ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

情報(本日、日本映画専門チャンネルで、萩原健一主演の『君は海を見たか』が一挙放送される。ほかもいろいろ)

2019-03-31 00:00:00 | 映画

先日(3月26日)に萩原健一が亡くなりましたので、私も追悼記事を書きました。

萩原健一が亡くなった

その記事の中で私は、

>萩原の映画でぜひソフト化してほしいのが、『青春の蹉跌』ですね。なぜかDVDでのソフト化がされていません(VHSはされています)。事情は不明ですが、あるいは今回の訃報を受けてCSなどでの放送もあるかもしれません。

と書きました。いずれ彼の出演した作品が、BSやCS、あるいは名画座やたぶん「国立映画アーカイブ」(旧フィルムセンター)でも追悼上映されるでしょうし、またソフト化や再リリースもあるかもですが、とりあえず本日(3月31日)、このブログでも記事にした『君は海を見たか』が日本映画専門チャンネルで一挙放送されます。日本映画専門チャンネルの記事をリンクします。

またゴールデンウィークに『傷だらけの天使』を一挙放送し、またファミリー劇場でも、「太陽にほえろ」での第一作と萩原出演の最終作を放送するとのこと。これは、通常放送でもいまやっています。なお記事で、

>殉職シーン

とありますが、これは強盗に襲われての死ですから、殉職ではありません。

萩原健一は、好き嫌いについていえば「ちょっと苦手」という人も多いでしょうが、しかしやはりすさまじい存在感のあった役者であったことは間違いないところです。この偉大な俳優を追体験したいと思います。

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シェムリアップ、バンコク、成都紀行(2017年12月~2018年1月)(54)

2019-03-30 00:00:00 | 旅(東南アジア―ミャンマー以外)

原っぱです。ここは、シェムリアップ空港に面しています。

空港です。セキュリティがそんなに厳重とは思えませんね。

自転車をひいひい漕ぎます。パンクしたらやばい。

ね、鉄条網があるでしょ。

非常におおざっぱな、きわめていいかげんな地図しかないのですが、これからチキンがおいしいという食堂に行くのです。何回か道を間違えます。ちょうどこの写真を撮ったあたりでも間違えました。

木陰はやはりいい。

仲良さそうで何よりです。

正直いって、これといった特徴がないので、なんとも場所の判断がつきません。

ほんと、カンボジアにいる牛は、白い牛ばかりです。

こういう家で、食堂を知っているかと聞いてみますが、あまりいい反応がありません。

1回行き過ぎて戻り、さらにそこら中で聞いて回ります。

たまたま声をかけた家の子どもです。

母親です。

女の子との写真を、母親に撮ってもらいました。しかしもう少しまともな写真を撮ってくれという気はします。あ、それから私の腹は、中に物を入れているので、事実以上にふくらんでいるとは書いておきます。

近くにある学校です。それでこれはどうも見つからないかなあとあきらめかかった時、この学校の向かいにある施設に目が留まりました。

どうもここじゃないかなという勘がはたらき、自転車でなかにはいります。

赤い、このような場所にはそぐわないワンピースを着た女性ほかに確認したら、ここが私が探していた地鶏を食わせてくれる店であることがわかりました。我ながらうまいものを食おうとすることにすごい執念を燃やす人間です。

中に案内されます。

衛生面は大丈夫でしょうか・・・。

(つづく)

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萩原健一が亡くなった

2019-03-29 00:00:00 | 映画

萩原健一が亡くなったとのことですね。記事を。

>萩原健一さん死去 68歳 「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」など

[ 2019年3月28日 22:05 ]

 ドラマ「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」など数々の作品で知られる俳優で、グループサウンズ「ザ・テンプターズ」のボーカルも務めた萩原健一(はぎわら・けんいち、本名・敬三=けいぞう)さんが26日午前10時30分、GIST(消化管間質腫瘍)のため都内の病院で死去したことが28日、分かった。68歳。埼玉県出身。所属事務所が発表した。「ショーケン」の愛称で親しまれ、一時代を築いた。
 所属事務所によると、2011年から闘病していたが、本人の強い希望で病名の公表を控えていた。容体が急変し、モデルのリカ(本名・理加)夫人に看取られて息を引きとった。故人の遺志により、葬儀は家族のみで営まれ、27日に都内の斎場でだびに付された。

 1967年、17歳の時に「ザ・スパイダース」の弟分バンド「ザ・テンプターズ」のボーカルとして「忘れ得ぬ君」でデビュー。「神様お願い!」「エメラルドの伝説」などの大ヒット曲を生み、グループサウンズ全盛期を支えた。

 ザ・テンプターズは70年に解散。72年、映画「約束」に助監督として参加したが、降板した俳優の代役を務め、岸惠子(86)の相手役を演じた。これが高く評価され、本格的に俳優に転身。同年、日本テレビ「太陽にほえろ!」の初代新人刑事・マカロニ役で人気を決定的に。74年に同局「傷だらけの天使」、75年に同局「前略おふくろ様」と立て続けに連続ドラマに主演した。

 映画も「八つ墓村」「影武者」「誘拐報道」「恋文」「いつかギラギラする日」「居酒屋ゆうれい」など多数出演。

 昨年3月に放送されたテレビ朝日の2時間「明日への誓い」に主演。同年9~10月に放送されたNHK総合「不惑のスクラム」(全7話)に出演した。

 私生活は80年から女優・いしだあゆみ(70)と事実上の結婚生活を送り、96年にはヘアメーク担当だった女性と結婚したが06年に別れた。11年に理加夫人と再婚した。

つまりガンで闘病していたということですが、ご当人も極秘にしていたようですね。まあいかにも他人から同情されるのを嫌いそうな人間ですから、その行動様式も理解できなくはありません。それから、記事では2011年から闘病していたということですが、たぶん現夫人と2011年に結婚したのはそれも関係していたのでしょうね。

拙ブログでも、彼のことを何回か記事にしています。次の2つですかね。

なぜかDVD(あるいはBD)化されない映画(1)(『誘拐報道』)

CSで、倉本聰脚本、萩原健一主演の『君は海を見たか』を放送している(追記あり)

ほかにも名前の出てくる記事はありますが、上の記事の関連ですので、紹介は略します。

上の記事で取り上げた映画とドラマは、どちらも1982年発表で、彼はこの時期はかなり乗っていたように思います。80年公開の『影武者』にも出演したくらいだし。黒澤映画と萩原というのもイメージがまた違いますし、また降板したとはいえ勝新太郎を主役に起用するなど、『影武者』は黒澤作品にしては意欲的なキャストでしたが、彼自身の好調さがなければやはりこの映画の出演もなかったのではとも考えます。ただこれも昨年亡くなった橋本忍(脚本担当)自身の希望で、『八つ墓村』にも出演したようですから、そういうルートでも、黒澤に推薦があったのかも。また83年の『もどり川』では、共演した原田美枝子を厳しく叱責したり(原田の回想録に書かれています)、上の『君は海を見たか』では、

>萩原健一は演技に集中するために、撮影中スタッフが台本をめくるかすかな音さえ出ないよう、美術やカメラマンなどその場の全てのスタッフに台本を暗記させ、憶えられないスタッフには霧吹きで台本を湿らせるという徹底ぶりをみせた。

とあるくらいで、相当高いテンションでの活動がうかがえます。

が、83年にドラッグでの逮捕、84年に飲酒運転での人身事故、85年に暴力事件を起こしたりと、絶頂期だったにもかかわらず芸能活動に暗雲が生じ、それでも90年代ごろにだいぶ調子を取り戻してきますが、2005年にまたまた不祥事を起こしてしまい、執行猶予付きの懲役判決を受けてしまいます。

特に83年からの不祥事は、現在だったら芸能界追放になっても仕方ないくらいのもので、上の『もどり川』もお蔵入りの可能性が高かったかもしれませんが(そういう措置をすべきだと私が考えているわけではありません。念のため)、それでも復活することができたのは、根強い人気もあったし、たぶん役者として別格の才能があったのでしょう。普通なら、ここまでのトラブルメーカーはさすがに起用に難色を示されるでしょうし、事実たぶん相当警戒されたでしょうが、それでも彼を起用したいという監督や脚本家、プロデューサー、そしてファンの声が大きかったのでしょう。

それにしても、萩原は、まだいい時代に生きて、それで全盛期を過ごせたと思いますね。昨今で83年~85年頃のトラブルを起こしていたら、さすがに彼の才能と人気をもってしても、なかなか復活は難しかったのではないか。83年4月に大麻で逮捕され、『もどり川』は6月の公開ですから、現在では逮捕の2か月後に主演映画の公開というのは無理かもしれません。そうなると経済的な迷惑が生じるので、そうおいそれと復活はできないでしょう。実際彼は、ドラッグに交通事犯、暴行、恐喝などかなり人間的にもやばいところがあるわけです。2回も執行猶予付きとはいえ懲役刑を受けるというのも相当なものです。

それで私もよく知らなかったのですが、上の引用記事にもふれられていますように、彼が俳優として高い評価を受けた最初期の映画である1972年の松竹映画約束』に関して、Wikipediaによると

>『約束』の製作現場に、助監督として参加。しかし元の主演俳優が降板してしまったことを受けて、代役に抜擢される。

約束』での岸惠子との共演は高い評価を得、これを機にPYGの活動を続けながら俳優へと本格的に転身。TVドラマ『太陽にほえろ!』の初代新人刑事=マカロニ役でその人気を決定付ける。

とあります。『約束』のWikipediaにも、

>監督:斎藤耕一、主演:岸惠子。岸の相手役を演じた萩原健一の出世作としても知られる。

とあります。つまりここでの抜てきが、彼の俳優人生を決定づけたわけです。彼のことですから、この映画での抜てきがなくてもいずれ頭角を現したとは思いますが、しかしこれもやはり運ですかね。なおこの映画のロケ地について、私がいつも勉強させていただいている「居ながらシネマ」さんが記事をお書きになっているので、ぜひお読みになってください。

『約束』 (1972)

個人的に、萩原の映画でぜひソフト化してほしいのが、『青春の蹉跌』ですね。なぜかDVDでのソフト化がされていません(VHSはされています)。事情は不明ですが、あるいは今回の訃報を受けてCSなどでの放送もあるかもしれません。

萩原健一さんのご冥福を祈ってこの記事を終えます。それで最後に、私がちょっと印象に残った記事をご紹介します。この談話を出した時点で彼の体調は相当悪かったのでしょうが、さすがにこんなに早く、内田のもとへ旅立つとは考えてはいなかったのではないでしょうか。なお記事で使用している写真は、2枚とも引用記事で使用されたものです。

>ショーケン、裕也さん悼む 「出刃包丁を持って追いかけた」大ゲンカも

2019年3月18日 14時9分スポーツ報知 # 芸能

 歌手で俳優の萩原健一(68)が18日、肺炎のため死去したロックミュージシャン・内田裕也さん(享年79)に「非常に残念です。近々、企画書をもって裕也さんと共演することを楽しみにしていましたが、奥様のご不幸があり、タイミングを逃しました。心よりご冥福をお祈りします」と追悼コメントを寄せた。

 萩原がザ・テンプターズのボーカルとして活躍していた頃から、内田さんはショーケンの才能を高く評価。仲が良いあまりに大ゲンカの経験もあり、ショーケンはテレビ番組で、81年の「さよなら日劇ウエスタンカーニバル」で「出刃包丁を持って(内田さんを)追いかけた」と告白しつつ「(内田さんは)僕のことをすごくひいきにしてくれます」と感謝していた。

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『グリーンブック』を観て、かつてニューヨークで味わった災難のトラウマを感じた(苦笑)

2019-03-28 00:00:00 | 映画

前にこんな記事を書きました。

「第39代ミスはこだて」のお二人とまた逢った(彼女らと逢えるのも今回が最後)(田中樹里さんの巻)

で、彼女にあった後、私は映画を観ました。『グリーンブック』です。ここ数年、アカデミー賞の作品賞は、黒人関係の映画が目立ちますね。2013年の『それでも夜は明けるや2016年の『ムーンライトなど。今年はほかにノミネート作品も、『ブラック・クランズマン』や『ブラックパンサー』は黒人関係の映画です。

それで私は、映画の内容とは全く関係ないのですが、この映画でひどいトラウマを感じてしまいました。それはラストに近いシーンです。大雪で、主人公たちが車で進むのに難儀するシーンです。

これ、実は私、真冬のニューヨークでまるっきり似たような経験をしているのです。この時は、観測史上何番目とかの大雪が降ってJFK空港がめでたく閉鎖されてしまい(苦笑)、飛行機に乗るところまではいけたのですが、すごすご飛行機から降りることになってしまいました。以後、冬のニューヨークはトラウマです(笑)。

ニューヨークって、大雪が降るときはけっこうほんとにすごい積雪量になりますから、それが観測史上何番目ではお話にもなりません。でもニューヨークの大雪の映像なんて(このシーンはフィクションでしょうけど)いくらだって見ているのに、なんでこんなこと思い出したのかな。たぶん車がうまく進まないところが、私が乗せてもらった車を思い出したのでしょう。あれもたぶん一生の思い出になったんだろうな。この時は、世界貿易センタービルにも上ったし。

ところで1962年に、白人のドライバーで黒人が車の後ろに乗るというのは、特に南部をそれで走るのは相当な冒険でした。映画『ミシシッピー・バーニング 』のモデルとなった、白人2人と黒人1人の公民権運動家がミシシッピー州で殺害された事件が1964年、ルイジアナ州で主人公たちが殺されたり襲われた『イージー・ライダー』の公開が1969年、本多勝一氏も、同じ年にやはり南部でピストルで撃たれています。そういうわけで、当時主人公らの行動はかなり危険で過激なものでした。この映画の題名にもなっているように、当時は黒人が泊れる宿泊施設や食堂、ガソリンスタンドというのが限定されているのが当たり前の時代だったわけです。

さて現在では、上の画像の映画に関して、彼らの足跡を追求しようというツアーもあるようです。

またこちらの方は、追体験をされています。すばらしいにもほどがあるブログさんですので、ぜひご覧になってください。

上のようなことが可能ということは、さすがに今では殺されないんですかね。それなら大変いいことです。

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森昌子がこんな短いスカートをはいていたというのも、なかなか感慨深いものがある(追記あり)

2019-03-27 00:00:00 | Weblog
森昌子が引退するとのことですね。記事を。リンクは下。
 
>森昌子さん引退へ 公式HPで発表
毎日新聞2019年3月25日 12時40分(最終更新 3月25日 13時12分)

 歌手の森昌子さん(60)が年内引退することが25日分かった。森さんが公式ホームページで同日明らかにした。それによると「私森昌子は2019年を以(も)って、芸能界から引退させて頂く事をご報告させて頂きます」とし、「昨年還暦を迎えるにあたり、人生の残された時間を具体的に考え始めた時に、もう少し穏やかな時間の中で、芸能活動以外の事に時間を使って人生を充実させたいと思うようになりました」と理由をつづった。【中澤雄大/統合デジタル取材センター】
 
当方別に彼女のファンとか思い入れがあるわけではありませんが、でも彼女も60歳かあとかちょっと考えます。ていうか、芸能界に復帰してからの彼女の歌って、ほとんど知らないんですが。
 
で、私がちょっと興味深く思ったのがこちらの写真です。
 
キャプションにもあるように、彼女が中学生の時の写真です。
 
うーん、彼女って、少なくとも美脚で売っていたということはないでしょうし、この時も特にそんな気もなかったとは思いますが、でもこのスカートの短さもなかなかすごいですね。まさに時代ですかね(苦笑)。
 
ところで森昌子は1958年生まれでして、ってことは山口百恵も桜田淳子も同い年ということです(山口は1959年の早生まれ)。それで、またその話かよとおっしゃるでしょうが、はいその話です。かの原田美枝子も同級生なわけです。1976年の彼女です。
 
 
 
『青春の殺人者』より。ね、スカートが短いでしょう。
 
 
出典は下のURLのツイッターより。
 
>本日の原田美枝子。『青春の殺人者』撮影現場より、水谷豊、長谷川和彦(監督)、中上健次(原作)と共に写る貴重な集合写真。
 
中上健次ってのがすごいですね。彼も亡くなってからずいぶん経ちました。
 
芸能活動のベクトルは異なりますが、同じ年齢でも、百恵は完全引退、森昌子は2度目の引退、桜田淳子は芸能界を追い出されていて、同じ年の原田美枝子はいまだにバリバリ演じているから、これもすごいですよね。彼女には歌手デビューの話もありましたが、俳優(彼女は、「俳優」という言葉にこだわっているとのこと)一本でやっていたのが彼女の場合は功を奏したということなのでしょう。
 
それにしても、やはり70年代というのは、このような短いスカートがはやっていたんでしょうね。この時代って、女性はまだまだほんとスカート姿が多いしね。パンツ主流の昨今からすると、ファッションの変化にもいろいろ考えさせられます。私が何度か揶揄ったNHKの女子アナウンサーのスカート着用率の高さってのは、やはりNHKにとっては「女性の服装は、スカートが望ましい」という固定観念があるのでしょう(と、私は勝手に考えています)。
 
なおこの記事は、gooの新しい書式で最初に書いた記事ですが、正直あんまり使い勝手はよくないですね。やっぱり旧バージョンのほうがいいか。一番上の写真は、毎日新聞の記事にあったもので、2015年のものとのことです。
 
3月29日追記:記者会見がありまして、その関係の記事をご紹介します。
 
>2019.3.28 15:11

森昌子が引退会見 「引退会見は2度目。3度目はありません」

 年内で芸能界からの引退を発表した歌手、森昌子(60)が28日、所属する東京・文京区音羽のキングレコードで会見。初めて報道陣を前に「2度目の引退ですので、3度目はございません。今はすがすがしい気分でいっぱいです。最後まで頑張ります」とユーモアをまじえて胸中を語った。 

 25日にサンケイスポーツが報じてから4日目。12月まで全国各地をまわる還暦コンサートツアーの真っ最中だが、父の常夫さんの命日にあたるこの日を会見の日に選んだ。

 父は13歳でのデビューに反対していたものの、その後は熱心に応援してくれ、2006年に75歳で死去した。06年は、歌手の森進一(71)と1986年に結婚して一時引退し、2005年に離婚。20年ぶりに歌手復帰を発表した翌日の死でもあった。

 それだけに「天国で見ている父がスケジュールを取ったのかな。こんな偶然、あるのかと思います」と亡き父への思いをつのらせ涙ぐみ、一緒に住む母、幸子さん(87)に「母がいなければ、子供3人を育てられなかった」と感謝した。

 引退を決めた理由については、改めて「残された人生を考えたときに、幼少から自分のために時間を使ったことがなくてさみしかった。これからの人生、大いに楽しんでいきたい」と説明。子宮頸がんを克服し、子供たちもそれぞれに活躍。本当は60歳を迎えた昨年いっぱいで引退したかったが、所属事務所に説得され、全国のファンに別れを告げてからと、1年先延ばししたという。

 デビュー当時から一時引退の時期も含め46年間、実の娘のように世話になった恩人のツアープロモーターが昨年7月、78歳で死去。そのことも残りの人生を考え直すきっかけになった。

 ツアーは12月まで。ファンの間からは大みそかのNHK紅白歌合戦で有終の美を飾ってほしいとの待望論が出ている。それについては「うーん、ないと思います」と照れ笑いした。

 今年に入りユーモアをまじえ「今年はいい人に出会える気がする」と話していたが、「今はいません」ときっぱり。「10年後、15年後にすてきな人が現れてお茶を誘われたら、ついていっちゃうかもしれません」とほほえんだ。

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シェムリアップ、バンコク、成都紀行(2017年12月~2018年1月)(53)

2019-03-26 00:00:00 | 旅(東南アジア―ミャンマー以外)

まずはお手洗いに行こうと思い、近くのカフェに行きます。

遊んでいる子どもの写真は外せません。

 

こんな感じです。

あ、子どもが遊んでいます。

親から怒られないように気を付けます。

上に同じ。

自転車を回収します。

自転車で次なる目的地の食堂へ向かいます。

この近辺の牛は、この白い牛しか見かけませんでした。

自転車で空港方面へ走ります。

牛はそこら中にいます。

空港へ向かいます。

はじめ何商っているのかなと思いましたが、燃料のようですね。ガソリンスタンドは見かけませんが、こういう燃料売店はそこら中にあります。

ポルポト時代は、こんなところで強制労働させられていたのだと思うと胸が痛みます。

空港まで近くなりました。

右に曲がります。

家畜がうろうろしています。

さらに走ります。

(つづく)

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シェムリアップ、バンコク、成都紀行(2017年12月~2018年1月)(52)

2019-03-25 00:00:00 | 旅(東南アジア―ミャンマー以外)

それにしてもこういう巨大な遺跡を見ると、やはりそのすごさに圧倒されます。私もだいぶ、こういうものは見慣れているつもりではあるのですが、やはりアンコールワットは別格ですね。

ハイヒールでこういうところを歩いてはいけませんね。

腹も減ったので、そろそろ出ることとします。

なかなかいいでしょう。

暑い中をてくてく歩きます。

あ、猿がいました。

アンコールワットで猿がごみをあさるというのは、わりと有名な光景の模様です。

日航には昨今行っていないので、こんなまじかで猿を見かけた記憶がないですね。

わかりにくいでしょうが、奥に猿がいます。

近くで見る猿も、なかなか生々しいものがあります。

敷地を離れます。

橋を渡ります。

自転車に再び乗ります。

(つづく)

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「第39代ミスはこだて」のお二人とまた逢った(彼女らと逢えるのも今回が最後)(世永なつきさん編)

2019-03-24 00:00:00 | 美女探求

さて時と場所が前回の記事から変わり、3月22日に渋谷の東急百貨店東横店へ行きました。開店前です。上の写真にある世永なつきさんが来店するので、彼女とまた写真を撮ろうと考えるわけです。

それで開店と同時にエレベーターに乗り、景品の列に並んだのですが、これが地方デパートだと押すな押すなのすごい行列ですが、さすが渋谷の百貨店とその客はクールです(苦笑)。逆に実に景品がはけない(苦笑)。このあたりは、首都のしかも渋谷にあるデパートはちがいますね(て書いたらやっぱりまずいですかね?)。

それで景品を配っている彼女の顔を見ながら景品をもらったのですが、田中さんと違って彼女は表情を変えませんでしたので、私のことは覚えていなかったみたいです。まあしょうがないですが。

彼女が全部景品を配り終えてから写真撮影を頼むつもりだったのですが、なかなか終わらないので、ちょっとこの日は時間に余裕がなかったので、これ大丈夫かなと不安になりました。が、ようやく配り終わりました。あらかじめスタッフの人にお願いをしておきましたので、あらためて写真撮影を頼みます。

私「写真一緒に大丈夫でしょうか?」

スタッフ「はい、大丈夫です!」

この日は、これから仕事もあるのでネクタイを締めていました。が、平日のこんな時間にネクタイを締めて百貨店の物産展に来ているようなもの好きは、私くらいでした(苦笑)。だいたいネクタイも曲がっちゃっているじゃないかよ。

それで彼女に、1枚写真を撮らせていただきたいと頼んで、承諾を得ました。せっかくなのでチラシを持ってもらいます。

このあたり、田中さんよりうまいという気がします(笑)。

私「どうもありがとうございます。今回が最後のお仕事ですか・・・?」

世永さん「はい、物産展はこれが最後です」

どうやら、田中さん同様、これ以降も仕事が入っているようですね。依頼が増えたのかな? どちらにせよ私が行けるのは、ここが最後です。

私「そうですか。お仕事でお忙しいところ、1年間本当にお疲れさまでした」

世永さん「ありがとうございます」

私「何回かいっしょに写真撮ったんですけどね」

世永さん「(笑)」

ちょっと彼女の記憶には、私はなかったようです(苦笑)。田中さんの時みたいにやたら自分をアピールしたわけではないしね。

それで例によって図々しく握手をします。私もひどい人間です。いずれにせよ、大変機嫌よく仕事に行くことができました(笑)。私も単純な人間です。

ところでこの物産展で買ったものを昼食にしました。

懐具合がよろしくなかったので一番安いものを買いましたが、大変おいしくいただきました。読者の皆さまにもおすすめします。

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「第39代ミスはこだて」のお二人とまた逢った(彼女らと逢えるのも今回が最後)(田中樹里さんの巻)

2019-03-23 00:00:00 | 美女探求

「ミスはこだて」は、毎年2名が、4月~3月の年度で活動をします。再任はありません。というわけで、第39代のお二人、田中樹里さんと世永なつきさんとお会いできるのも、今月までです。例年彼女らは、水戸市の京成百貨店と渋谷の東急百貨店東横店の物産展で卒業します。これは、どちらも足を運ばないといけません。

例年彼女らは、初日と2日目まで来場するので、水戸が20日と21日、渋谷が21日と22日に来場するであろうと私は予測しました。21日春分の日は鉄板で外せない仕事があるので、20日と22日に彼女らに会いにいくことにしました。

水戸へは、青春18きっぷで参上しました。私も好きな人間です。ここへは、世永さんが秋に来て、その時彼女と一緒に写真を撮りました。同じ場所へ年度につき2回派遣されるのは、こちらだけです。例年(当然といえば当然ですが)別々の人が行くので、春は田中さんが来るのだろうなと思いました。で、やはりそうなりました。田中さんとは、昨年10月末に顔を合わせて以来、5か月弱ぶりです。

先着150人に景品が配られるので、私も当然並びます。私の番が来た時、彼女が私を覚えているかは微妙かなと思ったのですが、私が彼女の顔を見て柄にもなく微笑むと、彼女は言いました。

田中さん「あ! お久しぶりです!」

前回彼女は、私が大要金沢でも一緒に写真を撮ったという話をしたところしばらくして

>あの、金沢思い出しました!

言ってくれました。私は、このセリフは、リップサービスである可能性8割~9割と考えますが、今日は向こうの方から言ってくれたので、ほんとに私のことを覚えていくれていたんだなと思えました。もっとも覚えてくれるように、川越でかなり無理やり私が自己アピールしたのですが。

景品です。

この時は景品を配っていたので、彼女と話をする時間がなかったので、落ち着いたらまた話しかけようと思いました。が、この時はややタイミングを外してしまい、彼女が違うところに去ってしまいました。しょうがないので、チーズの入ったソフトクリームや昼食を買って食べたりして、また現れるのを待ちます。ちなみにこの日私が食べたのは、

 チーズが濃厚でした。

カニですね。

こちらもおいしくいただきました。実はこの日は、浦和にあるサッカーの興梠のローストチキン屋(3/18開店)に行ってみようかと考えていたのですが、これを食べたのでやめました。また後日行くことにします。食べたら記事にします。

それで彼女がまた現れるのを待って、ついに現れたので、すかさずスタッフに声をかけます。

私「『ミスはこだて』の方と写真を撮れるでしょうか?」

スタッフ「あ、どうぞ!」

というわけでまたツーショット写真を撮ります。彼女と一緒に写真を撮ったのは、これが4回目です。これは、ほかにあまりいないんでしょうね、きっと。

私「お顔の写真も撮らせていただきますか?」

田中さん「あ、大丈夫です」

というわけで写真を撮ります。写真は再掲です。

私「ありがとうございます。今回が、最後のお仕事ですよね?」

田中さん「いえ・・・青森でまだあります」

私「そうですか・・・。そちらはちょっと顔を出せませんので、今回が最後になりますが、これからもがんばってください」

田中さん「ありがとうございます!」

私「『函館新聞』に載っていましたが(下の参考記事参照)地元の女子高校生と英会話の交流をされたそうですけど、ぜひこれからも続けてあげてください」

田中さん「はい、そうしたいと思います!」

以下、なぜか英語で。

私「To tell the truth・・・(続きは面倒なので日本語で表記)私は英語を話すのが得意でないので、英語で話せないんです。とても残念です」

私が突然英語で話はじめたので、彼女もちょっと戸惑ったみたいでしたが、英語で返してくれました。こういうことにも付き合ってくれて、親切な女性です。

田中さん「いえ、英語とてもお上手ですよ」

私「そうですか? それはうれしく思います。握手していただきます?」

と言って握手を求める図々しい私。過去、ジェーン・バーキンや川原亜矢子、栗山千明、道端ジェシカといった有名人から無名の人たちその他ずいぶんいろんな女性と握手しましたが、彼女との握手も格別な想いがありました。

私「ではお元気で!」

田中さん「あなたも!(You too!)」」

無理して仕事休んで(代休ですけど)会場へ来てよかったと思いました。田中さん、これからも頑張ってください。

(次回へ続く)

参考記事

>ミスはこだての田中さんと英語交流 遺愛女子高英語科5人

2019年2月7日 3時00分

 遺愛女子高校(福島基輝校長)英語科2年生5人と第39代ミスはこだての田中樹里さんが6日、同校で交流会を開いた。田中さんは英語圏のオーストラリア出身で、生徒の語学力の向上につなげようと実施。英語で“ガールズトーク”に花を咲かせた。
 同科は外国客船の函館入港時に通訳などのボランティア活動をしている。オフシーズンの冬期はさらなる語学の研さんの場を増やそうとさまざまな交流会を実施している。田中さんはシドニー出身で21歳まで過ごし、2017年に母の古里の函館に来て、現在は北海道国際交流センター(HIF)に勤務する。
 自己紹介後に英語でフリートークを行い、話の中では好きな動物や映画、普段の生活など多岐にわたって会話を楽しんだ。生徒は昨年行われた豪華客船乗船での語学研修の内容などについても詳しく話し、田中さんから質問が寄せられると、笑顔で返答していた。
 田中さんは「楽しかった」と笑顔。参加した中川愛さん(17)は「優しくて気軽に話す#mce_temp_url#ことができた。この経験を今後の活動に生かしたい」と話していた。(小杉貴洋)

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シェムリアップ、バンコク、成都紀行(2017年12月~2018年1月)(51)

2019-03-22 00:12:47 | 旅(東南アジア―ミャンマー以外)

少なくとも、右の3人はきょうだいですかね。右端の子と左から2番目の子、よく似ています。

こういう彫刻もありますから油断ができません。

また建物に入ってみます。

疲れて休んでいる観光客もいるわけです。

ハイヒール禁止の表示がありますね。

なかなかいいでしょう。

どういう意味合いなんですかね。

なかなか絵になる光景。

 なかなかいい彫刻です。

 そろそろ次なる目的地へ向かいます。

(つづく)

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