覚めていった。

(続く)
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メグ・ライアンについての2008年の記事(1)

2008-10-27 21:38:26 | 映画
      


前にも書いて全然翻訳しなかったのですが、メグ・ライアンの「C」という米国の雑誌2008年9月号での記事(インタビューというより記事です)を翻訳しましたので発表します。確認はしていませんが、たぶんメグのファンサイトか何かで翻訳した人はいると思いますが、このブログの読者の方にも彼女の記事を読んでいただきたいと思い翻訳しました。ぜひお読みになってください。




L.A.って、かんたんに自分てものを気晴らしさせることができる街だわ。ほんとにすごい自己発見ができる特長があるってこと、それこそが私たちのこの街での姿ね。


メグ・ライアンとインタビューする際、同時に彼女が聞き手にも話をしてくるので、インタビューが大変になる。出身はどこ、今どこに住んでいてどのくらいその街を気に入っているの、といった話の後、なんとか話をニューヨーク市立大学(彼女が、前の夫のデニス・クェイドとの子供であるジャックー16歳ーのことを言及した)在学中のころに持っていくことができ、そして彼女は当時を思い出しはじめる。

「私は大学では、マイクロフィッシュの女の子だったわ」ライアンは言う。どのくらい自分が学生時代勉強したかを彼女は説明する。マイクロフィッシュが本来おもしろおかしいものかは判断しかねるが、ライアンのおどけた発言で、私たちは二人とも笑ってしまった。メグ・ライアンの口からは面白い発言がどんどんとびだす。たぶんそれが、彼女が現代のロマンティック・コメディのトップのスターである理由だろう。


メグ・ライアンのニューヨーク市立大学図書館での仕事ぶりは、今では彼女の人生の中でほんの脚注にすぎないかもしれない。が、その他の彼女の生きざまは、もうかなり多くの人々におなじみである。彼女が最初に注目されたのは、「トップ・ガン」でのグース(アンソニー・エドワーズ)の女房役だろう(ベッドに行かなきゃ、さもなければお別れよ)。さらにそれをしのぐのが、「恋人たちの予感」であり、カッツ・デリのシーンは映画好きのアメリカ人の心に深く印象付けられている。さらにトム・ハンクスとのロマンティック・コメディ「めぐり逢えたら」「ユー・ガット・メール」がある。この映画の女王が(1本あたり、出演料1500万ドルほどだ)私の私生活に質問を浴びせかけるというのは少々不可解だ。それから再び、ライアンについて予想だにしないことが次々と起こる。


ここ数年来のあまり活発とは言えない芸能活動の後、今月(2008年9月)新たなコメディ「The Woman」でライアンはスポットライトに復活する。しかし今回は、目立つ役柄ではない。デブラ・メッシング、エヴァ・メンデス、ジェイダ・ピンケット・スミス、さらにはこの愛すべき最新作でのライアンの引き立て役としてのアネット・ベニングらスター女優が大勢出演していてる。「マーフィー・ブラウン」で高い評価を得たダイアン・イングリッシュがとても巧みに古典的な素材を脚本・監督した作品で、ジョージ・キューカーの古典的名作の再映画化である。ノーマ・シアラーが演じた金持ちでひどい目に遭うメアリーをライアンが演じている。ライアンのイメージであるような典型的なおとぎ話では必ずしもない。そしてライアン自身、おとぎ話のような生き方のハリウッド風解釈から逸脱しようとしているようにみえる。


ニューヨークのマーセル・ホテルでジーンズに白いTシャツ、真黒なセーターを身にまとって私と握手するために歩みよってきたライアンは、若々しく自然な47歳の女性に見える。なにかメーキャップをしていたのなら、そのようには表現できない。彼女の刺激的な青い眼と滝のように流れているブロンドの髪の毛が彼女のほっそりとした顔つきにゆったりとした印象をもたらしている。もしほとんど同じくらい世に知られている髪の毛がもう少し長かったら、私が最初に気づいたのはちょっとまがった鼻ーたぶんそれが、彼女が「かわいい」という枠組みでくくられる理由の一つだろうーだったということがそんなに変でもないだろう。2001年にデニス・クウェイドとの10年間の結婚生活が破たんしたとき、彼女の愛らしいイメージは大いに傷ついた。ラッセル・クロウとの関係がこの離婚の原因となったとうわさされた。しかしタブロイド紙を引きずり込んだ離婚ですら、ハリウッドの最高の妖精としての彼女の心をへこましはしなかった。純情な役を演じることにうんざりせざるを得ない役柄の位置づけが、年齢とともに無理が生じるようになることは言うまでもなく、彼女にとってますます面白くなくなってきている。

(続く)
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イミグレーションでの問答(2)

2008-10-25 21:27:29 | 旅(海外旅行一般 あるいは上以外の国々)
英国での入国審査は私にはたいしたことはありませんでしたが、米国では結構いろいろ聞かれました。2003年にニューアーク空港(ニュージャージー州)での入国のときの問答を書いてみます。

なにしろ2003年ですから、同時多発テロのあとです。かなり厳しいだろうなとこのときは覚悟をして臨みました。

私を担当した入国管理官は、アフリカ系で「Williams」という人でした。40台半ばくらいだったでしょうか。穏やかそうな人でした。

挨拶して、パスポートを見ながら、私の滞在日数、滞在場所、滞在目的などの定石の質問のほか、

「今まで米国には何回入国した?」と聞いてきました。パソコンの画面を見ながらですので、私の答えと確認するつもりでしょう。

McCreary「最初が96年1月にJFK空港、2回目が97年6月にLAX」
とか答えたら、画面を見ながらふんふんとうなずいていました。

そして私のパスポートを見ながら、
「北朝鮮には入国したことがあるか?」
とたずねてきました。とんでもないと否定します。

McCreary「北朝鮮には行ってませんよ。私は韓国しか入国してませんよ」

私のパスポートに韓国のスタンプがべたべた押してあったので、そう聞いてきたのでしょう。私は北朝鮮には行ったことはありませんが、しかし行ったことがあってももちろん「言っていない」と応ええます。そんなん米国に入国する際に、北朝鮮にいったことがあるなんて話をしたって、百害あって一利もないもんねえ。もっとも日本の公安警察は、日本人北朝鮮入国者のリストを、米国政府に渡しているのかも。

これで私の入国審査は終わりました。たいしたことはありませんが、でも緊張します。いずれにせよ、日本のパスポートの威光はなかなかのものです。このときばかりは、自分が日本国籍でよかったと思います。

米国での別の入国の際はというと、最初の入国では(女性の担当官でした)何もいわれませんでしたが、サンフランシスコに行ったときのロサンゼルスでは、ヒスパニックの担当官(「Pena」という人でした。ペーニャとでもお読みするのかな)が、サンフランシスコに家族か親戚か友達がいるかと突然聞いてきました。うんなもんいまへんわなと答えたら、別に何もいわれませんでしたが、このときはちょっと口調が厳しかったのでギョっとしました。当時は私もまだ初心な旅行者でした。

あとロシアやレバノンの入国管理官は目つきが鋭かったとかいくつか記憶がありますが、やっぱりイスラエルは、私は行ったことはありませんけど、陸路で入国して空路で出国すると、ものすごく検査が厳しいようです。入国の際に武器を持ち込んだり、出国の際ハイジャックやテロをするかもしれないから。特にアラブ諸国のスタンプがおしてあるとかなりひどいとか。もっとも、イスラエルのエルアル航空は、一説によるとテロにはもっとも厳しいので、非常に安全だそうです。そりゃそうですよね。いずれ私もイスラエルに行くと思いますので、その際は詳しくレポートします。
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個人的に考えさせられるニュース

2008-10-25 21:16:34 | Weblog
今日、インタ-ネットで次のようなニュースを読みました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081024-00000078-mai-soci

<生活保護>受給母子家庭の母親、3割が精神疾患…堺市調査
10月24日16時24分配信 毎日新聞


 生活保護を受給する母子家庭のうち、母親が強いストレスが原因とみられる精神疾患を患っている世帯は約3割に上ることが、堺市健康福祉局の道中隆理事の調査で明らかになった。ほとんどがDV(配偶者間暴力)、児童虐待などの貧困要因を複数抱えていることも判明。生活保護が親から子へ引き継がれる世代間連鎖は約3割に上った。道中理事は「健康面での生活支援も必要だ」と指摘する。

 調査は、大阪府内の生活保護受給母子家庭214世帯を抽出して分析した。母親が何らかの病気を患っているのは131世帯(61%)で、うちパニック障害や心身症、統合失調症などの精神疾患は72世帯(34%)だった。

 また、低学歴の母親は57%▽10代で出産した母親は26%▽DV被害は22%▽子供が病気の世帯は21%▽子供が薬物中毒、窃盗、売春などの問題を抱えている世帯は21%▽子供が虐待を受けている世帯は9%--で、一つの家庭で3~4項目の要因が重なっていた。

 厚生労働省によると生活保護の受給世帯数(07年度)は約111万世帯で、うち母子家庭は8.4%を占める。1000人当たりの保護率は、全体で22人だが、母子家庭に限ってみると190人に跳ね上がり、貧困割合が高い。道中理事の調査では、母親の親も生活保護を受給していた世帯は07年の調査で41%、今回は32%だった。

 道中理事は「さまざまな負の誘因が重なり合い、相乗的に影響を及ぼしている。母子家庭は、強い不安とストレスにさらされ続けることになり、これが精神疾患を引き起こす誘因となっている可能性が高い」と話す。

 ▽岩田正美・日本女子大教授(社会福祉学)の話 貧困は所得の低さだけでなく、複合的な不利の連鎖を伴って現れることが少なくない。特に生活保護制度は、このような多くの問題を抱えて働けない時に初めて対応する実態もある。生活保護の実施に当たっては児童相談所や保健所、病院、司法関係者などとの連携が不可欠だ。【坂口佳代】

すいません。全文引用してしまいました。

秋田で自分の娘と近所の子を殺した(とされる)女性もそういえば母子家庭で生活保護受給者でした。そしてたぶん、あの女性も精神疾患を患っていたと思います・・・。

さて、私は高校は進学校でしたが、小学校と中学校は地域の公立学校を卒業しました。だから、同級生には裕福な家の子供から極貧、施設の子供までいましたが・・・。

今にして思うと、いわゆる問題児とされている生徒は、極貧で知的障害、精神障害だった人間が多かったように思います。

たとえば、母子家庭で非行や弱いものいじめを繰り返していたある男は、中学生だというのに助詞の「は」と「へ」も書けない(つまり「おれわ」とか「しんじゅくえ」みたいな書き方をする。漢字なんかとんでもない)人間でした。失礼ながら、こんな男に英語なんか勉強させたってかわいそうなだけでしょう。この男はまもなく精神の調子がかなり悪くなったらしく、家出してつかまって施設に入れられてしまいました。

生活保護受給者の家庭は、精神疾患だったり知的障害者だったりします。そしてそのような環境で育った子供たちは、全部が全部そうだとは無論言いませんが、家庭環境の面からも、本人の素質の面からしても、まともな教育など望めない可能性があります。そうすると、その子供も成人後まともに仕事につくこともできない・・・。

>道中理事の調査では、母親の親も生活保護を受給していた世帯は07年の調査で41%、今回は32%だった。

実に3~4割が親も生活保護を受けていたということです。

断っておきますが、生活保護を貧しい人間がすべて受けているわけではありません。実態はこれよりずっとひどいはずです。

私が何ができるわけでもありません。しかしこの負の連鎖は、あまりに悲しいと思います。

麻生首相は、このようなことをどう考えているのかな。

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イミグレーションでの問答(1)

2008-10-23 22:29:44 | 旅(海外旅行一般 あるいは上以外の国々)
私は海外へ渡航する際、飛行機からボーディングブリッジに移動する瞬間、イミグレを通り抜ける瞬間、ロビーに出る瞬間の3回、ちょっとした高揚感を感じます。海外へ出国したことのある方なら、私の感じる心のときめきを理解していただけるかと思います。しかし、その経験のない方には、ちょっと理解していただくのが困難かもしれません。

さて、上にあげた3つのうち、いちばんの難関は言うまでもなくイミグレでです。日本人は基本的にどこの国でもウェルカムな民族だと言っていいでしょうが、そうはいっても入国がうるさい国はやはりあります。米国や日本のように、入国の際に指紋まで取る国もあります。私は日本国籍ですので日本は関係ありませんが、米国についてはこの措置に抗議する意味で、私はこの措置の施行後米国への入国をしないことにしています。蟷螂の斧であることは分かっていますが、とりあえず我慢することにしています。しかしそうすると、私って、今後二度と米国には入国しないことになるかもしれませんね。

それはそうと、ともかく入国の際には時に厳しい質問を浴びせられることもあります。私はそんなにひどい目にあったことはありませんが、いくつかの入国審査が厳しいとされる国での経験について書いてみます。

たとえば、入国審査が厳しいので知られる英国での体験です。1999年1月、ロンドンのヒースロー空港です。

ヒースローでは、長い列ができていました。ターバンをまいたインド系(シーク教徒だったんですね)のごつい体つきの係員が入国者を誘導します。やたら濃い顔の係員の横を通り抜けて、私は眼鏡をかけた50くらいの入国管理官にパスポートをさしだしました。

英国は不法労働者を取り締まるために、かなり厳しい入国審査をします。一説によると、アジア系のエアの客を相手とする管理官は厳しいとか。真偽はいざ知らずですが、たぶん事実でしょう。

それは私も知っていたので、きちんと上着を着てネクタイもしっかり締めて入国審査にのぞみました。お金も、現金と旅行者用小切手、クレジットカードときっちり用意しています。

入国管理官に挨拶をします。かれも「ハロー」と言ってくれました。

入国管理官の質問は、簡単でした。
「滞在の期間は?」
そして
入国管理官「What do you do?」
私「Sihtseeing.」

これでおしまいでした。財布の中身と帰りの航空券くらいは確認されるのかなと思ったのですが、私はそんなにあやしく見えなかったのかもしれません。正直拍子ぬけのところもありました。でも、私は信用されたんだと思うとまんざらでもありませんでした。

が、こんなにうまくいつでもいくとはかぎりません。私のいとこは、カナダでひどい目にあいました。

彼は大学受験の浪人時代、何を血迷ったかとつぜんカナダへ出国しました。英語などほとんどできない彼は、(本人の弁によると)片道航空券でカナダに入国しようとしたそうです。でも、それだと飛行機に乗せてくれるのかな。入国管理官は、即彼に帰りの航空券を買わせ、カナダ滞在中すべてのホテルの予約をさせ、それによって入国を許可したそうです。いやあ、ここまでされることもあるんですかね。

ちなみにこの男は、カナダでホールドアップに遭い(ほんとに拳銃を突きつけられたそうです)有り金全部とられました。そして、どこかの広場の噴水で、バク転をしたり「スキヤキ」を歌ったりしてお金をもらったりしたそうです。うーん、怪我しなかっただけよかったと考えなければいけないでしょうかね。

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カマキリについての想い出

2008-10-22 20:18:41 | Weblog
先日の日曜日、私の部屋にカマキリがなぜか入り込みました。さあ出て行けとつまんで窓の外に投げ出したのですが、でも、あんまりカマキリが入ってくる隙間がなさそうなのに、どうやって入ってきたのか謎です。隙を見て入ってきたんでしょうね。カマキリが現れる季節かなと思いました。いや、もうその終わりかな。

その翌日の月曜日、仕事でとある農村の倉庫にいたら、これまたどこかからカマキリが倉庫の中に迷い込んでいました。さあ、こんなところに閉じ込められたら困るぞと外に捨てましたが、昨年は外ではカマキリを見た記憶がありませんが、今年はこれで2回見たことになります。カマキリづいているのかな。ついでながら、どうでもいい話ですが、自宅で見たカマキリは茶色で、農村で見たカマキリは緑でした。

さて、カマキリというと、私はとても忘れられない想い出があります。私が子供のころなので、ずいぶん昔の話ですが、これは一生忘れられそうにありません。

私が小学生の時です。めずらしく親が私をどこか山のほうへ連れて行ってくれました。どこへ行ったのかは記憶にないのですが、たまたま枝にカマキリの卵をみつけました。子供ではありましたが、それがカマキリの卵であるくらいのことは私も分かっていましたので、その枝を折って(ああ、悪いことをしたと思います)車の中に持ち込みました。親は、「カマキリの卵じゃないか」と言いました。で、車に乗って自宅へ戻りました。

で、私はカマキリの卵のことなど忘れてしまい、その枝を車内に置きっぱなしにしてしまいました。


・・・・で、どうなったかというと・・・・卵が孵化しちゃったんですよねえ・・・・。

遺憾ながら、車の中は、おもいっきりカマキリの幼虫だらけになりました。

どうするかっていうとどうにもならないので、私は黙々とカマキリの幼虫を車の外に投げ捨てました。しかし、こんなのいくら捨ててもきりがありませんよねえ。親は腹を立てるし(あたりまえです)私はうんざりするし、カマキリには悪いことをしたし、いやあ、忘れられない想い出ですね。

しかしこれって、考えてみると、嫌いな奴への嫌がらせには使えるかも。カマキリの卵をどこかから見つけてきて…もちろん真似はしないように。

しかし今になってもカマキリの幼虫が車の中にいっぱいうごめいている光景は忘れられませんね。私はカマキリは嫌いじゃないけど、あの光景はさすがに御免こうむりたいものです。

あ、anupamさんみたいな方にとっては想像するのも嫌な光景かもしれませんね。ごめんね、anupamさん。

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中山成彬の日教組に対する意見は、自民党の中ではそんなに特異なものではない

2008-10-18 22:30:30 | 社会時評

中山成彬が、一度引退を表明したにもかかわらず、よせばいいものを再出馬したいみたいなことを語り、それでやっぱり断念したとかいう先日のニュースは、かなり失笑ものでした。引退の撤回っていったって、地方の首長、議員もふくめて、一度引退する旨記者会見で語った政治家がそれを撤回するなんて聞いたことないぞ。まあ、中山自身はあのような形での引退表明は相当に無念だったのかもしれませんが、本人の不徳のいたすところだから仕方ないよね。

中山という人は東京大学の法学部卒業後大蔵省(当時)に勤務していたわけで、少なくとも勉強ができない人ではないはずですが、それ以前の問題として頭は相当悪い人間みたいですね。熱心な歴史修正主義者だし。

さて、中山の問題発言で、①日本人は単一民族である②成田空港の反対農民はゴネ得である③日教組批判(組織率が高いところは学力テストの成績が低いとか)のうち、①②については、彼はさすがにまずいと思ったらしくすぐ訂正しましたが、③については(よせばいいものを)強硬に自説を展開しました。つまり、①②は彼にとっては妥協できますが、③の日教組批判については、ほとんど彼のレゾン・デートルの類だということです。

日教組の組織率と成績の関係については、極右の新聞記者阿比留瑠比氏が調査して、
>ここから何が読み取れるのか、あるいは特別な傾向性はないのか。
と表だけ作って結論は逃げてしまいました(w)(馬鹿)。

なぜ逃げたかというと、相関性が確認できなかったから(ほんと、どうしようもない馬鹿ですね)。

ただ一応断っておきますと、相関関係があるということと因果関係があるということは別問題です。これを混同すると、奇怪な結論が出たりしてしまいます。

しかし、自民党のこの「あきれた教育現場の実態」というページを拝見すると、かなりアホらしい文章が連発されています。

目次を引用しますとー
「私が死んだら、読んでください」
「教職員に命令できるのは、日教組だけだ!」
「いじめを実践している日教組教職員に、いじめは解決できない」
「どうして学力調査まで拒否するのか、理解不能」
(ばかばかしいので中略)
「日教組=民主党」
(上に同じ理由で中略)
「自民党は、日教組問題に敢然と立ち向かいます」
「日教組の民主党か、国民の自民党か答えは明白!」

最後の目次はかなり笑っちゃいます。

正直、今のいまどき、労働組合をこんなに蛇蝎のごとく嫌ったって仕方ないんですけど、自民党の教職員労働組合に対するスタンスは、かくのごとく笑っちゃうような時代錯誤なものです。さすがにこんな代物を本気で支持するような人は、そうとうコアな自民党支持者でない限り多くはないと思いますが(だから議員たちも、ここまでは主張したりはしません)、つまり党のHPでここまで堂々と主張しているように、中山という男の主張は、じつは自民党の公式見解とそれほどかけ離れたものではありません。ただ、たいていの議員は、そんなこと主張してもばかばかしいからしないだけです。

そういう意味では、中山は正直すぎて馬鹿を見たわけで、やっぱり頭が絶望的に悪い男だと思います。

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韓国がかなり旅行しやすくなっている

2008-10-17 23:57:47 | 旅(韓国)
聞いた話によると今回の金融危機は、まさに1929年の世界恐慌並みのすごさだそうです。もしかしたら、私たちはすごい歴史の荒波の真っただ中にいるのかも。

確かに年金なども株式で運用されているわけですから、私は株も投資もしていないから関係ないでは遺憾ながら話が済みません。いやあ、困ったもんです。しかし政府が資金を運用している(もちろん委託しているわけですけど)となると、やっぱり信用はできそうにないよね。

それはともかく、このブログは映画と旅(について主に語る)のブログを自称していますので、旅の話を書きます。正直このご時世ですので、そんなに気楽に金を使うわけにもいきませんが、現在外国為替は日本円を中心に考えると、USドル安基調です。したがって、USドルのほかにもUSドルとリンクしている香港ドルなどは日本円と両替するときはかなり有利になります。こんな話はいまさら私が書くまでもありませんよね。

さて、Yahoo!ファイナンスの2008年10月17日23:50(日本時間です。念のため)でのレートによると、日本円100円に対して韓国ウォンは1,316.71ウォンだそうです。計算すると、10ウォンで0.76円弱です。かつて、1997年のアジア通貨危機からしばらくして、ずいぶん長い間1円≒10ウォンのレートが維持されていました。そして当時の金大中政権がインフレをおさえていたので、日本円を持っていると非常に旅行しやすい時期でした。

ところが2005年ごろからでしょうか、韓国ウォンがじりじり強くなり、ほぼ1円≒8ウォンくらいになりました。約1.2倍ウォンが強くなり、そして韓国の物価もインフレが徐々に進み、正直韓国旅行も随分高くつくようになりました。2倍とまでは言わずとも、韓国の物価は軽く1.5倍くらい日本人にとって高くなったと思います。

しかしこんどは、ウォンの価値が1円=13ウォン強になったわけで、日本人にとっては韓国は旅行しやすくなりました。韓国の金融は現在けっこうやばい状況らしいんですが、無責任な旅行者としては今は行くチャンスです。というわけで、韓国に興味のあるあなたは、行かれてみてはいかがでしょうか。航空券も安いし、ソウルまでだったら燃油サーチャージも他よりは安く済みます。

さてこれも何をいまさらですが、今年は年末年始の曜日の配列がかなりおいしいのです。よって、私も韓国への航空券を予約しました。もっとも今年は仕事がかなりえぐいので、行けるかどうかは定かではありませんが。

ともかく行ったらこのブログで記事を書きますのでお楽しみに。そうしたら、ソウルだけでなく、田舎のほうも旅する予定です。でも年末年始の韓国って寒いですよね。
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フォトログ(京都)

2008-10-16 22:49:47 | フォトログ
07年の12月に京都で撮った写真をいくつか紹介します。今年の春、桜の季節に行って以来京都は通ったことしかないので、しばらくぶりに行ってみたいなと思います。















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今日は安易に

2008-10-12 20:26:59 | Weblog
インターネットを見ていたら、次のような写真を見つけました。



ギリシアでのファッションショー写真だそうですけど、オバマ氏の顔をイメージする服はあっても、なかなかマケイン氏(いま「負け因子」と変換されて失笑)の顔をデザインする服はなさそうです。例の大手金融機関破たんと同時株安がオバマ氏に決定的に有利になったわけで、マケイン氏は厳しそうですね。そうすると、米国共和党と盟友関係にある自民党にも影響が…。

すいません、今日は安易な記事でした。
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