ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

1974年の松田優作主演の映画を観ていて、まさに桐島聡容疑者(故人)らが事件をやらかした時代から大変な時間が経過したことを痛感する

2024-01-31 00:00:00 | 映画

Amazon Primeで、松田優作の映画初主演作である『あばよダチ公』(1974年11月公開)が無料配信されていたので観てみました。私特に松田ファンだと自分のことを考えていないのですが、やっぱりファンなのかな。なおこの映画の無料配信は、すでに終了しています。

ストーリーは、刑務所から出所したばかりの松田が、いろいろな仲間(佐藤蛾次郎河原崎建三大門正明)とたまたま転がり込んだ女の子(当時東宝に所属していた加藤小夜子。映画は日活制作)と組んで、いかがわしい金儲けをしようとする映画です。

全くどうでもいい話ですが、松田は刑務所から出所したばかりという設定ですが、長髪です(苦笑)。これおかしくね?

そんな話はともかく。この映画は、実際の撮影が行われたのが、74年の夏かと思われます。監督の澤田幸弘氏は『太陽にほえろ!』、『大都会』、『探偵物語』などで松田と関係がありました。また前にご紹介した日活児童映画の『ともだち』(1974年)も監督していまして、この映画には松田もちょびっと顔を出しています。この『あばよダチ公』に『太陽にほえろ!』で刑事役として松田と共演した下川辰平が刑事役(苦笑)で出演していまして、下川氏は『ともだち』にも顔を出していました。これも全く余談ですが、下川氏は萩原健一主演の『青春の蹉跌』にも刑事役に出ていまして、これは観客サービスの意味合いがあるのでしょうね。

情報(松田優作の駆け出し時代出演作にして、原田美枝子のプレデビューの映画である日活児童映画が、DVD化されていた)(追記あり)

この映画のスタッフや出演者らも、その多くは亡くなっていたり活動はしていません。松田、佐藤、下川、郷鍈治初井言榮悠木千帆樹木希林)といった出演者はすでに亡くなっていますし、沢田監督、脚本の神波史男らもこの世の人ではありません。ヒロインの加藤も、山西道広(松田の盟友)、砂塚秀夫も芸能界を去っています。今年(2024年)で公開から半世紀ですから、それも当然の話。

ところで長きにわたって指名手配中だった桐島聡容疑者を名乗る人物(現段階確認できていないので「名乗る」としか書けません)が入院中の病院で亡くなったとのこと。記事を。


桐島聡容疑者と名乗る人物 死亡を確認 入院先の病院で
2024年1月29日 8時44分 

1970年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして指名手配された「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)と名乗る人物が、29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡したことが捜査関係者への取材でわかりました。この人物は胃がんを患い、ことしに入ってから入院していて、警視庁がDNA鑑定などで確認を急いでいました。

昭和49年から翌年にかけて過激派の「東アジア反日武装戦線」が起こした連続企業爆破事件のうち、昭和50年4月に東京・銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件に関わったとして、メンバーの桐島聡容疑者が爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていました。

1月25日、桐島容疑者を名乗る人物が神奈川県内の病院に入院しているという情報が警視庁に寄せられ、DNA鑑定などで確認を急いでいましたが、29日朝、死亡したことが捜査関係者への取材でわかりました。

この人物はこれまでに「最期は本名で迎えたい」などと話していたほか、事件当時の詳しい状況なども説明していたということです。

警視庁は、桐島容疑者本人の可能性が高いとみて、引き続き確認を進めるとともに、これまでに話した内容を精査することにしています。

桐島容疑者の直接の手配容疑は、1975年に発生した韓国産業経済研究所の爆破によるビル損壊容疑ですが、実際には74年12月に起きた鹿島建設爆破事件から仲間の逮捕直前(75年5月4日、仲間の逮捕は同月19日)に発生した間組京成江戸川橋工事現場爆破事件まで活動をしています。ほぼ同じ活動をした黒川芳正宇賀神寿一がそれぞれ無期懲役、懲役18年の刑が確定していますので、たぶん桐島容疑者が逮捕されてもそれくらいの判決だったかと思われます。なお宇賀神氏は、7年間の逃亡ののち82年に逮捕、90年に懲役18年の刑が確定、2003年に釈放されています。黒川受刑者は、宮城刑務所に収監されているとのこと。

同時代に活動した新左翼政治活動家の大物としては、日本赤軍のトップだったかの重信房子女史は、2000年に逮捕、2010年に懲役20年が確定、一昨年22年に刑期満了で釈放されています。彼女は1945年生まれで、1954年1月9日生まれの桐島容疑者よりはだいぶお姉さんではあります。

つまりは、長きにわたって身柄を拘束されなかった人物が逮捕されて長期刑を宣告されて釈放された後に、ようやく彼は逮捕でなく自首のような形で自らお尋ね者であることを名乗ったわけで、当たり前ですが、半世紀という年月は長いですね。彼が追及された時の首相は三木武夫です。ほんとすごく長い時間がたったわけです。

1974年に公開された『あばよダチ公』を観ていますと、出演者の髪形といい服装といい街の風景といい、あるいは街における政治情宣活動(右翼団体らしき組織が錦糸町の駅前でアジ演説をしています)の様子といい、当然ながら「今とは全然違うな」です。

警察から公表されている桐島容疑者の写真は、1973年撮影とのことで、19歳のものですが、どうも現在はだいぶ容姿が変わっているらしい。長髪の笑顔の写真です。彼が自首みたいな形で名乗らなければ、たぶん官報に「行旅死亡人」として掲載されてお終いだった可能性が高い。警察も、彼の指紋などのデータがなかったので捜査も困難だったのでしょう。「49年間の逃亡生活」という記事の中でinti-solさんは、


それが事実であれば、逮捕されても死刑や無期懲役はなく、十数年程度の懲役刑だったことが予想されます。早々に逮捕されていれば、早々に刑期満了で釈放されていたかもしれません。

とお書きになっています。私の勝手な想像ですが、警察も逮捕がいちばんできる時期を逃したし、桐島容疑者も「自首しようかな」と考えた瞬間が全くないということもないのかもですが、彼も自首をするタイミングを逃したのかもしれませんね。わかりませんが。桐島容疑者にも、家族や政治活動以外の仲間や友人もいたわけですが、そして彼(女)らとの関係を断ち続けるのが桐島容疑者にとっても非常に心苦しいものであることは間違いないところでしょうが、いろいろな意味で、彼としては自ら出頭するということはできなかったのでしょう。

ところで桐島容疑者の親族は、彼(と思われる人物)の遺体引き取りを拒否しているとのことですね。記事を。動画も。

親族は遺体引き取りを拒否 桐島聡容疑者(70)とみられる男|TBS NEWS DIG


親族は遺体引き取りを拒否 桐島聡容疑者(70)とみられる男

TBSテレビ
2024年1月30日(火) 11:38

過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者と名乗った男がきのう入院先の病院で死亡しましたが、桐島容疑者の親族が、男の遺体を引き取ることを拒否していることが新たにわかりました。

捜査関係者によりますと、桐島聡容疑者(70)とみられる男は末期の胃がんを患い、今月中旬、「内田洋」の名前で神奈川県鎌倉市内にある病院に入院していましたが、きのう死亡しました。

その後の捜査関係者への取材で、桐島容疑者の親族が男の遺体を引き取ることを拒否していることが新たにわかりました。

捜査関係者によりますと、桐島容疑者は過去に逮捕されたことが無く、警察のデータベースに指紋やDNA型が登録されていないということです。

警視庁は桐島容疑者の複数の親族からDNA型の提供を受け、男のDNA型との照合を慎重に進めていて、男が桐島容疑者と特定された場合、容疑者死亡のまま書類送検する方針です。

こちらも。


桐島聡容疑者の親族は心境複雑「ポスター見るたび嫌な思い」「偽名のままでよかったのに」
[2024年1月29日21時43分]

連続企業爆破事件を巡り指名手配されていた過激派桐島聡容疑者(70)を名乗る男が死亡した。身元は警視庁が確認中だが、男の勤務先だった工務店近くの人からは「事件の経緯を知る機会が失われてしまった」「逃亡生活をどう過ごしたのか」との声が聞かれた。親族は「(指名手配の)ポスターで顔を見るたびに嫌な思いをしてきた」と複雑な心境を明かした。

親族はこれまで、桐島容疑者との関係を周囲から問われることがたびたびあったという。「50年も逃げ続けたのなら偽名のままでよかったのに」と語気を強めた。

男が入院していた神奈川県鎌倉市の病院前は29日、多くの報道陣が集まるなど騒然とした雰囲気に。1974年に「東アジア反日武装戦線」が起こした三菱重工ビル爆破事件で知人がけがをしたという病院近くに住む無職の男性(73)は「事件当時は目的は何だったのだろうと思った。最後は正直に話したかったのか。見つかってからあっという間だなと思った」。

男が数十年にわたって住み込みで勤務していた神奈川県藤沢市の工務店は同日午前、軽トラックなどが止まったまま静まり返っていた。近くに住む60代の女性は「亡くなったと聞き驚いた。どういった心境の変化で最後に本名を名乗ろうと思ったのか知りたかった」と話した。

入院直前、体調を崩し路上でうずくまっていた男の救助に携わった近所の60代男性は「悪いことをしたのかもしれないが、被害者ではない自分が恨む気持ちはない。想像を絶する生活だったんだろう」と逃亡生活に思いをはせる一方、「もっと早く名乗り出て裁判を受け、罪を償うべきだった」と語った。

桐島容疑者の高校時代を知る広島県の70代男性は「おとなしくまじめそうな印象。亡くなる前に名乗り出たのだとすれば、事件や逃亡生活へのざんげの気持ちがあったのでは」と推察した。(共同)

動画からのスクリーンショットが下の写真です。2012年9月の撮影とのこと。

1974年の写真に似てはいますが、いくら日本中に手配書がはられているとはいえ、やっぱりわかりませんよね、とても。下は、NHKの記事より。

ついでなので記事も引用しておきます。


桐島聡容疑者を名乗る人物 「一人でいた」「後悔している」
2024年1月30日 18時50分 

1970年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして指名手配された「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)を名乗り、29日入院先の病院で死亡した人物が、警視庁の聞き取りに対し、誰からも支援を受けることなく「一人でいた」と話していたことが、捜査関係者への取材で分かりました。

警視庁は、DNA鑑定などで確認を急ぐとともに、詳しい生活の実態を調べています。

過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、1970年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして、爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていた桐島聡容疑者(70)を名乗る人物が、今月25日、神奈川県内の病院に入院していることが分かり、警視庁がDNA鑑定などで確認を進めていましたが、29日死亡しました。

この人物は、「内田洋」という名前でおよそ40年前から生活していたとみられていますが、警視庁の捜査員の聞き取りに対し、誰からも支援を受けることなく「一人でいた」と話していたことが、捜査関係者への取材で分かりました。

携帯電話や本人証明書なども所持していなかったということです。

また、一連の事件についての認識を聞いたところ、「後悔している」と答えたということです。

海外への渡航歴も確認されていないということで、警視庁は、DNA鑑定などで確認を急ぐとともに、この人物が本人だった場合、実際に支援者がいなかったかどうかなど、詳しい生活の実態を調べています。

25年前から通っていたというバーの店長は
桐島聡容疑者を名乗り、29日に入院先の病院で死亡した人物は、神奈川県藤沢市で生活していたとみられていて、この人物が通っていたバーの50代の男性店長によりますと、「内田洋」と名乗る人物が、25年前からこの店に通っていたということです。

店では、自分が働いている土木関係の会社の名前を出したうえで、「その前には横浜の港湾で働いていた」とか「実家は岡山だが家族とはつながりがない」などと自分について語ることもあったといいます。

店長とは一緒に近くの銭湯に通ったり、誕生日にプレゼントをもらったりするなど交流があったといい、店では周りから「うーやん」と呼ばれていたということです。

また、20年ほど前には、「居酒屋で知り合った20歳くらい年下の女性と結婚したい」と周囲に打ち明けたこともあったといいます。

最後にこの店に来たのは1年ほど前だったということで、店長は「『うーやん』と桐島容疑者は自分の中では別人。まさかあのような事件を起こすような人物とは思っていなかった」としたうえで、「最期に本名を名乗るなんて、ずるい人だと思った。やはり一連の事件の遺族に対しては謝罪してほしかった」と話していました。

ご当人「後悔している」とのことですが、それはそうでしょうね。彼はほぼ完ぺきな逃亡をしたわけですが、それは当然様々ことを捨てることと表裏一体なものでした。それは、親族との関係もそうでしょう。親族もそうとう迷惑を受けたようですからね。なかなか遺体が引き取られるということにはならないでしょうね。無縁仏として、どこかに埋葬されるのでしょう。死の直前に自分の正体を告白したのは、桐島容疑者の人生最後の迷惑がけでありわがままだったのでしょう。彼だって、黙っているほうが自分の周囲に迷惑にならないくらいの判断はついたはず。

桐島容疑者のご冥福を祈ってこの記事を終えます。なお松田優作の映画は、のちのようなハードアクションを想像するとかなり戸惑います。おもしろいけどね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どんな極悪人であろうと医療措置を受ける権利くらいはあるし、拘禁する側にも医療措置をする責務くらいはあるだろう

2024-01-30 00:00:00 | 社会時評

inti-solさんの記事より。

たまには正しいことも言うね

最初にこの記事が引用されています。

ホリエモン 京アニ事件で死刑判決の青葉被告に「治療は不要だった」派への持論が「ご指摘の通り」と賛同の声

ちょうどこんな記事も配信されています。初公判の際のもの。

全身93%やけど青葉被告を治療...元主治医「司法の場に出すため生かさないといけない」

青葉被告を治療した医者は、複数のメディアの取材に応じ、同じようなことを語っていますね。この医者が、司法の場うんぬんの発言をするのは、当然予想される大要「あんな奴の治療なんかする必要ない」という主張への反論という意味合いがあるかと思います。そういうことは理解しますが、私としては単純に「治療の必要がある患者だから治療する」でいいと思います。司法とか裁判とかの問題は、その後の問題です。別に死刑囚や死刑確実な被告人、被疑者、あるいは執行直前の死刑囚であっても、医療措置が必要であれば医療措置をするということでしかないでしょう。

たとえば三菱銀行人質事件の犯人(行員2名、警官2名を射殺)である梅川昭美は、特殊部隊によって銃撃されて病院に救急搬送、朝撃たれて夕方に死亡が確認されました。梅川自身死刑は間違いないと人質に語っていたくらいですが、やはり撃った直後に生きていれば、それは救命措置をしないわけにもいかないでしょう。

ヘルマン・ゲーリングニュルンベルク裁判で死刑が宣告され、執行の直前に外部から持ち込まれた青酸カリで自殺しました。彼の異変を知った看守はすぐに医者に連絡、医者も飛んできましたが、死を確認しただけでした。これだって救命の可能性があればもちろん医者もそれ相応の措置をしたはずです。どうせ処刑する予定なのだから医療措置は必要ないなんてことにはならない。

死刑囚は、そもそも健康であることを要求されますし、精神がよろしくない死刑囚に対しては執行を見送ることもあります。ピアノ騒音殺人事件の犯人である大濱松三死刑囚が、1975年に死刑判決となり、控訴中の77年に控訴を取り下げたにもかかわらずいまだ死刑が執行されていないのは、彼の現状がつまびらかでないので理由は不明ですが、おそらく心神喪失状態であるのではないかと考えられます。大島渚監督の『絞死刑』にもあるように、心神喪失状態の人間に対しては、死刑の執行はできないことになっています。

あるいは日立妻子6人殺害事件の犯人は、起訴後に警察拘留中に肺高血圧症によって倒れ、心肺停止になりましたが、これも必死の救命措置でなんとか救命されました。ただし記憶が欠落し、犯行時の記憶がない状況です。これだって、どうせ死刑確実だから救命しなくていいというものでもないでしょう。ご当人現在死刑判決を受けて上告中の身分です。

ゲーリングの話をしたので思い出しましたが、東条英機はGHQによる逮捕指令がでた1945年9月11日に拳銃自殺をはかりましたが未遂となりました。この時も米軍は、積極的に東条(東條)を治療しています。彼を殉教者にしたくないという思惑があったようですが、ともかく死刑はまず動かないと思われる人物に対してだって、やはり治療はするわけです。そして東条は刑死しました。

もっともそういうことを言い出すと、京都アニメーションの被告人は、自分でしでかした放火で重度のやけどをしたわけで、そういう点ではやや特異な事例ですが、それだって治療をしなくていいというものでもないでしょう。inti-solさんもご指摘のように、


ストーカー殺人で、被害者を殺すと同時に自らも自殺、という事例は過去に複数あったように思います。その際も、ものすごく後味の悪さを感じましたが、北新地の放火事件は、犠牲者が一人ではなく桁外れに多かっただけに、後味の悪さ、理不尽な感覚は強かったです。

ということだと思います。逗子ストーカー殺人事件はその一例です。

なおこの記事は、inti-solさんの前掲記事を参考にしました。お礼を申し上げます。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『噂の真相』で連載をしていた人たちも、亡くなるようになってきた(高橋春男氏の死に寄せて)

2024-01-29 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

小田嶋隆氏がお亡くなりになった際(2022年6月)次のような記事を書きました。

小田嶋隆氏の死を知り、やはり酒が彼の寿命を縮めた可能性があると思った

この記事は、現在でもちょいちょい読んでいただいています。それで、先日次のようなニュースを知りました。


漫画家の高橋春男さん死去 「いわゆるひとつのチョーさん主義」
2024年1月15日 21時30分

 漫画「いわゆるひとつのチョーさん主義」などで知られる漫画家の高橋春男(たかはし・はるお)さんが12日、死去した。76歳だった。葬儀は家族葬で営む。喪主は長男遥さん。

 時事風刺漫画を得意とし、長嶋茂雄さんをモデルとした主人公が登場する「いわゆるひとつのチョーさん主義」を週刊文春で長期連載した。同作で84年に文芸春秋漫画賞。ほかに「大日本中流小市民」「GOGO虎エ門」など。

高橋春男氏というと、あの独特のイラストと筆致はだいぶ好き嫌いのわかれるところでしょう。イラストは好きでしたが、のんきげなイラストと相反するかなり毒のある文章が私にはわりとハードでした。私は、「いわゆるひとつのチョーさん主義」も、たまには読んでいましたが、定期的に読んでいたのが、「噂の真相」で連載していた『絶対安全地帯』です。

高橋氏は1947年生まれということで、バリバリの団塊の世代です。なんとなくもっと若い人かなと思っていましたが、けっこうお年を召していたんだなと思いました。なお小田嶋氏は1956年生まれ。もっとも昨今高橋氏は、現役を退いていたようですが。

で、これはだいぶ旧聞になりますが、かの宅八郎氏も、2020年に亡くなっています。57歳とのこと。氏の場合8月にお亡くなりになり、その逝去が12月に弟さんにより公表されました。いろいろトラブルメーカーだったのでご身内もいまさら・・・という考えもあったようですね。そして彼は、『噂の真相』の連載も、トラブルで打ち切りになってしまいました。

これは連載中の死ですが、ナンシー関も、1990年から『噂の真相』に連載を開始、タイトルを変えながら亡くなる2002年まで連載を続けました。なお宅氏とナンシーは、同じ1962年生まれです。宅氏がどういう生活だったかは存じ上げませんが、ナンシーについては、彼女が心臓疾患で急死した際、私は正直「あんな体格でテレビばっか見てあんな文章ばっか書いているから早死にしたんだ」と思いました。Wikipediaによれば彼女は、ショートピースを1日に20本から30本も吸っていたそうであり、それじゃ長生きなんかできるわけがない。

すみません、言葉が過ぎました。ナンシー嫌いなんで。

それはともかく、やはり『噂の真相』も休刊になってから今年で20年(2004年4月号で休刊)なので、元連載執筆者が亡くなりだす、そういう時期になったということなのでしょうね。編集長兼発行人の岡留安則氏も2019年に亡くなっています。

これは余談ですが、私は岡留氏と1度話をして握手をしたことがあります。また『噂の真相』に2回投書をして、2回とも採用されました。これって自慢になりますかね? 当方の個人情報保護のため、掲載号ほかはお伝え出来ませんことをご了解ください。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都や関西の紅葉ほかの旅(2023年11月)(15)(Day3-9)

2024-01-28 00:00:00 | フォトログ

紅葉見物を続けます。

公園でくつろいている人たちも外国人が目立ちました。

桂川もいい川です。

写真を撮りながら箸を渡ります。

この日は曇りだったので、寒々とした雰囲気でした。

水鳥が印象的です。

渡月橋を思いっきり多数撮影してしまいました。

人力車も大活躍です。着物を着ている人たちの多くは、海外からの観光客です。

(つづく)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都や関西の紅葉ほかの旅(2023年11月)(14)(Day3-8)

2024-01-27 00:00:00 | フォトログ

次なる目的地に向かいます。

京都らしい建物です。

京都に行くと、ほんといつも政党のポスターがべたべたそこら中に貼ってあるのが印象に残ります。

京阪とJRが並行します。

本日は京阪に乗ります。

本日は昼食を「東華菜館」でいただく所存だったのですが、遺憾ながら金がなくなったので違うものを食べることとします。

近くの「すき家 四条店」で食事をとります。だいぶスケールが小さくなります。なおこのチーズ入りの牛丼はうまい。

阪急電鉄に乗り、桂駅で乗り換えます。

嵐山線に乗り換え、嵐山駅に着きます。

お手洗いを済ませ、外に出ます。

紅葉を見学します。

桂川です。

渡月橋です。

外国の人が多数です。

旅はまだまだこれからです。

(つづく)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつものこととはいえ、まったくどうしようもない(札幌の教員の窃盗ほか)

2024-01-26 00:00:00 | 社会時評

いつものことですが・・・。


中学校の先生が校内の備品を盗み出す「ギャンブルなどに使う金を得るため盗んだ」プロジェクターやデジカメをリサイクルショップに売り飛ばす 警察は余罪追及
事件・事故2024年1月23日20:00

 札幌市豊平区の羊丘中学校の教師が、校内の備品を盗んだとして逮捕されました。

 「ギャンブルに使う金を得るためだった」と話しています。

 窃盗の疑いで逮捕されたのは、札幌市立羊丘中学校の教師、羽生大志容疑者(29)です。

 羽生容疑者は2022年秋から2023年末にかけて、校内にあったプロジェクター2台とデジタルカメラを盗んだ疑いがもたれています。

 学校からの通報を受け警察が捜査し、羽生容疑者が盗んだプロジェクターなどを市内のリサイクルショップに売っていたことなどが分かり、容疑を固めました。

 調べに羽生容疑者は「ギャンブルなどに使う金を得るため学校の物を盗み金にした」と容疑を認めています。

 校内では2023年秋ごろから現金が無くなる事案が起きていて、警察は今後余罪も捜査することにしています。

いまどきプロジェクターやデジカメがそんなに高価でで売れるとも思いませんが、どうなのか。ただ学校での現金も窃盗しているとなると、額はわかりませんが、これはかなり悪質ですね。それで私が思い出すのがこちらの拙記事です。

(そのような人間はたくさんいるとはいえ)地元でない自治体における自分への期待に負けたか?(福井県職員の着服)

昨年4月発表の記事ですが、現在でもちょいちょい読んでいただいているようです。

上の記事で扱った件では、福井県立高校の事務職員だった男性が、(理由はともかく)オンラインのギャンブルで1500万円を着服して懲戒免職になっています。が、札幌の教員は、いきなり逮捕ですか。これから懲戒免職になるのでしょう。弁済できない額ではないとおもいますが、悪質さが際立っているという判断だったか。

で、いつもの結論ですが、ギャンブルって怖いねです。同じ教員の、もちろんこちらの方がはるかに悪質ではありますが、殺人までしでかした事件も、教員は競馬にはまっていたという情報もあります。また投機性の高い投資もしていたらしい。それでその件に関する記事を。


その後、尾本容疑者には投資やギャンブルで数百万円の借金があり、カネのやりくりに窮していたことが明らかになっている。小松川署は「金品窃盗目的で住宅に侵入した尾本容疑者が、帰宅した住人と鉢合わせになって犯行に及んだ」とみている。

 それにしても、投資やギャンブルをやめることができず、窃盗どころか殺人まで犯してしまう容疑者の心理とは、いったいどのようなものなのか。投資やギャンブルをはじめとする依存症に詳しい、心療内科医が解説する。

「投資やギャンブルでたまたま大儲けしたりすると、脳内薬物とも言われるドーパミンが大量に放出され、脳内にある『報酬系』と呼ばれる部位が強く刺激されます。ドーパミンは強烈な快感や多幸感をもたらす神経伝達物質で、快楽経験を何度か繰り返すうちに、その甘美な記憶が脳の奥底に刻み込まれていくのです」

 ところが、快楽の赴くままに投資やギャンブルを長く続けていると、脳内にある報酬系はドーパミンの刺激に対して次第に鈍感となり、それまでのような強烈な快感や多幸感を得られなくなっていく。心療内科医が続ける。

「これは神経順応による報酬欠乏症と呼ばれる深刻な状態で、多くの場合、かつての快楽経験を追い求める『報酬系依存症』に陥っていきます。報酬系依存症は薬物依存症と全く同じで、借金で首が回らなくなっても投資やギャンブルをやめることができず、窃盗や強盗、場合によっては殺人にも平然と手を染めることになるのです」

 この心療内科医によれば、犯罪者になるか否かは「どうしてやめられないのだろう」と感じた時点で、専門医に相談できるか、にかかっているという。

ほんと、この心療内科医の語る


犯罪者になるか否かは「どうしてやめられないのだろう」と感じた時点で、専門医に相談できるか、にかかっているという。

に話はつきると思いますね。犯罪をする前の時点で引き返せればいいのですが、戻れなくなってしまう人もいるわけです。上の記事の教員は死刑にはならないでしょうが、ギャンブル依存症により重大犯罪を犯して死刑になった人間も少なくない。

帚木蓬生氏は、小説家兼精神科の開業医ですが(最近(2023年)開業医を引退されたとのこと)、ギャンブル依存に詳しい人です。実は私も、氏のギャンブル依存関係の本を読破し、あらためてギャンブルの怖さを再認識しました。というわけで私はギャンブルはしません。が、ギャンブルを禁止するというのも、売春と同じで現実性はないので、ここは上の心療内科医の金言で、やばくなったら犯罪をする前に医者に相談しようです。世間を騒がす殺人とまではいかずとも、横領とか着服をやらかす人間は、そのかなりの部分がギャンブル関係で犯罪に手を染めた人のはず。人間そうでもなければ、そんなに金を必要としません(あとは、恋愛関係か)。

いずれにせよギャンブルに限らず依存症は本当に怖い。ならないに越したことはないし、危険なら医者にすぐとびこみましょう。損をするのは自分です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族間殺人の最悪のケースではないか(放火というのも、自分の人生のリセットの意味合いがあるのだろう)(同日の追記あり)

2024-01-25 00:00:00 | 社会時評

本日は、こちらの記事を。


小学生兄弟死亡の稲美町放火事件 被告・伯父の裁判員裁判、25日に初公判
2024/1/10 19:34

 2021年11月に兵庫県稲美町の民家が全焼し、小学生の兄弟2人が死亡した放火事件で、殺人と現住建造物等放火の罪で起訴された兄弟の伯父、松尾留与被告(53)の裁判員裁判の初公判が今月25日に開かれることが、神戸地裁姫路支部への取材で分かった。

 起訴状などによると、松尾被告は21年11月19日深夜、同町岡の木造2階建ての自宅で、布団にガソリンをまいた上に火を放って全焼させ、就寝中だった当時小学6年の松尾侑城君(12)と同1年の眞輝君(7)を殺害したとされる。

 松尾被告は同年12月から約7カ月間、精神状況などを詳しく調べるため鑑定留置された。その後、22年7月に神戸地検姫路支部が同被告を起訴していた。

 同支部などによると、2月15日に判決が言い渡される予定という。

もうひとつ


「極刑以外ない」癒えない両親の悲しみと憤り 稲美町放火殺人事件 25日に初公判
2024/1/24 17:35
高田 和彦

兵庫県稲美町で令和3年11月、民家が全焼し住人の小学6年、松尾侑城(ゆうき)君=当時(12)=と同1年、真輝(まさき)君=同(7)=の兄弟2人が死亡した事件で、殺人と現住建造物等放火の罪に問われた2人の伯父で無職、松尾留与(とめよ)被告(53)の裁判員裁判の初公判が25日、神戸地裁姫路支部で開かれる。公判を前に2人の両親が、癒えない悲しみと被告への憤りを語った。

事件は3年11月19日深夜に発生。仕事を終えた母親(51)を父親(60)が迎えに行くために外出した直後、自宅から出火し寝ていた2人が犠牲になった。松尾被告が逮捕され、精神状況を調べるための鑑定留置を経て起訴された。

母親の兄にあたる松尾被告。生活に困窮していたため、事件の約2年半前から同居を始めた。当初は一緒に出かけるなどしていたが、次第に兄弟に罵声を浴びせるようになるなど家族との溝が生じるように。両親は被告に「悩みがあるなら言ってほしい」と声をかけていたが、事件に至った。

誰とでも分け隔てなく接し、すぐに仲良くなる侑城君。友達思いで、幼稚園の遊戯会でほかの子の分までセリフを覚えて教えてあげていた真輝君。2人とも大の阪神タイガースファンで、将来の夢はプロ野球選手だった。

家族旅行やキャンプに出かけるなど幸せに包まれていた日常はあの日、暗転した。友人からの連絡で火災を知った両親が慌てて戻ると、すでに自宅は焼け焦げていた。

松尾被告が兄弟を連れ出してくれているのではと願ったが、夜が明けるころ、真輝君の遺体が警察官に運び出された。「抱っこだけでもさせてほしい」。母親の最後の望みもかなわなかった。

「何度も亡くなった子供たちのところへ行きたいと思った」。あの日から両親の時間は止まったままだ。事件後、当時の自宅と雰囲気が似ていて愛着を覚えた一軒家に転居。家には兄弟の習字作品やタイガースグッズ、2人の写真が飾られ、2人の面影があると感じて購入した人形も大切そうに並べられている。

公判では被害者参加制度を利用するつもりだ。被告からこれまでに反省や謝罪の言葉はないが「犯した罪がどれだけ重いものなのか考えてほしい」という。

極刑以外ないと考えているが「たとえ刑が執行されても罪は消えない」。今は「かわいくて元気いっぱいの侑城と真輝を返してほしい」ということだけを願っている。(高田和彦)

拙ブログでも、この事件についてとりあげています。

精神疾患か発達障害か境界知能かそういうこととは関係ないのか定かでないが、この伯父も生きづらさを抱えて孤立していたのだろう

この事件で、伯父が犯人らしい(放火して、甥2人を殺害した)ということを知ったとき、「これやばいなあ」と思いました。まさに家族間殺人の中でも最悪といっていいケースではないかと感じます。

甥のご両親は、(義)兄に対しては、極刑・厳刑を絶対要求しているわけです。それはそうでしょう。しかもご両親は、兄の居候を許し、何とかコミュニケーションを取ろうと努力していたようです。記事を一部抜粋。


生活に困っていた被告を迎え入れる形で、事件の3年ほど前から同居を始めたという家族。

当初は良好に思えた関係も徐々に被告が心を閉ざし始めたといいます。

当初、警察の調べに対し、「兄弟の両親に恨みがあった」などと供述していた被告。

こちらも。おなじく勘所の引用を。


生活に困っていた被告を迎え入れる形で、事件の3年ほど前から同居を始めたという家族。

当初は良好に思えた関係も、徐々に被告が心を閉ざし始めたといいます。

亡くなった兄弟の両親ー「(同居を始めて)半年までは一緒に銭湯に行ったり、一緒に外食したりとか、子どもは子どもで阪神タイガースの話をしたりとか将棋をしたりとかコミュニケーションを取ろうとしていた。半年に満たないうちに銭湯も行かなくなって、子どもらに対しても話しかけたら罵声を浴びせるというか、子どもたちも距離を置くようになった」

ご両親からすれば、踏んだり蹴ったりにもほどがあるというものでしょう。

それで、最初の引用によると、判決は来月15日ということで、そうなると、初公判から判決まで3週間ということになります。同じ裁判員裁判でも、先日特定少年への死刑判決ということも話題になった甲府地裁での死刑判決では、初公判が昨年10月25日、12月11日の21回目の公判で論告求刑があり、判決が今月18日というわけで(以上の情報はこちら)、それと比較してもかなりのハイペースですね。おそらくあまり争点がなく、弁護側も情状酌量を訴えるのが中心なのでしょう。これは、死刑判決の可能性が高いのではないかと思います。裁判官や裁判員も、おそらくあまりいい心象はもたないでしょう。

ところで本日は、京都地裁で京都アニメーション放火殺人事件の判決があります。記事を。


京アニ放火殺人事件 25日に判決 京都地裁
01月24日 14時47分

5年前(2019年)、「京都アニメーション」のスタジオが放火され社員36人が死亡し、32人が重軽傷を負った事件で、殺人や放火などの罪に問われた青葉真司被告に対し、25日、京都地方裁判所で判決が言い渡されます。
検察が死刑を求刑したのに対し、弁護側は精神障害により責任能力がなかったとして無罪を主張しています。

青葉真司被告(45)は、5年前の2019年7月、京都市伏見区にある「京都アニメーション」の第1スタジオに火をつけ、社員36人を殺害し、32人に重軽傷を負わせたなどとして放火や殺人などの罪に問われています。
裁判員裁判は京都地方裁判所で去年(2023年)9月から22回にわたって開かれ、被告の責任能力の有無が大きな争点となっています。
検察は、「京アニに作品を盗用されたという妄想が動機の形成に影響したが限定的だ」などとして、被告には事件当時、完全な責任能力があったとして死刑を求刑しました。
一方、弁護側は「被告は妄想の中で生き、妄想の中で今回の事件を起こしていた」などとして、精神障害により責任能力はなかったとして無罪を主張しています。
裁判で青葉被告は京アニに小説のアイデアを盗まれたと主張する一方、「こんなにたくさんの人が亡くなるとは思っておらず、やりすぎだった」などと述べていました。
25日の判決で裁判所がどう判断するかが焦点です。

(以下は、ご遺族のコメントですが割愛させていただきます)

いま取り上げた3つの事件は、まったく偶然ながら放火関係です。特定少年の事件は、刃物で殺害した後の放火ですが、ほかの2件は放火による殺害です。特定少年の事件はどうだかですが、特に兵庫の事件は、犯人自身による「人生リセット」のような気がしますね。こういっては何ですが、甥の殺害と家の放火による焼失は、彼にとって不可分ではなかったか。自分が、昔ながらのいい方をすればこの家の世帯主であるべきなのに、居候の肩身の狭い身分であることに耐えられなかったというところもあったのではないかと思います。よって、その最も愛していて最も憎む自宅(実家)を焼失させた。逆恨みにもほどがありますが、めちゃくちゃな心境の人物は、こういうひどいことをしかねない人もいるのでしょう。なおこちらの記事によると、家屋は松尾被告のものだとのこと。そういったことも、逆恨みに拍車をかけた可能性もあります。

ともかく昨年12月から今月、おそらく来月も死刑に関するニュースが続出です。私もいろいろ注目していきます。なお私は死刑反対論者ですので、記事に出てきた被告人たちの死刑判決や今後ありうる死刑確定について賛成しているわけではないことを明記します。

記事発表日の追記:初公判についての記事を。


小学生の兄弟放火殺人事件の初公判 被告の伯父起訴内容認める
01月25日 15時28分

3年前(2021年)、兵庫県稲美町で自宅に火を付けて小学生の兄弟を殺害したとして殺人と放火の罪に問われている53歳の伯父の裁判員裁判が神戸地方裁判所姫路支部で始まり、伯父は起訴された内容を認めました。

住所不定・無職の松尾留与被告(53)は、3年前の2021年11月、兵庫県稲美町の自宅にガソリンをまいて火を付け、一緒に暮らしていた妹夫婦の子どもで、当時12歳の小学6年生の兄と、当時7歳の小学1年生の弟を殺害したとして、殺人と放火の罪に問われています。
神戸地方裁判所姫路支部で25日開かれた裁判員裁判の初公判で、被告は「間違いありません」と述べて起訴された内容を認めました。
検察は冒頭陳述で、「被告は妹夫婦たちが暮らす2階の部屋に無断で入り、注意されたことなどから不満や怒りを蓄積させた。夫婦への復しゅうのために、最も苦しめる方法として小学生の兄弟を殺害することを決意した」と主張しました。
一方、弁護側は「被告には軽度の知的障害があり、話し合いをしたり、他人に助けを求めたりする解決方法をとることができなかった」と主張し、刑を軽くするよう求めました。
裁判では今後、被告人質問などが行われ、判決は来月(2月)15日に言い渡される予定です。

記事中、軽度の知的障害を被告が持っているというくだりは、「やっぱりな」ですね。拙記事のタイトルにも、そういうことは指摘しています。また、別記事を。一部抜粋で。


検察側は冒頭陳述で、被告が両親の部屋に無断で入った形跡があったため、両親が防犯カメラを設置したことなどを明らかにし、「被告は行動が監視されていると不満を募らせた」と指摘。両親への恨みを晴らすため、「最も苦しめる方法として兄弟を殺害することを決意した」と犯行に至る経緯を述べた。

弁護側も冒頭陳述を行い、防犯カメラの設置などによって被告は「人として扱われていない」と考え、犯行に及んだと主張。また被告には軽度の知的障害があるとし、「障害などの特性を持つ被告がどのように追い詰められていったかは、量刑の重要な判断材料になる」と訴えた。

詳細は不明ですが、どうもまともに一緒に生活できるような人物ではなかったようですね。これも予想の範疇です。

めったなことは言えないし言いませんが、おそらく判決は相当な厳刑になりそうですね。死刑が免れたら幸運というレベルでしょう。また、京都アニメーションの裁判も、これまた予想通り死刑判決でした。


京アニ放火殺人事件 被告に死刑判決 京都地裁
01月25日 19時57分

5年前(2019年)、「京都アニメーション」のスタジオに放火し、社員36人を殺害した罪などに問われた青葉真司被告に京都地方裁判所は死刑を言い渡しました。
殺人事件としては記録が残る平成以降、最も多くの犠牲者を出したこの事件の裁判で、最大の争点となっていた被告の責任能力について、裁判所は被告に物事の善悪を判断する責任能力があったと認めました。

青葉真司被告(45)は、2019年7月、京都市伏見区の「京都アニメーション」の第1スタジオに火をつけ、社員36人を殺害し、32人に重軽傷を負わせたなどとして殺人や放火などの罪に問われました。
判決の言い渡しは25日午前11時から始まり、京都地方裁判所の増田啓祐裁判長は、冒頭で結論にあたる主文を述べず、判決の理由を先に読み上げました。
犯行に至る経緯について裁判長は「被告は小説を応募したが落選し、京都アニメーションがアイデアを盗作したとして恨みを持つことになった。京アニに盗作され努力してもうまくいかないと思い、購入したガソリンで火をつけて36人を殺害した」と述べました。
そして、裁判長は、最大の争点となった被告の責任能力について「みずからの意思で京アニへの恨みから犯行に至っていて、妄想の影響はなく、犯行当時、心神喪失でも耗弱でもなかった」と述べ被告に物事の善悪を判断する責任能力があったと認めました。
そのうえで、「36人が亡くなったことはあまりにも重大で悲惨だ。一瞬で炎と煙に包まれ、逃げる間もなくほかの人に重なるようになるか、高熱で呼吸困難になった。一酸化炭素中毒になることもあった。一瞬で地獄と化した第1スタジオで亡くなり、またはその後亡くなった被害者の恐怖や苦痛は筆舌に尽くしがたい」と述べ、死刑を言い渡しました。
被告は、うつむいたまま聞いていました。
遺族などが座る傍聴席では、下を向いたまま聞いている人がいたほか、目を押さえている人の姿も見られました。
殺人事件としては、記録が残る平成以降、最も多くの犠牲者を出したこの事件の裁判員裁判では、弁護側が重い精神障害により責任能力はなかったとして無罪を主張したのに対し、検察は死刑を求刑していました。

(以下略)

控訴されるかどうかなど、今後も私も注目したいと思います。

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿紀伊国屋書店本店の地下にあった「JINJIN」が復活したので、食べに行った

2024-01-24 00:00:00 | フォトログ

昨年の秋に、次のようなことが発表されました。引用はこちらから。


「生パスタ JINJIN」「手延べうどん 水山」
新宿・紀伊國屋ビルに再出店!
2023 年 10 月 27 日グランドオープン!
OPENを記念し紀伊國屋書店新宿本店とのコラボキャンペーンを実施します!

「本格生パスタ専門店 JINJIN」「手延べうどん 水山」 が新宿・紀伊國屋ビルに帰ってきます。
皆様にご愛顧いただき惜しまれつつ2021 年 7月に耐震補強工事のため閉店しましたが、この度再出店することとなりました。
OPENを記念し、キャンペーン期間中紀伊國屋書店新宿本店でご購入の皆様にJINJIN・水山で使える50円引きクーポン付きレシートを発行いたします。この機会に是非 「本格生パスタ専門店 JINJIN」「手延べうどん 水山」をご利用くださいませ!

(中略)

《JINJIN 新宿紀伊國屋店・水山 新宿紀伊國屋店 概要》
・住 所:東京都新宿区新宿 3-17-7 紀伊國屋ビル B1F
・営業時間:11:00~22:00(オーダーストップ 21:30)
・席 数:JINJIN 13 席 水山 25 席
・電話番号:JINJIN 03-6380-1277 水山 03-6380-5534

〈本格生パスタ専門店 ジンジンについて〉
1970 年に新宿紀伊國屋で創業した生パスタ専門店です。こだわりのオリジナルソースを各種取り揃え、モチモチ食感の茹で上げ生パスタをあつあつで仕上げます。創業以来引き継がれるナポリタンはお店の看板メニューとなっております。
http://www.ajino-mingei.co.jp/jinjin/

◆紀伊國屋店メニュー(抜粋)パスタ全品ドリンク付き
・JINJIN ナポリタン 800 円
・特製ミートソース 830 円
・アスパラとベーコンのペペロンチーノ 850 円 他 (※価格は税込み)

(以下略)

すみません、この記事では、「手延べうどん 水山」さんについては、省略させていただきます。もうしわけございません。こちらに運営会社のリリースをリンクします。以前こんな記事を書いたことがあります。

閉店間際の、新宿紀伊國屋書店本店地下にあるパスタの店、「ジンジン」に行ってきた

正直この記事を書いた際は、再出店は難しいと考えていましたが、あにはからんや再出店してくれました。で、2年半ぶり、厳密には、2023年12月29日に、食事に行きました。

13時30分過ぎに行きました。同じ場所です。ほぼ満席です。食券制になっていました。自動販売機で買います。

ドリンク1杯無料というのは、継続していました。ペプシコーラをいただきます。

温玉入りカルボナーラのパスタ2倍です。カルボナーラ980円、パスタ2倍270円で、計1,250円です。

個人的にはもう少し塩味や胡椒がきいていたほうが好みかもですが、それは自分で調整すればいいわけです。いや、もう食えないと思った店が復活して食べられるのはうれしいものがあります(違う店舗はありますが)。私はこの日この後成田空港に向かい、台湾に向けて出国しました。

読者の皆さまにもおすすめですので是非どうぞ。「食べログ」にリンクします。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本多勝一氏にとっては残念だろうが、「古代人」の時代は、人間が現在よりはるかに病気に弱く苦しんだ時代だった(当たり前)

2024-01-23 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

本多勝一氏は、著書『はるかなる東洋医学へ』の中で次のように語っています。なお引用文は文庫版で。


私自身を含めてわが家は医者による重大な被害に次々と襲われている。要するに誤診とか誤治(引用者注:「ごち」の振り仮名あり)による被害が実に多い。最初のそれは私の妹の死である。これはほとんど殺されたに等しいだろう。その「馬鹿医者の殺人療法」(父の言葉)によって、我が家がどれほど悲しみの長い日々に耐えなければならなかったことか。(p.9)

本多氏の妹さんは、疫痢になって、そして医者のよろしくない診療によってお亡くなりになったということです。以降その件が書かれています。

それはもちろん気の毒ですが、それらはだいぶ以前(戦前)の話だし、当時と比較すれば日本人は、医療事情も衛生事情も、また個々の国民の豊かさも、健康のための取り組みも、雲泥の差でしょうに。当時の医学を持ち出して西洋医学に批判的な認識を持つというのは、それはおかしくありませんかね。本多氏に限らず、本多氏のご家族他、ずいぶん現代医学のおかげで助かっているでしょう。たとえば疫痢に関しては、このような記事がありました。

>(*)えきり【疫痢】

幼児の赤痢で、下痢、嘔吐とともに顔面蒼白、手足が冷たいなどの循環障害や、意識が混濁したり、ひきつけたりするなどの神経系の障害のような中毒症状の強く現れたものをいう。特に3~4歳に多い。昔は肺炎と並んで幼児死亡の二大原因であったが、現在はほとんどなくなり、しかも抗生物質、輸液などで救命できるようになった。

Wikipediaの、「赤痢」の「症状」の項の、疫痢についての記述を。注釈の番号は削除します。

>疫痢(えきり)は細菌性赤痢の子供に起こる特殊な型を指す。高熱・激しい下痢などの典型症状に加え、痙攣・血圧低下・顔面蒼白・意識障害を起こし、短時間で死亡することが多い。発症のメカニズムはよくわかっていない。かつては乳幼児に多くみられたが、現在の日本ではほとんどみられなくなっている。

読売新聞の「医療大全」のサイトより。

> 疫痢は、小児にみられる細菌性赤痢の重症型で、循環不全(血圧の低下、意識障害など)を起こすなどで短期間に死亡します。しかし、どうしてそのような状態になるかは不明です。最近は疫痢をみることはほとんどなくなりました。

毛利子来著『よい親でなくとも子は育つ』より。

>戦争中から敗戦直後の混乱期までは、栄養不良、脚気、天然痘、腸チフス、発疹チフス、コレラ、赤痢、ジフテリア、百日ぜき、麻疹、日本脳炎、肺炎、結核などが猛威をふるい死者も多かったのですが、しかし、経済の高度成長が進むとともに、そうした病気の脅威は激減しています。

これらのうち栄養不良、脚気、天然痘、発疹チフス、コレラ、疫痢は、一九五〇年ごろから遅くとも六〇年ごろまでに、なくなったといってよい状態になってしまいました。そのほかも、今日にいたるまで発生はしているものの、患者数とり患率が激減するか、死亡率が激減した状態になっているのです。(p.122~123 段落の一字下げは省略、段落時にスペースを一行分あけました。また振り仮名は省略しました)

私が何を言いたいかというと、つまり本多氏の妹さんが亡くなった時代は、疫痢というのはこわくて危険な病気でしたが、戦後間もない時点で、そうでもなくなり、現在はほぼなくなった病気というわけです。上に書いたことを繰り返しますと、本多氏の妹さんが、医者のよろしからぬ治療で亡くなったのであればたいへん気の毒ですが、それは「西洋医学はいかん」とか現代医療を批判するような話ではないでしょう。むしろ本多氏が強く批判する「反自然」こそが、それらを打倒した大きな力ではないか。本多氏が気に入っているらしい「古代人」の時代では、非常に遺憾ですが、大勢の子どもが疫痢ほか感染症で亡くなったはず。本多氏は、そういうことをどれくらい認識しておられるのですかね?

本多氏は、彼が傾倒する境信一氏から治療(放置とどう違うんだか)をうけて回復した(境氏の治療の故かは不明)際、境氏から、


実に喜ばしいことに、わずか二回の治療によって、この不整脈は消えてしまった。しかしS先生は言う。―「これは私の力というよりも、患者たる本多さんの方によるところが大きいのです」

どういうことかというと、「信州の山ザル」たる私の身体はあまり「文明」に毒されていない。一種古代人に近い状態にあるので、東洋医学の側からすれば大変扱いやすく、単純だから効果も表れやすい、と。(p.47 段落は、スペースにて対応。段落の1字下げは省略)

などという論拠不明の与太を真に受けているのだから、本当にどうしようもない。こういうことをほざくような野郎は、完全な詐欺師、誇大妄想家と批判されたってしょうがないでしょう。

だいたい身もふたもない言い方をすれば、人間が長生きになったのは、上下水道の発達など社会インフラの整備です。それらのほうが、東洋医学よりもなによりも強力です。こんなことは知っている人間なら常識ですが、医者も(医療を重視したいため)あまり口にしない(苦笑)。上にある毛利氏が書いているように、経済の高度成長などが様々な感染症を撃退する最大の力なのです。

が、本多氏は、「古代人」とか「反自然」といったそれ自体には何の意味もないフレーズに心を奪われたのでしょうね。そういう風に本多氏の好むフレーズを口にする境信一氏なる東洋医学者を名乗る人物は、まったくひどい野郎ですよね(苦笑)。こんなくだらない(はい、はっきり書きます。きわめてくだらない与太です)ことを真に受けちゃうのだから、まったく本多氏のおめでたさもひどいものです。

古代人なんてものが生きていた時代は決して生活しやすいものではなかったし、そんなものをありがたがることはない。人間が長生きになったのは、本多氏が忌み嫌っているらしい「反自然」のおかげであるところが大きいわけです。本多氏は、そういうことをどれくらい認識しているんですかね? 非常によろしくない態度かと思います。

本多氏の東洋医学についてのデタラメな言説については、また記事を書きますので乞うご期待。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「オーボエ協奏曲ニ短調」のさまざまなヴァージョン

2024-01-22 00:00:00 | 音楽関係(CD、コンサート、歌手、楽器その他)

アレッサンドロ・マルチェッロオーボエ協奏曲は、たぶん多くの方が、「題名は知らんが、どっかで聞いたことはある」という曲だと思います。たとえば宇野昌磨は、2021-2022シーズンのショートプログラムなどでこの曲を使用しています。

Oboe Concerto (+ Bolero) - 宇野昌磨 - Shoma UNO - / 2022 NAGOYA Festival [名フェス2022]

で、この曲は、映画などでも使われています。『いちご白書』では、イアン・フリーバーン=スミスがコンテンポラリーにアレンジしたヴァージョンを聞かせてくれています。

Alessandro Marcello - Concerto In D Minor - Adagio (The Strawberry Statement)

Concerto in D minor [BWV974] : II Adagio

Alessandro Marcello, Concerto in re minore per oboe e orchestra

A. Marcello - Oboe Concerto in d minor (Marcel Ponseele, baroque oboe / Il Gardellino)

Alessandro Marcello - Oboe Concerto in d minor, SD 935 [ca.1716] / Alfredo Bernardini (baroque oboe)

Alessandro Marcello: Oboe Concerto in D minor, S D935 | Turku Philharmonic Orchestra

アレッサンドロ・マルチェッロ:オーボエ協奏曲 ニ短調 マイヤー 2008

A.マルチェルロ: オーボエ協奏曲ニ短調:第2楽章[ナクソス・クラシック・キュレーション #切ない]

マルチェロ「オーボエ協奏曲二短調] ホリガー

Oboe Concerto in D minor - Alessandro Marcello

またこの曲は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハニ短調チェンバロ独奏曲(BWV 974)に編曲したのです。世間では、バッハの曲というイメージも強いかな?

Víkingur Ólafsson – Bach: Concerto in D Minor, BWV 974 - 2. Adagio

バッハ - アダージョ (Bach - Adagio, BWV 974)

Adagio - Johann Sebastian Bach / Alessandro Marcello BWV 974 | Tzvi Erez

Johann Sebastian BACH: Adagio, BWV 974

いかがでしょうか。なかなかいいのではないかと思います。いろいろなヴァージョンを楽しめてよろしいのではないでしょうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする